フェアウェイバンカーや水からのショット、魅せてくれました!

2011-10-30 18:17:39 | ゴルフウイークリー

今日最終日だった『マイナビ選手権』。

最終18番パー5は、毎年ドラマが起きますね。

小田孔明の残り215ヤードくらいの2打目、フェアウェイバンカーショットと

石川遼のグリーン周りからの3打目、ウォーターショットはプロ魂を

魅せてくれました。

小田選手のショットは、カツッという乾いた音を残して低めのドローで

グリーン右手前へ。やはり、フェアウェイバンカーでも得意な持ち球で

攻めるのですね。池に入るリスクがありながら、果敢にチャレンジしたのは

拍手ものです。小雨が降っていた悪条件でのキャリーが求められる

フェアウェイバンカーからのショット。

このフェアウェイバンカーショットは、スウィングの完成度を

物語っていると感じているのが私の本音です。

以前、3番アイアンを使っていた頃、ピンまで180~190ヤードの

フェアウェイバンカーショットでスウィングの良し悪しを判断していました。

と言いますのは、トップにすっと入った瞬間、少し脱力できる感覚が

あるとクリーンにボールをとらえられ、成功体験があったためです。

ロングアイアンというと、ただでさえ、球を持ち上げようとして、

反射的に力んでしまいます。ところが、トップで力みがとれ力が

ふっと抜ける感覚が出ると、切り返しにも力が入りません。

その結果、ダフリ無し! キャリーボールが出るのです。

ロングアイアンと言っても、ヘッドが上から入り、多少薄めに

当たっても、球はそこそこ上がります。力みがとれていればいるほど、

逆に球はすっと上がり伸びがでます。ヘッドが走るためでしょう。

私は、この経験から、力みをとる感覚をフェアウェイからも

応用しようとしました。

でも、逆にライがいい時ほど、欲が出るのか力んでしまうようです。

あのフェアウェイバンカーショットのようなトップや切り返しでの力感が

あれば問題ないと思うのですが、なかなかうまくいきません。

やはり、この感覚は練習の時から、素振りを繰り返すしか

なさそうですね。


ルーク・ドナルドに見るスウィングテンポとリズム

2011-10-28 19:20:05 | ゴルフウイークリー

今年の米ツアーの賞金王は、世界ランク1位のルーク・ドナルドに

決まりましたね。欧州ツアーの賞金トップとダブル王者に輝き、

最終戦優勝で、この栄冠をかちとったのは見事です。

確かに世界ランクトップのルークのスウィングが素晴らしい

と思います。お手本、教科書みたいなスクエアスウィング!!

何といっても凄いのは、スウィング中、ボールを打ち終えるまで

前傾姿勢が微動だに変わらない点にあると感じています。

無駄な上下動がそぎ落とされているため、シンプルな美しい

動きに映ります。全盛時代のトム・ワトソンを彷彿させる

見事なボディバランスです。おそらく体幹と脚力が、とても強いの

でしょう。羨ましい限りです。しかも、肩や腕が脱力したまま

スウィングしているため、ムリ、ムダを全く感じません。

これが世界イチのスウィングなのは納得できます。

これだけムリ、ムダをそぎ落としたスウィングは世界広しといえども、

なかなか見当たりません。賞金王を争った長身のウェブ・シンプソン

ですら、少し伸び上がりが見られますから。

今回は、このルークのスウィングをお手本にしながら、前傾キープ、

脱力感からくる振りの鋭さとスムーズな動きが、どこからくるのか、

スウィングテンポとリズムから確認してみました。

すると、彼のスウィングは、全体的にゆったりに見えますが、

決してそんなことはないという点です。

ゆったりに見えるのは、上半身と腕の脱力と見事なボディバランス

(前傾キープ)からそう見えるだけで、決してゆっくりではありません。

トップに入るまでは、テンポはシンプソンほど速くはありませんが、

切り返しからは、シャープでとても速い!!おそらく腰の切れが

速く、それにほんの一瞬遅れて上体の回転と腕の振りも速い

ためだと思います。

そういえば、米ツアーには、スウィングテンポの速い選手が

多いように感じます。日本だったら、シード選手の谷口徹、

藤田寛之、宮本勝昌、アマですが松山英樹など、ゆったりした

リズム(テークバックはゆっくりで、切り返しもゆっくり、そこから

先はヘッドを走らせるので当然速い)の人が多いのですが、

米ツアーは長身の選手が多いため(?)か、テンポが速く、

リズムも前半(トップまで)も後半も速い選手が多いようです。

ウェブ・シンプソン、ジャスティン・レナード、

ガルシア、などなど、・・・・・・・ルークは、彼らほどテークバックは

速くありませんが、決してゆっくりではありません。

速いテンポと速いリズムの中で、脱力と前傾維持のスウィングが

できているから、世界イチになれたのでしょう。もちろん、パットの

好調も見逃せませんが。

ルークのランク1位は、暫く続きそうですね。


ミニスウィング、ショートスウィング、フルスウィング

2011-10-26 17:43:34 | ゴルフウイークリー

ゴルフの上達には、コントロールスウィングの練習が

欠かせないとは、よく言われてきたことです。

ですが、そのコントロールスウィングにも、デリケートな

差が出てくると感じています。

その差とは?

例えば、ウェッジでキャリー10ヤード以内のアプローチを

する練習では、フェースのターンする量(ローテーション)は、

あまり多くありませんよね。キャリーが5、4、3ヤードと近くに

なればなるほど、フェースはターンしなくなります。そうしないと、

ボールが飛んでしまうからです。

小さな振り幅ほど、力は軽くなりフェースは回さないのが

自然な動きだと思います。

要は、フェースをターンしないうちにトップ、インパクト、フォロースルーを

迎えるということですね。キャリー3ヤードなら、ひじを畳むまもなく、

軽くコックを入れてボールをそっと運ぶ感覚でしょうか?

そうなると、途中で少しでも力が入るとアウト!ということになります。

このようにミニスウィングは、小さな振り幅で、力加減を変えない

訓練になると感じています。

片や、同じコントロールでも、ウェッジのショートスウィングは、

30~50ヤードくらい飛ばしますから、コックやひじの畳み方、

それと、ミニと違い、インパクトからフォローに行くまで、多少、

ヘッドの動きに肩が引っ張られることも出てきます。

このとき、ボールを打つのか打たないのか? これは難しい

感覚です。これくらいの幅になれば、フェースターンは入ります。

(もちろん、フェース面を変えない応用テクはここでは除きます)

ヘッドの重さをトップで感じて、その重さを重力の力を借りて

落とす。そうすれば、打つ感覚にはならないと思います。

ある程度、ヘッドは勝手に落ち、重力で勝手に走るからです。

そして、最後はフルスウィングです。

ここまでの力の感覚やひじや腕、手首(コック)の使い方を

フィードバックしながら、ウェッジなら8割から9割スウィングが

フルスウィングになるはずです。大きなクラブみたいに振り回す

ことはないし、その必要もないと思います。力みが厳禁ですから。

ただし、フルスウィングの場合、ヘッドスピードが他の2つに

比べて速くなりますから、インパクトの衝撃は強くなります。

そうなると、当たり負けしないように、インパクトで多少力が

入るのは自然なことだと思いますし、そうならないと、

きっちり距離を管理できません。フルスウィングの距離をつかめなく

なります。

どうでしょうか?

ひと言でコントロールスウィングでスウィング作りをするといっても、

このような振り幅による差を理解していないと、時間がかかったり、

迷いを生んでしまうのではないでしょうか?

ゴルフは、感覚(感性)と知識の両方が必要だということに

なると思いますが、いかがでしょうか?

ゴルフの面白いところであり、すぐに上達できない側面ですよね。

私も心して練習していきたいと決心しました。


ベルリオーズ『幻想交響曲』

2011-10-23 13:22:09 | 音楽の思い出

今日は元気な気分になれる曲について書きます。

その曲とは、ベルリオーズ作曲の『幻想交響曲』です。

この第1楽章のイントロはトランペット群のファンファーレで始まり、

とても勇ましく元気を与えてくれます。背すじをぴんと伸ばして

凛とした感覚で聴けます。

そんな元気なイントロから、突如、弦楽器群が手で弦をつまびく

ところが聞かせどころかもしれません。場面が急に変わり、

何か訴えっかえるシーンにも聴こえますが、このポン♪タタタッ♪

のタタタの3連譜のところが、とても小気味いいアクセントになり、

ググっと引き込まれてしまいます。

そこから、さらにティンパニの連続音で地鳴りのようなベース音が続きます。

この1連の畳み掛けるような構成は、聞く耳に快感です。

それにしても、この交響曲は、弦を手で直接つまびく箇所が多いのが

特徴で、独特な音の匂いを醸し出しています。

重くもなく軽くもなく、バランスのとれた個性豊かな交響曲なので、

堪能できることは間違いないと思います。


HC18からの考察

2011-10-22 16:53:09 | ゴルフウイークリー

サラリーマン生活をしていてゴルフのハンディキャップを

維持したり、アップさせるのは、大変なことだと思います。

長年のキャリアがあっても、伸び悩むのは日常茶飯事の

ことですよね。

確かにシングルプレーヤーになれればいいのですが、

あせってもなかなかなれないのがゴルフの難しさです。

今回は、ゴルフのハンディキャップについて考えてみました。

プロゴルファーの目から見ると「アマチュアの人は、全ショットで

完璧を求めすぎる! だから、その結果とのギャップに悩み、

力んだり、動きが悪くなったりするんだと思う。もっと自分の

力量を考えたゴルフをすればいいのに・・・」と感じている人もいました。

現実に、月イチプレーヤーで練習も週1~2回のアマチュアゴルファーが、

コースで全ショット、完璧を求めるのは無理があるかもしれませんね。

トッププロなら、それはありかもしれませんが、例えば、HC18の人なら

ボギー平均で回っていることになります。

そこで、今回は考え方を少しチェンジしてはどうかということです。

全ショット、心も身体もフルエンジンで臨んでは、最後は身が

もたないかもしれません。

HC18は、平均でボギーで回ることですから、ティショットそこそこ、

アイアンでミスしても、そこそこのアプローチでパットは2パットなら

可能です。ここらが現実的な線ではないでしょうか?

もっと具体的に見ていきましょう。

ティショットそこそこというのは、飛距離で平均200Y超で、フェアウェイ

キープは3分の1から半分くらいで、あとは、ラフやチョロ、OB1回くらいの

レベルと考えます。

次にアイアンですが、2打目で乗せるのは、3回に1回あるかないかで、

ゼロもあり。

アプローチそこそことは、ピンまで50Y以内なら、確実にグリーンオン

できるレベル。

そして、パットは、毎回コンスタントに36~38パットで上がれるレベル。

HC18になるには、これくらいで十分だということです。

私は、HC18になった頃は、とにかくドライバーそこそこと50Y以内はグリーンオン、

そして10メートル以内は2パットで確実に上がれるくらいのレベルでした。

アイアンには期待しませんでした。4つのパー3では、ワンオンは1回

あるかないかくらいでした。こんな風に考えて見ますと、

ドライバーと寄せ、パットがそこそこならHC18にはなれるということです。

何も、フェアウェイウッドやミドルアイアンでナイスショットを狙っても

無理でしたので、期待していませんでした。それよりも、最初と

カップインするための決めのショットの練習だけしていました。

最初と決めのショットがそこそこなら、ボギーはとれるんです。

いくらアイアンでスーパーショットが打てたとしても、3パットを

連発するようでは、ボギーやダボまできてしまいます。精神的に

「あんなにいいショットを打ったのにボギー?パーもとれないんだ」

と参ってしまい、そこから崩れていきやすい。

それくらい決めのショットはスコアメークに大事だと思います。

ですから、先ずボギーゴルフ=HC18を目指してから、その先の

上のレベルを目指したほうが、目標が明確になり、練習の

課題もはっきりすると思うのですが、いかがでしょうか?

そこから先は、また前途多難な道が待っていますが、HC18なら

ティショットはそこそこ、アイアンはミスして当たり前、アプローチで

乗せてパットを2つで沈める。これくらいの楽なプランでいいのでは?

こんなゴルフのことわざもあります。

”飛ばすな! 乗せるな! 寄せるな! でも、最後は入れる!”

ゴルフの欲望を戒めた言葉です。私も最初は、この言葉の意味が

分かりませんでした。でも、自分の実力以上の結果を求めても、

それは現実にはならないのが分かってくると精神的には、楽な気分で

回ることができるようになってきます。そうすると、予期しないパーが

くることがあります。練習を積んでいれば、ある日突然、オールボギーの

ゴルフから、パーが量産され(18Hで6~9個くらい)ることもあります。

突然、80台半ばのスコアになったりすることもあるのです。

ですから、全ショット完璧を求めるのは、まだ先においておいて、

HC18のゴルフがどんなものかを理解することが大切だと思うのです。

それが、実はリスク管理になっているということでもあります。


発散できる80年代ディスコ音楽、マドンナの『ホリデイ』

2011-10-21 17:19:42 | 音楽の思い出

雨っぽい、曇りが続くと、気分が少しブルーに

なりませんか?

こんな時は、80年代のディスコ音楽が最高だと思います。

何しろ、頭を真っ白にして発散できるから。

その中で、マドンナの『ホリデイ』は簡単にのれて、

身体や心がうきうきしてきます。

日本がちょうどバブルを迎えた頃、うきうきした気分が

沸き立っていた頃の曲ですから、余計にそんな軽快で

のりがバツグンなのでしょうね。思わず、映像に合わせて

身体を動かしたくなります。よどむところがなく、シンプルで

ポップな音の連続なので、あまり考え込むことなく、自分を

解放できるのです。

踊りも、今のエグザイルに比べたら、とってもシンプルで、

それだけに懐かしい感が強く湧いてきます。

そういえば、渡米して踊りの留学をしてきたエアロビクスの

インストラクターが、「アメリカ人よりも日本人のほうが実は、

細かいところの技術は高いんですよ」と語ってくれたのを

思い出しました。繊細さは、日本人のほうがあるのかもしれませんね。

でも、このマドンナの映像は、流れるようなリズムの中、

川の中で水に溶け込むようにシンプルに踊っている

彼女の姿が印象的です。

私の個人的な感覚ですが、音楽は、複雑でドラマチックなのも

味わうのには楽しみなのですが、こういうシンプルにのれる

曲のほうが好きです。

ムダをそぎ落としてシンプルに聞かせる曲には興味があります。

モーツァルトの楽曲にも、シンプルな曲は多々ありますよね。

『シンプル イズ ベスト』と短絡的に言うつもりはありませんが、

時には、シンプルの極意を楽しむのもいいのではないでしょうか?

 


ワグナーのタンホイザーを聴いて感じた事

2011-10-16 10:21:26 | 音楽の思い出

人間って複雑にできている・・・・・そんな思いが最近、強くなっています。

経年で変わる態度、行動、表情。体の中身も勿論変わりますが、

ここでいいたいのは精神的、気持ちや価値観の部分です。

人それぞれDNAがあり、複雑な構成で生まれてきた個人ですから、

当たり前なのかもしれませんね。幼少期と老年期(この2期は身体の

変化のほうが大きく、心や価値観の変化は少ないのでは?)を除いては、

誰しもかなり変化を遂げるところが多いのではないでしょうか?

ですから何十年して久しぶりに会うと、その人は過去のものでは

なくなっている!? と感じたことはありませんか?

もちろん、何年経ってもあまり変わらない方もいるでしょうが(笑)。・・・・

そんなことを考えながら、ワグナーの「タンホイザー」を聴いていました。

感覚的に、夜明け寸前のシーンが思い浮かんでくる曲です。

空が白み始めたと思ったら、野鳥が少しづつ池のほとりから飛び立っていく

情景が私にはイメージできるんです。

でも、このワグナーの曲は、ただそういう情景だけではありません。

まさに、人間の内面を手繰り寄せた深遠さも想起させてくれます。

自然界の光景と、人間の中の鬱屈とした精神状態でのもがきや不安、そして

希望などがない交ぜになり、そのカップリングが、めくるめく音で

表現されているような気がしました。

特に、ホルンがゆるぎない精神状態を曲のベースで表現しているとしたら、

その周りで、弦楽器群が渦を巻くような音の連鎖で、その上にのっかってくる。

そんな音の表現が、深遠さを増しています。ここに強弱がつくので、

心の中の揺れが見事に表現されているように感じるのです。

だからといって、重苦しさは感じません。むしろ、自然界と人間の中の

自然(nature)を十分に感じることができます。だから、聴いた後の

余韻がすがしいのです。

音の流れは、ドラマチックです。映画のワンシーンに使ってもいいような

気がします(とういうか、実際に使われているかもしれません)。

文学の世界であてはめるとしたら、トルストイ(ロシア文学)の「アンナ・カレーニナ」

のワンシーンを思い浮かべます。

~アンナ(公爵夫人、ヒロイン)は、カレーニンという夫がありながら、

ブロンスキーという若い騎手に激しく恋をし、不倫の関係になります。

その激しい恋を止められなくなったアンナは、ついに意を決して自分に

どんな災いや罰が起ころうとも、夫に向かって「私はあの人(ブロンスキー)を

愛しています」と決然と告げるシーンです。この後、アンナはわっと泣き崩れます。

身を引き裂かれるような思いで、自分の本心を夫に告げる場面です。

ここからどんなつらいことが起こるのか予期できないけど、必ず、不幸が

訪れるとアンナは予感します。~

渦を巻くようなワグナーのドラマチックな音の連続が、このシーンと重なって

聴こえてくるのです。人間の複雑な思いを音で見事なまでに

表現しているように思うのです。

くしくも、ワグナーを寵愛したバイエルン王国(今の南ドイツ)のルードヴィヒも

ハプスブルク家(今のオーストリア中心)の王妃、エリザベートに不倫の恋を

し、密会を重ねます。それで、最後は悲劇が待っているのですが・・・・・・。

映画「ルードヴィヒ」をご覧になった方は、ご存知だと思います。

結局、アンナもルードヴィヒも最後は命を絶つことになるのですが、あまりにも

この2つのストーリーが似ているところが多いので、書き加えてみました。

これらは、悲劇の人生なのですが、ワグナーのこの曲を別に悲観論者に

なって聴く必要はないと思います。ひとりひとりの胸の内に感受性は

宿っているのですから、ご自身の五感を研ぎ澄まして聴かれると、

豊かな気持ちになれるかもしれません。

 

 


COSMOSという混声3部合唱

2011-10-14 19:28:35 | 音楽の思い出

「COSMOS」という合唱曲をご存知でしょうか?

透き通るような清涼感と宇宙の壮大さをイメージさせる

素敵な曲です。

夏の草原に 銀河は高く歌う

胸に手をあてて 風を感じる

君のぬくもりは、 宇宙が燃えていた

遠い時代のなごり 君は宇宙

百億年の歴史が

今も身体に流れてる

光の声が天高くきこえる

君も星だよ みんなみんな

時の流れに 生まれたものなら

ひとり残らず 幸せになれるはず ♪

 

こういう歌詞がついているのですが、自然界が育んできた

さまざまなものが誕生し、命を授かる。全ての生き物に

存在価値があるという肯定的な歌詞が元気にしてくれます。

つらい時、くじけそうになった時、・・・・この曲に励まされる

ことでしょう。自然は両刃の剣で災害も生むし、恵みも

生みます。今年、僕たち日本人は、このことを嫌というほど

痛感してきたと思うのです。

でも、そんな中、生きてきてよかったなぁ、と思える日が

きっと来る。そんな希望を与えてくれる曲です。

この曲は、終始穏やかなトーンです。

夜空の満天の星・・・・・・都会に住んでいますと、なかなか

見ることはできませんが、田舎(山間や高原)に行けば、星が近く

に溢れるくらいきれいに見えます。この星を見ていると、

この曲の歌詞の意味が分かってくるようです。

生かされているけど、生きている!!

そんな逆説めいた言葉が浮かんできますが、心が

落ち着く曲です。名曲だと感じています。


歌声と曲の濃密な関係

2011-10-13 17:48:05 | 音楽の思い出

タイトルを前回のゴルフのと同じようにしてしまい、

すみません。ですが、今日、中学生の歌声を聴いていて、

ふと感じたことがありますので、下記綴りたいと思います。

別に技術がどうだとかいうつもりはなく、ただただ声質と

曲のベストマッチングにびびっと来たのです。

中学生の声は、小学生もそうかもしれませんが、邪念や

雑念がないから、とても素直で透明感があります。私感ですが、

中学男子の声は、変声期の時期を迎えているため、少し

聴きづらいところはありますが、女子の声は澄んで聞こえます。

特に高音を伸ばすところでは、耳に心地よく響きます。

歌声は、その人たちの人柄を表すのでしょうか?

同じ曲を大人が合唱したとしたら、また違った風に聞こえて

くるはずです。

ウィーン少年合唱団に所属し、ボーイソプラノを歌う少年がいますが、

彼らの声に魅了されるのは、ただ技術や音域の素晴らしさだけでなく、

少年期に歌うことも大きな意味を持っていると思います。少年期は

社会に当然の事ながら出ていませんので、計算高くなったり打算が

あったりしません。無邪気に自分のやりたいことを主張することが

多いのではないでしょうか? そういう伸びやかな性格がそのまま

歌声になって現れている気がするのです。

今日、中学生の歌声を聴き、そんなことを感じてしまいました。

小学生も含めて、こんなストレートな心の持ち主が多くいる

小中校生の歌声には、唱歌が似合います。

「春の小川」「はるかな尾瀬」「蛍の光」「仰げば尊し」などなど、

小中学生が合唱するとはまります。

特に、空気や風、山、海、植物、動物など自然物を取り上げた

歌は、彼ら彼女たちにぴったりだと感じます。

それは、彼らが自然体だから、自然がはまるのでは?

そんな思いを今日は強く持ちました。

素晴らしいマッチングですよね。

 


クラブとスウィングの濃密な関係

2011-10-12 09:55:38 | ゴルフウイークリー

今日は、ゴルフに関する、ある意味、壮大なテーマを

取り上げてみたいと思います。

ゴルフクラブを自分のスウィングに合わせてどう選べばいいのか?です。

この2つの関係をちょっと考えてみましょう!

例えば、クラブの重さの問題。

今までより軽いクラブを使ったら、すぐに飛距離が伸びたが、

それは1時期だけ。すぐに前の飛距離に戻り、逆に飛ばなくなったという事例。

反対に、今までより重いクラブに替えたら、最初は、飛距離が伸び悩んだ

けど、徐々に飛距離が伸びるようになり、最終的には、前使っていた

軽めのクラブよりも飛ぶようになったという事例。

この2つの事例は、何を物語っているのでしょうか?考えてみましょう!

私が考えるに、この2つの事例は、人間はクラブに合わせることができる、

または、クラブに合わせてしまうということではないでしょうか?

クラブを軽くしたら、飛ばせるようになるのは、それまでの重めのクラブの

スウィングが残っているため、相対的に振りやすさが出て、ヘッドが

走るようになったということ。でも、その軽さに慣れてしまい、徐々に

振るための筋肉が弱くなった(?)か、振りがシャープでなくなったのか

かもしれません。それくらい人間は、ある意味、体が楽なクラブに

横着をしやすいのかも。これって、ダイエットしたにもかかわらず、

リバウンドしたのと似ていませんか? 体の中身が変わっていないから、

時間とともに化けの皮がはがれてしまうように・・・・・。

一方、敢えて重いクラブを使うことで最終的に飛距離が伸びたのは、

練習を積み重ねるうちに、その重さに慣れ、振れる筋力がついてきた

のではないかと思われます。どうでしょうか?これだけ考えても、

クラブとスウィングの密な関係は複雑で、悩みながら選ぶことが

必要だと思いますが、いかがでしょうか?

一時的な快楽、いや付け焼刃の飛距離を求めるのか?

それとも永続性の強い飛距離アップを求めるのか?

おそらく後者の方が多いのでは?

クラブとスウィングは切っても切り離せないものですよね。

これまでは、重さだけの話をしてきました。

クラブ側には、・・・・・・・

総重量、シャフトの重さ、しなりの特徴、トルク(ねじれ)、キックポイント、ロフト、

長さ、ネック形状、ヘッドの大きさや形とそこからくる重心の位置(高さと距離)

などがあります。各要素には、何十、何百種類があり、組み合わせは無限大。

人間(ゴルファー)側には、・・・・・・・

身長、体重、骨格、筋肉の強さや柔軟性、スウィングのクセや個性などがあります。

 

これらを組み合わせたベストマッチングは、無限です。

ですから、ゴルファー1人1人に合うクラブっていうのも、オンリーワンなはず。

しかも、人間は時間とともに体も変わります。

経年で変わる自然な要素もあれば、先ほど述べた使用クラブによって変わる要素も

あります。

そこで、先ず、自分の今の状態を自分でつかむ。特に体の状態やスウィングの

クなどです。持ち球、ミスパターンなどあれば、そこからある程度、自身で

自分のゴルフスウィングを知る事だってできます。ただし、ここには限界が

あります。自分のスウィングは、リアルタイムで自分で見ることはできなた

ためです。だからこそ、プロに見てもらうことも必要になってきます。

それから、ゴルフのスウィングの基礎を知り、理解し、覚えこむこと。

グリップ1本1本だって基本があります。右手の親指のあてがい方は

大丈夫でしょうか? もちろん押し付けではありません。

言いたいのは、基礎を知った上で、自分なりにアレンジするということです。

そうであるなら、基礎がいかに大事かが逆に分かると思うからです。

基礎をなおざりにしたまま、ゴルフを続けていても、いつか必ず

しっぺ返しがくることを、私も経験則で少しは学んできました。

基礎が理解できていないと、不調になった際、迷路にはまり、

また、基礎をやり直すのに倍、いやもっと時間がかかるかもしれない

ためです。この基礎を踏まえた上での自分のスウィングの個性を

知ることで、ベストなクラブ選びができると信じています。

ここまで読んでいただいた方には、ぜひとも、ゴルフスウィングの基礎を

理解し、そこからベストクラブをチョイスする方法をつかんで

いただければ、と思います。

そのために微力ですが、その足がかりとなるDVDなどをご用意しました。

基礎を理解する→自分のスウィングを知る

→体力も加味してスウィングの個性を知る→ベストなオンリーワンクラブを知る

2つのDVDには、こういったプロセスを順に追っていく

ための重要な要素が盛り込まれています。

ご興味のあるかたはこちらまで。

→http://www.wam-golf.com/

 

 


頑張るからドラマが生まれる

2011-10-10 09:08:03 | 雑記

ここ10日間で本当に起こった出来事を

紹介したいと思います。と言いましても、

特別なニュースではなく、日常起こりうるハプニングで

あり、ドラマなんです。

1つめは、中学校の体育祭でのこと。縁あって見学していたのですが、

最終種目は、3年生のクラス対抗のリレーでした。

中学最後の思い出に、選手はいい記録を残そうと必死に

なる種目とのこと。ここでドラマが起きました。

各クラス40人づつのリレーで総力戦。第1走者からトップを

走り続けていたクラスのアンカー。僅差でリードを続けていました。

ところが、最終コーナーを回ったところ、あと50メートルという地点で、

脚がからまって転倒。2位と3位のクラスの即抜かれてしまいました。

だけど、転倒した彼は、歯を食いしばり、痛さをこらえて、

ゴール寸前、体が宙に少し浮くように前がかりになって、またもや

転倒しながらゴール!!! その姿を見て観覧席の保護者の

方々が大きな拍手をしているのが印象的でした。私も思わず

拍手してしまいました。負けず嫌いなのと、クラスの皆に迷惑を

変えたという思いが一瞬でしょうが、湧きあがり、負傷しながらの

ゴールとなりました。後で聞くと、その選手は、病院へ運ばれた

そうで、陸上部所属だそうです。意地とプライドが、そこまで

彼を追い詰めたのかもしれません。

でも、あの獅子奮迅のゴールは、彼にとって人生のいい思い出に

なるかもしれません。大人になって、あのゴールがあったから、

俺は、ここまでこれた・・・・・そんな風に回想する場面が訪れると

いいなぁ、と感じました。

もう1つは、勇気を振り絞って人前で、自分のトラウマを話した

人のことです。

彼女は、臨床心理士の資格取得を目指して大学に通っている

そうですが、「自分が心を開いて話をすれば、クラスメートも

芋づる式に心を開いて自分の思い出や思い、価値観をしゃべりはじめる

のではないか? そうすれな、クラス全員がお互いを分かり合えて、

しかも、心理の勉強になるのでは」との思いで、家族とのことを

語ったそうです。兄や両親との関係のこと、・・・・・を5分くらい

しゃべったそうです。そうするうちに、過去のつらい思いが、また

体の中を駆け巡り、さらに、心へ伝わり、想定外に涙となって

しまったそyです。ぽろぽろ泣いて恥ずかしい思いをしたと、本人は

語っていました。でも、それと同時に心を開くことで、クラスの中で

15人くらいの仲間が共感してくれ、友達になれそうと実感したそうです。

私は、この話を聞き、勇気を持って自分が汚れ役になってでも、

自分の人生をさらけ出すことで、心の輪が広がるんだなぁ、と

思い知らされました。

涙を見せるのは、格好の悪いことだという人もいるかもしれません。

でも、自分をさらけ出す勇気を持っている人はなかなかいないと

思います。いじめにあったりするターゲットにされるかもしれない

恐怖感と戦い、打ち克ったわけですから。クールにカッコウ悪いと

批判する人がいたとしたら、それは、いくじなしだから、安全な

道(ベールを覆って自分の真の姿を隠してるだけ)を選んで無難に

過ごしているだけかもしれません。

そんなわけで、自分より若い人たちから教わることの多い

昨今です。私は、今、何をしているのだろうか?人とどんな

風にかかわっているのだろうか? 頑張れるときに頑張って

いるだろうか?

自分の素をさらけ出すのは、ある意味、不安になります。

リスクを負います。他人との競争で負けを認めることに

なるかもしれません。でも、生きている充実感はある気がします。

悔いは残らない気がします。

2つの出来事から、そんなことを感じました。


練習と本番の違い

2011-10-09 08:47:21 | ゴルフウイークリー

歴50年の知り合いの大工さんが、こんなことを

言っていました。

「手のこで板を切るのも、のみで木をくり貫くのも

手技だけど、暫く電動のこばかり使ってると、手のこの

感覚が鈍ってくるんだ。感覚が戻るのに、ちょっと時間が

かかるんだなぁ」と。

歴50年の超ベテランでも、継続して手を動かしていないと

技が鈍ってくるとのこと。それくらいやらないと、

まさに手抜きになってしまう!? 教訓の言葉でした。

これは、ゴルフでも何でも同じでは?

ゴルフの場合、暫く練習から遠ざかっていると、感覚が

鈍ることはありませんか? 

例えば100ヤードの距離感が合わないとか・・・・・・・・。

やっぱり練習って大事なんですね。

実は、この感覚の鈍りは、コースラウンドでも同じところが

ありますよね。ラウンドから遠ざかってしまうと、縦の距離が合わない。

見た目の景色(バンカーや、池や森やレイアウトなど)も

ワンショットごとに変わりますし、ボールのライも

ワンショットごとに変わります。練習場以上に、感覚が

戻らないと感じます。

それで今回の本題です。

練習と本番(ラウンド)の関係です。

練習をコツコツ続けていれば、コースで役に立つことは

多いですよね。練習成果の度合いにもよりますが、球を

打つ感覚というのは、体に残っていますから、コースでも

すっと振れます。番手ごとの距離もだいたいつかめていますから、

クラブ選択にも迷いがない。コースラウンドの間隔がさほど、

空いていなければ、さほど感覚は鈍らない(オヤジギャグ、お許しを!)。

では、練習は継続しているのに、コースラウンドの間隔があいている

場合はどうでしょうか?

球を打つ感覚はありますから、スウィング自体には自分なりに

そんなに不安はないと思います。

ですが、コースレイアウトや状況に合ったマネジメントができているか

というと、???? それに、先ほど冒頭でも書きましたが、

縦の距離感、特にアプローチが合いにくい感じはあるのでは?

ここが、ゴルフの難しさであり、面白さだと思います。

スウィング練習しているからといって、実戦で全て通用するとは

限らない点です。ここが大きなテーマとなってきます。

ではどうすればいいのでしょうか?

ある程度ゴルフのキャリアを積んでこられた方は、色々なコースを

経験なさっていると思います。

そこで、次回プレーするコースをシミュレーションする練習は

いかがでしょうか?

1Hのティショットから始めて、その球の結果を見て、次の

番手選び、・・・・・・・バンカーか・ラフか?グリーンオンか?

パットは、その直前のショットの結果をみて、省略して2パットか3パットとします。

これで大雑把な擬似ラウンドができてしまう計算です。

ただ、これには、風や温度、湿度などの自然状況が加味されて

いません。ですから、もっと実戦的な擬似ラウンドにするには、

練習当日の風向きや強さを加味してみるとどうでしょう?

温度や湿度によってボールの飛びも変わりますから、その差を

どう読むか?さらに、レンジボールと、本番ボールの差をどう読むか?

こうやって頭で考えながら、練習場とコースの違いを細かく

埋めていく頭の訓練をしていけば、次回の課題が見つかります。

それに、練習場とコースがどれだけ違うかの理解と、

体での訓練になると思うのです。

完璧に差を埋めるのは不可能だと思います。でも、この差を

埋める練習を積めば、ゴルフの面白さがもっともっと

分かってくると思います。もちろん、ゴルフの難しさも・・・・・。


チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番

2011-10-03 21:05:00 | 音楽の思い出

昨日のバーバー作曲『弦楽のためのアダージョ』と

音階的に対照的な曲があります。

それは、チャイコフスキー作の『ピアノ協奏曲第1番』です。

とにかく出足が、華やかでかっこいいです。どなたも、

どこかで耳にしたことのあるメロディだと思いますが、

このイントロは、実にやさしく甘く、それでいてスケールの大きさを

感じさせてくれます。

ところが、ピアノ独奏になると、主旋律が音階が下がっていきます。

高い音から低い音へ・・・・・タ、タ、タ、タ~ン ♪♪

階段を下りていく音楽でメインを形成しているのはユニークな

ところです。チャイコフスキーは、好んで、この下がっていく階段方式

の曲を作ったのでしょうか? だとしたらなぜ? 

あの有名なベートーベンの運命の出足に似ていますが、こういう技巧(?)は、

ドラマチックな展開になるようです。

マルタ・アルゲリッチのピアノ演奏で聴きましたから、余計にドラマ性を

感じたのだと思うのですが、・・・・・・オケのメインとピアノ独奏の

メインとが対照的な音の印象を醸し出しているのも注目です。

優雅と重厚、華やかさと無骨さ、夢と現実・・・・・・それぞれ後者がピアノ

ソロの印象ですが、対照をなして曲全体が構成されているのも、

面白い点なのです。

音の展開を楽しむなら、この曲はおすすめです。

 

 


人生の歩みを想起させる『弦楽のためのアダージョ』

2011-10-02 19:02:59 | 音楽療法

久しぶりに涙腺が思わずゆるんでしまう曲を

何度も聴いてしまいました。

と言いますのも、昨日のフィギュアスケートの大会で

ロシアのエレノア選手が自身のプログラムに使っていた

『弦楽のためのアダージョ』にジ~ンときてしまったからです。

”アダージョ”って元々音楽用語で、「ゆったり荘重に」演奏する

ようにという指示語(イタリア語)ですが、このサミュエル・バーバーが

作曲した『弦楽のためのアダージョ』は、音階がまるで

階段をゆっくり昇っていくような風景が思い浮かびます。

この美しいメロディに心を打たれてしまったのです。

心の中から湧き出るような高みへ少しづつ昇っていくような、高揚感を

感じながら、それでいて実に哀しい現実も感じます。

何度聴いても涙が出そうになるくらい感動してしまいました。

久々の高感動でした。

心臓の鼓動に合わせるように1歩1歩階段を昇っていく様は、

私達の人生を想起させてくれます。昇っている最中、いろんなことが

思い出され、またいろんな事が起きる。そんな人生です。

アダージョというと、アンダンテ(歩くような速さで)とラルゴ(ゆったり)

との間のスピードらしいですが、問題は、一定のリズムやテンポで

昇ろうとしている希望なり様です。ただ、それを妨げる微妙なテンポの

メリハリが演奏で生かされてくれば、聴く側の私としては、

もっとぐぐっとくると感じました。それは、人生の波であり、スパイス

みたいなものだと思います。

この曲が涙を誘うのは、ただただ美しい人生や悲劇をテーマに

扱ったのではなく、”生きているんだ”という人間の人生そのままを

ありのままに音で表現したためだと強く感じました。聴く人に

よって、イメージできることは、さまざまでしょう。そこがいいところです。

「現実」を音で上質な芸術にまで高めたバーバーの功績は、とても

高いものだと思いました。

”ああ、生きているんだあ”と感じさせてくれる名曲です。

「もうダメだ」と人生に絶望になっていた人も、この曲で

救われたと聞きます。自分の人生に対する見方が

少し変わってくるから、もがかなくなるのかもしれませんね。

希望の光を感じる名曲だとも言えるかもしれません。

 

 


右手親指が悪さをする!?

2011-10-02 06:06:25 | ゴルフウイークリー

昨日は、ゴルフ歴1年くらいのビギナー4人とクラブの

試打会へ入ってきました。

すると、グリップが4人とも共通しているところがあったのに

ビックリ!!

右手親指をクラブのグリップに真上から握っているのでした。

これは、飛球線後方から見れば、すぐに分かります。

親指を真上から握っている人は、後ろから見ると、

親指が丸見えになるからです。爪の部分もはっきりと見えます。

これからのゴルフ・・・・・・・このままあの親指でゴルフを

続けたら、せっかくの才能が生かされないのでは? と心配

して見ていたところ・・・・・・・・。

案の定というか、ビギナーなので仕方ありませんが、ミート率が

とっても低い。右へ行くことやゴロが多く、当たらなくなると

手首をこねて球を真っすぐ行かせようとする調整が入ります。

せっかくの才能が・・・・・・・と感じたので、見かねてグリップの

アドバイスをしてしまいました。お節介と思われたかもしれません。

「右手の親指は、真上にぴったりあてがうと、スウィング中、

クラブを上から押さえつけてしまい、ヘッドのトウ、先っぽ側が

下がりすぎた状態になるので、先ずフェースは開いた状態で

インパクトすることにになります。右に行きやすいんです。

だから、右手親指は、人差し指との付け根をしっかりと締めた

まま、「V」の字にやや開くといいですよ。開けば、真上から握る

ことはなくなり、上から見てグリップのセンターより

ほんの少しだけ、左側に爪をずらしてグリップすることができます。

こうすると、クラブを上から押さえつけることもなくなり、

球が右へ行くことも減ってくるはずです」とお節介を

焼いてしまったのです。

本能的には、どうしても親指は真上から握りがちです。

これが、ゴルファーの聖書とでもいういうべきベン・ホーガンの

書いた『モダンゴルフ』に詳しく載っています。

「右手の親指が悪さをしてしまう」と。このスウィングを壊す

元凶を何とかしなくてはならないという意味です。

右手親指は、ほんの少しグリップのセンターよりも爪が左側に

ずれるようにすると。ただし、人差し指との付け根はイラストを

見ればわかりますように、盛り上がるくらい締まっています。

締まりなくルーズだと、まら別の問題発生!・・・・・・・

親指が外れすぎて、人差し指と連係をとりながら、クラブを

しっかりと支えたままスウィングできなくなる。

つまり、ミート率が悪くなってしまう。こんなところでしょうか?

私が思うに、ビギナーの頃、この右手親指をやや外して構えると、

とっても”気持ち悪い”はずです。

でも、この”気持ち悪さ”があるから、悪さしなくなると思うのです。

ゴルフは、本能に任せて振ってはいけないのか?

そう感じるかもしれません。ここに難しさがあるようです。

でも、グリップは慣れくくれば、徐々に自分になじんでくいるのも

事実だと思います。時間がかかるかもしれません。

私も、かつて親指を少し外してグリップしても、テークバックした

瞬間、すっと親指が真上に逆戻りして打ってしまうということが

結構ありましたから。それくらい本能の力って

すごいんだな、とも実感しました。

時間はかかれど、急がずあわてず、基本が体にしっかり

なじむまで待っていくのも、ゴルフの修練の1つかもしれません。

今回は、つい説教じみたコメントになってしまい、すみませんが、

こんなことを感じた試打会でした。