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ウィーンフィルニューイヤーコンサート 2018

2018-01-02 08:40:07 | 音楽の魅力

大みそかの紅白歌合戦とともに

元旦恒例のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートを

観ました。

今年の指揮者は、イタリアのリッカルド・ムーティ

このイタリア人がどんな選曲で、どんな指揮をし、

どんな表現をするのか興味深々でした。

というのも、私の個人的な印象ですが、ムーティは、

あのカラヤンの影響をかなり受けていて(!?)、

音を鋭く歯切れよく運び、高速でも一糸乱れぬ正確さを

保たせる・・・・オケにそんな要求をするマエストロだと

思ってきたからです。

男性的で完全無比、演奏の完璧さを求める指揮者だと。

それは、ウィーンフィルではなくベルリンフィルにあてはまる

演奏哲学ではなかろうかと考え、このコンサートを

どうコントロールするのか不確定要素があったため、

そういう意味で楽しみにしていました。

しかし、私が頭で考えていたムーティの指揮は、

全編を通して聴くと、その予想を裏切られることになりました。

もちろん、いい意味で。

曲によって、表現を巧みに変えていたのでした。

70歳代半ばになったムーティの熟練の賜物なのでしょうか?

ウィーンフィルの良さを存分に引き出していました。

例えば、オーストリア・ハプスブルク帝国時代の

シュトラウスファミリーの音楽遺産、『ウィーンの森の物語』と

毎年奏でられる『美しき青きドナウ』。

後者なんかは、イントロのピアニッシモの音が素晴らしかったです。

どんなに小さな音でも緊張感に溢れ、その静かな輝きが

会場の隅々まで届く。まるで、ドナウ川の穏やかな流れにのって、

船上から両サイドの丘を越えて空まで、ゆったりと静かな音が

立体的に広がっていくような世界に引き込まれていきました。

これぞ、ウィーンフィル! だと思います。

ムーティも、世界一二を誇るオケと共演すれば、

こんな芸当ができるんだと感じました。

この2曲は、素晴らしい音の広がりと調和を

聴かせてくれました。

でも、ムーティの真骨頂、素早いタクトさばきで

高速テンポを正確に操る業も見せてくれました。

『電光と雷鳴』や、毎回アンコールとなる

『ラデッキ―行進曲』では、この業が光りました。

高速テンポを操作する指揮には恐れ入ります。

一糸乱れぬところが世界最高峰の指揮と演奏

なのでしょうね。

思わず唸らせてくれる技術と心意気には

感動しました。

このように2つの場面展開を見事なまでに

繰り出してくれたムーティの芸術性も素晴らしい、

と思いました。

熟練したイタリア人だからできるのでしょうか?

そのあたりは不明です。

ただ、彼は、ここ十年くらい、世界各地で

反戦をテーマにしたコンサートを繰り広げてきた

と聞きます。パレスチナで、イランで、・・・

そんな社会的な使命も抱えてきた人間性が、

今回の素晴らしい演奏につながったのではないかと

考えています。

来年は、ティーレマンの指揮だそうで、

またまた楽しみです。

 


ベートーベン交響曲3番 byデュダメル

2017-11-19 16:15:48 | 音楽の魅力

今年元旦のウィーンニューイヤーコンサートで

タクトを振った男、ベネズエラの若手指揮者デュダメル。

今のりにのっているクラシック界の若きホープですが、

彼が指揮するベートーベンの交響曲3番を聴いてみました。

3番は、ご存じのように、あのナポレオンを讃えるために

創られたシンフォニー『英雄』です。

それまで、古典派に属してきたハイドンやモーツァルトが

創った交響曲に構成と音の厚みを持たせた、

本格的なシンフォニーをベートーベンが確立した作品だとも、

言われています。

第1楽章は、彼らしく、重厚でスケールの大きさを

感じさせてくれます。ソナタ形式で、躍動感もあります。

これを指揮台の上で、前後左右に身体を躍動させて振る

デュダメルには、ぴったりの曲だと感じました。

厚みのある音の連鎖に躍動感が宿る。まさにそんな感じなのです。

しかし、それだけではありません。

第2楽章は、物静かですが、荘厳な葬送行進曲風。

躍動というよりも、静けさの中に、芯のある音が

連なりあった曲想にデュダメルは仕上げています

まさにベートーベンの意図をしっかりと見抜き、

体現しているように感じました。

深みのある本格的な交響曲! という世界なのです。

何度聴いても飽きることがなさそうです。

こんな風に

彼の創り出した曲想と実によく似ていると思われる

指揮者が過去にもいるなぁと感じていました。

それは、イタリアのクラウディオ・アバドです。

彼も1音1音に重みを持たせながら、それで歯切れが

いいんです。アバドの3番もとても好きです。

強く演奏する音ならいざしらず、弱く演奏する

(ピアノやピアニッシモ)音にも、芯があり、

深みが増していくんです。

これが指揮者の力量ではないでしょうか?

そういえば、アバドもデュダメルも指揮者としては、

従来の伝統を革新する芸術家という共通項が

ありますね。当然賛否両論もあるようですが、

要は肝心なのは、この曲なら何を主題にし、

どういう曲想にするかが大事で、その解釈の違いが

出ているのだと思います。

まだまだデュダメル指揮の演奏をそんなに

聴いたわけでじゃありませんので、それは、

今後の楽しみにとっておこうと思います。

とにかく、本人の本意ではないと思いますが、

奇抜な仕上げになるケースもありそうですから。

彼がカラヤンのように世界中のクラシックファンの

心をとらえる曲を披露し続けるのであれば、

変革も意義をなすものと思われます。

新たなクラシック界の”英雄”が生まれる

かもしれませんね。

 

 

 

 


命は美しい

2017-11-05 12:26:52 | 音楽の魅力

今日の休日は、秋晴れ。気持ちいいですね。

こんな日に、美しい詩とメロディを聴きたくなります。

乃木坂46に『命は美しい』という曲があります。

詩がとても深くて、人生哲学を物語っています。

秋元節が絶好調という感じで、好きな曲です。

詩が美しく、生きてる喜びが伝わってくるんです。

「この曲、最高!」って思わず、心の中で

叫んでしまいました。年甲斐もなく(笑)

詩の1部を引用させてもらいます。

月の雫を背に受けて

1枚の葉が風に揺れる

その手放せば、楽なのに

しがみつくのは何故だろう?

何のために生きるのか?

何度問いかけてはみても

空の果てまで暗闇が黙り込む

夢を見られるなら

この瞼を閉じよう!

悩んでも、やがて夜は明けてく

命は美しい 初めて気づいた日から

すべてその悲しみ、消えていくんだ

永遠でないもの 花の儚さに似て

その一瞬一瞬が生きてる意味

♪♪

この詩を聞かされると、人生何度でも

やり直しがきく・・・そんな気がします。

それに、自分の心の痛みを感じ、その上で

相手の心の痛みを感じられるようになる!

こんな実話が確信をもって迫ってきます。

実は、乃木坂46内で、こんな話があったようです。

数年前にメンバーの西野七瀬と秋元真夏が

選抜発表で受けた衝撃。そして、ふたりの間に

起こった心の溝。ふたりは、お互いの心の

傷を感じ口もきけなかったといいます。

何が原因かはここでは書きませんが、

その数年後、休業していた秋元が復帰した時、

素晴らしい出来事が起こったのです。

乃木坂のライブ会場で『制服のマネキン』という

曲を歌う前に、西野のファンへのアナウンス。

「真夏、〇〇〇〇。一緒に〇〇〇〇!」

と言ったのです。(関心があれば〇の中の言葉は、

ネットで調べてみて下さい)

場内では歓声が上がりました。

ふたりの溝が氷解し、真の友情が芽生えた瞬間でした。

ファンの間では、今も美談として語り継がれているはず。

心の傷を抱えた西野が、同じく傷を抱えた秋元のことを

思いやり、受け入れた瞬間でした。

勇気ある言葉だと思います。なかなか言える言葉じゃ

ありませんから。

相手の心の傷を思いやり、それを言葉に出すこと。

これは、とても美しい行為だと思います。

本物の愛を感じます。

グループ内での激しい競争がありながらも、ふたりは、

こうやって緊張感あふれる状況を突破したわけで、

人間として大きく成長しているはず。

見習いたいですね。

『命は美しい』の歌詞は、この美しい出来事も

投影している気がするんですが。

いい曲です。

 

 

 


シューベルトの『白鳥の歌』よりセレナーデ

2017-10-22 11:01:19 | 音楽の魅力

台風が近づいている日曜、総選挙の日ですね。

投票は済まされましたか?

さて、雨が降るたびに日に日に寒くなって

いくような気がしますが、秋の深まりを

感じますね。

秋というと、切なくなる季節・・・・

そんな感傷に浸りやすいのですが、

秋にふさわしい曲を探してみました。

その中のひとつが、タイトル名にあるように、

シューベルトの歌曲集『白鳥の歌』からの

4番セレナーデです。

シューベルトはご存知のようにオーストリア生まれの

音楽家で、何百もの歌曲を作ってきました。

他にも交響曲、ピアノ曲、弦楽協奏曲など、

モーツァルトばりのジャンルを問わない

多くの楽曲、歌曲を生み出した天才作曲家でもあります。

享年31歳という短い人生も、モーツァルトとの共通点

ですし、同じオーストリア生まれの天才として

後世に名を残しました。

しかし、モーツァルトと違うのは、思索にふける時間が

長かったのではなかろうかという点です。

もちろん、即興曲のようなひらめきで生み出す曲も

世に出している彼なんですが、自分の生い立ちや

悲運にも強く思いを馳せ、自然情景と嚙み合わせながら

曲作りをしている姿が思い浮かびます。

彼は、母から生まれた12番目の末っ子、実は幼少の頃、

兄弟姉妹の死を何度も経験しているのです。

確か、小さい頃、7人か8人亡くなっていると記憶してます。

おにいちゃんやおねえちゃんの命って、こんなに儚いの?

なんて感じ、悲しみにさいなまれていたのではないでしょうか?

自分の力ではどうにもならないことがある、と身を持って

知らされてきたわけで、この無常感が、後に偉大なる

芸術作品を創るエネルギーとなったのは否定しようのない

現実だと感じました。

『なぜ?』を繰り返し自問していた?

たまたま幼少の頃から始めていた音楽の才能があった彼は、

ものすごいエネルギーを発揮して、切ない思いを

作曲にぶつけてきたのではないでしょうか?

私が今回見つけたセレナーデは、その中のほんの

1曲ですが、実に切なくなるメロディです。

彼の人生に対する達観や諦観が込められている

感じがとても漂います。

また、歌曲集の歌詞をみるにつけ、ものすごく

繊細な自然観察と、それにはまるミュラーなどの

ロマン派詩人の詩を選び抜いて歌曲にしている

ようです。

秋のひととき、シューベルトの音楽で

物思いにふけるのもいいかもしれません。

秋のシーズンに合う曲が多いですから。

 


グルックの歌劇「オルフェオとエウデリーチェ」から♪精霊の踊り♪

2017-08-11 18:13:26 | 音楽の魅力

立秋も過ぎ、暦の上では秋ですね。

ただ猛暑日もあり、台風の影響で

曇りがちで梅雨みたいな湿気の多い天候も

続き、夏らしいぎんぎらぎんの日はどこへやら?

3連休初日の今日も、東京は、曇りがちで

気温そのものは低めです。

こんな日に聴きたいのは、澄んだ音です。

メジャーな作曲家ではないのですが、

とても清澄な音で、心を揺さぶってくれる

曲を見つけました。といっても、既に

TVのCMやドラマで挿入されている曲かも

しれません。

それは、表題のグルック作曲の歌劇からの

「オルフェオとエウデリーチェ」から精霊の踊り。

これは、ピアノの音を最大限に生かした

清澄なる音の連鎖が響き渡ります。

脳内にエコーがかかり、ずんずんと

脳の中を清らかな音が突いて行ってくれる

感覚なのです。

哀愁や郷愁といった言葉も当てはまるかもしれません。

とにかく美しい音の世界に浸ることができるんです。

冒頭は悲し気なセンチメンタルな音で始まります。

しくしく泣いてしまいたいような音なんです。

でも、そこから立ち上がっていく力が

湧き出てくる感じがします。

柔らかな清らかな音。ピアノしか表現できない世界。

音楽の美が表現されています。

朝少し寝ぼけた状態で、いきなりこの曲を聴いたのですが、

脳がすっと目覚めました。

幸せでした。こんな美しい音に出会えるなんて!

また、他にも探してみます。

美しく清らかな音楽を!!

 

 


モーツァルトのピアノ協奏曲26&27番

2017-06-18 17:35:29 | 音楽の魅力

ワクワクドキドキさせてくれるクラシック音楽といったら、

モーツァルトが最右翼でしょう。

彼の晩年近い曲には、暗雲が漂う曲が多い中、

ピアノ協奏曲の最終26番と27番には、

そんな暗さ、深刻さは微塵も表現されていません。

私にとっては謎なんです。

26番は、ご存じの『戴冠式』という副題がついています。

時の皇帝が位を授与される儀式です。

そんな厳かな儀式を子供のように

楽しむかのように、軽やかなのが26番、

そんな風にしか感じられないのです。

憧れの皇帝の晴れ舞台・・・といったイメージが

強く残る曲想なのです。しかも、モーツァルト自身の

情熱がほとばしり出てる曲想なのです。

最終27番も、なんのためらいもなく作曲された

感じなのです。

なぜでしょう? 理屈っぽく考える必要は

ないのかもしれませんね。

軽やかでポップな感覚が強い印象です。

何か音楽でひと仕事を成し遂げた男が、

達成感を覚え、自分で心地よい祝杯を

上げている風景が思い浮かぶのです。

迷いがない、雑念もない。

静かな死を予感したかのように、

過去の出来事が走馬灯のように

彼の脳裏を駆け巡った。

そんな時にひらめた音の連鎖・・・

そうとしか思えないのです。

不思議で天才なモーツァルト!

死ぬまで奇想天外なタイミングで作品を

残した彼。天才を言葉で表現するのは、

至難の業なのでしょうね。

 

 


モーツァルトのピアノソナタ 奇数番号

2017-06-11 13:11:49 | 音楽の魅力

暫くモーツァルト音楽を聴かないでいると、

また戻ってきたくなります。

やはり、一生ものの音楽なんでしょう、

私にとっては。

そんな中でも、ピアノソナタの奇数番号には、

いつもほっと安心できるものがあります。

というのは、モーツァルトらしさが、ふんだんに

盛り込まれていると感じるためです。

例えば、ソナタの11番、13番、15番、それに17番。

11番は、第3楽章が、あのトルコ行進曲。

ですが、第1楽章がいいですね。

のどかな雰囲気で、音が伸びやか。

どこか田園風景をイメージさせてくれて、

気持ちが落ち着きます。なんとなく

春の雰囲気の漂う楽章です。

13番は、とても好きなんです。

特に、第1楽章は、澄んだきれいな音の

連続です。長調ということもありますが、

まるで清流の中にいるみたいなんです。

時折、水が岩に軽くぶつかり、水しぶきが飛ぶ。

その様が、実に軽快な動きをイメージさせてくれて

心地よいのです。ピアノの鍵盤を楽しそうに

軽やかに転がして弾くモーツァルトの姿が思い浮かびます。

軽快でスキップしたくなるような愉快な感覚も

残ります。

第2楽章も、しっとりと聞かせてくれ、

元気になれる高揚感がありますね。

15番は、ハ長調で実にシンプルです。

もちろん、明るい印象が残ります。

特に、第2楽章は、右手と左手の役割が

はっきりと決められていて、分かりやすい。

その分、シンプルに聞こえるのでしょうね。

右が主役、左が脇役に徹しています。

左がしゃしゃり出ることが全くありません。

メロディは、軽快で美しい!

第3も、スキップしたくなるような軽快感があり、

遊び感覚が満載。これもモーツァルトの真骨頂でしょう。

そして、17番。

第1楽章は、15番よりもやや複雑な構成ですが、

音に強弱をつける箇所が多くなりますが、

軽快さは健在です。

第2は、聖なる階段を踏みしめながら、

ゆっくりと昇る感じです。

第3楽章は、またまた軽快!

テンポがあり、歯切れがいい。

思わず踊り出したくなるウキウキ感に

襲われます。

 

このようにピアノソナタ奇数番は、モーツァルトらしく

軽快で、小気味いいのです。

右手と左手の音が対話しているかのような構成も

彼ならでは。

とても、人間的でありながら、自然と人間の心を

軽快に調和させているところなんか、

素晴らしいと思います。

肩肘張って聴く音楽ではなく、

心から楽しめます。

エンターテイナー、モーツァルトらしい

ソナタが目白押し。

この奇数番号は、いずれも長調で作られ、

明るさも抜群です。

これだから、モーツァルトはやめられない!!


チャイコフスキー くるみ割り人形より花のワルツ

2017-05-20 15:45:51 | 音楽の魅力

チャイコフスキーの曲を書くのは、

本当に久々です。

エレガント・・・・まさにこの形容詞がぴったりなのが、

バレエ「くるみ割り人形」の中の花のワルツ

イントロのハープのやさしい音を始め、

管楽器、クラリネットの音を強調したパート、

それからバイオリンの柔らかい高音パート、

これらが優雅にバトンタッチされていきます。

まるで、遊園地でメリーゴーランドに

乗っているみたいに、バレリーナがくるくると

優雅に踊る姿と音の滑らかさが見事にマッチし、

音を聴き、踊りを眺める観客をいつも魅了してくれます。

ロシア音楽のエレガントさの代名詞と言えるのでは?

美しい色の花びらがくるくり舞いながら

降りてくる、そんな情景もイメージできます。

思わず、3拍子の柔らかなリズムに合わせて

体を左右に揺すりたくなる音楽ですね。

指揮者のパーヴォ・ヤルヴィが言っていました。

「音楽は、スイングだ」と。

右に振れ、左に揺れ戻される。

振り子のような音の動き、これが

美しき躍動感のある音を紡ぎ出すのでしょうか?

思わず、体中で喜びを表したくなる

傑作ですね。この花のワルツは。

 

 

 


ベートーベン ピアノソナタ24番

2017-05-06 08:40:49 | 音楽の魅力

ゴールデンウィークも終盤ですね。

皆さん、どんな休日を過ごされていますか?

自宅でゆっくりされている方も多いのでは?

私は、クラシック音楽を聴きながら

リフレッシュするようにしています。

今朝聴いているのは、ベートーベンの

ピアノソナタ24番。

これまで彼のソフトな曲の代表選手として

8番はよく聴いてきましたが、24番は初めてです。

実際に聴くと、驚きがあったのです。

第1楽章の出足からショパンかと思うくらい

優美なメロディが続きます。えっ、これ

ベートーベンなの? と感じるくらい

エレガントなのです。

さらにさらに、途中から右手が奏でる音と

左手が奏でる音がまるで対話をしているように

聞こえるパートが登場します。

ここは、モーツァルトみたいと、

思わずはっとしました。

情熱的なのに、何か重々しい

あのベートーベンらしくない!!

何かあったのだろうか? 素朴な

疑問を持ちました。

この曲が創られたのは1809年だと言われています。

そうすると、彼の後期の作品です。

あのビートルズだって、後期作品は

曲想が若々しい前期とはがらっと変わってましたね。

ベートーベンにもきっと私生活や自分の身体や

心に変化があったと想像できます。

私のような音楽を聴く側も、その時の気分や

仕事、家庭、交友関係、価値観の変化によって

同じ曲を聞いても受け取り方が随分違う時が

あります。

曲を作る側なら、なおさらだと思います。

それにしても、この24番、ベートーベン自身が

もがき苦しんでいる映像がまったく思い浮かばないんです。

それよりも人生を達観し、希望の光を見出したように

感じてしまいました。

彼がこれまでの苦悩を自分の中で消化しきった

結実なのでしょうか? それは定かではありません。

ですが、言えるのは音楽も人間と同じで

生身の存在だということです。

まるで生き物のように、姿や形、中身を変えていきます。

だから、音楽って面白し、深いと思います。

人間と音楽って、切っても切り離せないですね。

 


オペラ『ドン・ジョバンニ』の人間物語

2017-01-14 20:48:04 | 音楽の魅力

モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』は、

何度味わっても新たな発見があります。

見る度に人間のサガが伝わってきて、

私たち人間の奥深さ・複雑さが

垣間見えるのです。

このオペラの筋をご存じの方は、

ドン・ジョバンニの悪行が最終的に

天上界の使者(石像)によって裁かれ、

彼が地の底へ落とされていく(地獄落ち?)

結末になるのは周知のはずです。

この結末から判断すれば、このオペラも

水戸黄門さまのように、勧善懲悪を貫く

正義の物語ということになります。

しかし、モーツァルトが言いたかったのは

それだけでしょうか?

それを解くには、登場人物の人となりも

チェックする必要がありそうです。

主役 ドン・ジョバンニ・・・放蕩を繰り返す女好きの男

ポポレッロ・・・ジョバンニの下僕

ドンナ・エリヴィーラ・・・ジョバンニの糟糠の妻

ドンナ・アンナ・・・ジョバンニに狙われた色香漂う女性で

          実父を彼に殺される

ドン・オッタ―ヴィア・・・アンナの婚約者。誠実な男性

マゼット・・・・少し粗野で朴訥な農民

ツェルリーナ・・・マゼットの婚約者

こういった登場人物が織りなす人間ドラマは、ジョバンニの

放蕩によって繰り広げられます。

~アンナを寝取ろうとしたジョバンニ。失敗し、アンナの父に

追いかけられたところ、父を殺害するジョバンニ。

当然ながら、失意に沈むアンナと仕返しを誓うオッタ―ヴィア。

~さらに、ツェルリーナを誘惑し、不倫を持ちかけるジョバンニ。

何度も口説かれるうちに、渋々承諾したツェルリーナですが、

婚約者マゼットに対し罪の意識が沸き起こる。

~自分に対する裏切り行為を行ったにもかかわらず、自分の元へ

いつかはジョバンニが戻ってきてくれると信じて待つエルヴィーラ。

 

それぞれの登場人物には役割がちゃんと備わっています。

自分の性格と価値観とをふんだんに生かし、問題に対処しようとする

役割りが、ストーリー上を流れていきます。

最後は、前述したように、ジョバンニが裁かれるのですが、

この直後の終章で、ジョバンニ以外の登場人物6人による

6人合唱で幕を閉じるのです。

これは何を意味するのでしょうか?

善人どおしの慰めが、悪事が終わった後の生きていく

希望の光となるのでしょうか?

私にはそれだけには終わらない感じがします。

人間誰しも、悪を冒す可能性やきっかけがある。

だから、ジョバンニの行いを反面教師として

自分たちも気を付けましょうと・・・そんな

教訓にも聞こえるのです。そんな合唱にも聞こえます。

この終章では、各人がこれからどうしていくかの決意も

示されています。

エルヴィーラは隠遁(修道院?)の道へ。

ポポレッロは、新しい主人を探す旅へ。

アンナはふたりの死のショックを静める時間が欲しいと懇願。

オッタ―ヴィアは、そんなアンナを待つと。

マゼットとツェルリーナは、ふたりでゆっくりと家で

過ごすと。

ジョバンニによって引き起こされた自分たちの人生に

軌道修正を加える旅に出ていく面々。

人と人が関わっていく中で、繰り広げらるトラブルには、

修正力が必要だといわんばかり。私たちの人生は、

そんな営みの繰り返しなのよと言いたげなのが私には

伝わってきました。

人と人との組み合わせは無限で多種多様。それが人生!

それが人間! だとモーツァルトは表現したいのでは?

だから、人生は面白く苦しい。

時には、行き過ぎれば天が成敗してしてくれる天罰も

加わって、モーツァルトの天を神を恐れる宗教観も

伝わってきます。

それくらい、これからも私たちの生きざまはドタバタの

繰り返しなのでしょうか?

 

 


ブラームスとフルトべングラー

2017-01-07 15:05:27 | 音楽の魅力

ブラームス

19世紀終盤に活躍したドイツ人作曲家。

師であるシューマンの妻、クララのことを思慕し、

思いも告げられず、プラトニックラブに終始した

不器用できまじめなこだわりの天才。

フルトベングラー

20世紀を代表するドイツ人指揮者。カラヤンの先輩として

数々の名演を披露。主にベルリンフィルとの共演が秀逸。

 

このふたりのドイツ人が織りなす交響曲は聴きごたえがあります。

知識の浅い私が感想を書くのは恐縮ですが、演奏芸術として、

深く、暗く、時に薄く光明が差し込みながら消え、また悲哀があり、

最後は死へ。そんな人生観と人間観がフルトべングラーのタクトから

くっきりと浮かび上がってきます。

特に、交響曲4番には、はまりそうです。

フルトべングラーは、ブラームスの人間性を相当研究している

のではないかと感じられるところが、この4番を聴いて随所に、

いや全編を通して伝わってきます。

ブラームスが自作のシンフォニーで一番好きだという4番。

それを見事に演出し、ベルリンフィルに演じ切らせている

フルトべングラーの洞察力と演出力に感銘を受けました。

指揮者は、人間として舞台監督にも通じる表現者なのですね。

そこには、演奏技術のベースがあってのことですが。それに

ついていけるベルリンフィルも、やはり凄いオケです。

それにしても、このふたりの巨匠のマッチングは見事に

はまっています。フルトべングラーの表現方法が、

ブラームスの思っていたこと、考えていたことに

ドンピシャなんでしょうか? それはもちろん不明。

フルト(略称)は、ブラームスの書いた原譜どおりではなく、

翻訳本でいう超訳を加えていると思いますが・・・。

フルトの特徴は、音量の漸増と漸減それにテンポの変化を

ふんだんに取り入れて表現する点でしょう。

その分、このブラームスのような重厚な音楽には、深みと

味わいが出ている気がします。

飽きないんです。変化が豊かだから。

外面は忍耐強さを装っていたブラームス(?)だからこそ、

内面の心の揺れ動きはかなり激しい。そんな人間の内面の

秘密をフルトは見事に音で暴いて見せています。

特に、第1楽章と終楽章の第4は聴きどころが満載。

終楽章などは、フルトの特徴がほとんど出ているといっても

いいのでは?

前述したボリュームとテンポの変化です。この変化が

わざとらしくなく必然のように聴こえてくるのが

素晴らしいです。それくらいスコアを読み込み、ブラームスの

表現したい内面を理解した上で演奏をコントロールしている

のでしょう。部分的にはオケが歌っているように聞こえる

ところもあります。

それに、音と音をつなぐレガートもあり、音と音を歯切れよく

切るピッチカートのような部分もあり(ここは、カラヤンと

表現方法が異なる)、間をとることろもあり、とにかく

表現が複雑で多様なんです。何度も書きますが、シンプル

イズベストとは対極をいく手法ですね。

それくらいひとりの人生って複雑なんだと言わんばかり。

実に面白く、感動的です。

その時の自分の精神状態によっては、この第4楽章は、

涙が出てきそうな場面もあります。それくらい人間を

表現していると、強く感じます。

「レクイエム(鎮魂歌)」も作っているブラームス。

キリスト教徒としての宗教観もあるのでしょうね。

でも、同じくレクイエムを作ったモーツァルトや

フォーレとは、また違う死生観の持ち主では??

カソリックとプロテスタントの違いもありますから。

そのあたりは、無宗教の私には理解しにくい

ところであります。

 

 

 


生まれ変わったウィーンニューイヤーコンサート2017

2017-01-02 12:51:14 | 音楽の魅力

とにかく楽しいコンサートでした!

2017年ウィーンの楽友教会で行われた

定例のコンサート。

史上最年少のグスタボ・デュダメルが登壇し、

タクトを動かした瞬間、何か違う空気が

漂いました。デュダメルとは何者?

最初、こんな若い初指揮者が、ウィーンフィルの

伝統的な演奏会で受け入れられるのかという

懐疑的な思いも、最初の5曲で簡単に

打ち破られたのです。

彼は、既にウィーンフィルと50回も協演し、

絶大なる信頼を得ている新進気鋭、いや

中堅の指揮者なのです。南米のべレズエラ、

エル・システマという国家が資金援助をする

音楽教育で音楽を覚え、経験を積み、

弱冠30歳代中盤で世界最高峰のオケを

指揮する名誉を与えられたのでした。

楽しい演奏会となったのは、登壇して終演するまでず~っと

スマイル、スマイル!! だけでなく、乗ってくると、

体全体で気持ちを表現しながら、オケを乗せる。

指揮台からジャンプしそうになるくらい、全身を

揺らすことも何度もありました。

彼は音楽に対してどんな哲学を持っているんのか?

そんな素朴な疑問が浮かんできました。

ラテンの国に生まれラテンの国家で音楽教育を

受けたので、「音楽は喜びを表現するもの。

その喜びを楽団員や聴衆と分け合うもの」そんな

楽しい哲学を持っているのは間違いなさそうです。

特に新年のお祝い演奏会ということ、ヨハン・シュトラウスを

中心にしたワルツなどの楽しさ、明るさ、愉快さを

ふんだんに表現しようとする姿勢がありありとうかがえました。

ここ10年間で、最も愉快な演奏会だったのではないでしょうか?

あまりの変化に、ウィーンの聴衆も内心戸惑うことも

あったのは? と感じました。

時代は変化しているようです。

史上最年少の指揮者。往年の名コンサートマスター、キュヘル氏の

引退。そして、今回の愉快な演奏会。

実に素晴らしい変化であり、これからがもっと楽しみになった

演奏会だったと強く感じました。

まるで、ひらめきの天才が音楽を楽しませてくれるかのような

コンサートでした。エンターテイナーの

モーツァルトが指揮しているのかと

錯覚してしまいました。

もしそうだとしたら、現在のサリエリは、舞台袖で

どんな思いで、今回の指揮を見ていたのでしょうか?

(おっと、これは書き過ぎでした)

でも、もしかしたら、フルトベングラ―からカラヤンへと

主役がバトンタッチされた時代変化に似ているかもしれません

次世代の指揮者の誕生です。

今回に限り(?)、クラシック音楽の敷居の高さは

かなり低くなった気がします。

それは、感性で楽しめる音楽に完全に切り替えられた

ためです。デュドメルがシュトラウス音楽の

タクトを振るのにふさわしい哲学と感性の持ち主

なのが一番の誘因でしょう。

来年は、イタリアのリカルド・ムーティ

タクトを振る予定だとか。ムーティも

歯切れのよい、ワルツなどは特に聞かせどころを

テンポアップした曲想にするのが

得意なマエストロです。

おそらく、母国イタリアの大先輩トスカニーニや、

巨匠カラヤンの影響をかなり受けているのでは、

と感じています。

これからのウィーンフィル・ニューイヤー

コンサートが良き伝統を維持しつつ、

新たな風を取り入れて進化し続けてくれたら

いいなぁ、なんていうのが今回の感想です。


カラヤンの♪レガート♪

2016-12-29 12:38:26 | 音楽の魅力

20世紀最高の指揮者といえば・・・。

フルトべングラーとカラヤンでしょうか。

今回は、フルトべングラーは次の機会に譲るとして、

あまりに有名なカラヤンの功績を書きたいと思います。

なぜそんなことを思ったかといいますと、

ベートーベンの第9のシーズンということもありますが、

前回のウイーンフィルとも関係し、ベルリンフィルとも

密接に関係する彼の芸術が、興味深くなったからです。

別にカラヤン指揮する曲を浴びるほど聴いたわけでは

ないのですが、彼が指揮した曲には、どうしても

外せない特徴を感じたのです。

例えば、ベートーベンの第9、ブラームスの交響曲1番、

リヒャルト・ストラウスの『ドン・ファン』、

それにモーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』序曲。

それからワグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』前奏曲と

愛と死や、ブルックナーの交響曲7番などなどを聴いてみました。

第9とフィガロ以外は、彼が第2次大戦が終わった直後、

連合国側の検閲(ナチの属していた彼への調べ)を終え

1946年にウィーンで復帰演奏会で披露した演目だったそうです。

これらの曲は、時代を反映して静かで抑えた曲ばかりだったのですが、

フィガロや第9と同じように、音を果てしなく間断なく繋げていく

手法に終始しているように感じたのです。

演奏者が息つく暇を与えないかの如く、一瞬のゆるみも許さない、

そんな風に聞こえました。

フィガロや第9は明るくテンポの小気味いい曲ですから、

力強くリズミカルに、そして滑らかで歯切れよく聞こえ、

その他の静かな曲は、まろやかでゆったりと透明感が

はっきりと出る美しさを感じました。

これが、カラヤンの真骨頂? と疑問に思ったくらいです。

確かにフィガロの序曲は、指揮者が演奏者とスピード競争

しているかのようなスポーツを思わせる烈しさがあるのです。

まるで、カラヤンが、オケ全体をアスリートに仕立て上げるかの

ように。凄い迫力のある指揮だな、と感じ入ってしまいました。

第9もしかり!

実は、この疑問に対する答えがある書物で見つかったのです。

カラヤンは、当時、オケに対して「もっとレガートに!」

と注文することが多かったそうです。

あのウィーンフィルの特徴だとしたレガートです。

しかし、これはベルリンフィルもしかり。カラヤンから注文を

受けることが多々あったようでした。

別の表現をすると「小節の縦の線が分からないように演奏しろ」

ということ。音を極限までつなげつなげて途切れさせない。

これが、彼の芸術家としての美の追求スタイルだという

証言もあります。

だから、彼が指揮すると、テンポの速い曲はあんな風に

切迫して聞こえることが多いのか?とも感じました。

音の透明感

レガート

この2つをベースに、曲によってアスリート張りの烈しさや

静かな持久力を要求したりして、音と音を丁寧につなぎ、

ひとつの音楽を創る。

これが、カラヤンの真骨頂だったのかもしれません(断定は

できませんが)。

優秀な物書きもそうで、1文1文がぶつぶつ途切れていません。

文と文がつながり読み手もスピード感を持ってすらすらと

読めるのです。分かりやすい文章になっています。

カラヤンも、聴衆のことも想定して、こんな手法を取り入れ、

耳に心地いい音楽を聴かせてくれたのでしょうか?

芸術家としてこだわっていた部分であるのは、

確かなようです。

もっとレガートに!

これがカラヤンの音楽を読み解くキーワード

だとしたら、私の中では、疑問が氷解してきた

ところがあるのですが・・・。

しかし、ただ一つ疑問が残ります。

それは、間を必要とする音楽です。

一瞬の間。余韻を残すといいましょうか、

そこはどう処理したのでしょうか?

そういうことが大事になる曲は避けた?

いや、そんなはずはないと考えます。

ウィーンフィルとベルリンフィルの違いは何か?

という大疑問に「ウィ―ンは心の響き、ベルリンは

頭脳の響き。この差がある」といった著名な演奏家も

います。

長年ベルリンフィルを指揮してきたカラヤン自身、

頭脳の響きにこだわったのでしょうか?

心の響きというと余韻を出すニュアンスが強いので。

実際の音で聴衆に響きを感じてもらいたいという

思いがあったのか? 謎です。

もっと調べてみます。フルトべングラーと比較したら、

もしかすると、その答えが出るかもしれません!?

奥が深く謎だらけ。だから、面白いのですが。

 

 


ウィーンフィルの伝統とは?

2016-12-23 18:28:47 | 音楽の魅力

2016年も押し詰まってまいりました。

明日はクリスマスイブですね。

新年になると、元旦には、恒例の

ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートが

行われます。私も、この10年間はNHK放映を

生ライブ(当然ながら)で視聴させていただいています。

ところで、あの世界的なオケ、ウィーンフィルとは

どんな楽団なのでしょうか?

クラシック界の紅白歌合戦みたいに毎年同じ日に

似たような演奏会を楽友協会で開く彼らの正体は?

常々興味津々で疑問に思っていました。

それで、私なりに調べたのですが、

オケの歴史としては、意外なことにドイツ勢に

後塵を拝しているようです。ベルリン、ザクセン、

ライプチヒなどの独勢3羽カラスが18世紀設立なのに、

ウィーンフィルは1848年くらいと19世紀設立で

およそ100年の歴史の差があるのです。

さまざまな事情がドイツとオーストリアによってあるようです。

神聖ローマ帝国(後にプロイセン)とハプスブルク帝国の

お国事情の差もあるでしょう。

決定的違うのは、ハプス(後のオーストリア)の方は、

他民族国家として成立していたということ(プロイセンは

ゲルマン民族が主)です。

今でもオーストリアは、スイス、ポーランド、チェコ、スロバキア、

ハンガリー、スロベニア、イタリアなどに囲まれていますが、

帝国時代は、これらの諸国の一部または全部を領土としていた

くらい多様な国家だったのです。

その影響が楽団にも影を落としている!?

多くの民族をまとめるには、当然ながら妥協が必要です。

ひとつの信念やイデオロギーを通そうとすれば、反感を

買います。古代ローマ帝国がとったような『飴と鞭』の

戦略は必要不可欠でしょう。

そのせいか、有能な団員は自己主張を抱えつつも、

楽団のチームワークを重んじながら、指揮者にも

合わせる芸当をやってのける伝統を持ち備えて

いるという。これだけのソリストの実力集団なら、

少なからず指揮者に不満を持つ団員もいたはずです。

にもかかわらず、大人の対応で何気なく演奏しきっている。

しかも、同じパート(管楽器)なら音を溶け込ませたり、

他のパートの音のずれを隠せる演奏技術を瞬間的に行う

芸当もできるといいます。オケから派生する

室内楽団(少人数)の演奏でお互いの特長が分かりあえている

からこそ可能な裏わざのようです。

さらに、ウィーンフィルの音は、絹の手触りのように、

滑らかな音を奏でられる点が他のオケと違う最大の

特長だとも言われてきました。ボルドーの5大シャトーの

筆頭格、シャトーラフィット・ロートシルトのワインのように

のど越しが絹のように滑らかな演奏だそうなんです。

音楽用語では”レガート”に演奏できる技術を

伝統的に持っていると言います。

柔らかさのある演奏っていいですね。個人的に

そう思います。余裕を感じますもん。

また、ウィーンフィルは、楽譜に書かれた音符や表現記号に

忠実に演奏するだけでなく、その曲の書かれた歴史背景や

作曲家の思いを理解し、ひとつの物語を完結できる

ように演奏できる世界で唯一のオケだとも評されています。

それは、ウィーンは、ご存じのように、ハイドン、モーツァルト、

ベートーベン、シューベルト、ブルックナー、シュトラウス親子など、

綺羅星のように輝く作曲家たちが活躍した舞台であったから。

しかも、モーツァルト、シューベルト、ハイドンは有名なオペラを

残し、ウィーンフィルはそのオペラ演奏者として育てられ鍛え上げられた

経緯も強く関係していると思われます。

♪ウィーンフィルでは、オーボエはヴィブラートをきかせない♪

という技術的な伝統もあるそうです。

まろやかに、滑らかに! まるでワルツの調べに乗るように

エレガントに奏でるウィーンフィル。

あと1週間で、またニューイヤーコンサートです。

2017年の元旦が楽しみです。

 

 

 


ニコライ・ホジャイノフの演奏会

2016-12-04 09:33:42 | 音楽の魅力

ロシアの新進気鋭のピアニスト、ニコライ・ホジャイノフの

ピアノコンサートを聴きに行きました。

彼は、2010年、18歳の若さでショパン国際コンクールで

ファイナリストに入った逸材。

どんな演奏なのか、興味津々で聴いてみました。

すると・・・若さゆえなのか、全曲すごくパワフル!!

演目はショパンの曲が大半を占めていたのですが、

元気のいいショパンを聞かせていただきました。

最初は、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ。

前半と後半の2部構成で、ショパンらしいロマンチックさと、

烈しさがない交ぜになった大曲です。

しなやかというよりも、音を正確に歯切れよく弾くタイプかな、

と感じました。

一言で表現すると擦れな、今のホジャイノフは”剛”のピアニスト。

キーシンみたいな柔らかさと間の取り方は感じられませんでした。

しかし、キーシンのように、指を鍵盤の垂直上に上げ、強く表現したい

ところは、重力にそって叩く。しかも、正確に速く!

こんな感じのピアニストでしたので、

あのアルゲリッチやキーシンのような柔と剛を兼ね備えた

感覚には乏しいのでは?と素人ながら思ってしまいました。

でも、ショパン曲4、リストの大作1、シューマンの大作2を

体全体でいとも簡単そうに表現した彼の体力、リストや手の力、

それに持久力には、恐れ入りました。

アンコールを6曲も披露してくれたサービス精神にも感動。

実は、アンコールまで、全部暗譜して弾いてくれたのです。

ですから、まったく淀みなしの演奏でした。

 

ちなみに、演目は、ショパンがスピアナートの他、子犬のワルツ、

告別、ワルツ10番。

リスト曲は、♪巡礼の年、第2年イタリアよりダンテを読んで♪

最後のシューマンは、アラベスクと幻想曲17番でした。

若々しい力強さと寸分の狂いも許さないかのような正確無比な

鍵盤さばき。

彼のこの特長に、柔らかさが加われば、鬼に金棒!!

ではないかと感じ入りました。