日々の恐怖 12月21日 海水浴
ある家族が海水浴に出かけた。
父親が子供の頃、両親や兄弟と一緒に毎年泳ぎに行った小さな海水浴場。
自分にも子供が生まれ、そろそろ海水浴に連れて行ってやろうということになり、家族四人で出かけることになった。
父親と母親、6歳になる長女と3歳の次女は、老夫婦がやっている海の家でパラソルを借り、浜辺の真ん中あたりに荷物を置いた。
小さな子供を遊ばせるのに、この海水浴場はとても良い条件だった。
100mばかりの小ぢんまりした砂浜の両側は岩場になっていて、潮が引くと磯遊びもできる。
地理的には、大きな湾の中にある小さな湾で、外海と違って波も穏やかだ。
海水浴に来ている人間も地元の人が多く、チャラチャラした若者たちが行きかう観光者だらけの浜と違って静かだった。
昔とちっとも変らない海水浴場に、父親は嬉しくなった。
奥さんも、人が少なくて目が行き届くし、波も荒くないからいいわね、と上機嫌だった。
初めて泳ぐ海に娘たちも興奮気味で、長女などは、浮き輪が膨らむのを待ちきれない様子で、早く海に入りたいと大騒ぎ。
準備ができると、家族は荷物をパラソルの下に置いたまま、皆で海に入った。
3歳の次女を浮き輪に入れ、妻がその面倒を見た。
父親は6歳の長女を連れて泳いだり、岩場に上がって磯遊びをした。
長女は、潮だまりに閉じ込められた小魚が欲しいとせがんだが、動きが早くて思うように捕まえられない。
娘の為に小魚を捕まえてやろうと奮闘しているうち、そろそろ浜に上がって休憩しようと妻が言いに来た。
初めての海に興奮しすぎて、子供が疲れすぎるといけないから、と。
全員でパラソルの下に戻って休憩し、ジュースを飲んだり、トイレに行ったり。
やがて3歳の次女が疲れてウトウトし始めた。
次女のかわいい寝顔に見入っているうち、運転の疲れが出たのか、父親も眠ってしまったらしい。
気が付くと、次女と妻の寝顔が隣にあって、静かな寝息を立てている。
同時に、寝ぼけ半分の父親の頭には6歳の長女のことが浮かんだ。
彼は長女の姿が見たあらないので、連れ去られたか、あるいは、勝手に海に入って溺れたのではと飛び起きた。
浜辺や海を見渡すと、岩場の方から長女がひとりで歩いてくる。
その手には、ジャムの空き瓶のようなものを大事そうに抱えていた。
長女はパラソルの所まで来ると、満面の笑顔で父親に言った。
「 おさかな、捕ってもらったよ。」
瓶の中には、青い小さな魚が泳いでいた。
誰に捕ってもらったのか訊くと、おともだち! と、明るく長女が答えた。
家族全員がウトウト眠りはじめてしまったので、長女もしばらくはそこに座ってジッとしていた。
すると、知らない女の子が長女に声をかけてきて、一緒に遊ぼうと誘ってくれたらしい。
長女は女の子と一緒に海で泳いだり、潮だまりで小魚を捕ったりした。
女の子はこの海のことをよく知っていて、小魚を捕まえるのも上手かったらしい。
長女が「青い魚が欲しい」と言うと、あっという間に捕まえて、落ちていた瓶に入れてくれたのだという。
何とも不思議な話だと思った。
自分はそう深く眠ったつもりはないのだが、時計を見れば、いつの間にかお昼だ。
長女がいなくなったことにも気づかず、2時間も寝ていたことになる。
隣のパラソルでは、海の家から買ってきたらしいカレーライスを、知らない家族がおいしそうに食べていた。
長女がカレーが食べたいと言ったので、父親は長女を連れて海の家にカレーを買いに出かけることになった。
起きたばかりの妻は、次女を連れてトイレの列に並んだ。
パラソルを離れる時、夫婦はお互いに「子供から絶対目を離さないようにしよう」と確認し合った。
ところが・・・・。
お昼時ということもあり、海の家はとても混んでいた。
この店を切り盛りしているのは、腰の曲がった老夫婦。
父親が子供の頃、両親に連れられて海水浴に来た時も、すでに老夫婦だった気がする。
穏やかな人柄で、手際よく様々な注文に応えてくれるが、動きが遅い。
注文の列に並んだが、自分たちの番が来るには時間がかかりそうだった。
順番を待っている間、父親は長女によく言って聞かせた。
知らない人について行ってはダメ、お父さんとお母さんに何も言わないで出かけてはダメ、子供だけで海に入ってはダメ、知らない人に物をもらってはダメ・・・だめだめ攻撃に、長女はふてくされた顔をした。
長女をたしなめている間に、やっと自分たちの番が来た。
カレーライスを3つ注文し、飲み物を3本買った。
カレーライスができるのを待っていると、妻がやってきた。
次女を抱いて、眉間にしわを寄せ、長女はどこにいるのか、と妻が強い口調で言った。ここに一緒にいるだろ・・・と周囲を見たが、長女の姿がない。
ついさっきまで隣にいたはずの長女が、どこにも見当たらないのだ。
父親は焦った。
その場を妻に任せると、彼は砂浜に戻って長女の姿を探した。
同じ年頃らしい子供たちがウロウロしているので、小さな浜と言っても簡単には見つけられなかった。
目を凝らしてよく見渡したが、砂浜にも、岩場にも長女の姿はない。
まさか・・・と思って海を見ると、ポツポツ浮かぶ浮き輪の中に、長女の姿があった。
長女の浮き輪は砂浜からかなり遠くまで流されており、遊泳区域のブイを超えるところだった。
どうしてあんな所にいるのか、なんて考えている余裕はなかった。
父親は顔色を変えて海に入ると、猛然と泳いだ。
長女の浮き輪は沖へ沖へどんどん流されていく。
泳ぎは得意な方だが、流れに乗って沖へ移動する長女に追いつくのは大変だった。
懸命に海水をかきながら、波間に見え隠れする長女の浮き輪を追った。
早く捕まえて浜に戻らなくては、それだけを考え、波をかき分け、海水を蹴った。
やがて父親は長女の浮き輪に追いついた。
浮き輪の真ん中に、長女が沖のほうを見て摑まっているのが見える。
浮き輪の周囲に巻いてある紐にやっと手が届くと、彼はそれをグイッと引っ張り寄せ、長女の浮き輪に取りすがって娘の名を呼んだ。
「 もう大丈夫だぞ! 」
娘を安心させるように父親が言うと、沖を見ていた長女が振り返った。
そこから、彼には記憶がない。
気が付くと、彼はパラソルの下にいた。
暑かった砂浜は西日に射され、帰り支度をしている人たちが数人いた。
何が何だかよく判らないまま目だけ開けていると、海の家のご主人が、借りていたパラソルを回収にしに来た。
「 旦那さん 起きたみたいだね。」
海の家のおじいさんはそう言い、慣れた手つきでパラソルをたたむと、肩に担いで帰って行った。
娘たちは人のひけた砂浜で城を作っていた。
妻は黙々と荷物をまとめ、帰る支度をしていた。
彼は起き上がって妻に声をかけた。
いったい何が起きたのかと。
妻は答えず、とにかく早く帰ろうと夫をせかし、家族は帰路に就いた。
その夜、子供たちを寝かしつけた後、彼は妻に訪ねた。
なにしろ、長女を助けようと沖まで泳ぎ、長女の乗った浮き輪を捕まえたところまでしか覚えていないのだから。
次に記憶があるのは夕方で、いつの間にか自分がパラソルの下で寝ているところで、釈然としないままこうして帰宅したのだから。
妻は何ともいえない不思議な顔つきをし、とにかく無事で良かったと言った。
妻の話はこうだ。
次女を連れてトイレを済ませ、カレーライスを運ぶのを手伝おうと思って海の家まで行くと、夫だけがそこにいて長女が見当たらなかった。
そこで夫に声をかけると、夫は顔色を変えて砂浜のほうへ走って行った。
ちょうどカレーライスが出来上がり、妻は店の人にカレーの乗った盆を手渡された。
抱いていた次女を立たせてカレーを受け取り、次女を見ると、長女が次女と手をつないで立っていた。
お父さんにしかられたので、ちょっと隠れていた、と長女は言った。
二人を連れ、カレーを運びながら、いったい夫はどこに行ったのかと砂浜を歩いていると、沖のほうでゴムボート遊びをしていた人たちが、浮き輪で流されて気を失っている人を助けた、と騒ぎながら戻ってきた。
まさか、と思ったが、人垣の後ろからそっと首を伸ばしてみると、それは自分の夫だった。
普通に息をしていたし、特に水を飲んだ様子もないので、周囲の人たちがとりあえずパラソルの下まで運んでくれたのだという。
何事もなくてよかったけど・・・・という妻の言葉の後に、どんなに恥ずかしかったか!!、という無言の非難が隠れている感じだった。
結局、目の覚めない夫の傍らに座って娘たちとカレーを食べ、午後はまったく海にも入らずに一日が終わった海水浴。
来年は違う海水浴場にしよう、と妻が言った。
彼もそのつもりだった。
娘の浮き輪には、確かに娘が乗っていた。
だが、実際の娘はいなかった。
あの時、浮き輪に乗っていた長女だと思っていた女の子は一体誰だったのか?
長女がおともだちに捕ってもらったという青い魚も、いつの間にかなくなっていた。
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