極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

沸騰大変動時代(三十一)

2024年05月10日 | 第4次産業(マルチメディア)革命

彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる招き猫と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦
国時代の軍団編成の一種、あらゆる武具を朱りにした部隊編のこと)
と兜(かぶと)を合体させて生まれたキラクタ「ひこにゃん」。

父の月命10日で宗安寺へ墓参り。昼は「もんぜんや」で、わたしは茶
入り盛り蕎麦、妻は鰊蕎麦を戴き、その脚でたねやで、コロナで併載さ
れていた「麦とろご飯」が有名な和食コーナの状態を確認(閉鎖/再開
の予定不明)し、洋菓子喫茶コーナで檸檬スカッシュとイチゴチョコの
ジュレを戴き帰宅する。平日とあり人混みはなかった。供花はご近所の
高野槙を戴きお供えすることに(通常はJAの野菜館の仏花)、天候も
穏やかでしばし和やかであった。


❏ 「世界最高」のナトリウムイオン伝導度を実現
4月5日、硫化物固体電解質の量産性の高い合成プロセスを開発し、同
プロセスを用いて、「世界最高」のナトリウムイオン伝導度を有する
硫化物固体電解質の合成に成功した。
【要約】
多硫化ナトリウム(Na2Sx)の不揮発性に着目し、原料と反応媒体と

しての機能を兼ね備えた物質(セルフフラックス)として利用するこ
とで、ナトリウム含有硫化物の量産性の高い合成プロセスを開発した。
また、同プロセスを用いることで、硫化物系全固体ナトリウム電池の
実用化に必要とされるイオン伝導度の約10倍のナトリウムイオン伝導
度を持つ硫化物固体(Na2.88Sb0.88W0.12S4)や、高い耐還元性を持つ
ガラス電解質(Na3BS3-SiO2)の合成に成功。
【掲載論文】
Energy Storage Materials(IF = 20.4)|Utilizing reactive polysulfides flux 
Na2Sx for the synthesis of sulfide solid electrolytes for all-solid-state sodium 
batteries 【URL】https://doi.org/10.1016/j.ensm.2024.103307




ここで、高橋陽一氏に関心をもつ以前の『平成バブル崩壊前後』のこ
とに触れておこう。例えば、1989(平成元)年10月31日に、三菱地所は
米国ニューヨークのロックフェラーセンターはじめ市内に14のビルを

保有しているロックフェラーグループ社の株式51%を約1200億円で買
収、資本提携したと発表に象徴される「ジャパンマネーの猛威」と
じられた。1989年5月から1年3か月の間に5回の利上げが実施され、2.5
%だった公定歩合は6%台まで引き上げられ。マネーサプライの増加率は、
1990年には11.7%、1991年には3.6%、1992年には0.6%を記録する。
西村吉正は「資産価格の高騰で国民の間に格差ができた。だからバブ
ル潰し・正常化が最大の課題だというのが当時の多くの人たちの認識
だった」と述べているが、この「バブル景気」と称されるものは、日
本だけにおける好景気の通称で内閣府の景気動向指数(CI)上は、1986
年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日
本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こっ
た社会現象とされる。情勢自体はバブル経済と同一であり、バブル経
済期または、バブル期や単にバブル、昭和バブルとも呼ばれ。日本国
政府の公式見解では数値上、第11循環(内閣府の景気基準日付)とい
う通称で指標を示す。
また、潤沢な資金を背景に大都市の再開発の動きが活発になったこと
で、東京原宿の「原宿セントラルアパート」のビルは、大規模な地上
げの舞台と化す。都心の優良地区には、地権が細分化された上に借地
借家が多数混在し、権利関係が複雑に絡み。日本において、借地借家
法によって借主の権利が保護されていたため、土地をまとめて大規模
開発をするプロジェクトは必然的に推進が困難となり。そのため、大
都市周辺の土地取得のため、大手不動産会社を代表したり、依頼を受
けた地上げ屋(主に暴力団員)の強引な手口による「地上げ」が行わ
れるようになり、社会問題となった。東京都内では、暴力団も含んだ
地上げ屋による土地所有者への嫌がらせが横行し、放火なども相次ぐ、

総量規制・1990年代・失われた10年

1990年3月27日、土地バブル潰しのため大蔵省より「土地関連融資の抑
制について」いわゆる
総量規制が通達され、日銀も引き締めに動き、
これがバブル崩壊の引き金となった。日経平均株価については、1989
年(平成元年)12月29日の大納会に、終値の最高値38,915円87銭をつ
けたのをピークに翌1990年1月から暴落に転じ、湾岸戦争と原油価格高
騰や公定歩合の急激な引き上げが起こった、1990年10月1日には一時
20,000円割れと、わずか9か月あまりの間に半値近い水準にまで暴落。
1993年(平成5年)末には、日本の株式価値総額は、1989年末の株価の
59%にまで減少。 
景気については、景気動向指数(CI)をみると、1990年10月をピーク
に低下傾向となり、1993年12月まで低下した。地価は、1991年夏ごろ
(東京、大阪の大都市圏では1990年秋ごろから、地方圏では1992年、
公示価格ではさらに1年遅れの1993年ごろ)に、路線価も1992年初頭を
ピークに下落していく。 
1992年春、エコノミストの高尾義一は「日経公社債情報」で「このま
までは戦後最大の不況となる」と悲観的な経済見通しを公表、この見
通しがきっかけで株価が急落(高尾ショック)。1992年8月、東証に上
場されていた株式の時価総額は1989年末の611兆円から269兆円と半分
になる。 本格的に全国の地価は1992年に入ってから下落し始め、1993
年には全国商業地平均で前年比10%以上の値下がりを記録した。金融行
政においては護送船団方式が焦点となった[17]。1991年以降2003年度
までで181行の銀行が倒産し、1992-2002年度まで預金保険機構が救済
金融機関に援助した資金の総額は25兆円となる。日本経済は1990年代
初頭にバブル崩壊を経験して以来、低いながらも名目経済成長は続い
ていた。村山内閣で内定していた消費税の税率3%から5%への増税を第
2次橋本内閣が1997年4月に断行。消費税にはビルト・イン・スタビラ
イザー
の機能は備わっておらず、増税による景気悪化が懸念された。



1997年当時アメリカ合衆国財務副長官であったローレンス・サマーズ
は、第2次橋本内閣が予定どおり3%から5%への消費増税を断行すれば日
本経済は再び不況にみまわれるだろうと日本国政府に対して繰り返し
警告。 
翌年の1998年度には名目GDPは前年度比約マイナス2%の502兆円まで約
10兆円縮小し、GDPデフレーターはマイナス0.5%に落ち込み[20]、完全
失業率は4.1%に達し、これ以降日本は本格的なデフレーションへ突入し、
「失われた10年」を経験することになる。1999年度には、1997年度と
比べ所得税と法人税の合計額が6兆5000億円もの減収となり、失業者数
は300万人を超えた。さらに1997年には日本銀行法が改正され、内閣が
日本銀行総裁の解任権を失う。 以降、「2000年代・失われた20年」➲
「世界金融危機」➲「2010年代・失われた30年」と続くこととなった
が、「日本の低迷の主要因はバブル崩壊であり、政府による政策の失
敗・銀行の対応の遅さがデフレーションにつながった」との『Seeking
 Alpha
の「評価」に収斂されるであろう。いずれにしろ、日米の
経済力の向上による米国企業買収に顕れた経済力、あるいは半導体製
造力向上に顕れた技術力を背景とした「過剰流動の突出」「土地本位
制制」(経済的共同幻想➲「クリントンの住宅資本主義政策」とし
てひきつがれていく)を推進力として引き起こされたというのが、わ
たし(たち)の見立てであったことを記しておく。
※「経済低迷EUは「日本に学べ」 アベノミクス改革の方向性を米誌
が評価、2024.4.27 
『Seeking Alpha』
さて、本題に戻ろう。

第1章 円高・緊縮病を患った売国奴
大企業のなかで金融業界だけは利上げに大喜び
政権内には財務省出身の官房副長官がいるが、彼の兄は某銀行のトッ
プに就任しているため、金融業界とは親しい間柄だ。というより、も
ともと財務省の人間は金融業界に近い。
そう考えると、岸田政権が金融業界や財務省に偏重していることは、

今回の日銀の利上げと軌を一にしている気がする。岸田首相が金融所
得課税の話を引っ込めたのも、金融業界の意向があるとみられる。
官僚のほか、日銀の事務局スタッフなども金融業界に天下りしている

ため、そういう利害も絡んでいるのだろう。

金融機関が当座預金で握る2000億円の既得権益
利上げによって銀行は利ザヤを稼げるようになったが、彼らへの優遇

措置はそれにとどまらない。
99年1月、日経新聞などが「三菱UFJ銀行が日銀に預けている当座

預金の一部にマイナス金利が適用された」と報じた。
だが、この報道の仕方には大きな問題がある。その理由を解説しよう。
「日銀当座預金」とは、銀行や証券会社など金融機関だけが日銀に開

設できる当座預金のことで、金融機関同士や国・日銀との決済手段、
企業や個人への支払い準備のために利用される。日銀は金融機関を顧
客とする銀行だから、一般人は普段全く接点がない。

普通の企業なら金融機関に当座預金を持っているが、金利はつかない。

なぜなら、法律で当座預金には金利をつけることが禁じられているか
らだ。ところが金融機関は、日銀に当座預金を持つとなぜか金利がつ
いていた。はっきりいっておかしな話だが、それが日経新聞などを読
むと当然のことのように書いてある。普通に考えれば、当座預金には
金利かつかないとまず思うものだが、マスコミはこれを全く批判しな
い。
実は、マイナス金利になって金融機関の収益が悪くなったから、白川

総裁時代から金利をつけるようになった。その前は当然ながら金利は
ついていなかった。
冒頭の記事に話を戻すと、マイナス金利が適用されたと書かれている

が、いまも金融機関はノーリスクで年間2000億円近くを日銀当座
預金の利息で得ている。
                         この項つづく


❏ 飛翔黄金の時代 ❏


『渚にて』  On the Beach  (米) 1959年制作
監督 スタンリー・クレーマー
音楽 アーネスト・ゴールド
主演 ドゥワイト・タワーズ … グレゴリー・ペック
    モイラ・ダヴッドソン … エヴァ・ガードナー
    ジュリアン・オズボーン … フレッド・アステア
    ピーター・ホームズ … アンソニー・パーキンス
主題歌 『渚にて (ワルツィング・マチルダ) 』 ( Waltzing Matilda

 ) 唄・ジミー・ロジャーズ

核戦争の恐怖をリアルに警告したネヴィル・シュート原作による空想

小説の映画化。1964年、米ソ冷戦が破綻して双方の水爆合戦で地球は
死滅に向かう。原子力潜水艦ソーフィッシュ号は難を逃れてオースト
ラリアのメルボルン港に入港する。しかし、この地も放射能汚染はま
ぬかれない。タワーズ艦長はサンフランシスコの状況を偵察のために
故国に戻るが町は完全に死滅してしまっていた。潜水艦がメルボルン
に戻ると、オーストラリア政府は人類の最期が来たことを告知して市
民に安楽死用の自殺薬を配給。タワーズはソーフィッシュ号と共に自
沈する覚悟を決めて出航する。

主題歌の『渚にて』はA・B・パターソン作詞、マリー・コーワン作曲

の1903年に作られたオーストラリアの民謡で第二次世界大戦ではオー
ストラリア兵士の愛唱歌でもある。映画ではピーターの開いたパーティ
で、期せずして唄い始められたこの歌が次第に大合唱になる。サウン
ドトラック盤もあるが、日本ではジミー・ロジャーズのレコードでヒ
ット。





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