モーツァルトの交響曲について書いてきましたが、
交響曲というと、ブラームスのも好きです。
ブラームスは、来年のラ・フォール・ジュルネ(5月に東京で開催される
音楽祭)で主役になる作曲家に決まったとか・・・。
彼の曲には、心やさしさが漂っています。
交響曲第2番の第3楽章は、遠くから汽笛が聞こえてくるような
出足で始まります。なんともいえず、牧歌的です。
遠くから波が次第に押し寄せてきて、大きな波になって波止場に
やってくようなメリハリを感じる音楽です。
でも全編に渡り、その大波・小波を包み込むような何か偉大で崇高な
もの・・・・それは何か分かりませんが・・・・そんな精神を感じて
しまうのです。ブラームスが訴えようとしたものかもしれません。
最終盤では、波がゆったりと波止場に流れてくる”やさしさ”を感じます。
以前にも書きましたが、ブラームスは、人の心を思いやることのできるやさしい
心根の持ち主ではないかと想像できます。どこか風貌が、ロシアの文豪、
トルストイに似ています。風貌だけでなく、貴族の出でありながら、富を
貧しい者に分け与えようとしたトルストイの崇高な精神性に
通じるものが、ブラームスにも感じられるのは、単なる偶然なのでしょうか?
こんなことを想いながら、音楽を聴いていると、とても健やかな気分に
なれます。
「情けは人のためならず」という日本のことわざにもあるように、
崇高な精神の持ち主だから、こんなにやさしく包んでくれるような
音楽を生み出せたのでは、とふと思ってしまいます。ブラボー!
来年の音楽祭が楽しみです。
交響曲というと、ブラームスのも好きです。
ブラームスは、来年のラ・フォール・ジュルネ(5月に東京で開催される
音楽祭)で主役になる作曲家に決まったとか・・・。
彼の曲には、心やさしさが漂っています。
交響曲第2番の第3楽章は、遠くから汽笛が聞こえてくるような
出足で始まります。なんともいえず、牧歌的です。
遠くから波が次第に押し寄せてきて、大きな波になって波止場に
やってくようなメリハリを感じる音楽です。
でも全編に渡り、その大波・小波を包み込むような何か偉大で崇高な
もの・・・・それは何か分かりませんが・・・・そんな精神を感じて
しまうのです。ブラームスが訴えようとしたものかもしれません。
最終盤では、波がゆったりと波止場に流れてくる”やさしさ”を感じます。
以前にも書きましたが、ブラームスは、人の心を思いやることのできるやさしい
心根の持ち主ではないかと想像できます。どこか風貌が、ロシアの文豪、
トルストイに似ています。風貌だけでなく、貴族の出でありながら、富を
貧しい者に分け与えようとしたトルストイの崇高な精神性に
通じるものが、ブラームスにも感じられるのは、単なる偶然なのでしょうか?
こんなことを想いながら、音楽を聴いていると、とても健やかな気分に
なれます。
「情けは人のためならず」という日本のことわざにもあるように、
崇高な精神の持ち主だから、こんなにやさしく包んでくれるような
音楽を生み出せたのでは、とふと思ってしまいます。ブラボー!
来年の音楽祭が楽しみです。
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