日々の出来事 10月15日 キューバ危機
今日は、キューバ危機が起こった日です。(1962年10月15日)
キューバ危機は、1962年10月15日から13日間続いた、アメリカとソ連が核戦争に突入する可能性のあった一髪触発の危機を言います。
1959年にキューバ革命が起こりキューバのカストロはソ連と接触を開始、1962年にはソ連のフルシチョフが核ミサイルをキューバ国内に配備し始めます。
アメリカ本土のすぐ傍にあるキューバに核ミサイルが配備され始めたことを偵察機で知ったアメリカのジョン・F・ケネディは、国内のキューバ空爆論を抑えつつ、これ以上の核ミサイルのキューバへの持ち込みを阻止するため、海上封鎖でソ連船の入港を阻止しました。
アメリカは国際世論に危機を訴えながら、アメリカ、ソ連の双方が弾道ミサイルの発射準備態勢を進めます。
そして、アメリカの偵察機がソ連軍の対空ミサイルで撃墜されるなど緊迫は頂点に達していました。
キューバ危機
☆今日の壺々話
フルシチョフ(クレムリンにて)
「 ムフフフフフ!
アメリカの奴、慌てておるぞ。
まあ、配備して置けば、脅しになるからなァ。
おい、ケネディは、今、何をやっとる?
え、緊急テレビ演説を、もう直ぐするって・・・・。
アハハハ、大慌てだな、ザマーミロ。
えっ、演説の前に教会で礼拝だって!
あわわわわわわわ!
そ、それは、え、えらいこっちゃがな!
アメリカ大統領は開戦を告げる前に必ず礼拝に行くんだぞ!
ど、どうしよう・・・・。
ちょっと、脅かすだけだったのに・・・。
う、う、う、う・・・・。
い、急げ!
緊急発表だ!
ミサイルを撤退させるぞッ!」
そして、第3次世界大戦は回避され、アメリカとロシアの間に、偶発的に戦争が発生しないように政府首脳間を結ぶ緊急連絡用の直通電話である“ホットライン”が設置されました。
一方、この頭越しの米ソ交渉に、キューバのカストロは怒っていたと言うことです。
「 プン、プン、プン!」
フルシチョフ自身が語った実話ジョーク
「 あるロシア人が、“フルシチョフは馬鹿だ!フルシチョフは馬鹿だ!”と叫びながらクレムリン宮殿の前を走り抜けようとした。
この男は即座に捕まり、裁判で23年の禁固刑に処せられた。
この23年の禁固刑の内訳は、3年は党書記侮辱罪に対してであり、20年は国家機密漏洩罪に対してである。」
なぞなぞ “資本主義と共産主義の違いは何か?”
答え、資本主義では人が人を搾取し、共産主義では人が人に搾取される。
説明
キューバ、ミサイル危機の時、外交交渉がこう着状態となり、決裂寸前
の険悪なムードになりました。
その時に、「この気まずい雰囲気を打開するために、一人ずつ笑い話でも
しましょう」と提案がありました。
それにこたえて、ソ連の外交官が「資本主義と共産主義の違いは何か?」
と、なぞなぞを出して、自分で答えたものです。
これによりムードが和み交渉が再開されたと言われています。
ただし、この話の真偽のほどは不明です。
キューバ危機
南米を完全にアメリカの資本主義に変えていたのに突然共産革命が起こり、目の前に核を有する敵国ができた。
アメリカはキューバのパトロンであるソ連に弱腰にならざるを得なかったが、プライドがそれを許さなかった。全世界で資本主義VS共産主義の核戦争の危険があった。
まさに冷戦の最終段階だ。
ソ連側はペンコフスキーというスパイがいた。
アメリカの国家機密は全てソ連に筒抜けだった。
しかし、アメリカ外務大臣ロバートケネディは外交に関しては知らない知識は無いほどのキレ者で、ペンコフスキーのスパイ活動を知っていた。
ソ連大使館のドブルイニンが、ロバートケネディの横を通り過ぎる瞬間にロバートケネディが一言、
「 ペンコフスキー・・・・。」
と言った瞬間、ドブルイニンは突然走り出し、時の首相フルシチョフに伝えた。
「 アメリカにスパイ活動がバレている。
もし我々が核を使用したら、アメリカも同時にソ連の核施設を狙うだろう。
その時に世界は滅びる。
どうか核の使用は止めてくれ!!」
ロバートケネディが核戦争を止めた一言だった。
その後はトントン拍子に解決していき、ロバートケネディはフルシチョフをディズニーランドを貸し切りで歓迎した。
カストロ前議長語録
演説の最長記録がカストロ議長の四時間半てのがまた良い。
「革命だなんだと褒める連中がいるが、あの頃の我々は本当にドジでね、市街戦のたびに右往左往、私も毎回毎回道に迷って、目標と違うところにばかり突入、仲間はもっと酷くて、そんなことをやってる内に全員捕まったもんだよ。」
「一度は、市街戦の前に、おしゃべりで疲れて寝てるところを捕まった。運良く逃げたけどね。」
「僕は元々人殺しなんだよ、大学の時に、つまらないいざこざで、大学生を一人殺してしまった。相手も僕と同じでゴロツキだったから、仕方がないんだが。」
「毛沢東、スターリン、レーニン、こいつらはとんでもない極悪人で地獄に行った。私も死んだら、同じ場所に行くんだ。」
「農場を国有化したら、オフクロ(農園主だった)が飛んできて、げんこつで殴られたんだよ、あれには参ったよ。」
「兄のフィデルには全ての点で劣るが、演説は短い。この点だけは皆さんに貢献できると思う。」
(会場、爆笑)
カーチス・ルメイ
第二次世界大戦
連合軍はナチスドイツに空爆を繰り返していたが、いつまで経っても決定的な効果が上がらない。
思いのほか、予定通りの戦果を上げられない爆撃チームが続出したのだ。
“エンジンから異音”、“敵迎撃機の大編隊が向かってきた”など様々な理由があったが、当時、統計学の能力を買われて司令部勤務だったマクナマラの調査によって判明した真相は、“パイロットが恐怖心によって、何でもない事を非常事態と誤認した”という物だった。
“誤認”というのは優しい表現で、実際は“嘘ついて逃げ帰ってきた”という事だ。
当時、米軍機の損傷率は4%で、出撃任務は25回。
誰もが“いずれ俺も死ぬのでは”と怯えていたのだ。
で、ブチ切れた、とある将校が、
「 今後は、毎回俺が出撃する。
最後尾でな。
逃げ帰る機があれば、その場で撃墜する!」
と宣言し、実際、毎回最後尾から無線で“弾は前からだけ飛んで来るわけではないぞ”と脅しまくり、ナチスドイツの街を、次々と焼き払う事に成功した。
この将校の名は、カーチス・ルメイ。
後に日本人に“鬼畜ルメイ”と呼ばれる人物である。
東京大空襲
東京を焼き尽くした大空襲ではあったが、超低空飛行を実施したため、米軍機の損害も大きかった。
わずか一晩で12機が撃墜され、42機が被弾するという大損害である。
多くの戦友を失った米兵たちは、基地に帰投後、拳銃を握ってルメイに詰め寄った。
「 なぜ低空飛行で爆撃するよう指令を出した!
何百人の戦友が死んだと思ってるんだ!!」
ルメイは平然と、
「 一晩で大日本帝国の帝都を灰にし、少なくとも10万人は殺した。
作戦は大成功だ。
明日は名古屋、明後日は大阪、その次は神戸だ。
1週間で日本を灰にしろ!」
と答えた。
そして、その後の6日間で日本中の大都市は焼き尽くされ、ようやくルメイは爆撃停止命令を出した。
「 南太平洋全域に備蓄していた爆弾を全て使い果たしてしまった。
現在、爆撃停止中。
即刻補給求む。」
第二次大戦時の鬼畜っぷりで戦果を挙げまくったルメイは、キューバ危機のとき、空軍の将軍となっていた。
当時の国務長官は、かつての部下であるマクナマラ。
ケネディやマクナマラが必死で戦争回避すべく、カストロ・フルシチョフと接触している最中、 ルメイは核を積んだ爆撃機をキューバ領空ギリギリで空中待機させ、ホワイトハウスに、
「 90秒でハバナに核を落とせる。
さぁ、攻撃指示を!!」
と打電しまくった。
これに対してマクナマラは、
「 我が国が動けば、それはソ連との全面核戦争に繋がってしまう。」
と自制を求めたが、ルメイは、
「 核保有数はアメリカの方が上だ、殺し合いになれば弾の多い方が勝つ!」
と断言。
また、軍情報部からの報告という形で、
「 キューバに核は配備されてない、カストロの猿芝居だ!」
と上申。
実際、1990年代になってから判明した資料によると、当時、キューバには160発を超える核弾頭が配備されており、カストロもフルシチョフも、アメリカが領空侵犯した瞬間に、ニューヨーク・ワシントンに核をブチ込む準備をしていた。
結局、ホワイトハウス側がルメイを抑え、キューバ危機は回避された。
あと一歩で地球は滅びていました。
今、我々が生きているのが奇跡のような話です。
第二次大戦
第二次大戦は実は同盟(日独伊)が勝つ可能性が大いにあった。
原爆を作ったのはアインシュタインだが、裏方でアインシュタインをも超える最強の天才がいた。
それは、ドイツの科学者“ハイゼンベルク”。
V2ミサイルなんか作っちゃうドイツの天才!
ナチスは負けそうになっても抵抗したのには秘策があって、ハイゼンベルクがどの国よりも先に原爆を作ると考えられていた。
ていうか完成していた。
でもハイゼンベルクは完成していないフリをしてヒトラーを騙していた、ウランと設計図は完成しているのに。
そのうちベルリン陥落してナチスが降伏するとハイゼンベルクは連合国側に連行されて無理矢理原爆の研究をさせられた。
ベルリン陥落と同時にナチスはUボートにウランと設計図を託した。
そう最後の希望、日本が原爆を完成させて同盟国の勝利をもたらすことを願って。
その頃日本も全港を解放してUボート到着を待っていた。
まさに起死回生の一撃を狙っていた。
だがUボートの中で、ナチス党員と日本兵が降伏するか続行するかで意見が割れて結局イギリスの戦艦に捉えられた。
もし、日本にUボートが到着していたら…?
もしハイゼンベルクが素直に原爆を開発していたら…?
そして、当時軍国主義の日本は世界を滅ぼしていたかもしれない……。
セカイノオワリニ
子供の頃に体験した怖いというより不思議な話なんだ。
俺は子供の頃小さな村に住んでて、どこにでもあるような小学校に通って、常に五人組のグループを作って遊んでたんだ。
毎日すげー楽しくて、たまに夜の11時とかに帰ってきたりして滅茶苦茶怒られたりした。
確か男は俺含めて4人、女は1人。
女の子はそこそこ可愛くて、グループの中でもみんな多分狙ってたんだと思う。
ある年の年末に、俺たちは皆で年を越そうって言って、ひとりの家に集まってたんだ。
親は珍しく(うちの親は結構過保護で、あんまり外泊とかは許してくれなかった)泊まるのを許してくれた。
必死にどう説得するか考えていたのに、少し拍子抜けだった。
だけど、そいつの家、今思えばおかしいんだよな。
親が家の中にいなかったんだよ。
いたのかもしれないけど、少なくとも見た限りは。
結局、夜中まで雪合戦とかしてたけど、いくら家の庭だからって夜中、もうすぐ日付が変わりそうなのに注意もしないなんておかしい、と今なら思えるんだが。
んで、一人が腕時計を見て、
「 あ!いよいよ年が変わるぞ!」
って言ったから、みんなで空を見上げた。
どうしてそんな事をしたのかは未だに分からないんだが、幼いながらに星空にロマンを感じていたんだろう。
「 来年も楽しく過ごせるといいな。」
って俺はぼそっと呟いた。
そしたら、グループで一番頭のいいヤツ、確か眼鏡くんって俺らは呼んでたヤツが変なことを言うんだよ。
「 無理だよ、だって僕らはここで終わりなんだから。」
その当時、何かの絵本でそんな言葉を見たことがあって、俺は何でいまその言葉が出たんだろうと考えてた。
その言葉に、俺は本当にもう会えないのかと思って泣き出してしまった。
だけど、他の三人はみんな知っているような顔をしていた。
「 みんなどっか行くの?なら俺も・・・。」
「 だめ。K(俺)はおしまい。次の子が待ってるから。」
気が付くと俺は地面に倒れていた。
どうも屋根の雪下ろしを手伝って転落したらしい。
雪がクッションになって、ちょっと気絶しただけで済んだらしい。
でも、次の日から村は俺の知る村じゃなくなってたんだ。
学校の名前、通ってたそろばん塾、行きつけの駄菓子屋も、全部変わってた。
クラスのヤツらは変わっていなかったけど、グループのヤツらは誰もいなくて、他のヤツらに聞いたら「引っ越した」だの「死んだ」だの「誰だよそれ」だのさまざまな答えが返ってきた。
今でも、俺は年末になると庭で星を見る。
そして、この事を思い出すんだ。
“ うん、俺は今も元気でやってるよ。”
そうあいつらに伝えてやりたいけれど、不思議なことに、今じゃ、そういうヤツ等がいたとしか思い出せないんだ。
思い出は残ってるけど、あいつらの顔や声がどうしても思い出せない。
それに、あいつらの言っていた次の子は、あいつらに会えたんだろうかな?
童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。
大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ