「アヴェ・ヴェルム・コルプス」で安らかに新年を迎えたい!

2011-12-31 15:51:08 | 音楽の思い出

大晦日、新年へのカウントダウンが始まりました。

今年も色々有りましたが、今日は、1年の締めくくりも兼ねて

学生時代の男性合唱、グリークラブOBが創部85周年を記念して開いた

神戸でのコンサート収録のDVDを見ていました。(残念ながら、その舞台には

上がれませんでしたが)

学生時代よく歌った”黒人霊歌”。

これは、モーツァルトやショパン、フォーレなどが書いたレクイエムにも

似た感情が盛り込まれています。黒人と神との対話・・・・・救いの道を

求めて、今のもがき苦しむ奴隷のような生活から脱却するための

祈りや希望が切実に歌い込まれています。

それから、清水脩(しみず おさむ)作曲の合唱組曲「月光とピエロ」。

これには、サーカスで出てくる道化役のピエロの哀しみ(ペーソス)が

歌で表現されています。悲しくても笑顔を見せ、周りのものを楽しませたり

安心させたり・・・・・・まさに、人格者の思いを悲しくも切なく

音で歌詞でだしているのです。

こんな素晴らしい曲をOBが歌うのを聞くに付け、改めて

音楽っていいなぁ、と感じました。時空を越えて、昔の仲間と

つながりあっていることを感じるのです。

舞台には、脳の病で下半身が麻痺し、杖をついて歌う先輩の姿も

ありました。それに遠くニューヨークから神戸へ駆けつけてきた先輩の

姿も見られました。家庭を顧みずに(?)歌や指揮に没頭している

人の姿も見られました(笑)。

何十年も経ってこんなに同じ歌を歌うことが好きなままって

最高なことだと思います。

アンコールは、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」と

日本の唱歌「ふるさと」の2曲でした。

モーツァルトが天に召される直前に仕上げた穏やかな

合唱曲です。安らかな気持ちになれる指折りの曲だと

感じ続けてきました。人間として自然な状態に解放されていく、

まさに天に溶けていく歌のような気がします。

大晦日に、昔の仲間が歌うこの2曲を聴き収めできたのは、最高でした。

また、皆さんにとっても、新年が良き年になりますように、

お祈りします。

 


カラヤンの指揮で思うこと「前へ!前へ!」

2011-12-30 09:27:38 | 音楽の思い出

今年もあと2日になりましたが、みなさんは、今年を

振り返って、どんな感慨や思いに浸っておられますか?

日本全体は激動の1年でしたね。混沌とした1年だったと

いってもいいかもしれません。

そんな年の瀬に、カラヤンの指揮した演奏で感じたことを書き綴りたい

と思います。

カラヤンの指揮は、顔の表情は、余り変わらず、常に厳粛な風情。

それでいて、少し前傾をして胸のあたりから手や腕を振り出したり、

かき寄せたりと、自分の思いをオケに感情的に伝えるタクトを

思い出します。

さらに、オケ任せのところはほとんどなく、自分が全ての楽器の出足、

音、ハーモニー、間をコントロールするんだという自負が満ち満ちている

感が強い印象があります。これについてはいかがでしょうか?

そういう自覚の中で、音を常に前へ前へ出させることにかけては

秀逸な指揮ではないかと感じています。

具体例でいいますと、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」序曲と

ブラームス交響曲第1番第1楽章に、そのあたりの特徴が随所に

感じられます。フィガロは、最初はライトな感じでテンポよく始まりますが、

強弱のつけ方は強烈で、引き寄せられてしまいます。そこから先は、

カラヤンが高速でタクトを振り「俺についてこい!」と言わんばかりに

オケをリードする様が浮かんできます。最後の終わり方などは、

他の指揮者ではないくらい高速エンド! 全体の流れの中で

強弱をつけながら、最終へともっていき、最後は高速フォルテで

終わるという小気味いい構成になっているのが特徴だと感じました。

最後の弦楽器の忙しさといったら、他にはないのでは?ベルリンフィルも

大変だったのでは? まさに体と体のぶつかりあい、スポーツ感覚です。

また、ブラームス交響曲1番にしても、作者の意図が音を途切れさせないで

”混沌”とした音を連続させることにあるのでは? と感じさせるほど、

確固とした”間”を作っていません。まさに、混沌とした中でも「前へ前へ

進んでいく」強さを表現しているかのように、終始一貫した構成となっています。

曲作り、演奏表現については異論もあるでしょう。”間”がないのは、芸術性に

乏しいのではないかという意見もあるかと思います。

でも、ブラームス自身、フルート2本とホルン2本のそれぞれのつなぎの部分では、

敢えて息継ぎの音が聞こえないようにリレーするように作曲したという、この曲です。

意図にそって演奏表現しているカラヤン好みの曲ではないのでしょうか。

「前へ前へ」ずんずん進んでいく音・・・・・・おいてきぼりをくうことの楽器が

ないように、カラヤンがしっかりとリードしています。

人生において私見ですが、「前へ前へ進む」ことは、そんなにやさしいことではないと

思います。前を向くことはできても、1歩2歩と遅れないように踏み出す

ことには勇気が要ります。それくらいリスクがあるということです。

われわれの人生を考えても、混沌とした中、自分自身が低迷し迷いが

ある時に、目的と理想を掲げ前を向くことはできるかもしれません。

でも、前を向き、前へ1歩2歩と進むのは難しいことです。

誰かに肩を押されたり励まされたりしなければ、踏み出しにくいと思います。

それくらいひとりひとりの人間って弱い存在なのでは?

今年は、だからこそ”絆”ということが強く言われてきました。

人と人とのつながりで、1歩踏み出せる人間になることで生きている実感を

しみじみと感じることができるかもしれません。リスクを伴うかもしれませんが、

この最初の1歩・・・・・何をやるにしても大事ですよね。

来年は、この1歩について考え、実行に移すことにチャレンジしたいと思います。


「30センチ真っすぐ引く」ことの意味は?

2011-12-29 12:35:17 | ゴルフウイークリー

20年くらい前には、ゴルフのレッスンで「テークバックの始動では

30センチくらいまっすぐ引く」といい、という言葉がよく使われていました。

今もたまに聞きますが、このレッスンの意味とデメリットについて

考えてみました。

先ず、意味です。

「まっすぐ引く」ということですから、クラブの軌道を正そうという意図

だと思いますが、

クラブヘッドは、円弧を描くわけですから、「まっすぐ引く」ことで

円弧はゆがんでくるのでは? という懸念が浮かんできます。

でも、敢えて「まっすぐ」にこだわるのはなぜでしょうか?

それには、2つ意味があると思います。

1つめは、ヘッド軌道が大きくずれないようにすることでは?

ヘッドを始動時点で外に(アウトに)上がったり、インサイドに引っ張りこんだり

すれば、途中で、正しい軌道に戻すには、大変です。ループしたり、

ひじを外して戻したり・・・・・確かに個性的なプロもいますが、それは

あくまで個性であって基本ではありません。

2つめは、まっすぐに引き始めることで、インパクトゾーンも

俗に言う「低く長く」スクェアなゾーンを保てる効果があるのでは?

バックスウィングとダウンスウィング以降のヘッドの円弧は

まったく同じではありません。後者のほうが、左への体重移動と

回転スピードが入る分、厳密にいうと、真円というよりも

楕円状態になるます。さらに、手の位置を低く抑えていって

先の体重移動と回転動作をリンクさせれば、俗にいう

「低く長い」インパクトゾーンを作れると思うのです。

そうすると、そのスクェアゾーンをイメージし、再現するためにも

始動で「まっすぐ30センチ引く」ことが生きてくるのかな、という

結論も考えられます。

以上、意味は2つですが、ここで「まっすぐ引く」問題もあります。

ゴルフは錯覚との闘いともいいますが、

「まっすぐ引いた」と思っていても、まっすぐ引けていないということです。

それは、パットと比較すれば分かりやすいでしょう。

パットなら、ボールの真上か、その近くに両目をセットしますから、

まっすぐ引けたかどうかの確認はしやすいと思いますが、

ショットの場合は、目とボールの位置はパットの比ではありません。

離れています。ですから、まっすぐ引いたと思っていても、

外に上がったり、予想外にインに引いていたりということもあります。

そんなわけで、始動の30センチだけまっすぐ正確に引こうとすれば、

クラブを1本飛行線上に置いて、まっすぐ上げる練習をする

必要があると思います。

でも、このまっすぐ上げる意味は、上記だとしたら、その意味を

理解して練習しませんと逆効果になると思います。

例えば、まっすぐ上げていき、右ひじが引けて外れたら(実際に

外れやすいはず)、トップでフライングエルボーになり、十中八九、

フェースは開いてトップを迎えます。もちろん、例外はあると思いますが、

例外はまれでしょう。こうなると、振り遅れてプッシュやスライスが

出やすいはずです。

また、まっすぐ上げようとして、フェースをボールに向けたまま

テークバックすれば、シャットフェースでアウトに上がりやすく、

トップからは、その反動で、インサイドからシャフトが寝て

入りやすくなります。これもプッシュやフックを誘発する

原因になると思います。

このように1つのレッスンでも目的とメリット、そしてデメリットが

あります。それを理解しないと、堂々巡りしたり、遠回りする

ことになりかねません。私の悪戦苦闘、遠回りの経験から

レポートさせていただきました。

 


今年も"第9”の季節になりました

2011-12-26 08:01:08 | 音楽の思い出

年末になると各地でベートーベンの交響曲第9番が

演奏プラス合唱されるのが恒例ですが、

私事で恐縮ですが、大学時代、私もグリークラブ(男性合唱)に

所属していた関係で、何度か歌ったことがあります。

当時は、ドイツ語の歌詞の意味も何となくしか分からずに

歌っていた記憶がありますが、今改めて歌詞を見ると、

ベートーベンの晩年近い作曲にふさわしい万人に向けた

曲だというのが理解できます。

モーツァルトのレクイエムが、個人と神様の関係を主眼に

置いているのに対し、彼の第9は、万人と神との関係を

天使を通して歌い音で主張したものだというのが如実に

分かります。ひと言いうと、月並みですが”愛”のある曲です。

どんなちっぽけな存在でも、神の元では救われる!!

そんな切なる希望が切々と歌詞に込められています。

どうしてこのようなキリスト教のメシアのような曲を

ベートーベンが作ったのでしょうか?

それは、本人に直接聞いてみないと分からないことなのですが、

おそらく彼自身、じきにくる死を予感していたのかもしれません。

そのことで、自分のことだけでなく、万人と神との関係を深く思索

していたのかもしれませんね。

今の日本にも必要な救いの手かもしれません。

”絆”という言葉(もう既に手垢のついた言葉になっているかもしれません)で

置き換えられるのも、この”第9”の特徴では?

「みんなで歓喜の歌を歌おうよ」というメッセージが込められていて、

温かい熱のある合唱曲です。

全国各地で今年もまた、合唱団員の方々が、声を振り絞って

天啓の声を届けてくれている姿が思い浮かびます。

思い出せば、今年、東日本大震災後のチャリティコンサートで

あの名指揮者、ズービン・メータがわざわざ来日し、

この第9のタクトを振ってくれました。再びありがとうと言いたいと思います。

そして、健康な体で年が越せることを感謝したいと思います。

また、被災地の方々にもこれから幸あれ!!と願って止みません。

ベートーベンが約200年前に作曲したこの第9の魂は、今も

全世界で宿っているのですね。ありがとう!


ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 第1楽章

2011-12-25 09:41:32 | 音楽の思い出

ロシアの作曲家、ラフマニノフというと渋いイメージが

ありますが、この曲は、日本でも人気が高いそうです。

「ピアノ協奏曲第2番 第1楽章」

この第1楽章は12分ちょっとくらいの演奏ですが、全編、

ひとりの人生を音で表現していると思えるくらい濃密な

感じがします。聴いた印象には、個人差があると思いますが、

オケのバックは、何か人生の大きなうねりや流れ、

そして、ピアノソロは自分の生き様のように聴こえます。

一編の小説を読んだようで、ある意味、疲れは残りますが、

構成そのものが、人生の流れを感じ感慨深いものがあります。

前半は、大きなうねりの中で、必死に流れに乗ろう、乗り遅れまいとする

姿が浮かびます。若い頃の頑張りみたいです。

その後、うねりがゆるやかになり、中盤は、自分がうねりに合わせられる

ようになったのか、テンポや波長(ピアノとオケとの関係)が合ってきます。

それでも、終盤には、またもや激しいうねり、波乱が巻き起こり、

それに対して、今度は巧みに対処する様が、ピアノソロの落ち着きにも

似た演奏に感じてしまいます。これって、誰の人生にもあること

ではないでしょうか?

そんなことを感じながら聴いていますと、最終では、人生のうねりも

穏やかでゆるやかなものになり、過去を思い出し、しみじみと

感慨にふけっている姿がイメージできてくるんです。

このように、1個人と人生の大きな流れ(運命と言う言葉で置き換えても

いいかもしれません)の関係を音で表現しているように

私には聞こえてきます。

ところが、最終盤では、またもや流れが速くなり、その中に

飲み込まれそうになってしまう。その葛藤の中で忽然と

音が姿を消すようなエンディングです。

フィギュアスケートのバック音楽としてもよく使われるこの曲。

しみじみと聴くと、とても感慨深く、

感性が高まってくるような気がします。

人気の秘密は、ここらあたりにあるのでしょうか?

 


ベートーヴェン ピアノ協奏曲5番「皇帝」第一楽章

2011-12-23 11:13:32 | 音楽の思い出

ベートーベンは、さまざまな曲を作っていますが、

重々しさ、息苦しさ、切なさを感じる曲が多い中、

ピアノ協奏曲5番「皇帝」は、心の中のつまりなく

晴れやかな気持ちで聴ける曲です。

イントロのピアノは、とても優雅で、皇帝ではなく、

王子様が出現している映像が思い浮かびます。

このエレガントなピアノのつまびきは、やがて

勇壮なオケの演奏へと受け継がれます。

間断なく、前へ前へ進む勇壮な行進曲とでもいったら

いいのでしょうか、ひたすらたくましさを感じる音の連動感があり、

耳にすっとはいってきます。

この音こそ、まさに”ドイツ的”と言えるのでは?

”ドイツ的”とは、ゲルマン魂に代表されるような不屈の精神を

表現していると感じるからです。決して諦めない。

サッカーW杯でドイツ代表チーム(西ドイツの時代もありましたが)が

刻んだ歴史に代表されるように、猛々しい強さがあると思いました。

この「皇帝」とは、ナポレオンのことを指しているのでしょうが、

彼はフランス人。でも、曲を作ったのは、れっきとしたドイツ人の

ベートーベンです。

”ドイツ的”な勇壮さに心をひかれるひと時もまたいいものです。


ダフリ対策の1つにシャフトを軟らかくする手がある

2011-12-19 21:28:30 | ゴルフウイークリー

先日、試打会へ行ってきました。

その会場で、アイアンが苦手だという高齢の方がいらっしゃったのですが、

その方は結構力はあるのですが、ほとんどダフリ気味にヘッドが

入っていました。

どうしてなんだろう? と考えていたら、診断士の人が

「お客さんのスウィングは、無意識に体と腕を一体化させて

打とうとするボディターンのスウィングなのですが、

その影響で、ヘッドが鋭角に上から入ってこないのです。

ボディターン型のスウィングの人に多いのですが、リストコックを

使わずにテークバックし、切り返しでも、ためてこようとしますが、

手を最初はまったく使わないから、ヘッドが落ちてくるんです。

よく言うフラット過ぎるスウィングになってるんです。

でも、フラット過ぎて、ヘッドが落ち、ダフリますから、それを嫌って

インパクトゾーンで、左手首を甲側に折るようにリストを使って

打とうとしています。でもそれだけではヘッドが落ちるのを止められない。

だからダフリが連発するんです」とコメント。

これを私なりに解釈すると、”確かにテークバックでは、リストコックを

使わない方だったのですが、その分、トップに入るときにリストを

使わな過ぎた反動で、フェースを開くように左手首を甲側に折ります。

今度は、切り替えしでもリストを使わないんですが、開いたフェースは

戻してやらないとスクェアに戻りません。それで、リストをあわてて

使ってまっすぐ行かせようとするわけですが、リストを早く使いすぎれば

左へ、振り遅れれば右へ行きやすくなっているのでは?” と考えました。

結果として随分複雑なスウィングになっているんだなぁ、と感じていた

ところ、その診断士は「シャフトをワンランク軟らかくしましょう!」と結論を

出しました。「RからAにした方が、ヘッドが鋭角に入るようになると思います」

というのは、シャフトのしなりが多くなりますから、ヘッドが遅れてたまってきて

上から入るということなのでしょうね。

ヘッドが早く落ちる、シャフトが寝て(フラット過ぎる軌道)ダフる人は、

シャフトをワンランク軟らかくするのもひとつの手かもしれませんね。

 


自分のスウィングは、「畳みながら回す」派?「押し込みながら回す」派?

2011-12-18 10:43:52 | ゴルフウイークリー

少し前に、パットのスタイルに「振り子」と「押す」ストロークの

2種類に大別できるのでは、と書きましたが、

スウィングにも”ひじ”や”腕”の使い方によって2タイプ

あるのではないかと考えています。

どういうことかと言いますと、

1つは、ひじを畳みながら、腕をロールしフェースをターンさせていくタイプ。

もう1つは、腕は伸ばしたまま、腕のロールと手首の返しでフェースを返していく

タイプ。この2つに大きく分かれるのではと思ったのです。

この2つは、腕の使い方が決定的に違います。

前者は、腕を体にひきつけて、スウィングしますが、後者は、

腕を比較的体から離してフリーにし、ローテーションします。

どちらがいい悪いの問題ではなく、腕の力のかけ方が正反対です。

前者の代表格は、賞金王をとったルーク・ドナルドや、全英オープンに

2連覇したパドレイ・ハリントン。

後者は、昨年の全米オープンを制したマクドルエルや、

米ツアー賞金ランク2位のウェブ・シンプソンです。

前者は、日本の小柄なプロにも多く、昔のシード選手は、

かなりの数、このタイプでした。ダウンスウィング以降、

左腕をひきつけてわきが甘くならないようにして、左ひじを畳む。

体が比較的小柄で、腕の力がそんなにない人に向くスウィング

だと思います。

片や、後者は、腕が長く強く、体から腕を離してもきちんとフェースの

ローテーションを行える強さと柔らかさを兼ね備えた人には

向くと思います。ロングヒッターに多いタイプでは?

私は、腕も短いし、力がそんなにある方ではないため、前者の

スウィングを目指してきました。左わきにハンカチをはさんだまま、

そのハンカチがなるべく長い時間落ちないように、インサイドに

鋭く振ってきたつもりです。左腕を短く使いますから、その分、

円弧が小さく感じますが、これが、私のコントロールできる

最大円弧のスウィングだと納得して練習してきました。

ですから、左腕1本でボールを打つ練習でも、左脇が甘くならない

ようにして、クラブの先(トウ)が、

インパクトを過ぎたらサッと上を向くように意識してフォローをとります。

このようにして、ボールが、比較的ゆっくりと上がりながら球を

運べたらOKとしました。

左ひじを上手に畳むのがコツですが、それには、左手が浮いたり

左ひじが浮くと話になりません。左ひじも畳めず引けるだけですから、

トップします。左ひじの畳みと、左手のポジション(高さ)はセットなんだと

実感してきました。

そんなわけで、腕を伸ばしたままクラブを操れる人が羨ましい限りです。

こういう人は、リストの強さや柔らかさを活用して、ドローを打ったり

フェードを打ち分けられる人も多くいるのではないかと感じていますので。

この話を詳しくすると、また長くなりますので、別の機会に譲ると

しますが、とにかく腕を伸ばしたままフェースコントロールできる人は、

インパクトゾーンで右手を「押し込む」ことで、左腕やリストを返しながら

ボールをとらえることのできる人です。

あなたは、どちらのタイプですか?


モーツァルト ピアノソナタ 8番 第1楽章

2011-12-16 18:58:59 | 音楽の思い出

モーツァルトのピアノ曲には、シンプルで分かりやすい

感じやすいものが多いと思いますが、ピアノソナタ8番は、

その典型的な曲ではないでしょうか?

第1楽章は、ある意味、とてもポップで小走りに走っていく様が

イメージできます。

ただ、演奏者によって解釈と言うか、シンプルな曲調の割には

表現方法もかなり違ってくるのも特徴としてあるような気がします。

1つは、鍵盤を強めに叩きながら元気のよさを出して

走り回る子供に言い聞かせている父兄の姿も浮かんでくるような演奏です。

また、もう1つは、鍵盤をなでるようにソフトに押さえ、音の連鎖によって

蔦のからまるようなイメージが湧いてくる演奏。

どちらもモーツァルトらしい曲作りだと感じますが、個人的には、

後者のほうが好きです。

時が移り変わり、過去から現在、そして未来へと、自然界の花も

植物も川も海もめくるめくように変化していく様が表現されていると感じるためです。

本来、自然の移り変わりは、ゆっくりだったり突然だったりと、さまざまです。

そんな営みが音で気持ちよく表現されていると感じるのです。

何でもいいと思います。目を閉じて、自分の中でイメージが湧いてくるものを

思い浮かべながら聞き入ると、楽しくなれる曲だと思います。

 


本番さながらの緊張感を味わえる練習法

2011-12-11 10:00:02 | ゴルフウイークリー

昨日練習場で久々の”シミュレーション練習”を行いました。

これは、ホームコースやよく知っているコースを想定して、

各ホールを1打1打、必要な番手に変えて打っていくのですが、

想定スコアもつけていきます。

1番ホール 右ドッグレッグ・・・・・210ヤードで曲がり角、打ち下ろし

                     風は左からのやや強い風

こんな状況をイメージし、ドライバーショット。狙った場所を練習場で

シビア(フェアウェイの幅など、向きを考える)に決め、そこから

何ヤード右や左、それと何ヤードショートかオーバーかをジャッジします。

この練習イメージだけで、自分の課題が見つかってくるものです。

課題はアドレス? 狙う場所? 風の読みの甘さ? ミート率の悪さ?

力み?

風に流され右に大きく曲がれば、OBというジャッジもします。

こうやって、ナイスショットすれば、2打めの残り距離から、

番手選びをし、ピン位置はあらかじめ勝手に決めてショットします。

グリーンを外せば、3打目はアプローチ。ここも、状況を(バンカー越え?

上り? 下り? ピンまで何ヤード?)想定して球筋をイメージして

クラブ選びをし、寄せます。常に1発勝負です。

こんな練習をすれば、コースの観察力と判断力のアップにもなりますし、

実際にそのコースにいった際、判断が速くなり、プレーにリズムが

出てくると思うのです。

こうやってハーフ、9ホール終わって各ホールのスコアを足して

総スコアをつけてみます。(パットのみは、自分の実力から判断して

2パット圏内なら2、下りなど難しい場合は、3パット。ショートアイアンや

ウェッジでピンデッドに落とせたと判断できれば、1パットとするなど、

ジャッジします)

こうやって練習すると、実は本番でどこでどうなってミスするかが

よく分かります。

私の場合、残り100ヤードでPWで乗せれば、パーがとれるとか

ボギーで収められるという状況の際、思わず力んで乗せられない

ケースが多々あるようです。力んでしまうんです。体が起き上がってしまう。

普段の練習では分からなかったことです。欲がでるのでしょうね。

こうやって課題をつかんで、1発限りで乗せる練習をするわけです。

そうすると、力まない方法を体でつかめると思うのですが・・・・。

ちなみに、昨日の想定ハーフスコアは「41」でした。

甘かったかな、と感じていますが(笑)。

たまには、こんな練習もいいと思います。

 


ショパンのノクターン8番はメロウな音の美だけじゃない!?

2011-12-09 22:13:11 | 音楽の思い出

久しぶりにピアノの生演奏を聴きに行ってきました。

本日は、空に満月が輝く夜で、演目にあった

ショパンの「ノクターン(小夜曲)8番 変ニ長調」にぴったりの夜でした。

この曲は、クラシックファンには、あまりにも有名なので

書くことはあまりありませんが、とにかく音で表現した芸術として

ピカイチだと感じています。

甘く切ない音の響き、それに、音の余韻を感じさせる憎いまでの”間”

こんな美しいピアノ曲があるだろうかと思わせるくらい

音に集中していると、うっとりしてきます。

でも、この曲は、ショパンという天才が編み出した魔法の曲なのでしょうか?

いや、そうではないと思います。

やはり、ショパン自身の歴史を考えてみる必要があると思うのです。

彼が生まれたのは、ポーランドです。当時、ポーランドは、ロシア、プロシア、

オーストリアという3大国に囲まれていました。大国に囲まれた弱小国として、

領土を常に分割されてきた可哀相な国なんです。

ショパンの父は、今のフランスにあったロアール公国の出身でフランス人

でしたが、ブルボン王朝の圧政をのがれようと、ポーランドに移住しました。

そこで生まれたショパンは、度重なる他国支配にうんざり。何とかして

打開し、真の故国を取り戻そうと意気込んでいました。

しかし、軍隊で戦うほどの体力はなく、「芸術センスバツグンの優男」でした。

今で言う”草食系男子”の走り? いや、言葉ではなく、自分の思いを音で

芸術表現した天才肌の優男だったのです。

そんな彼も、自国では才能をつぶされる、発揮できないと思うに付け、

音楽の都ウィーンへ、そして花の都、パリへと移住していきます。

もう故国の両親、友人、恋する人に2度と会えないと感じていても

選択肢は他になかったようです。

幸い、パリでは、彼の才能を認めてくれる人がごまんといて、

ピアノ教師をしたり、自分の作品を発表し、大人気を博しました。

それに、経済的にも困ることはなかったようです。

そんな彼も、故国ポーランドの惨状を案ずるにつけ、心も体も

引き裂かれる思いだったようです。ポーランド人が、ロシアの圧政に

反旗を翻し、幾度となく反乱を起こしましたが、ロシア軍は、これを鎮圧!!

長い間、ショパンの思いとは反対に、故国に人が苦しみ、死んでいく様子を

聞くにつけ、精神は次第に病んでいったようです。

「自分の作品でポーランドの人を勇気づくたい!」・・・・そんな思いを病弱ながら

いつも持ち続けていたのが、ショパンだったのです。

ショパン(CHOPIN)は、父の生まれたフランス人の名前ですが、

彼は根っからのポーランド人として祖国を愛していました。

どうにもならない切なく、張り裂けるような思いを作品にぶつけた

と聞きます。

そんな歴史を紐解くにつけ、私は、超美しい音の世界へ誘ってくれる

「ノクターン 8番」も穏やかではありますが、故国への切ない思いが

交錯しているのではないかと感じます。

恋するポーランドへのラブレターの代わりに音で表現した

ノクターンとでもいいましょうか。郷愁の心を破格の才能で

芸術に高めたのが、8番ではないでしょうか?

切なくロマンチックなのは、男女の恋愛だけじゃないのを、

ひしひしと感じさせてくれる名曲です。


音楽の原点?「主よ、人の望みの喜びよ」by バッハ

2011-12-08 18:09:42 | 音楽の思い出

クリスマスもまじかですね。

この時期になりますと、クリスチャンでない私でも

賛美歌やグルゴリオ聖歌を聴きたくなります。

数ある中で、クラシックの巨匠、「音楽の父」と呼ばれています

ヨハン・セバスチャン・バッハの作った「主よ、人の望みの

喜びよ」を取り上げてみたいと思います。

この曲をひとことで表現するとすれば、

”音階とは、まさにこのような音の流れ、構成なんだな”と実感できる

ところに特徴があると思います。音符の流は、実にシンプルで

ムダをそぎ落としたのか、それとも最初からムダがなかったのか

分かりませんが、天国に上っていく階段のように音と音のつながりに

階段をくっきりとイメージできるのです。

この曲の題名にもマッチし、まさに主である神に会いにいける

機会を与えてくれているような世界に入っていけます。

それに、音のつながりに、とても温かさというか、体温を感じるのです。

「主が人の望みがかなうように助けてくれる」・・・・そんな慈悲の心を

感じるからでしょうか。音に愛情を感じてしまいます。

それくらい、素敵な音階であり、音の流れだと思います。

しかも、この曲の素晴らしい点は、ピアノでも、弦楽四重奏でも

エレクトーンでも、パイプオルガンでも、ギターでも、

その包容力と慈悲の心のある主の世界を音そのもので

感じとることができることにあると思っています。

これだけ、さまざまな楽器で演奏しても、魅力が普遍の曲って

あるでしょうか? 私の好きなモーツァルトの楽曲でさえ、

なかなか思い当たりません。ピアノならピアノに合った曲というのなら、

ごまんと有りますが、楽器万能選手の曲というのは希少です。

それくらいシンプルで感じやすい音だといえますね。

ここにバッハの素晴らしさが宿っているのでしょう。

何度聞き返しても飽きるどころか、深みにはまってしまいます。


偉大なるモーツァルトの命日に寄せて

2011-12-06 19:06:42 | 音楽の思い出

少し遅れましたが、12月5日は、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの

命日です。1791年に34年間の短くても濃密な人生の幕を閉じた

わけですが、この命日にあたり、本人が晩年に作りかけた(未完成だと

いわれています)「レクイエム」のことを語らずにはいられません。

第1から第16までの合唱曲で構成されていますが、

序の1番、「永遠の休息」には、安らかに眠っていけるメロウな

トーンで終始する穏やかさがあります。

16番まで、神の怒りをかったり、神の偉大さにひれふしたりと・・・・・

さまざまな局面でメリハリのある構成ですが、どの合唱曲も、

深遠な世界を垣間見せてくれるため、しっとりと死者の霊を

崇めることができる気持ちになれそうです。

以前にも触れましたが、第5番の「おそるべき大王よ」は、地の底から

湧き上がるような声で、魂が引き寄せられます。

天の大王の力にひれ伏し、おそれおののき、そして

最後は諦観で天に召されていく・・・・そういうモーツァルトの精神が

見事に音楽で表現されています。

序盤はフォルテ、中盤がピアノと、段々弱く歌われていくため、

精神が鎮まっていく様を感じます。

1年に1度ですが、命日には聴きたくなる曲です。

リッカルド・ムーティ指揮、ベルリンフィル、スウェーデン合唱団の

組み合わせで聴くと最高です。

なぜなら、ムーティはテンポのメリハリをつけるのが、巧みな

名指揮者ですから。

ゆっくりと味わい、音を噛み締めて聴きたい曲です。


だらだら上り坂のティショットにご用心

2011-12-04 17:24:13 | ゴルフウイークリー

JTカップ ゴルフ日本シリーズは、藤田寛之選手の

逆転2連覇で幕を閉じましたが、会場となった

東京よみうりCCは、ゴルファーのとって必要とされる

マネジメントや技術の総合力が、要求されるコースだと思います。

実際にプレーして痛感したのですが、

コースレイアウトや高低差に合った立ち方やショットを繰り出していかないと

即ダボやトリプルボギーがくる危険を常にはらんでいるからです。

それに12月は、寒風が吹き、場所によっては、冷たい風が吹きぬけて、

球の行方に大きく影響します。

具体的な例でいいますと、14番や17番のティショットがあります。

ティグラウンドからは、ず~っと上りが続いていて、球の落ち場所が

見えない、いわゆる”ブラインド”ホールになっています。

この「だらだら上り坂」でのティショットは、見た目は、威圧感もなく

難しそうにありませんが、ところが落とし穴があります。

それは、上り坂の頂点に意識や目線が集中してしまい、

左肩が上がり、肩のラインが右向きになりやすいのです。

スタンスの向きも、それに連動して右を向きやすくなります。

このケースでは、アドレスが右を向きやすく、球も当然ながら

右へ行きやすくなります。スウィング中、体が起き上がってしまえば、

完全にアウト!! 右OBに直行となる危険をはらんでいるのです。

私も14番ティショットで大きく右へ曲げ、林の中へ入れてしまった

苦い経験があります。2打目はそこから出すだけ。

3打目で乗せても、14番グリーンは、見た目以上に、奥から傾斜が

強く、しかも、見えにくいコブがあります。

サイドや、奥からのパットは難易度が超高いのです。

私もパットに手を焼き、4パットのトリプルを打ちました。

このように、全ショット、全パットで状況を的確に判断し

アドレスをとり、しかも、落とし場所をしっかりと決めて、距離感を

イメージしてからショットに臨んだり、パットのタッチを出していかないと

われわれアマチュアゴルファーには、スコアメークできません。

プロであっても、この「だらだら上り坂」のティショットで、左が浅くて

OBがあれば、右めへ打っていきますが、これが過剰になってしまう

状況がそろっていますから、侮れないと思います。

これくらいのコースでプレーすると、自分の弱点や課題が

はっきりと浮かび上がってくると思いました。

コースのレイアウトに反してなぜ球が右へ大きくでてしまうのか?

ティショットでも、右半分が大きく削られがけになっている右ドッグレッグ

の打ち上げホールもありますが、ここで強風が吹いたりすると、

ついつい球を上げようと力んでしまい、右のがけ下へ・・・・・・なんて

こともありますから、心して力まず、ゆるまず、頭の中で冷静に

マネジメントプランやアドレスの注意を思い描いてショットに

臨まなければいけないことが多いと思います。

さて、今回の「だらだら上り坂」のティショットですが、あなたなら

どう対処しますか?

私は、こんな時は、狙うラインをイメージしたら、坂の頂点に

目線をやったら、そこからは、視野を狭くして、斜面に突き抜ける

ボールを思い浮かべます。球を坂の上に上げるのでなく、

ライナーで斜面に球を突き刺す感じです。

これなら、右にずれるアドレスも避けられるはずだと信じていますので。

いくらナイスショットをしても、ホールに見合う球が出ませんと

スコアにならないのがゴルフの難しさであり、面白さです。

1度、東京よりうりCCでプレーされてみると、その醍醐味が

分かると思います。

それにしても、14番、18番グリーンのパットは難しいですよ。