大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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☆( 1年間366日分の日々の出来事  )

B,日々の恐怖

☆( 日々の恐怖 )

C,奇妙小説

☆(  しづめばこ P574 )                          

日々の恐怖 3月31日 ICU

2013-03-31 18:25:52 | B,日々の恐怖







    日々の恐怖 3月31日 ICU







 看護士のHさんの話です。
ICUで勤務していた時のことです。
夜勤で真夜中、ようやく一段落して一緒に夜勤をしている看護士とベットが見える位置にある休憩室に入り、お茶を飲んだ。
少しだけライトを暗くして、あたりは心電図モニターの音だけがピッピッと鳴り響いていた。

「 今日は落ち着いてるね。」

と同僚が休憩室にあるテレビのスイッチを入れると、なんと稲川淳二の怖い話をやっていた。
しかも、よりによって話の舞台は病院のようである。
イヤだなァ・・・、と思って、

「 怖いよ、消そうよ~。」

と私が言ったその瞬間、

“ ペタ・・。”

はっきり聞こえた。
スリッパの音である。
 同僚の看護士にも聞こえたようである。
二人で目を合わせた。

“ ペタ・・、ペタ・・。”

また聞こえた。
スリッパで歩く音だ。
その音は部屋から聞こえる。
間違いない。
 しかし、それ以上に間違いない真実なのが、ここはICUで仕切りのない大きなフロアにベットが6つ、患者数は4人。
その全ての人が、人工呼吸器をつけている重症で心筋梗塞だったり心臓外科の術後だったりして、どの人も起き上がることなんて不可能なのである。
そもそも、ここにはスリッパなんて置いてない。

“ ペタ、ペタ、ペタ、ペタ・・・・。”

なのにスリッパの音がする。
 出入り口は全てにカギをかけている。
部外者が音もなく入ってくることは不可能だ。
同僚と目を合わせたまま、互いに身動きが取れない。
音がする方向を見ることも出来ない。
気のせいか、こっちに近づいてきているような感じがする。
 私は汗だくになった。
同僚の顔は血の気を失いつつあった。

“ ガチャリ!”

出入り口のロックされていたキーが開いた。

「 わっ!」

一瞬驚いたが、

「 おつかれ~~!」

と言いながら、能天気な医者が差し入れを持って入ってきた。
とたんに重たかった空気がなくなり、私と同僚は安堵のため息をついた。
 二人で医者に半泣きでワーワー言いながら事情を説明するが、ワハハと笑われた。
でも、確かに聞いた。
音がした方向を見たが、何もなくいつもと変わらぬ光景だった。
















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日々の恐怖 3月30日 蕎麦屋

2013-03-30 18:19:30 | B,日々の恐怖







     日々の恐怖 3月30日 蕎麦屋








 私は大昔から蕎麦が大好きです。
彼方此方にある蕎麦の名店の食べ歩きもしたことがあります。
 それで、家から車飛ばして10分ぐらいの所に、『安い、だからあまり文句言うな』な感じの蕎麦屋がありました。
そこがある日、『今日は本気で蕎麦を打ちます』という貼り紙を玄関に貼っていました。
それを人伝にメールで聞きつけた私は、そのメール送ってきたヤツともう一人の計3人で、その本気の蕎麦を食べに行く事にしました。
 そして店に入ると、張り紙のせいか人が妙に多かったです。
それで、蕎麦を注文。
出てきた蕎麦を食べたのですが、それがどういうわけか冗談抜きで本当に旨いのです。
今まで地味に色んな蕎麦の名店とやらに出入りしたりしましたけど、そこの蕎麦すらも凌駕するほどに旨いのです
『ぼくのかんがえたさいこうのおそば』をそのままリアルに抜き出したような、そんな人知を超えた旨さでした。
 あまりの旨さに、蕎麦湯を持ってきた店の人を捉まえて、

「 あの・・・、あの張り紙は・・・?」

と聞いたら店長が登場しました。
その店長が言うには、

「 上手く言えないけど、今日はなんかいつもと違う感じがした。
今日は旨い蕎麦が作れると思った。」

との事です。
これからは食べたいときに最高の蕎麦が食べられるなと、私は喜びと満足感を胸にその日は帰りました。

 ところが、その日の夜、その店長は脳内出血で入院。
そのまま退院する事無く死亡してしまい、結局その店もその日を最後に閉店しました。
そして、今では月極駐車場になっています。
それで、その破壊的な旨さの蕎麦は、『○○○(店名)の奇跡』という一部ローカルな伝説を残し終わってしまったのです。
















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日々の恐怖 3月29日 山の主

2013-03-29 18:24:41 | B,日々の恐怖






     日々の恐怖 3月29日 山の主







 知り合いHの家に伝わる先祖の話です。
彼の先祖に、羽振りの良い男衆がいたのだという。
 猟師でもないのに、どうやってか大きな猪を獲って帰る。
ろくに植物の名前も知らぬくせに、山菜を好きなだけ手に入れてくる。
沢に入れば手の中に鮎が飛び込んで来る、火の番もできぬのに上質の炭を持ち帰る。
田の手入れをせずとも雀も蝗も寄りつかず、秋には一番の収穫高だ。
 彼の一人娘が町の名士に嫁入りする時も、彼はどこからか立派な嫁入り道具一式を手に入れてきた。
手ぶらで山に入ったのに、下りてくる時には豪華な土産を手にしていたそうだ。
 さすがに不思議に思った娘が尋ねると、

「 山の主さまにもらったのだ。」

と答えた。
 その昔、彼は山の主と契約を交わしたのだという。
主は彼に望む物を与え、その代わり彼は死後、主に仕えることにしたのだと。

 何十年か後、娘は父に呼び戻された。
彼は既に老齢で床に伏せていたが、裏山の岩を割るよう、主に命じられたという。
 娘は自分の息子たちを連れ、裏山に登った。
彼の言っていた岩はすぐに見つかり、息子が棍棒で叩いてみた。
岩は軽く崩れ割れ、その中から墓石と白木の棺桶の入った大穴が現れた。
誰がやったのか、彼女の父の名がすでに刻まれていた。
 話を聞いた彼は無表情に呟いたそうだ。

「 埋められる所まで用意してくれるとは思わなんだわ。 」

それからすぐに彼は亡くなり、まさにその墓に埋葬されたのだという。


 数年後、娘の夢枕に父親が立ったのだという。
老いた姿ではなく、若々しい男衆のままの姿形であった。
しかし、そのときの彼の表情は、何故かまったく余裕のない状態だった。
 彼女が懐かしさのあまり声をかけようとすると、彼は怖い顔でそれを止めた。
そして一言だけ発して、消えたのだという。

「 お前たちは、絶対に主と契っちゃならねえ。」

 翌朝目を覚ましてからも、彼女はその夢を強く憶えていた。
一体父は死んだ後、主の元でどんな仕事手伝いをしているのだろう?
その時、隣で寝ていた夫が起き上がり彼女に話しかけた。
夫の夢にも、養父が現れ何かを告げたのだそうだ。
 しばらくして、彼女の夫はその山を買い取り、全面入山禁止にした。
しかし、その理由は妻を含め、誰にも教えなかったという。


















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日々の恐怖 3月28日 山小屋

2013-03-28 19:49:38 | B,日々の恐怖







      日々の恐怖 3月28日 山小屋







 不思議な話を聞いた。
だが、怖い話ではなかった。
それは今から8年ほど前のことだ。


 Kさんというディレクターが、冬山の撮影をするため山に登ることになった。
スタッフは、ディレクターのKさん、カメラマンのMさん、録音マンのYさんの3人。
それに二人のガイドさんが同行した。
 Kさんたちが目指した山は、8合目までロープウエイで行けた。
だから重い撮影機材をともなう冬山登山といっても、それほどの困難が予想されるものではなかった。
Kさんたちは、山中の避難小屋で一泊する事にして、明るいうちにロープウエイに乗りこんだ。
ゴンドラの中から眺める冬山の景色は、午後の日差しを受けて、穏やかで美しいものだったという。


 8合目に着くと、Kさんたちは、撮影用の機材と食糧を分担して背負い、ロープウエイの駅から避難小屋までの道をのんびりと歩いた。
避難小屋といってもそれほど山深いところにあるわけではない。
現にその小屋は、今降りたばかりのロープウエイの8合目の駅から肉眼で見える距離にあるのだ。
歩いても、そうたいした道のりではなかった。
 だが、冬山の天候は変わりやすい。
今日のような晴れた日には、あんなにすぐそこに見える避難小屋なのに、あそこまで辿りつけずに、この辺りで遭難して亡くなる登山者がこれまでに何人もいるというのだ。
ホワイトアウトという言葉があるとおり、いったん吹雪くと、目の前が真っ白になってしまい、もうなにひとつ見えなくなってしまう。
 ついに避難小屋の方角を見出せず、知らず知らず沢の道を下りてしまい、そのまま山深く分け入ってしまう登山者があれば、さんざん彷徨ったあげく力尽きて避難小屋のすぐ傍で行き倒れたりする登山者もあるのだという。

「 自分もこの辺りで遭難して亡くなった人を、何人も雪の中で見つけた事があるんですよ。」

 避難小屋まで歩く道すがら捜索隊に狩り出された時の体験談を、Kさんたちはガイドさんの口から聞いたという。
だが、そんなガイドさんの話が、俄かには信じられぬほど、その小屋までの道のりは穏やかだった。


 避難小屋に辿りつくと、日の暮れぬうちにKさんたちは、夕食の準備にとりかかった。
小屋は手狭な作りだった。
ドアをあけると土間があり、テーブルなどはない。
 壁際に、登山者が、ざこ寝出来るような小上がりの板の間があり、そこからはしご段で上がるロフトのような中二階があった。
はだか電球がひとつ、天井から下がっているだけで、火の気も無く、暖房設備と呼べるようなものなど当然無かった。
Kさんたちは、土間の横の板の間で夕食を食べることにした。


 日が暮れてから、小屋の中の気温はいっきに下がってきた。
そして、氷点下にまで落ちてしまった。
暖かかったのは食事をしている時だけだった。
窓の外はすっかり暗くなってしまっている。
 食事の後、Kさんたち5人は、しばらく雑談をしていたが、寒くなってきたこともあって全員寝袋に入って眠ることにした。
時刻は、まだ、夜の8時を少し回ったばかりだった。

「 今夜は我々のほかに登山者もいないので、そんなに窮屈で無く寝られますよ。」

ガイドさんの一人が、そんなことを言った。
 1階の板張りの小上がりには、機材の多いカメラマンのMさんと録音のYさんの二人、中二階のロフトには、Kさんと二人のガイドさん達がそれぞれ寝る事になった。
Kさんは、ロフトへ上がるはしご段を一段一段軋ませながら登り、寝袋にくるまって眠ったのである。


 不思議なことがあったのは、その夜だった。
どのくらいの時間がたっただろうか、Kさんは風の音で目を覚ました。

「 吹雪いてきたのかなぁ・・・。」

Kさんは、明日の撮影のことが心配になってきた。
でも、食糧は3日分持ってきている。
しばらくこの小屋で頑張れば、そのうち晴れるチャンスもあるだろう。
Kさんは、そう考え直すとまた眠ろうとした。
 小屋の外では、相変わらず風の音が聞こえていた。
その時だった。
Kさんは、風の音にまぎれる“どんどん!”という音を聞いた。
 誰かが小屋のドアを叩いていた。
Kさんは、登山者が来たのだと思った。
だが、ロープウエイの営業時間はもうとうに終わっているはずだった。
だとしたら、こんな吹雪の中をわざわざ麓から歩いて登ってきたのだろうか。
 そこまで考えたところで、また“どん!” と音がした。
Kさんは、耳を澄ませていた。
ギイイッというドアが開く音がして、確かに誰かが入ってきた。


 小屋の中は真っ暗だった。
Kさんは、階下の物音に耳を澄ませていた。
侵入者は、しばらく1階の土間を歩いているようだった。
やがて、小上がりに上がったのだろうか、床の軋む音が聞こえてきた。
 だが、妙な事にその侵入者は、いっこうに寝じたくをする気配が無かった。
それどころか、いつまでも下で寝ているはずの二人の周りを歩いているのだ。
 “ミシッ、ミシッ!”という床が軋む音を、Kさんはじっと聞いていた。
しだいに胸騒ぎがしてきた。

“ 誰だろう・・。
これは、登山者ではない・・。”

そこまで考えて、Kさんはゾッとするのである。

“ ギッ、ギッ、ギッ・・。” 

ロフトへ上がるはしご段を登って来る音がするのだ。

“ 誰かが上がって来る・・・。”

 Kさんは、全身に水をあびたような気がした。
はしご段に背を向け、ロフトの壁を見つめて横たわっていたKさんの両手に力が入った。
 はしご段を登って来た者は、やがてKさんの背後までやってきた。
そうして、Kさんの周りを歩き始めた。
だが、ロフトには3人の男が寝ている。
足の踏み場もないはずなのだ。
なのに、誰かが歩いている。
 そんなことは考えられない。
だが、あきらかに人の気配がするのだ。
その証拠に踏みしめられた床が沈むのがわかるのだ。
 Kさんは、全身の毛穴が収縮して行くのが分かった。
そしてそのまま、Kさんは一睡もできず、いつしか朝を迎えてしまったという。


 翌朝も雪が降っていた。
ラジオの天気予報は、低気圧が近づいていることを告げていた。
Kさんは、ガイドの二人とも話し合って下山することを決めた。
吹雪になる前に、全員、ロープウエイで下山したのだ。

“ 昨夜の事はなんだったのだろう。”

下界に降りていくロープウエイのゴンドラの中で、Kさんはボンヤリと考えていた。


 その日の夜、Kさん達は麓の温泉宿に泊まった。
夕食の後、なんとなく会話が途切れたので、Kさんは昨日の夜のことをスタッフに打ち明けてみることにした。

「 なんか変なこと言うようだけどさ。
きのうの夜中、誰か小屋に入ってこなかった・・・?」

Kさんは、そう言ったあと、なんとなく気恥ずかしい思いがした。
だが、録音のYさんが、やっぱりという感じでKさんをみつめながらこう答えた。

「 あぁ、そう言えば誰か来ましたよね。」

Kさんは意外な思いで、その言葉を聞いた。
気付いたのは自分一人ではなかったのだ。

「 うん、確かに誰か来たよね。」

カメラマンのMさんもそう答えた。
聞いてみれば、結局あの場にいた者の誰もが、夜中に誰かがやってきたという認識を持っていた。
 Kさんは驚いた。
そんな経験は初めてだったからだ。

「 山の避難小屋って、いろんなことがあるっていいますからね。」

ガイドさんのひとりが、ぽつりと言った。
そして、みんな、そのことについて、それ以上は話さなかった。
結局、あの日の夜、あの山小屋で何が起こったのかは分からないままだった。


 先日、この話をKさんから聞いた後、当時、録音で同行していたYさんにこの時の話を聞く機会があった。

「 Yさんさぁ、8年くらい前に山小屋で変な体験したでしょう?」

Yさんは、そういうぼくの問いかけになつかしそうに微笑んだ。

「 あぁ、変な体験ね、しましたよ。」
「 どんなだったんですか?」
「 うん、なんて言ったらいいのかなぁ・・・。」

Yさんは、しばらく考えたふうだったけれど、こう言ったのである。

「 ぼくね、見たんですよ。」

Yさんは、あの夜、小屋に入ってきた恐らく人ではない何者かを見ていたというのである。

「 今でもはっきり覚えてますよ、その人のこと。
でもね、ぼく、絶対、目は開けてないんですよ。
いやぁ、どう言ったらいいのかなぁ・・。
でもね、ぼく、見たんですよ、その人のこと。
 その人ね、冬山の装備をしてたんです。
そしてね、背負ってた荷物をおろしたの。
とても疲れた感じだった。
 ほんとに今でも鮮明に覚えてる。
あれから8年もたつけど、ぼく、このこと、あんまり人に言った事ないんですよ。
なんかね、気が咎めるんですよ。
あの人の事を、話のネタにしてしまうようでね。
 あの人、とっても疲れてた。
それでね、やっと小屋にたどり着けて、本当にほっとしてた。
そのことがね、すっごくよく分かって・・・。
ぼくね、忘れられないんですよ、あの人の事。
今でも・・・。」

その山小屋は、その後とり壊されて今はもうない。
けれど、Yさんの中には、その人の記憶が色あせず今も鮮明にあるという。



















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日々の恐怖 3月27日 枕返し

2013-03-27 19:13:41 | B,日々の恐怖






   日々の恐怖 3月27日 枕返し






 知人のTが、幼稚園生の時に体験した話です。
Tが幼稚園生のとき、林間学校に参加した。
場所は、静岡県内の「○○少年自然の家」というところだった。
 当日は様々なレクリエーションを体験し、夕暮れ時には皆でカレーを作って食べたりと大変楽しめたそうだ。
その後9:00過ぎには、就寝となった。
 就寝部屋は、かなり広い長方形の畳部屋だった。
長方形の短い辺の一方に廊下に面した入口があり、もう一方には森に面した大きな窓があった。
30名ほどの園児たちは、そこに2列に布団を並べて寝ることになった。
 当時、背の順に整列する習慣があったので、一番背の低かったTは、最も端の扉側のスペースがあてがわれた。
そして、寝入った。
 翌朝Tが目を覚ますと、すでに室内には朝日が差し込んでいた。
眠気眼をこすりながら見るともなく周囲を見渡すと、ある違和感を感じた。
自分のすぐ横の壁に大きな窓がある。

“ 昨晩は、自分のすぐ横に廊下に続く扉があったはずなのに・・・。”

と訝しく思い、半身起き上がって周囲を見渡した。
すると、自分が昨晩とは真逆の森に面している窓側に寝ていることに気付いた。
 自分だけが寝ぼけて移動したのではないかと思い隣の子を確認すると、昨晩横に寝ていた子と同じだった。
全体を見渡すと、中心から折りたたむようにして園児全員の順番が真逆になってた。
 現在Tは三十路を過ぎているが、このときの体験を鮮明に覚えているそうだ。
しかし、誰に話しても、小さいころの思い違いだよと一笑されるのだという。
Tは後年、ある本の文中に“枕返し”という妖怪についての記述を見つけた。
そして、自分たちの体験は、きっと枕返しの派手なイタズラだったのではないかと考えている。
















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日々の恐怖 3月26日 インディアン人形

2013-03-26 19:06:23 | B,日々の恐怖






     日々の恐怖 3月26日 インディアン人形








 今から30年ぐらい前の話である。
当時は、およげ!たいやきくんと言う歌が流行っていた。
街を歩いていても、どこかからその音楽が流れていた。
 ちょうどその頃、私は叔父の家に行ったことがある。
叔父はまだ三十代で、3歳か4歳の女の子が一人いた。
その時叔父の家で、私は気持ち悪いものを見せられた。
一体のインディアン人形である。
一見何の変哲もない、安っぽいプラスティック製の人形である。
 叔父の家には同じような人形がたくさんあった。
すべてパチンコの景品で、叔父が子供のために持って帰ったものだった。
ところが、叔父に言わせると、その一体のインディアン人形だけは他と異なるという。
 手渡された私は、その意味がすぐにわかった。
髪の毛が異常に長いのだ。
人形の全長(10cmぐらい)の1.5倍ぐらいある。
しかも髪の毛の長さは、全く不揃いでバラバラである。
 その人形が叔父の家に来た時は、髪の毛は腰のあたりできれいに切りそろえられていたという。
人形の髪の毛は、どう見ても本物ではなくプラスティック製だ。
その髪の毛が叔父の家に来てから伸びたのだ。
その人形は、誰が見ても異様な姿と化していた。
 叔父は、その人形が何か不吉なものをもたらすのではないかと考え、非常に気にしていた。
叔父によると、その人形が来てから体調が思わしくないという。
 その人形を見せられてしばらく経ったとき、叔父は突然体調を崩してしまった。
胃の調子が悪くなり極端に食欲がなくなった。
叔父は、大病院で精密検査を受けろという町医者のアドバイスを無視して、気分転換に温泉療養に行くと言って出掛けた。
 しかし、体調が良くなることはなくすぐに戻ってきた。
進行した胃癌だった。
すぐに国立病院に入院をした。
入院をした当初、やはり癌で入院をしていた年の離れた自分の兄のことをしきりに心配していたが、叔父は三十代で兄より若い分だけ癌の進行も非常に速かった。
殆どなすすべもなく、あっという間に亡くなってしまった。
 遺体は、叔父の家に運ばれ告別式が執り行われた。
当時、叔父の子供は、毎日のようにおよげ!たいやきくんのレコードを聴いていた。
小さな子供が毎日、自分でレコードを操作して聞いていたので、レコードの針はレコード盤の上に乗ったままの状態だった。
 告別式も無事終わり、一部の親族だけが叔父の家に泊まり寝ていたときである。
真夜中、線香が香る真っ暗闇の部屋で突然およげ!たいやきくんの歌が小さく流れ始めた。
音は調子はずれに、間隔を置いて鳴り出したり止まったりと、何度となく繰り返された。
当然その場にいた全員が異常に気付いていたが、レコードを触る気にはなれなかった。
そして、次の日、そのことについては誰も口に出さなかった。
今でも、およげ!たいやきくんの歌を聴くと、あの時の恐ろしさが込み上げてくる。
 ところで、叔父の病気とインディアン人形の関連はもちろん不明だ。
この事を覚えているのも、おそらく私だけだろう。
インディアン人形が、その後どうなったのかも分からない。
 しかし、数年前にテレビで、全国から供養のための人形が集まってくるという、お寺を特集した恐怖番組があった。
その寺でも特にいわくつきの人形は、地下の特別室に安置されているという。
 そして、その特にいわくつきの人形たちがテレビに映し出されたとき、私は衝撃を受けた。
その中に叔父に見せられたインディアン人形と瓜二つのインディアン人形があったのだ。
 それが叔父のところにあったものかどうかは分からない。
パチンコの景品だから、全国に山ほど同じものはあるだろう。
しかし、私はそれを見た瞬間、思わず背筋が寒くなった。




















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日々の恐怖 3月25日 邂逅

2013-03-25 18:35:50 | B,日々の恐怖






      日々の恐怖 3月25日 邂逅







 Sさんは若くして結婚したが、夫との折り合いが悪くなり、娘のN子ちゃんが生まれてまもなく離婚した。
負けん気の強かったSさんは、母子家庭でも娘だけは立派に育てたいと強く願い懸命に働いたという。

 昼間、少しでもN子ちゃんと過ごせる時間が出来るようにと、夜の仕事についた。
やがてN子ちゃんが3歳になったとき、Sさんにお店のお客で、彼氏が出来た。
 これが気持ちに微妙な揺らぎが生んだのか。
同じくしてN子ちゃんへの虐待が始まったそうだ。
始めは些細なことだったという。
ご飯をこぼす、お漏らしをする、甘える、以前ならかわいくて仕方なかったはずのそれらすべてが、急にイライラさせる原因となった。

 最初は叱り付ける、放っておく、といった程度だったがやがて手を上げる回数が増え、どんどん目に見える形での虐待にかわっていった。
あれだけ愛くるしかったN子ちゃんの顔は次第にこわばり、おびえた目でSさんをみるようになっていったそうだ。
 N子ちゃんが4歳になるころ、Sさんは奇妙な夢を見るようになった。
その夢のなかでSさんはたいてい、小さな座敷のようなところに座っている。
自分の斜め右後ろには衝立てがあり、その向こうにダレかが座っているのだそうだ。
 衝立ての陰に隠れて、その姿をみたことはない。
ただ相手はその衝立ての向こうで、何かを書き付けているのだけは分かるのだという。
 そのまま二人して座敷に座り、朝が来て目が覚める。
N子ちゃんは叩かれても泣くことすらなくなり、じっと小さな体をすくませたまま、Sさんから離れることが多くなった。
彼女を責めたてた後、Sさんも激しく後悔するのだが、どうしても自分を抑えることができなかった。
このままだとエスカレートするのではないか、という不安と焦りでいっぱいだったという。

 あるとき、夢の中でSさんは衝立ての相手が何を書いているのか、ふと気になったという。
そんな風に思ったのは初めてである。
 不思議なもので、Sさんがそう思うと夢に変化があった。
その衝立ての向こうにいる相手は書く手を止めて、Sさんに書き付けてきたものを手渡してきたのだ。
 何が書かれていたか、はっきり思い出せない。
だが、その手紙には、“こんなはずじゃなかったのに・・・。”というようなことが書かれてあったことだけは覚えているという。
その手紙を読みながら、Sさんはなんとも言えない感情が広がったのを感じたそうだ。
 目が覚めると彼女は、その夢のことをN子ちゃんに話さなければならないように思っ たという。
母に呼ばれたN子ちゃんは、おどおどした目でいつものように身を固くして立ちすくんだまま、母の話を聞き終わった。
まだ幼稚園にもあがらない娘に、なぜそんなことを話そうと思ったのかは分からない。
自分の話が分かったのか、分からないのか、ぼんやりしたままのうつむくN子ちゃんを見つめるSさんだった。
 すると、N子ちゃんは急に、

「 う~っ・・・!」

と嗚咽を漏らしたそうだ。
 子供とは思えない搾り出されるような慟哭を聞いた瞬間、Sさんは自分が犯してしまった過ちをはっきり悟った。
彼女も小さな娘の体を抱きしめながら、堰を切ったように涙があふれ出たそうである。

 その後、ぷっつりと虐待はなくなった。
Sさんはあの夢の意味を知ろうとカウンセリングなどをかじってみたが、結局よく聞くそれらしい話しかわからなかった。
ただ衝立ての向こうにいた相手はそれでは語れない、なんだかとても懐かしい人のような気がしていたという。

















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日々の恐怖 3月24日 コンテナ

2013-03-24 19:04:33 | B,日々の恐怖








     日々の恐怖 3月24日 コンテナ







 今から13、4年も前、関西にいた頃、港湾のコンテナ荷降ろしのバイトに行っていた時期がある。
荷降ろしは文字通り、コンテナに収められた荷を降ろすことで、コンテナ自体の積み下ろしや、降ろされた荷を倉庫に収める過程はクレーンや、フォークリフトなど機械で行われるものの、この荷降ろしだけはどうしても人の手で行われなければならないという、ずいぶんなアナログな仕事である。
 扉口までパンパンに詰まった2トン、4トンのコンテナから荷を降ろしていくわけだが、荷は軽いものなら綿のようなものたまにあるくらいで、大体が飲料物、家畜の餌など重いものが多い。
1日に降ろすコンテナ2本、3本とあり、洗剤の箱などに当たった真夏の炎天下は洗剤粉にまみれて、もう地獄である。
 仕事が過酷だからというだけではなく、そのバイト先はあまり居心地もよくなかった。
港湾の荷降ろしはもともと山口組が人足を派遣していた歴史もあって、そこで働く人たちも気が荒い人が多く、実際その当時も元極道だったという人が働いていた。


 ある日、休憩のあと午後から降ろすコンテナのところにいくと、その奥を覗いていた倉庫の主任が降りてきて、フォーク運転手Nさんとなにやら相談している。

「 ・・どないですか?」
「 うん、おるな・・・。
あかんわ、コレ。」

午後から降ろす荷である。
 そのコンテナは手付かずでほぼ天井すれすれ、扉口までパンパンに荷が詰まっていた。
そんな中に一体、何がいたのだろうか。
倉庫でも強面の二人が黙り込んだままだったので、私も何も聞かずにいた。
結局、何の説明もないまま、そのコンテナは扉を閉められ午後の荷降ろしは中止になった。


 後日、別の倉庫の社員Tさんにこの件を聞いてみる機会があった。
彼によるとNさんが扉を開けたところ、何かが動いたのでわずかに開いた天井の隙間から奥を覗くと、コンテナの奥の方で天井と荷物に挟まれるように横になった顔らしきものがみえたのだという。
荷物に押しつぶされたのか歪んでいたが、人の顔のようにも見えたそうだ。
「 動物とか乗ってたんですか?」と聞くと、「 いや、そうやないんや。」という。

「 ほんま時々やけど、こういうの前からちょくちょくあったんや。
俺も飯食ってたら、降ろし終った空のコンテナから片足しかないサラリーマンがピョンピョン飛び跳ねて出て行きよったの見たことあるし・・・。」

Nさんはこれで二回目やと言い、Tさんは苦笑いした。
 そういう場合、コンテナを空けてもやはり中には何もいないのだ。
コンテナの扉は通常、リベットのようなシーリングで封印されており開ける前はそれを大きなニッパーのような器具でねじり切らなくてはならない。
コンテナはいずれも海外からやってくるもので、それらのシーリングは当然向こうを出るときにつけられたものである。
 荷降ろしが済んだあと、必ずコンテナ内を掃き掃除をするものなのだが、時おり見たこともない花や虫をみたことはあった。
これらが何にせよ、きっとどこか遠い海の向こうでまぎれた何かなのだろう。


 ある日の帰り際、隅っこに置かれたままのコンテナが中から物凄い勢いでガン!ガン!と2回叩かれるのを聞いたこともあった。
その瞬間、居合わせた社員全員が固まったまま、コンテナを見て立ち尽くしていたのを今でも思い出すことがある。
それからその件を誰にも聞かず私はそこを辞めたのだが、恐らくあのコンテナにはシーリングが付けっぱなしになっていたに違いない。
















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日々の恐怖 3月23日 棺桶

2013-03-23 18:50:00 | B,日々の恐怖







     日々の恐怖 3月23日 棺桶









 Sさんの祖父の体験談です。
Sさんの祖父は長崎県佐世保市近郊の出で、祖父の父は棺桶職人を生業としていました。
 昔は土葬なので、亡くなった人は焼かれずに四肢を折り曲げた状態で棺桶に入れられ、地中に埋葬されていました。
ですから、棺桶は文字の意味どおり桶の棺なわけで、大きさも想像に難くないと思います。

 祖父の父は棺桶を母屋に併設された作業所でせっせと作っていたそうで、作成した完成品は作業所の片隅に常時4・5個程保管されていました。
祖父たち家族は皆そろって、作業所の隣にある寝床で寝ていたそうです。
ここで、子供だった祖父は不思議な体験をしました。

 祖父は深夜に、何故だか目が覚めてしまうことがあったといいます。
別段、そのこと自体、不思議にも思っていなかったそうですが、ある夜どうやら自分は音によって覚醒させられていることが分かりました。
そして、その音は、作業場の方から聞こえてくるらしいのです。
 音は異常に乾いていて、パーン、と響き渡っていました。
祖父は、もともと棺桶が置いてある作業所を薄気味悪く思っていたので、その作業所から聞こえる音を大変怖く思い、寝ていた父を起こしました。
そして、

「 あの音は何なのか?」

と聞いたそうです。
すると、祖父の父は、

「 あれは、棺桶を組んでいる竹が弾けた音だ。
死人が、自分の入る棺桶を選びに来ていて、気に入った棺桶の竹をああやって弾いて合図しているんだ。」

と言ったそうです。
そして、大丈夫だから寝なさい、と祖父を寝かしつけました。
 棺桶は形状を保ち、強度を高めるために周囲を竹の表皮を編んだ縄で組んであるのですが、それが弾けた音、つまり、切れた音だと教えてくれたのです。
しかも、祖父の父の話だと、死人がその竹縄を弾いていくのだというのです。
 祖父の話では、竹縄が切れると翌日に不思議と棺桶の注文が入り、祖父の父は必ず注文に死人が選んだ棺桶で応えていたといいます。
もちろん、竹縄は新しいものと組み直してです。
そんな話を、亡くなった祖父に聞かせてもらいました。

















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日々の恐怖 3月22日 音

2013-03-22 18:50:01 | B,日々の恐怖








     日々の恐怖 3月22日 音








 私の友人K君の同郷S君の体験談です。
S君は、

「 信じてくれるかどうかは、分からないですけど・・・。」

と前置きしてから話し出した。

 S君はラグビーが上手で、そちらの推薦枠で山梨県内の大学に入学し、日々練習に励んでいた。
そんな折、S君は練習中に足を骨折し、県内のK市にある病院に入院することとなってしまう。
 S君の病室は相部屋で通路の角にあり、後に暴走族だという若い男の子N君が、同じく足の骨折で入院してきた。
N君はバイク事故を起こして、ここにやってきたのだという。
 しばらくすると、N君はS君のことを先輩と呼ぶようになる。
2人は気性が似ていて気があった。
お陰で、入院生活はなかなか楽しいものとなった。
 そんな入院生活のなかでS君は、深夜に奇妙な音を聞くことがあった。
それは以下のような音であったという。
 
「 キーキーキー、シューシューシュー。」
 
別段、その音のことなど気にもならなかったS君は、昼間になるとすっかり音のことなど忘れてしまっていた。
 ある日、N君と会話をしていると、ふとした拍子に例の音の話題となり、N君も何度かその音を聞いたことがあることが判明した。
 しかし、二人ともその音の正体を知らない。
それで二人は、その音が一体何なのかを次に聞こえてきたときに確かめてみることに決めた。
 それから数日たった夜遅くS君が目を覚ますと、あの音が鳴っている。

「 キーキーキー、シューシューシュー。」

N君のベットを見ると、N君はすでにベット上に上半身起き上がった状態で構えていた。
 S君とN君は、目と目で合図を送り合った。
N君が通路の方を指差した。
音は通路から聞こえて来る。
 二人は病室から通路に出て、何処から聞こえて来るのか耳をそば立たせた。
どうやら、音はL字型の通路の角を曲がった向こうの通路からだ。
こちらからは覗き込まなければ見えない。
 しかし、二人ともビビッていたので覗き込むのは一寸怖い。
どうしようかと躊躇しているうち、音が徐々にこちらに近づいてきていることがわかった。
 二人でかたまって通路の角を凝視していると、車椅子に乗った老人がゆっくり現れたのだという。
老人はゲッソリと痩せており、鼻には酸素吸入のためのチューブが繋がっていた。
例の音は、このチューブによる呼吸音と、車椅子をこぐ度に発生する軋みからなるものだった。
 老人の姿に釘付けとなった二人は、恐怖で身動き出来なかった。
そんな二人の間を、老人は車椅子に乗ったまま進み込みS君の前で止まった。
S君の話によると、この時老人は、S君を何ともいえぬ恐ろしい表情で睨んだのだという。
 S君が恐怖のあまり動けずにいると、突然老人がその場から一瞬にして掻き消えた。
何が起こったのか呆然自失のS君に、N君が通路の窓の外を指差し何かを叫んだ。
見ると、今消えたばかりの老人が車椅子ごと空中に浮かんでいた。
そして、一瞬のうちに、それが掻き消えたのだという。
その後、退院するまで音は聞こえることは無かったそうだ。
 S君は自分の足を擦りながら言った。

「 でもね・・、直りが悪くってね・・・。」

二人の入院生活が予定より長引いたのは、それが原因かどうかは分からない。















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日々の恐怖 3月21日 奈落

2013-03-21 23:20:41 | B,日々の恐怖






    日々の恐怖 3月21日 奈落








「 今までも一度も考えたことないんだけど・・・。」

Mさんは去年飛び降り自殺を図ったという。

「 もう面倒くさくて・・・・。」

当時Mさんは結婚をしていたが、それ以外に恋愛中の男が一人、セフレが一人いたという。

「 誰にもバレてなかったんだけど、気持ちがグチャグチャで、精算したかったのもかもしれないなぁ。」

目に付いた五階建てのRCマンションの屋上に出ていた。
パークマンション○○という名前だった。

「 寝起きみたいなふらふらした頭で動いてた、現実感なんかなくて。」

金網をよじ登り、柵の向こう側、一歩先には奈落の底。

「 死にたいなんて、それまで今までも一度も考えたことないんだけど・・・。」

とくに覚悟を決めるでもなく、倒れるように宙に身を投げた。
一瞬、内臓がひっくりかえるような浮遊感を味わった。
すぐに気を失った。
 一命はとりとめたが、下半身に後遺症は残った。
退院後は旦那がかいがいしく世話を焼いてくれ、絶望をゆっくりと溶かしてくれた。



 旦那の書斎から、催眠術の本が見つかったのは一年後だった。
挟まったレシートから、購入日は当時のセフレが祝ってくれたMさんの誕生日だった。
一緒に仕舞ってあった日記は開かなかったという。

「 けれど、彼を問い詰めたい気持ちは沸いてこないの・・。
それどころか、申し訳ない気持ちでいっぱいなの・・・。」

そして、別れ間際、Mさんは震えそうな小声で聞いてきた。
まるで締め付けてくる喉に抵抗しているような、か細い声だった。

「 あのさ・・・・・。
自分が今も催眠術にかかっているか判断できる方法って知らない?」

「 知らない。」と、私は答えた。
















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日々の恐怖 3月20日 七日間戦争

2013-03-20 18:14:56 | B,日々の恐怖







     日々の恐怖 3月20日 七日間戦争








 Kさんは1983年夏生まれ、出身は新潟。
一時期は子供向け映画監督を目指していたが、今は中小企業のシステム管理に従事している。

「 はしかみたいなもんですよ、撮れるわけがない。」

 大好きな夏の終わりに異変は起こった。

「 家で映画を見ていた時でした。
その日は仕事で、面倒臭いお客さん相手で雑巾のようにクタクタに疲れ果ててました。
 家に帰ったらビール、シャワーを浴びてまたビール、それからようやく一息ついて映画を見ていました。
もちろんビール片手に。」

Kさんはかなりのビール愛好家らしく、それは年齢の割に貫禄ある腹部からもわかる。

「 部屋を真っ暗にして映画を見てたんですね。
『僕らの七日間戦争』っていうずっと前の子供映画。
宮沢りえが綺麗なんだなぁ。
 夏になると毎回見るんです。
もう音声だけでどのシーンかわかるので、酔いと音にうとうとしてました。」

もとから二時間まるまる見るつもりはなかったとKさんは言う。

「 ぼうっとしていたら突然、窓がコツ、コツと叩かれたんですね。
まぁ虫だろうと思って。
近くに公園もあったし。」

今までも、ベランダにカナブンの死骸を見つけることはあった。

「 だから放っておいたんです。
けど、映画も中盤を過ぎたあたりでおかしいなって思って。
 もちろん窓の音は続いていました。
一定のリズムでコツ、コツと。
 どうして俺の家なんだろうって。
だって真っ暗なのに。
 そりゃ映画の明かりはありますけど。
けれど一人暮らしする大半の人はカーテンなんて開けっぱなしにはしません。
薄暗い部屋にも虫は飛び込んでくるのかな、って思いました。」

Kさんの意識は徐々に覚醒していった。

「 覗き見るようにカーテンを少し開けました。
すると、洗濯物を干すステンレスハンガーが窓にぶつかっていたんです。」

面倒だなとKさんは眉をひそめた。
 長年使用していたせいで、ステンレスハンガーは引っ掛け部分を中心に山のように曲がっていた。
曲がって位置が下がった端が窓にぶつかっていた。

「 とにかく鬱陶しいから下ろそうと思ったんです。
窓を開けて物干し竿から引っ張りしました。
けれど感触が柔らかくて、カーテンで隠れていた部分に目をやったら・・・。」

 目を血走らせた女がいた。
坊主に近い短髪だったが白いタンクトップからは乳房が漏れていた。
数秒、Kさんは女は見つめあってからハンガーから手を離し、窓を閉めた。
胸は早鐘のように鳴っていた。
 安いからと一階に住んだことを始めて後悔した。
映画のクライマックスシーンが始まり、窓をノックする音は再開された。

「 警察にはもちろん電話しました。
けれど『窓を叩くだけ・・? 知らない女性が・・? 窓を・・?』と全く相手にしてもらえませんでした。
その日は、近くで大きな事件が起きたようで人手も少なかったそうで、パトロールしときます、程度のふざけた対応でした。」

 電話の最中も、コツコツと言う音は止まるどころか、さらにボリュームを大きくしていった。

「 ああなっちゃうとダメですね、男なんて。
もう逃げることしか考えられなくて。
バイクはあったんですけど酒飲んじゃってるし。
仕方ないから財布と携帯だけ持って、慌てて外に飛び出しました。
鍵なんて閉めてる余裕ありませんよ。
ダッと駆ける時、ちらっとベランダを見ました。
まだあの女は一心不乱にハンガーで窓をノックしてましたよ。」

 翌朝戻ると、泥だらけの部屋から『ぼくらの七日間戦争』のDVDだけがなくなっていた。

「 やっぱり、あの輝かしい子供時代って、誰しも惹きつけるんですね。
あれが異常者だったのか幽霊だったのか、わかんないですけど。」

それ以来、Kさんは映画を夜に見なくなったという。















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日々の恐怖 3月19日 インターフォン

2013-03-19 19:13:04 | B,日々の恐怖






    日々の恐怖 3月19日 インターフォン








 朝方、夜行で帰り昼過ぎまでうとうとしていたが、目を覚ますと外はすっかり様変わりしていた。
今日は関東一円では珍しい大雪である。
 旅先、仕事先、学校、いろんな出先があってそこから帰りつく。
家に入って玄関のドアを閉めた瞬間、それまで自分がいた外の世界はどうなっているのだろう。
果たして、変わらずにそこにあるのだろうか。


 主婦のDさんは近所のスーパーまで車を出かけ、その帰りに塾へ通う娘を拾って帰宅した。
いつもご主人が帰ってくるまで時間はあるので、帰宅したあと娘と話しながら夕飯の準備をしていると、玄関のインターフォンが鳴った。
 娘がキッチン横にあるモニターに応えると、

「 夜分失礼かと思ったのですが、表に停めてある車の室内灯が点けっぱなしで・・・。」

画面には親切そうな青年が恐縮しながら、表の門柱に設置してあるインターフォンのカメラに、頭を下げ下げ覗き込む姿が映し出された。
 さっき車を停めたとき、そういえば娘が床に落とした携帯を探して点けたが、そのまま消し忘れたに違いない。
Dさんは改めてお礼を言うため、慌てて玄関を開け表に出た。
 車庫に見える車の室内灯は確かに点けっぱなしだったが、それを教えてくれた親切な青年はどこにもいない。
よほどの恥ずかしがり屋なのだろうか。
モニター越しに教えてくれたときも散々迷った挙句、いかにも勇気を振り絞ってインターフォンを鳴らした様子でもあった。
 そのまま玄関を閉め、Dさんが中に入ると台所から娘が走り寄ってきた。
そして小声で、

「 お母さん・・・・、さっきの人まだいた・・・?」

Dさんが自分が出たときにはもういなかったことを伝えると、娘は慌てて母親の手を引いてモニター前まで連れ戻した。
 娘は母親が出て行ったあとも何気なくモニターを見ていたが、その間ずっと件の親切な青年は、赤外線で色が反転した画面の中で気弱そうな笑顔を浮かべて、カメラのレンズ越しにこちらを凝視したまま動かなくなったという。
その後ろを表に出ていった母親がまるで何も見えていないかのように、スタスタとガレージに向かって行ったので不思議に思ったそうだ。
 二人が戻ってきたときには、モニターは自動的に切れていた。
薄気味悪くなりながらDさんはもう一度モニターを点灯してみたが、その画面には誰もいない玄関と暗がりが映し出されるばかりであった。


















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日々の恐怖 3月18日 研修医

2013-03-18 18:43:35 | B,日々の恐怖





     日々の恐怖 3月18日 研修医







 これは研修医時代、しかも働き始めの4月です。(日付まで覚えています)
おりしも世間はお花見+新歓シーズン真っただ中、浮かれすぎてべろんべろんになって、救急車でご来院いただく酔っ払いで、深夜も大忙しでした。

 ちなみにある意味洒落にならないことに、前後不覚の酔っ払いは研修医のいい練習台です。
普段めったに使わない太い針で点滴の練習をさせられたりしました。
一応治療上太い針で点滴をとって急速輸液ってのは医学上正しいのも事実ですよ?
 でも、血行がよくて血管がとりやすく、失敗しても怒られず、しかも大半は健康な成人男性というわけで、上の先生にいやおうなしに一番太い針を渡され、何回も何回もやり直しをさせられながら、半泣きでブスブスやってました。
 普通の22G針は研修医同士で何回か練習すればすぐ入れれるのですが、16Gという輸血の為の針になるとなかなかコツがつかめず、入れられる方も激痛…。
でも、練習しておかないと、出血で血管のへしゃげた交通事故の被害者なんかには絶対入らないわけで。
(皆様、特に春は飲みすぎには注意ですよ!)

 で、話を戻します。
その日の深夜、心肺停止の患者が搬送されてきました。
まだ本当に若い方で、医者になりたての若造は使命感に燃え、教科書通りに必死に蘇生を行いました。
しかし結局30分経過したところで、ご家族と連絡をとった統括当直医の一言で全ては終了。

 その方は、(自分は知りませんでしたが)今まで何回も自殺未遂で受診していた常連さん。
しかもいわゆる「引き際を抑えた見事な未遂」で、ギリギリ死なない程度でとどめていたようです。
しかし今回、運が悪かったというのか自業自得というのか…。
だいぶ薬のせいで心臓が弱っていたらしく、(推測ですが)まさかの心停止。

 駆けつけた知人という人も、固定電話から救急車は要請したものの到着時にはその場におらず連絡不能。
状況から事件性が否定できないため、警察に連絡。
検視が行われることになりましたが、たまたま大きな事件があったので朝まで引き取れないとのこと。
 家族と連絡を取る時、やむを得ず故人の携帯を見て連絡をとりましたが、あっさり蘇生中止を希望。
生前、家族全員をさんざん振り回し、借金を負わせ、みんなが疲れきって病んでしまった、自殺が最後の希望だったろうから頼むから逝かせてやってくれ、と…。
死亡確認後改めて連絡しましたが、地方に住んでいて今晩は引き取りにも付添にもいけないとのことでした。
 最後に携帯から電話をしていた(おそらく通報者でしょう)異性の知人にも連絡をとりましたが、今までまとわりつかれ、逃げようとすれば自殺未遂をされて疲れ切っていた、家族でも友達でも何でもない、もう関わりたくない、と泣き声で通話を切り、その後はつながらず…。

暗澹とした気分になりました。
最初の社会勉強でした。


 結局遺体をどうしようかという話になり、もう一度話は警察へ。
誰かが面会に来た時にすぐ会えるようにという配慮から、「隔離室」に安置することとなりました。
 この隔離室、少し説明しにくいのですが、救急の一番奥まったところにあります。
手前から診察スペース(ウォークインの診察室と救急車受け入れ)があり、処置のスペースがあります。
私たちはだいたいこの処置スペースと診察スペースを行き来しています。
 さらに奥に経過観察用のベッドが10台あるのですが、そのさらに突き当りにあります。
カーテン付きのドアで仕切られていて、救急室のベッド側と廊下2か所から出入りできますが、どちらも施錠できます。(以前知らない間にホームレスが入っていたりしたことがあったので…)
正しい使用方法はインフルエンザの患者の点滴などですが、今回はそこに入っていただこうというわけです。
空調も別になっているので、その部屋だけ最低温度に設定してクーラーをかけ、施錠しました。

 ショックを受けていた自分も、すぐにまた怒涛のように運び込まれる酔っ払いの相手をしているうちに、その患者のことが頭から抜け落ちて行きました。
それがだいたい11時ごろ。
 異変が起きたのは深夜1時半ごろでした。
観察用ベッドと隔離ベッドは先ほども言ったように近いとはいえ少し離れているので、各ベッドに一つずつナースコールがあり、鳴らすと「エリーゼのために」が流れます。
意外と音が大きく、救急全体で聞こえるので、だいたい看護師さんが誰か手を止めて、ベッドのところに行ってくれます
(しょうもない要件ばかり何回も言ってると何もしないこともあるみたいですが)
しかし、悲しいことに看護師よりも研修医の方が立場が下で…、あとは察してください。

 というわけでぱっと板を見に行くと、観察室のランプがチカチカ。
何も考えずにナースコールを取って「どうしましたか?」と言った瞬間、後ろからぱっと別のドクターが切ってしまいました
(ちょうど壁についてる固定電話みたいになっています)

「 え・・・。」
「 お前良く見ろ、観察室だぞ。」
「 あっ・・・え、あのー、酔っ払いが忍び込んでる、とか?」
「 鍵は俺がかけた。」

そういってポケットから鍵を出す上級医。

「 そして今も持ってる。
あとは聞くな、考えるな。
こういうことも、たまにある。」

そして鍵を戻してぼそっと、

「 ただの故障だ、厭な偶然、それだけだからな。」

もうそのあとは怖くてしかたありませんでした。
 しかし、自分がやらかしてしまったせいでしょうか、その後ベルが鳴る鳴る…。
ひっきりなしにエリーゼのためにがガンガン流れます。
そのたびにめんどくさそうに受話器をガチャギリする上級医。
しかしベルはひどくなる一方でした。
 ♪ミレミシレドラ~…、のメロディーが流れるのですが、途中くらいからこちらが切らなくても勝手に途中で切れるのです。
ミレミシレドミレミシレド、みたいな感じで。
最後はミレミシミレミシミレミレミレ…、みたいになってましたね。
明らかにこちらをせかしていました。
 私と同じく入りたての看護師さんもいたのですが、彼女は完全に腰が抜けて泣きながら座り込んでいたし。
そして、「おい!うっせーんだよ!!さっさと行ってやれやゴルァ!!!!」と空気の読めない酔っ払い共。
中にはオラオラ言いながら隔離室のドアを蹴るDQNまでいて、ちょっとしたカオスでした。
 そんな中一人不機嫌オーラを立てていたのは師長さんでした。
とうとうしびれを切らした彼女は、ツカツカと受話器のところに行ってさっと取ると一言、


「 黙 っ て さ っ さ と 死 ね ! ! ! ! ! 」


救急中にしっかりと声が響き、ぱたりと途絶えたナースコール。
理解したのかしないのか知りませんが、空気をやっと読んでくれた酔っ払い達。
 くるりと振り返った師長さんは、それはそれは、頼もしいとかじゃなくて純粋に恐ろしかったです。

「 仕 事 し ろ ! 」

その後は馬車馬のように働きましたとも。
 酔っ払いはいつも居座ってしまって返すのに苦労するのですが、皆様本当に理解が早かった。
腰を抜かしていた看護師さんはその後「ICUで死ぬ間際の人が氷をポリポリ食べていて、その音が耳から離れない」と言い残してやめて行きましたが、師長さんいわく軟弱ものだからだそうです。
 女社会、子供を5人育て上げ、なおかつ893やDQNのやってくる救急外来をあえて選ぶ、そんな猛者。今でも心底恐ろしいです。
あと、心当たりがあってもこの話はあまり広げないでください。
特定されたら・・・、考えたくないですから。



















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日々の恐怖 3月17日 フロント

2013-03-17 18:50:00 | B,日々の恐怖





    日々の恐怖 3月17日 フロント





 初めに言ってしまうが、俺はホテルで働いている。
人手が足りない時なんかは15時間労働したりするが、楽しくて仕方がない。
 Aとはよく行き着けの食堂で飯を食う。
何が有った、最近どうだ、良く会う割には話題は多い。
俺はカツ丼ラーメンを頼み、Aは餃子にビールを頼み、だらだらと様々な事を話す。
 なかでも怖い話というか、そういう話は毎回出る。
Aは霊感が凄いヤツで、色々助けて貰ったり、巻き込まれたりもした。
その時の話や、今現在やってることなんかも良く話す。
ただ、その時は珍しく俺が話のネタを提供した。


 うちの支配人が若い頃、実際に体験したという話だ。
当時、支配人はフロントとして外資系のホテルでバリバリ働いていた。
 そんなある日、支配人はナイト業務と言って、専門のナイト担当者がいないホテルでのいわば宿直として夜十一時から朝八時まで働くことになった。
繁華街に近いホテルは一日中忙しい。
深夜二時、ベルが鳴ったそうだ。
 ナイトは初めてではない。
慣れている。
深夜でも、酒に酔って帰り損ねた客がちょくちょくやって来る。
フロントバックで休んでいた支配人は、返事をしてフロントに向かった。
 フロントに出てみると、いかにも暗そうな女性が立っている。

“ ちょっと、危なそうだな・・・。”

そう思ったが、やはり仕事は仕事。
お客様は一人でも欲しい。
少し迷ったが、結局料金を先に貰って、私製領収書を切って鍵を渡したそうだ。
そのお客様を見送った後、支配人はフロントに引っ込み、仮眠を取る。


 四時過ぎに電話がなった。
仮眠から起きた支配人はそれを取る。
内線だ。
ナンバーディスプレイに表示された内線番号は、さっきの女性の入った部屋だった。

「 はい、フロントでございます。」

返事が無い。

「 もしもし、いかがされましたか?」

耳をすますと、妙な音が聞こえる。

“ まさか、何かあったんじゃないか・・・?”

そう思った瞬間、女性の息遣いが聞こえた。

「 ああ、すいません、何でもないです。」

支配人は胸を撫で下ろした。

「 ありがとうございます。」
「 ありがとうございます。
どうぞ、ごゆっくりお休み下さい。」

そんなやり取りをして、受話器を置いた。

 チェックアウトというのはラッシュが来ると中々終わらない。
ビジネスマンが多い平日は朝早くに集中し、早番と応対するか、最悪ナイト担当が一人で応対する。
 休日は逆だ。
チェックアウトのラッシュは遅く来る。
上手く行けばナイト担当が帰った後にラッシュが来るが、そうじゃないとナイト担当がそろそろ帰るか・・?という時間にラッシュが始まる。
そうなると中々帰れない。
 その時は後者だったと支配人は言う。

「 ラッシュが八時頃から始まって、閑散期なのにリミットまで続いた。」

リミットというのは過ぎるとチェックアウト延長料を頂く時間だ。

「 十時までな。
それで、ラッシュが切れた頃にふとキーボックスを見たんだよ。」

あの客は、チェックアウトしていない。
 不安になった支配人は電話を掛けた、勿論その部屋に。
出ない。
 不安を煽られた支配人はその時の上司に頼んで、一緒に客室に向かった。
マスターキーで部屋を開ける。女性は鼾をかいて眠っていた。
白いウェディングドレス姿で。

「 きっと、婚約者にフられたんだろうな・・・。」

支配人はそう呟いた。
 さて、当時の支配人と、その上司の目は、自然とベッドの横に行った。
そのスタンド付きの小さな机には沢山の錠剤の殻が散乱していた。
睡眠薬を使った自殺だとすぐに判る。
そして、電話側のメモ帳にはぐにゃぐにゃと曲がった文字が書いてあった。
支配人は言った。

「 あの文章が忘れられないんだよ。」

『4時××分
さようなら。』

その時間は、支配人が電話を受けてすぐの事だったらしい。
 支配人と当時の支配人の上司は救急車を呼んだ。
鼾をかきつづける女性が入れられた救急車を見送った後、支配人の上司は、

「 あれはもう、ダメだな。」

そう言ったそうだ。
ここまで言い終えて支配人は溜め息をついた。

「 あの息遣いは、薬を飲み下した後の息だったんだな。」


 
 それから数ヶ月して、支配人がまたナイトを担当した時に、暗い顔をした中年夫婦が来た。

「 ○○○号室は開いてますか?」

夫婦のその言葉を聞いて、支配人は理解してしまった。
あの女性は結局、死んだのだと。

「 けどさあ、おかしいよな。」

話し終えた支配人は続けて言った。

「 なんで、ルームナンバー知ってんだよ。」

支配人の話を俺の口から聞き終えたAは、何杯目だったかのビールを飲み干して言った。

「 そりゃあ、聞いたんだろうよ。」
「 誰に?」
「 わかってんだろ。」

笑顔でAに言い返された。
 そんな気はしてた。
救急隊員から聞いたのかもと思ったが、支配人が疑問に感じるという時点で、その推理は間違ってるという事になる。

「 でもよ、泣ける話だよな。」
「 は?」 

俺は間抜けな言葉を返した。

“ こいつの頭の中では両親の枕元に立つのが親孝行なのか?”

そんな事を一瞬考えた俺に、Aは笑いを見せた。

「 そのさようなら、ってのは、誰に向けた言葉だ?」
「 誰って・・・。」

家族とか、その彼氏とかだろう。
ウェディングドレスを着て結婚式を挙げる予定だった。
 その事を告げるとAは、

「 彼氏は含めない。
家族だけだ。
だってドレスを着てるんだ。
自分を捨てた相手に、ウェディングドレスを着てさようなら、なんて言わないだろ。」

そう言われるとそんな気がしてきた。
けど、彼氏は含めない理由が解らない。
それに、自分を捨てた彼氏に対する当て付けとも考えられる。

「 ああ、前提が違うんだよ、お前は・・・。」

俺の反論を聞いてAは笑みを深くした。

「 彼氏は死んでるんだ。
だから、彼氏は含めない。
だから、メモは残した家族に向けたさようならだ。
だから、ウェディングドレスを着た。
これから彼氏に会うんだ。
さようなら、なんて言わない。」

“だから”、を連呼してAは締めくくった。

「 な、感動できる話だろ?」

 どっちが本当のことかは分からない。
個人的には、きっとAは間違っていて、正しいというか正解に近いのは俺の方だと思う。
けれど、あの時、自分には判るとでも言うように断言したAを見ていると、どちらなのか、解らなくなってくる。














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