11月19日(日)のつぶやき

2017-11-20 04:10:22 | 音楽の思い出

ベートーベン交響曲3番 byデュダメル

2017-11-19 16:15:48 | 音楽の魅力

今年元旦のウィーンニューイヤーコンサートで

タクトを振った男、ベネズエラの若手指揮者デュダメル。

今のりにのっているクラシック界の若きホープですが、

彼が指揮するベートーベンの交響曲3番を聴いてみました。

3番は、ご存じのように、あのナポレオンを讃えるために

創られたシンフォニー『英雄』です。

それまで、古典派に属してきたハイドンやモーツァルトが

創った交響曲に構成と音の厚みを持たせた、

本格的なシンフォニーをベートーベンが確立した作品だとも、

言われています。

第1楽章は、彼らしく、重厚でスケールの大きさを

感じさせてくれます。ソナタ形式で、躍動感もあります。

これを指揮台の上で、前後左右に身体を躍動させて振る

デュダメルには、ぴったりの曲だと感じました。

厚みのある音の連鎖に躍動感が宿る。まさにそんな感じなのです。

しかし、それだけではありません。

第2楽章は、物静かですが、荘厳な葬送行進曲風。

躍動というよりも、静けさの中に、芯のある音が

連なりあった曲想にデュダメルは仕上げています

まさにベートーベンの意図をしっかりと見抜き、

体現しているように感じました。

深みのある本格的な交響曲! という世界なのです。

何度聴いても飽きることがなさそうです。

こんな風に

彼の創り出した曲想と実によく似ていると思われる

指揮者が過去にもいるなぁと感じていました。

それは、イタリアのクラウディオ・アバドです。

彼も1音1音に重みを持たせながら、それで歯切れが

いいんです。アバドの3番もとても好きです。

強く演奏する音ならいざしらず、弱く演奏する

(ピアノやピアニッシモ)音にも、芯があり、

深みが増していくんです。

これが指揮者の力量ではないでしょうか?

そういえば、アバドもデュダメルも指揮者としては、

従来の伝統を革新する芸術家という共通項が

ありますね。当然賛否両論もあるようですが、

要は肝心なのは、この曲なら何を主題にし、

どういう曲想にするかが大事で、その解釈の違いが

出ているのだと思います。

まだまだデュダメル指揮の演奏をそんなに

聴いたわけでじゃありませんので、それは、

今後の楽しみにとっておこうと思います。

とにかく、本人の本意ではないと思いますが、

奇抜な仕上げになるケースもありそうですから。

彼がカラヤンのように世界中のクラシックファンの

心をとらえる曲を披露し続けるのであれば、

変革も意義をなすものと思われます。

新たなクラシック界の”英雄”が生まれる

かもしれませんね。

 

 

 

 


11月12日(日)のつぶやき

2017-11-13 04:06:05 | 音楽の思い出

ザ・セカンドワルツより

2017-11-12 13:41:55 | 音楽の思い出

ロシアのショスタコヴィッチが創った音楽に

ザ・セカンドワルツ』という優雅な曲があります。

ロシアの社交界で何度も使われた名曲だそうです。

実は、この曲は映画『アンナ・カレーニナ』の

社交界でのダンスシーンにも挿入されています。

ヒロインのアンナに扮したキーラ・ナイトレイ

エレガントさに見とれてしまいますが、

原作のトルストイ原作の同名小説を読んだ時に、

イメージしていた女性像とほぼ同じ容姿で

映画に登場したのには、驚いてしまいました。

活字の世界で私が想像してきたアンナに

凄く似た女性がスクリーンに現われたのですから、

偶然なこともあるものですね。世も不思議!

余談はさておき、このショスタコヴィッチの音楽に

乗った社交ダンスのシーン。華やかでエレガント

なのですが、別の面ものぞけます。

それは、不倫の匂いのするアンナと青年士官の

ヴロンスキーが手に手をとって踊るシーンです。

周囲の貴族連中は、美男美女のカップル誕生に

羨望と嫉妬の視線を二人に投げかけます。

そして、噂をし始めるのです。

アンナは既婚者ですが、互いにひと目ぼれした

様子は、見ていて一目瞭然なのでしょう。

社交界のいやらしさについては、ドイツの

哲学者ショーペンハウエルも自著『幸福について』

という人生論の中で、次のように揶揄しています。

………

すべて社交界というものはまず第一に必然的に、

人間が互いに順応しあい、抑制することを要求する。

だから、社交界は、その範囲が大きければ大きいほど、

味気ないものになる。………社交は犠牲を要求するが、

自己の個性が強ければ、それだけ犠牲が重くなる。………

上流といわれる社交界は、われわれが褒めることも愛する

こともできないような人間の見本だという欠点があるばかりではなく、

われわれが自己の本姓に合致したあり方をするということも

承認してはくれない。むしろ、他人との調和を重んじて、

萎縮したり、さらにはなはだしきは、己を枉げたりすることを

余儀なくされるのである………(引用ここまで)

 

つまり、社交界のパーティに出ても、幸せな気分には

なれないということ。自分たちの本来言いたい、やりたいことを

ふせて、自己欺瞞の世界に浸らねばならないからだと、彼は言う。

確かに、派手なパーティほど、虚飾と欺瞞に溢れているかもしれませんね。

そんな中、先のアンナとヴロンスキーは、自分たちだけの世界に

浸り、踊り、周囲の嫉妬と反発を買ったわけです。不倫の匂いを

漂わせながら。

社交界の不文律に抗い、自分たちの自然な気持ちを優先させたのです。

その結果、どうなったのか?

この小説を読まれた方は、結末をご存知だと思います。

アンナは、最終的に自殺します。夫と子どもとも別れ、

ヴロンスキーとの愛の生活を目指すも、ふたりのすれ違い、

微妙なボタンの掛け違いもあり、悲運な結末を迎えたわけです。

この小説は、ただその悲運な女性の人生を描いただけでは

終わっていません。

同じくザ・セカンドワルツに乗って踊り、

先のふたりにそれぞれ振られた形になった

キチイとリョービンの1組のカップルが幸せな

結末を迎えるという、何とも皮肉なストーリー展開に

なっているのです。

人間なにが幸いするか、何が災いするかわからない!!

そんなトルストイのメッセージも聞こえてきます。

日本にも、こんなことわざがあります。

「禍福は糾える縄のごとし」

「七転び八起き」など………。

ここだけ見れば、人生どっちに転ぶか分からない気が

しますが、こんなことも言えそうです。

自分が何をやりたいのか(目的)、その志を抱きながら、

今という時を丁寧に生きていくのが幸せの道となると。

ただし、我欲は程ほどにした方が良いかもしれませんねと。

ロシアやドイツの先人が教えてくれる教訓だと感じて、

ここにしたためました。

それにしても、ショスタコヴィッチの『ザ・セカンドワルツ』は、

優雅で実に美しい音楽だと感じました。

幸せになるための教訓を知り、それを盛り上げる音楽として

とらえることとします。

 

 

 

 

 

 


命は美しい

2017-11-05 12:26:52 | 音楽の魅力

今日の休日は、秋晴れ。気持ちいいですね。

こんな日に、美しい詩とメロディを聴きたくなります。

乃木坂46に『命は美しい』という曲があります。

詩がとても深くて、人生哲学を物語っています。

秋元節が絶好調という感じで、好きな曲です。

詩が美しく、生きてる喜びが伝わってくるんです。

「この曲、最高!」って思わず、心の中で

叫んでしまいました。年甲斐もなく(笑)

詩の1部を引用させてもらいます。

月の雫を背に受けて

1枚の葉が風に揺れる

その手放せば、楽なのに

しがみつくのは何故だろう?

何のために生きるのか?

何度問いかけてはみても

空の果てまで暗闇が黙り込む

夢を見られるなら

この瞼を閉じよう!

悩んでも、やがて夜は明けてく

命は美しい 初めて気づいた日から

すべてその悲しみ、消えていくんだ

永遠でないもの 花の儚さに似て

その一瞬一瞬が生きてる意味

♪♪

この詩を聞かされると、人生何度でも

やり直しがきく・・・そんな気がします。

それに、自分の心の痛みを感じ、その上で

相手の心の痛みを感じられるようになる!

こんな実話が確信をもって迫ってきます。

実は、乃木坂46内で、こんな話があったようです。

数年前にメンバーの西野七瀬と秋元真夏が

選抜発表で受けた衝撃。そして、ふたりの間に

起こった心の溝。ふたりは、お互いの心の

傷を感じ口もきけなかったといいます。

何が原因かはここでは書きませんが、

その数年後、休業していた秋元が復帰した時、

素晴らしい出来事が起こったのです。

乃木坂のライブ会場で『制服のマネキン』という

曲を歌う前に、西野のファンへのアナウンス。

「真夏、〇〇〇〇。一緒に〇〇〇〇!」

と言ったのです。(関心があれば〇の中の言葉は、

ネットで調べてみて下さい)

場内では歓声が上がりました。

ふたりの溝が氷解し、真の友情が芽生えた瞬間でした。

ファンの間では、今も美談として語り継がれているはず。

心の傷を抱えた西野が、同じく傷を抱えた秋元のことを

思いやり、受け入れた瞬間でした。

勇気ある言葉だと思います。なかなか言える言葉じゃ

ありませんから。

相手の心の傷を思いやり、それを言葉に出すこと。

これは、とても美しい行為だと思います。

本物の愛を感じます。

グループ内での激しい競争がありながらも、ふたりは、

こうやって緊張感あふれる状況を突破したわけで、

人間として大きく成長しているはず。

見習いたいですね。

『命は美しい』の歌詞は、この美しい出来事も

投影している気がするんですが。

いい曲です。