辻井伸行さんの生演奏を聴いて・・・

2016-10-30 19:04:05 | 音楽の魅力

やっと念願が叶い、

盲目のピアニスト辻井伸行さんの演奏を

聴くことができました。

今回は、欧州の名オーケストラでもあります

ヨーロッパ管弦楽団”(以下、ヨ管団)との協演で、

全てモーツァルト楽曲の演目(全4曲)と、

私にとっては嬉しいコンサートでした。

最初の曲は、ヨ管団によるオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」の

序曲でした。

感動したのは、音を抑えめにしてスピーディに演奏する

ユニゾンの部分で透き通った滑らかな音が聞こえてきたことでした

こんな透明な音質は未体験でしたから、驚き。

こういうのが、世界一流の技術なのでしょうね。

もちろん、緩急の切り替えもスピ―ド感があり、素晴らしかったです。

2曲目が、辻井さんとのコラボで、モーツァルトの

コンチェルト、26番「戴冠式」でした。

彼が、コンサートミストレスに手を引かれて登壇するや、

割れんばかりの拍手が起こり、感動の幕開け。

ダンサーが小刻みにステップを踏みかえるような

高度な技術もさることながら、

音を見えない聴衆に提供していく

情熱に圧倒されてしまいます。

ヨ管団の演奏の透き通った音との相乗効果で、

魂の音を聴かせてもらい、久々にうるっときてしまいました。

もう、この2曲で満腹感を味わいました。

音が喜んでいるように聞こえてくるんです。

演奏してくれて、ありがとう!って。

そんな感覚でした。

だから、感動が巻き起こるでしょうね。

「戴冠式」という元気をもらえる明るい曲だったのも

影響していると感じましたが、

辻井さんは、アンコールに応えて

ショパンの「革命のエチュード」も演奏してくれました。

情熱が噴き出すような激しい曲で、

1音1音スピーディでダイナミックな演奏に、

またもや圧倒されました。

彼の体のどこに演奏へのはちきれんばかりの

情熱が隠れているのでしょうか?

すごく熱い演奏でした。

この前半部だけで、この演奏会に満足を覚えたのですが、

後半は、さらにヨ管団の凄さに驚かされました。

「ディベルティメント137番」「交響曲41番ジュピター」

ディベルは、明るい楽しい曲。41番は、壮大でスケールの

バカでかいシンフォニーです。

当団は、音の強弱の付け方にも、かなりのメリハリが

あるのが分かりました。

特に弱めの音から、いきなり音を強く切り替える瞬間、

スタカートのように歯切れよくメリハリをつけるんです。

その切り替えが、極端で分かりやすい。

それから、41番最終楽章の最終盤。

作曲したモーツァルトが、小憎らしいばかりの演出を

しているところがあります。

余韻を持たせる弱い音のパートの直後に、がなりたてるような

主旋律がくるのですが、ここを3回繰り返します。

一筋縄では終わらせないよ、とモーツァルト自身の

声が聞こえてきそうなのですが、ここの弱い音のパートにも

実はスピードの差が加えられているのです。

1回目が普通のスピードだとしたら、2回目は、スロー。

そして、最後の3回目は、少し速めにして最終を

一気に締めくくるという演出なのですが、この変化にヨ管団は

見事に対応していました。

この41番は、モーツァルト最後のシンフォニーと

言われ、スケール感が違います。

さぞや、オケもへとへとになったのでは?と思いましたが、

真実はいかに?

2度も満腹感を味わえたコンサートでした。

やはり、良質で情熱のこもった音楽は、

いいですね。

また同じ生体験をしたくなります。


ショパン ピアノ協奏曲1番から

2016-10-22 17:03:51 | 音楽の魅力

あのショパンコンクールの決勝に

勝ち残ったピアニストのほとんどの方が

演奏曲目に選ぶという「ピアノ協奏曲1番」。

出場者は、ショパンという偉大な作曲家に

人格もピアノの演奏技術も乗り移って

演奏する必要性を強く感じてきたのでしょうか?

このコンチェルトの1番は、2番と共に、

ショパンが祖国ポーランドにいた時代に作曲

されました。当時のポーランドは、プロシア、

ロシア、オーストリアに分割統治され、

1番は、亡国同様となった故国を離れる哀しみと、

片思いの人への恋慕の情を深くにじませた

協奏曲になったと言われています。

そんな過酷な状況から天才が生み出した

協奏曲には、興味深い面が随所に現われて

くるのは単なる偶然でしょうか。

先ず、第1楽章の序でオケが奏でる部分。

これは、お決まりのように長めですが、

どこかモーツァルトが作ったオペラ

『ドン・ジョバンニ』の序曲に曲想が

似ている気がします。

心の中に罪悪感と寂寥の思いがない交ぜになった

何とも言えない鬱屈した音を感じました。

深刻なんです。希望が見えてこない。

ショパンが故国を離れる気持ちにオーバーラップ

します。

そこへ、主役のピアノの強い音。

両手を真上から鍵盤に向かって

雷のように強く打ちつける力強さがくる

場面です。最初の音は、特に強い!

ショパンの作った曲の中で、こんな力強い

始まりは他にあるのか分かりませんが、

とても珍しい激しさを表現しています。

ここは、ベートーベンの『運命』を

想起させてくれます。

このように、感情の深いうねりの中から

ショパンらしい美しいメロディが

まもなく登場します。

ここは、演歌♪北の宿から♪からの

出足のメロディと音階(9音)が

全く一緒です。驚きでした。

ここからは、ピアノが持つ可能性を

極限まで繊細に表現していきますが、

オケはあくまで脇役で、その表現を

きわだたせるための仕事をするのに

とどまってくれているようです。

国の運命をそのまま背負ったショパンが、

国民のために悲しいけど、いつか独立して

幸せになれるような願いを込めて作った

コンチェルトのようにも思います。

それだけスケールが大きく、主役となる

ピアニストは、大役を任された

舞台俳優さんのように思えてしまいます。

ロマンチストのメロディメーカー、ショパンは

こんな故国の悲しい境遇を経験したからこそ、

ウィーン、そしてパリ、マヨルカ島などで

数々の名曲を生み出せたように思います。

故郷への思慕は、彼の音楽の原点なんでしょうね。

 

 

 


10月16日(日)のつぶやき

2016-10-17 02:50:09 | 音楽の思い出

モーツァルトのピアノ協奏曲27番

2016-10-16 11:15:28 | 音楽の魅力

先週NHKのEテレを観ていたところ、

クラシック特集でモーツァルトが作曲した

人生最終章のコンチェルト、27番の特集を組んでいました。

ピアノソロはドイツのラルク・フォークト

指揮は、あのパーヴォ・ヤルヴィ(エストニア)のコンビでした。

曲を視聴する前に、ふたりがこの曲に関して

興味深いコメントを出し合っていたのが印象的でした。

このピアノ協奏曲は、モーツァルト自身の最終章となり、

彼がそれを予感していたか否かは定かではありませんが、

「実に平和な音楽。全体の曲想として静かさをいかに

表現するかを重視しているようだ」という意味合いの評を

ふたりで共感しあっていました。

さまざまな苦難と思いを掛け巡らせてきたモーツァルト。

欧州大陸を父レオポルドと一緒に馬車で音楽巡業していた

彼にとっては、その度は、さぞ難行苦行だったことでしょう。

その彼が自身の波乱な人生を振り返りながら、ある意味、

達観して静かさを好んだのでしょうか?

フォークトは彼独自の感想として最終第3楽章の展開を

次のようにコメントしていました。

「音に揺さぶりや波乱がないといけないんだ。

この汚れがあるから、次に来る静けさがとっても生きる!」と。

なるほど、そういう分析もありでは、と感じてしまいました。

人生の光と影。人間社会の表と裏。そんな機微を知り尽くした

モーツァルトだから、オペラもシンフォニーもコンチェルトも

創れた。ただ、見せかけの明るさだけじゃない。

人間の奥の深さをモーツァルトの最終章から

読み取れる気がしました。

もちろん、ショパンやベートーベンとは曲想も作りも違い、

独特の個性的な味を、彼はこの27番でも出してきています。

とっても穏やかな主旋律がソフトタッチのピアノで

流れてくると、気持ちが落ち着いてきます。

この平穏を迎えるために、私たちは生きている

のでしょうか?

彼の最終27番を聴くにつけ、そんなことを

感じ取れました。

 


ZARDの「負けないで」を聴きなおして・・・

2016-10-09 08:37:16 | 音楽の思い出

あのZARDの坂井泉さんの作詞が、

今強烈な印象となって残ってきます。

以前「負けないで」を聴いた時とは

違う感慨があるのです。

今は亡き(他界された)坂井さんの言葉に

込めた思いに感動しています。

おそらく言葉の持つ力を信じ、作詞活動で

その力を最大に発揮できるよう、適切で

心を揺さぶるワードを命を削りながら

探し抜き歌に魂を込めてきたような気がします。

そんな彼女がしたためた「負けないで」の歌詞には、

随所に、真剣に人を愛し

生きる姿が投影されています。

その中にこんな歌詞があります。

♪ 何が起きたってへっちゃらな顔して

 どうにかなるサと おどけてみせるの ♪

という1節があります。

この部分、私の心に深く刻まれました。

ここは、昔だったら単なる楽観主義で

いようよという逃避のメッセージにしか聞こえなかった

と思います。

しかし、今は、心に悩みや苦しみを抱えて

平静を装う難しさを感じながらも、それでいて

凛として笑顔を相手に見せられるくらいの強さを

演技でいいからしようよ、という風にとれました。

つまり、苦しさから逃げるのではなく抱え込んで

受け止めたまま、”おどけてみせる”姿勢を

見せるのが人として重要だというメッセージに

受け取れたのです。

こんな姿勢は、自分のためではなく、

相手(恋人など)にいい影響を与え

安心させてあげられるという心遣いから

きていると感動してしまいました。

おそらく坂井さんは、”おどけてみせる”という

言葉にたどり着くまでに、物凄い数の語彙を試して

あてはめてきたと想像します。

その中から選んだ”おどける”という言葉。

洗練されていて魂が込もっているなぁ、と

感心してしまいました。

うみの苦しみから探し抜いた言葉という

感じがしてなりません。

こころを込めて言葉を選び抜いているから、

感動が呼び起こされるのでしょう。

こころが込もっていなければ、ただの言葉遊びで

終わってしまいます。

このような彼女の熱のある作詞に織田哲郎さんの

曲がコラボし、名曲が生まれたんですね。

甲子園の高校野球全国大会の行進曲(開会式)にも

選ばれたエールの音楽となりました。

それとひとつ坂井さんの歌詞の中で好きな

表現があります。

それは、季節を表すのに、色(色彩)を

活用している点です。

「負けないで」の中では、♪パステルカラーの

季節に恋した・・・♪という詩があります。

単に夏と言わずに、パステルカラーといった

表現がイメージをかきたてますね。

夏の海辺のビーチパラソルを思い浮かべる

人もいるでしょう。スイカやかき氷を

思い浮かべる人もいるでしょう。

べたに夏と言わずに、想像を掻き立ててくれる

詩はお洒落ですね。

最後に、「負けないで」というタイトル。

これにも深みを感じました。

相手に勝ったり、壁を乗り越えるのではなく、

自分に負けないで! という応援メッセージに

した点です。

人生諦めたり、自分自身に負けることが一番の

不幸だというメッセージ。

エールを贈る彼女が、贈られる彼に対して

一番愛情を込めたメッセージだと思います。

苦しみながら諦めずに楽しむ・・・

そんな喜びと感動を巻き起こす人生哲学を

タイトルから感じ取れたのが嬉しかったです。

まだまだ書きたいことはありますが、

若くして他界された坂井さん。

素敵な詩を書かれ、名曲を残して 

いただいたことに「有難うございました」と

言いたいです。

こんな魅力があるから音楽から

離れられないんですよね。