極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

新日本列島改造論 Ⅰ

2015年08月23日 | 政策論

 





 恐怖感を持つ人間は、善いことよりも悪いこと
       を信じやすく、悪いことは誇大に考えやすい。 

                     カール・フォン・クラウゼヴィッツ
                                       

 

日曜の夜、「ヨルタモリ」をみることが"プチ・安息日”だっただけに残念なのだが、昨年10月
にスタートしたタモリ(69)のトークバラエティー「ヨルタモリ」(フジテレビ日曜後11・
15)が9月いっぱいで終了することが21日、分かったという。開始当初から1年契約だった
。タモリの巧みな話術とシュールな世界観を楽しめる番
組として高く評価されていたという。終
日自宅作業に明け暮れていると、時空のめりはりを失調してしまいがち。「ヨルタモリ」は、街
道の一里塚、航海の無事を祈る灯台。そのような"プチ・安息日”を失うのは惜しい。
 


● カメレオンカッタ・シールド工法開発!

飛島建設株式会社が、地中に人が出ることなく安全かつ迅速にシールドマシンのカッタビットの
種類を変更し、土質の変化に応じて常に適切なカッタビットを配置して掘削することができるカ
メレオンカッタ工法を開発。粘性土や砂層では鋭利なカッタを装備して効率よく掘削し、巨礫や
岩盤ではローラーカッタに変更して破砕しながら掘削。これまで不可能だった同一のシールドマ
シンによる粘性土から岩盤に至るあらゆる土質に適応したシールド長距離掘進が可能になる。
いう。

カッタビットには、掘削した土砂を取り込むティースビット、先行して地山をほぐすシェルビッ
ト、礫や岩を破砕するローラーカッタがあり、粘性土から砂礫層までの比較的柔らかい土砂山で
はティースビットとシェルビットを装備し、地山をほぐして削りとるように掘削。巨礫や岩が多
く混入するような硬質地盤では、シェルビットの破損、摩耗を防止するためローラーカッタを装
備。ローラーカッタは、回転する刃先を巨礫や岩に連続的に押しつけて破砕。硬質な地山では不
可欠だが、粘性土や砂層では切削効果が得られないため不要となる。



そこで、地山によって使用するカッタビットが異なる土質変化の著しい工事では交換が不可欠ち
なる。従来工法では地盤改良を行ってから地中に人が出てカッタビットの交換を行っており、水
圧の高い大深度や可燃性ガスが溶存するような地山ではとても危険な作業。また地上部に重要構
造物が存在する場合には地盤改良ができず、早期の交換が不可能。ために機械式ビット交換工法
を用いてシールド機内から安全かつ迅速に全断面に配置されたカッタビットの種類を変更でき、
これにより土質に適応したシールド長距離掘進が可能となるというから感心すると共に、これを
1メートル以下の掘削ロボットに展開できると、自在に地殻掘削でき地震や火山予知や地熱発電、
地下ケーブル敷設、資源探索に役立つ。これは面白い。

  

● 現代大量虐殺史 Ⅵ 

 【縮原発論 22: 核ごみ廃棄処理のススメ  
 

 目次   

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか
  あとがき
 

  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体     


                   日本における被曝隠しの黒幕――医療界と七三一部隊

  その学界の中心人物は、GHQが選んだ茅誠司であった。1949年に日本学術会議が発
 足して、ほとんどの学看が原子力研究に一烈に反対したにもかかわらず、1952年に茅誠
 司はその副会長として「原子力の研究にとりかかるべきである」という提案をおこない、こ
 れと連動して、1954年に中曽根が原子力予算を提出することになりたのである。実はそ
 の年から、茅誠司は日本学術会議の会長となって君臨し、学界の主力を原子力に傾注させ、
 さらに、1957年には東大総長となって、東大そのものを原子力研究の学府として育ては
 じめたのである。

  これと並行して、1956年元旦に原子力委員会が発足し、初代の委員長に、戦前に特高
 警察を動かしてきた内務省警察あがりの正力松太郎が就任した。続いて、5月19日には科
 学技術庁が発足し、初代の長官に、同じ正力が就任した。しかし彼らのあまりに強引で非科
 学的なやり方に、日本人最初のノーベル賞受賞者(物理学賞)・湯川秀樹が原子力委員を辞
 任した。

  茅誠司は、原発至上主義を最初に理論的に構築した第一人者であった。こうなると事実上、
 原子力推進側に日本中の学者を動員することは、きわめて容易であった。いかなる大学でも、
 教授の選任は、主に教授会が決定する。私立大学ではそれほどでもないが、特に国立大学で
 は、その教授会を教授たちが決定する、という相互連鎖反応をもった権力機構になる性格が
 ある。そこに、学者の箔づけ機関として、学術会議が隠然たる力を持っていたからである。

  原子力予算からスタートした政界と、産業界に、さらに学界が提携した日本の原発運転開
 始計画は軌道に乗り、1966年725日には、9電力会社が出資・設立した原子力専門企
 業の日本原子力発電株式会社(原電)によって、わが国最初の商業用原子炉、茨城県・東海
 発電所が運転を開始・・・・・・続いて1970年3月14日に、大阪万博の開会日に合わせて、
 原電の福井県・鶴が原発1号機が華々しく官業運転を開始した。

  同年1970年11月28日に、電力会社の原子炉として最初の関西電力の福井県・美浜
 原発1号機が運転開始・・・・・・続いて1971年3月26日に重星電力の福島第一原発1号機
 が運転を開始した(これが40年後に爆発した原発であった)。
  この時代は、歴史に無知な世代の人間が「高度経済成長時代」と呼んでいるが、実際には
 水俣病と、すさまじい大気汚染公害などによって生み出された、数えきれないほどの被害者
 を踏みつけにして、その内部から原子力発電所が誕生してきた時代であった。現在の中国が
 それと同じである。

  この時期、梅洋邦臣という男がいた。彼こそ、東海原発から、敦賀、美浜、福島、大飯、
 島根、玄海、浜岡、伊方などほとんどすべての厚子力発電所が削両・着工された時代に、科
 学技術庁の原子力局長から事務次官という官僚最高ポストまでのぼりつめ、のちの科学技術
 庁―原子力庁(現・文部科学省)をつぐりあげた生粋の原発キャリア官僚であった。この官
 僚グループが、現在の原発政策を牛耳っているのである。

  彼の長兄・梅沢邦臣は微生物化学研究会の会長となった著名な学者だった。だが、この梅
 沢純夫とともに微生物化学研究会を動かしてきた理事として、ハ木澤行正がいた。ハ木澤は、
 まぎれもなく「悪魔の七三一部隊の植物研究班」班長として満州にいた記録が残っており、
 そのあと八木澤は、梅沢純夫の弟・梅沢浜夫がいる国立予防衛生研究所(予研)に移った。
  さらに八木澤の息子たちが、梅沢浜夫所長の「微生物化学研究所」に勤務した。梅沢兄弟
 が戦時中に”七三一部隊の研究仲間”であったからだ。その予研が、アメリカのABCCを
 受け継いだ重松逸遊~長屋重信の放射線影響研究所の受け皿になったのである。




                   アメリカの首輪をつけた哀れな使用人たち

  こうして、あれよあれよというまに日本の原子力時代がスタートした。だがこれら日本の
 人脈は、すべて日本人の「戦争中の犯罪資料」を樫ったアメリカ(AEC)によって支配さ
 れ、アメリカの首輪をつけた哀れな使用人であった。原子力予算を提出した中曽根康弘も、
 予算提出の前年に渡米して、凄絶なネバダ核実験中のアメリカの原子力研究施設を視察し、
 人体実験に取り憑かれた医師がたむろするカリフォルニア大学を訪れた男であった。

  2000年末に公開された外交文書が物語るように、1969~73年にかけてニクソン
 政権の国防長官をつとめ、アジア人虐殺を展開した残忍無比のベトナム戦争を続行したメル
 ヴィン・レアードが、そうした時期の1970年9月14日に訪米した防衛庁長官・中曽根
 康弘と会談した。そして、「われわれは日米安保条約のもとで、日本防衛のためにあらゆる
 種類の兵器を使用することを公式に約束する」と発言し、日本国民が知らぬところで、はっ
 きりと核兵器の日本(沖縄)への持ちこみを約束していたのである。

  このレアードが、1984年から軍需産業マーティンーマリエッタの重役に就任したのだ。
 同社はロッキードのほか、ゼネラル・ダイナミックス軍用機部門、ゼネーフル・エレクトリ
 ッ
ク航空宇宙部門と合併して、現在世界一の軍需産業ロッキード・マーティンとなっている。
 つまり現在、沖縄県民の激しい怒りを買ってきた辺野古の新基地建設計画や、危険なオスプ
 レイ配備は、これらアメリカの巨大軍需産業がペンタゴンを支配して、指一本で大統領を動
 かし、それをまた、祖父の戦争犯罪をアメリカに握られた安倍晋三が、”駐日アメリカ大使”
 
の役をになって、ホワイトハウスにシッポをふって強行する属国メカニズムを受け継いでき
 たのである。オスプレイの危険性だけに目を注ぐのは間違いで、沖縄や日木全上の空を飛び
 交う米軍の戦闘機・ヘリコプターの墜落事故は枚挙に暇がない。沖縄の地元紙。”琉球新知”
 のカメラマンと共に、沖縄本島北部にある米軍のゲリラ戦訓練場へ調査に入った時 "ラン
  ー”のような米兵の銃に取り囲まれた恐怖を、私は忘れない。

  日々その恐怖に包まれて生きているのが沖縄県民である。、

  話を戻すと、放射能の危険性を追及していた日本放射性同位元素協会が、日本アイソトー

 プ協会と改称して、良心的な科学者を追放(パージ)し、「放射線の有効利用」を看板に、
 原発の推進組織に豹変しはじめたのが、まさに福島第一原発が運転を開始した1971年の
 8月1日のことであった。その中心人物が東大総長の茅誠司であり、彼自身が日本アイソト
 ープ協会の会長K就任し、日本原子力産業会議(現・日本原子力産業協会)の理事となって
 原子力発電を猛烈に推進した。またこの時期から、放射線医学総合研究所(放医研)も原発
 を推進する組織へと豹変しはじめた。

  読者は、2011年にフクシマ原発で未曾有の大事故が起こったあと、ほぼ10日後の3
 月24日に、福島第一原発3号機のタービン建屋の地下室で働いていた作業員3人が大量の
 放射線を浴び、福島県立医科大栄病院に遅ばれ、そこから千葉県の「放医研」に移送された、
 というニュースをど記憶だろうか。ブルーシートに隠されながら歩いていた、あの重度被バ
 クの作業者が、その後、原発推進グループの放医研に運ばれてどうなったか新聞報道がない。
 これまで被パク労働者の多くが放医研に送られているが、放医研がその被バク障害の実態を
 隠しているという疑いが濃厚である

  現在まで、この日本アイソトーブ協会を隠れ蓑にし、原子力産業によって推進された「放
 射線の有効利用」キャンペーンのため、日本はX線CTスキャン(コンピューター断層撮影
 ――Computed Tomography)の検査回数が年間数百万件と世界で飛び抜けた件数を。"誇る"
 異常な病院内の被バク国家となっている。乳房のX線撮影、血管遺影撮影、電子放射断層撮
 影などを含めた放射線Kよる医療被曝が先進国の平均に比べて2倍という高さである。

  これは、日本の医療界が「放射線によると"検査費"が病院の収入を支える」というメカニ
 ズムを生み出し、医療界・医学界、つまり大病院のほとんどの医師たちが、放射線・放射能
 の危険性を主張しなくなったことを意味した。現在のドイツで医師たちが原発反対運動をリ
 ードしてきた動きと正反対なのが日本である、という理由はそこにある。それが茅誠司の狙
 った、医学界を取りこむ日本アイソトーブ協会の目的であった。日本アイソトープ協会の後
 継者が、フクシマ事故の被バク児童を放置してきた長崎大学の長瀧重信である。ここまで述
 べた歴史が、マンハヅタン計画部隊による人体実験と一体化していたのである。

                                  身の毛もよだつ放射性廃棄物の被害

  だが、もうひとつ巨大な問題が、原子力産業の前にたちはだかっている。全世界で処分不
 能となっている放射性廃棄物である。フクシマ原発事故で放出され、東日本全域に今日まで
 放置されてきた恐陶の汚染物がそのひとつであり、福島県内では、フクシマ原発からドッと
 放出された放射監物質が、全域に分厚く降り積もった。県内では、田畑や住宅地に降り険も
 
ったこの汚染物を、土壌の表面だけ取り除き、放射性廃棄物として集めてきたが、地下や山
 林に浸透しているので、事実上、除去することは不可能である。一旦は除染しても、山林か
 ら放射性物質が流れてきて、またすぐ高い放射腺量に戻ってしまうのだ。

※土壌内部に移し替えた耕作地表土はやがて、土壌中の無数の細菌・酵素(補酵素)微生物によ
り凝縮→昆虫などの下等生物が捕食され、魚貝類・鳥類などの順番で捕食凝縮され、数年をかけ
突如として、高濃度の放射線を検出する場所や食用物が出現することは考えられる。


  いま、その表土だけを削り取った除染物が、フレコンバッグと呼ばれる大きな黒い袋に詰
 めこまれて、田や畑の真ん中K、あるいは住宅の前に、至るところで山のように積み上げら
 れてきた。そのフレコンバッグが積まれた場所は、2015年3月までに福島県内で8万ケ
 所を超え、その1ケ所ずつに何百何千というフレコンパツグが積み上げられている。ところ
 が、このフレコンパッグの耐用年数はわずか3年なので、もうすでにそちこちで破れはじめ
 ている。さらに、削り取った土に入っていた草や木の種が、袋の中で勢いよく芽吹いて、プ
 レコンバックの袋を簡嘔に破って外に顔を出しはじめている。それは、身の毛もよだつよう
 な光景である。

  さらに、福島県いわき市の西側にある自然豊かな鮫川村では、高濃度汚染物を住民に無断
 で焼却して放射能ガスをまき敵らすという、絶対にしてはならない無謀な行為をこともあろ
 うに環境を守るべき「環境省」が実施してきたのである”震災復興資金の火事場泥棒”に明
 け暮れてきた官僚の悪質さは限度を超え、もはや狂気というほかない国家だ。。原発事故の
 賠償もまともに受けられず、自宅と土地を奪われ、原発事故の関連死者が1500人を超え
 た福島県民心の不安を払拭しようと、そこにIAEAの手先が進出して、さまざまな“安全
 キャンペーン”が組織的に展開されている。一体、国会は何のためにあるのか!

  そしてついに2015五年5月には、除染も終っていない危険地帯の避難指示をすべて解
 除して強引に帰還させ、「住民への賠償金の支払い打ち切り」という方針を自民党が打ち出
 したのである。路頭にに迷って”死の行進”をさせられてきたこの福島県民が、これに対抗
 するべく、5月24日に「原発事故被害者団体連絡会(略称・ひだんれんごを結成して団結
 したので、日本の全国民も傍観せずに、手をさしのべなければならない。

  福島県以外でも、高濃度の放射能を浴びた宮城県・茨城県・栃木県・群馬県・千葉県や、
 新潟県・東京都・岩手県の一部では、除染した放射性物質が日々増え続けて2014年9月
 末に合計2万4000トンを超え、高濃度の5県では仮置き場がなくなるほどに追いつめら
 れてきた。東京23区の下水処理場で汚泥を焼却した後には、高濃厦セシウムの焼却灰も大
 量発生してきた。その汚染物の運命を教える事件が、アメリカで起こった


 
  ナイアガラの滝は、女優マリリン・モンローが”モンロー・ウォーク”でデビューした作
 品『ナイアガラ』の舞台として使われたが、この滝から15キロほど北へのぽると、ルイス
 トンの町がある。
  この町の環境問題を担当していたのが、カルビン・シュルツであった。彼は父を肺気腫で
 失い、母もまた癌で失ったあと、自分の体にも異常を認めていた。この一帯の調査は、よう
 やく1980年にはじまり、近在の家を調べてゆくと、わずか5軒の家から6人もの癌患者
 が生まれている地帯があり、調査開始後の4、5年で、癌死者はその地域で十数件にものぼ
 っていた。

  ナイアガラはアメリカ北東部にあり、ネバダの核実験場からはるかに離れたところに位置
 している。そこに、セント・ジョージと同じ放射能被バクが起こるはずはない。だが、カル
 ビン・シュルツは、一人ずつ消えてゆく身内を調べながら、葬儀屋エルマー・ピケツトと同
 じ恐怖におぴえていた。
  しかも、ナイアガラがあるニューヨーク州の南には、ペンシルヴァニア州があり、そのキ
 ャノンズバーグでも同じような被害が発生し、さらにその南に隣接するニュージャージー州
 ミドルセックスにも、大被害が認められていた。ここでは、教会の牧師館から異常に高い放
 射能が検出され、肺癌の発生率が300%にもなっていた。

  東部で隣接するニューヨーク、ペンシルヴァニア、ニュージャージ州の三州で、西部三州
 と驚くほど似た状況が生まれていた。ウェスタンからイースタンヘと、呪いが移って、セン
 ト・ジョージの怒りが、首府ワシントンのホワイドハウスヘ迫るような形で、東部を襲って
 いた。被害の形態はセント・ジョージに似ているが、東部三州での奇怪な癌死者激増の”ナ
 ゾ”はまだまったく全体像の掌握されない、パズルの初期段段階にある。被害者の実数か分
 るまでには、これから何年も要するだろう。被害はこれから先、何年にもわたってあるいは
 何十年にもわたって発生し続けると予測されるからである

  現在までに調べがついているのは、これらルイストン、キャノンズバーグ、ミドルセック
 スの三つの町かアメリカの放射性廃棄物の捨て場所だった、ということである。たとえば
 ナイアガーフ近くのルマストンでは、晩業物から発生する手に負えない放射性ガスがコンク
 リートの建物から漏れ出し、あるいは廃棄物そのものが流れ出して、一帯を汚染した。この
 発癌性の放射性ガスは、どのような手段をつくしても、人類には封じこめることかできない。



  このような大量の気体(※ラドンガス)は、最後には漏れ出してしまう。

  ルイストンで放出された放射性ガスは、安全基準値の4万倍に達していた。原子力発電の
 おもな利用者が大都会に集中しているなかで、まだ誰もこの放射性廃棄物の呪いから逃れる
 方法について答を出していない。地球が廃棄物であふれかえる時代へと移りゆく様子を、東
 部の諸州が暗示している。
  日本では、47都道府県のどこに放射性廃棄物を埋めるというのか


ここまで読み終えて、福島第一原発の事故の廃棄物処理は単に日本国内の問題でなく、米国・ロ
シアの核大国を中心とした核ごみのグローバル化として全人類に影響を及ぼすものであことを再
確認することとなった。「核ごみの玉突き衝突時代」の幕開けである。


                                   この項つづく 
 



【新日本列島改造論 Ⅰ: 無線給電ハイウェイ時代をリード】

ブログでも取り上げてきたが、無線給電高速道路(一般道)が、英国で、ワイヤレス給電により
電気自動車やハイブリッド車などに“走るだけ”で電力を給電するための道路の実現に向け、今
年年末より実証実験を開始する。これらの中で、充電インフラについては設置数の拡大が進んで
いる状態で、走行可能距離についても距離の伸長は続いており、問題は解決しつつある一方、最
後まで課題として残りそうなのが充電時間が問題となっている。急速充電器などが徐々に登場し
つつあるものの、電池の構造的に現在のガソリン自動車のような短時間の充電を実現するには、
多くの技術革新が必要となり、現状では長い期間がかかる。

 

英国の交通大臣であるアンドリュー・ジョーンズ(Andrew Jones)は、動きながら充電できると
いう可能性は、低排出ガス自動車に大きな可能性をもたらす。英国政府ではこの技術の実証に5
年間で5億ポンド(約千億円)を用意する。これらの取り組みにより、家庭や企業が低排出ガス
自動車を導入しやすくすると言う。

実験は準備が整い次第、2015年末ごろまでに開始する計画。試験は約18カ月継続し、その結果を
受けて、一般道における試験に移行する。試験では高速道路を完全に複製し必要なワイヤレス技
術や電気自動車などを調達するために最適な事業者を応募する。事業者が全て決まった時に、試
験計画の詳細を公表する。

 

すでに、韓国では一部実用化されているが、ソーラーロード(舗装)構想がオランダで実証実験
が終了し、ドイツではソーラー防音壁の実証実験に入る。すでに、10年前に、構想区道路の防
音壁・舗装・法面をソーラー化する社内でプレゼンした(仮称:「万里の長城構想」)経験もつ
が、そこに、通信及び動力ケーブルの埋設化と、道路(舗装)の凍結防止・融雪の敷設、あわせ
て、蓄電設備の埋設・内包化を行なった上、全国の主要高速道路のリニュア工事を実施する構想
をこのブログで提案してきている。これに、新幹線の軌道基礎部や法面の発電・蓄電機能を追加
して
ここに改めて『新日本列島改造論』として再提案する。

※ 白血病などの腫瘍罹患などの電磁波障害などのリスクを完璧にクリアすることを前提として
  の構想である。






ところで、電力チャージ料金はどうするのか?水素燃料車と併存はどうするのか?と言う疑問が
残ったが、前者は、給電量のカウンタとその使用量の自動申請の通信システムで対応かのであり、
オールソーラシステムが完備すれば、無料化も実現可能だ。後者は、当面、併設で対応すればい
いと考えるが、無料化も自動車税+消費税+所得税+法人税で対応すれば高速道路は解決するだ
ろう。



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