臨月娘と孫を迎えに渥美に行き、ついでに伊良湖岬にある芭蕉の句碑を訪ねた。貞亨二年(1687)、44歳に成った芭蕉は「笈の小文」の旅の途中、渥美の保美村に愛弟子杜国を訪ね、いらごに来たらしい。11月12日芭蕉・越人・杜国の3人は保美から馬で伊良湖岬をたづねたとある。
渥美の「保美」交差点
「鷹一つ 見付てうれし いらご崎」 の句碑
今でもド田舎である伊良湖岬、当時の渥美はおそらく辺境の寒村そのものだったろうに・・この旅もすごいが、この2年後に決行した奥の細道の旅は想像を絶する。序文「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり・・・漂泊の思ひやまず・・・」を読むと胸が熱くなり、何か突き動かされるような気に成るのはなぜだろうか。
のん気に「わび」と芭蕉に思いをはせている場合ではない、臨月娘はウンウン・・孫はキャーキャー、きのうまでの平穏な生活は何処へやら、明日から1ヶ月ほど、軟禁奴隷生活である。
渥美の「保美」交差点
「鷹一つ 見付てうれし いらご崎」 の句碑
今でもド田舎である伊良湖岬、当時の渥美はおそらく辺境の寒村そのものだったろうに・・この旅もすごいが、この2年後に決行した奥の細道の旅は想像を絶する。序文「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり・・・漂泊の思ひやまず・・・」を読むと胸が熱くなり、何か突き動かされるような気に成るのはなぜだろうか。
のん気に「わび」と芭蕉に思いをはせている場合ではない、臨月娘はウンウン・・孫はキャーキャー、きのうまでの平穏な生活は何処へやら、明日から1ヶ月ほど、軟禁奴隷生活である。