大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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日々の出来事 12月31日 初代 引田天功の回転ノコギリ

2018-12-31 09:32:43 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月31日 初代 引田天功の回転ノコギリ





 今日は、引田天功(初代)が亡くなった日です。(1979年12月31日)
引田天功は、脱出マジックを得意としたマジシャンです。
日本テレビの特番として1968年から1975年まで毎年放送された“引田天功の脱出イリュージョン”は毎回高視聴率を記録し、日本中に脱出ブームを巻き起こしました。
 しかし、引田天功は日本のマジック界をリードする存在であったのですが、中年期より心筋梗塞など重度の心臓疾患に苦しみ、新たな脱出イリュージョンを構想していたにもかかわらず、1979年大晦日、志半ばともいえる病没を遂げました。
また、引田天功は心臓病死なのですが、“引田天功は脱出マジックに失敗して命を落とした”と言う都市伝説が世の中に流れています。







 初代 引田天功













☆今日の壺々話





       引田天功の人体切断マジック




 1973年12月29日(土)19:30~20:00(日本テレビ)の出来事です。
引田天功は最初に色々とマジックをして、最後にトリネタとして人体切断マジックを披露しました。
それは、横たわった女性に白い大きな布を被せて、回転ノコギリで腹部を切ると言うマジックです。
 この映像は、結構、トラウマとなるほどの強烈なものでした。
始めはマジックとして見ているのですが、ノコギリの回転にしたがって臓物が飛び散り、スタジオがシーンとなる中、白い布が掛けられた女性の顔がアップになり、鼻の辺りから白い布に血が染み出して来るのです。
 最後には女性は起き上がってニコニコだと思って見ていると、そうはならず、暗い雰囲気のまま司会者が“今回はこれで終わります”と挨拶し、“あらっ、これって、どうなったの?”と思ったまま、マジックが失敗したように終わってしまうのです。

このスプラッター映像は、子供が見れば“恐怖のトラウマ”が心に残っている筈です。












マジシャン



 体育の時間ジャージに袖を通したら、洗濯の時に母ちゃんのパンツが入ってたらしく勢い良く飛び出た。
お陰で中学のときのあだ名はパンティーマジシャンだった。











仕事納め





 廊下の角でおっさんと肩がぶつかり、俺は舌打ちしながら、おっさんをちょっと睨んだ。
席に戻り仕事をしていたら、上司が“社長が視察しにくるよ”と言って、初めて社長を見るのでどんな人かと思ったら、さっきのおっさんだった。
俺は気づかれないように、目を大きく見開き、口はアントニオ猪木のマネをして仕事を続けた。













大晦日




今年の大晦日もまた独りぼっちだった・・・orz

俺・・・バイト後、2chでガキの使い実況
友・・・彼女と合体
親・・・高級料亭で食事
姉・・・年越し合コン
弟・・・彼氏とディズニーでお泊り

また、お正月に家で一人お留守番する仕事が始まるお・・・。


弟アッ~~!


俺も話するわ。
ちょっと切なくなってしまうけど。
あれは、二年後の事だった・・・。

全米が泣いた。

ワロタwwwwwwwwwwwwww。

















除夜の鐘



 6年前、わたしは現在の家に引っ越してきた。
家の隣はお寺で、敷地を隔てる塀の向こうは墓地になっている。
隣が墓地なので平日は静かで良い所だ。
小さな寺ではあるが地域住民とのふれあいを大切にしているらしく、大晦日には近所の人たちがみんなで除夜の鐘を突きに訪れる。

 5年ほど前の大晦日、もうじき新年という時刻になって隣の寺へ出かけてみた。
境内の鐘突き堂には10人くらいの人が並んで鐘を突く順番を待っていた。
住職の奥さんらしき女性が長テーブルの前で訪れた人たちに甘酒をふるまっていた。
 わたしも甘酒をもらおうとした時、不意に横から初老の男性が手を伸ばして先に甘酒を受け取った。
順番くらい守ってほしい・・・そんな考えが頭をよぎり、わたしは何気なく男性を横目でにらんだ。
 ところが、男性は受け取った甘酒を飲む様子もなく、鐘付き堂の片隅に祭られたお地蔵さんの前へ供えた。

 よく見ると、小さなお地蔵さんの前には甘酒の入った紙コップが沢山供えられている。
この辺の風習なのだろうか、とにかく年齢層の高い人たちは皆このお地蔵さんに甘酒を供えているようだった。

 境内にはそれほど大勢の人はいなかった。
だが人波が途切れることもなかった。
鐘を突く数が108つという決まりもないらしく、ポツリポツリとやってきては甘酒を飲み、あるいはお地蔵さんに供え、鐘を突いて帰って行く。
そんな光景を本堂の階段に座って眺めていると、隣の家に住む旦那さんがわたしに声をかけてきた。

 しばらくその旦那さんと世間話をして、家に戻ったのは午前2時過ぎ。
その時間にもまだ鐘を突く人がいて、わたしは除夜の鐘を聞きながら隣家の旦那さんと一緒に帰路につき、玄関の前で別れた。

 正月が終わっていつも通りの生活に慣れてきた頃、隣家の奥さんと偶然玄関先で行き会った。
奥さんはわたしの顔を見るなり、

「 ちょっと待ってて下さい。」

と言って自分の家に駆け戻り、すぐに慌てた様子で戻ってきた。
そしてわたしに“おとしだま”と書かれたポチ袋を差し出したのだ。

この年令になって、おとしだまをもらえる訳はない。
 わたしが不思議そうな顔をしていると彼女は言った。

「 ごめんなさいね、お子さんがお産まれになったなんて主人から聞くまで知らなかったもので。」

当時、わたしに子どもはいなかった。
そう告げると奥さんは首をひねって答えた。

「 でも、主人が大晦日にお寺でお子さんを連れたあなたとお会いしたって言ってましたけど。」

 あとで隣家の旦那さんに会った時、ことの詳細を聞いた。
わたしが本堂の階段に座っていた時から、わたしの隣にはんてんを着た2才くらいの子どもが一緒にいたらしい。
その子はわたしと旦那さんが帰る時もずっと着いて来て、わたしと一緒に家に入って行ったという。
大晦日になる度にその気味の悪い話を思い出すのだが、去年の大晦日、やっとその子の正体が判明した。

 寺の鐘突き堂の片隅にあるお地蔵さん。
実は無縁仏の母子の霊を弔う為に祭られたものだという。
昭和の初め頃、この土地に貧しい母子がやって来て寺の鐘突き堂で死んだ。
どういういきさつかは判らないが、そこで行き倒れたのだ。
仕方なく無縁仏の塚に葬ったのだが、それからというものこの辺で悪いことばかりが続いた。
そこで母子の亡骸を鐘突き堂の片隅に移し、お地蔵さんを祭って手厚く葬ると悪いことは起こらなくなった。
その話しを知っている近所の年寄り達は今でも、このお地蔵さんに様々な御供物を捧げるのだと言う。

行き倒れた母子の子どもの年令はちょうど2才ぐらいだったという。
ちょっと信じられないが、あの時隣家の旦那さんが見た子どもはきっとその子に違いない。


















女性添乗員の話






(1)大分県Y温泉

会社の上司から聞いた話です。

この温泉郷のある老舗旅館には、
10年以上、毎年12月30日~1月3日まで逗留される
初老のご夫婦がいたそうです。

ご夫婦は毎年チェックアウトされるときに翌年の予約を入れ、
毎年同じ部屋で仲睦まじく年末年始を過ごされていたそうです。

ある年の事、
30日の4時頃、ご夫婦が旅館に到着されたんです。
顔馴染みのご夫婦という事で、女将がお部屋にお通したそうです。

しかし、
夕食時、仲居さんがお膳を持って部屋に行ったときには、
部屋には誰もおらず、ご夫婦の荷物も無かったのです。
女将が入室時に入れたお茶も手付かずのまま、
まるで初めから誰もいなかった様な部屋の様子なのです。

ご夫婦にいつもと変ったところは無く、
また、勝手に帰るような方々でもないので、
何かの事故、事件にでも・・・と思い、
旅館はご夫婦のご自宅に連絡を入れてみると
ご夫婦のお通夜が行われていたのです。

29日に夫婦して旅行の買物に出かけ、交通事故にあったというのです。

翌年12月30日・・・。
ご夫婦がいつも利用していた部屋には、
当然の事ながら別のご夫婦が宿泊していました。

その夜、
彼等は部屋の隅に立つ、
仲睦まじい初老の夫婦の霊を目にすることになったんですが、
その後も、
1月3日までの5日間の毎日、昼夜を問わず、
その部屋に宿泊した全てのお客様が、
初老の夫婦の霊に出逢う事になったんです。

時には部屋の片隅に立つ姿、
時にはテーブルでお茶を飲む姿、
そして窓際で楽しげに談笑する姿と・・・。

何ら害を加えてくるわけではないのですが、
いつも部屋の中にいるというのです。

その翌年、
十分なお祓いをした上で、
年末年始のシーズンを迎えたのですが、
やはり毎日のように初老のご夫婦の霊が現れたのです。

以来、
この老舗旅館では毎年12月30日~1月3日の間、
初老のご夫婦が利用したこの部屋は開かずの部屋となっています。

それ以外の日にご夫婦が現れる事はないと言います。




(2)宮城県N温泉郷

婦人会の旅行会で、お客様に伺った話。
今から20年近く昔の話だそうです。

そのお客様(奥様)が30才の年末年始。
高校時代の同級生3人と宮城県のある温泉旅館に来たそうです。
他の友人たちは早々と結婚して子供もいるのに、
彼女達3人は未だ独身。
当時では行き遅れの部類だったんですって。
(私・・・現代人で良かったぁ。)

・・・で、
クリスマスもお正月も誰も相手してくれないというので、
女3人の旅になったんだそうです。

のんびり温泉につかって、
美味しい食事を頂いて、部屋でくつろいでいると、
押入れの襖がガタガタと・・・。

「 風かしら?」

・・・と、
窓を確認したのですが、窓はちゃんと閉まってます。

「 おかしいわねー?」

でも、
しばらくすると、

ガタガタ・・・。

「 ちょっと・・何かいるんじゃない。」
「 ねずみ・・?」

で、
襖を開けてみたのですが、何もいません。

なのに、
襖を閉めて、しばらくすると、

ガタガタ・・・。

もう一度、襖を開けて確認。

「 やっぱり、何もいないわね。」
「 ちょっと、気持ち悪いわね。」
「 うん・・。・」

そう話しながら、襖を閉めると、また

ガタガタ・・・

今度は・・・と、
そぉ~っと、そぉ~っと、襖に近づいて、
一気に襖を、

バタァーン!!

すると
子連れ狼の大五郎みたいな5才位の男の子が
体育の三角座りをしていたんです。

「 イヤー!!」

彼女達3人は悲鳴を上げ、押入れと反対の壁際に逃げました。

すると
男の子が押入れから出てきて、
彼女達の目の前で、
楽しそうにスキップをしながら部屋の中を3回ほど回ると、
彼女達の前で立ち止まり、ニコッと微笑むとスゥーと消えたのです。

彼女達は
スグにフロントに電話して事情を話して部屋を代えてもらったそうです。

そして、
旅行から帰った彼女達・・・。

なんと、
1月中には全員に彼氏が出来て、
年内には全員結婚してしまったんですって。
3人共それまでほとんど男性と交際した事がなかったにもかかわらず

後になって、
あれは良縁を呼ぶ座敷童子だったのね・・と3人で感謝したそうです。

私も・・年末年始、
その旅館に泊まりに行こうかと・・・。
















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12月30日(日)のつぶやき

2018-12-31 07:57:18 | _HOMEページ_







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日々の恐怖 12月30日 鏡(1)

2018-12-30 17:24:07 | B,日々の恐怖






 日々の恐怖 12月30日 鏡(1)






 かなり変な話です。
2年前に85歳で死んだうちのジイちゃんなんだが、戦後の闇市を生き抜いてきた世代で、背中には見事な不動明王の入れ墨があった。
 このジイちゃんが死ぬ3年ほど前から半ボケ状態になって、自室で寝たきりで過ごすことが多くなった。
暴れたり徘徊するわけではないし、トイレには自分で起きてくるのでそんなに手はかからない。
食事の世話は俺の嫁がやっていたが、食はどんどん細くなっていった。
 それがある朝、家族がキッチンで朝食をとっているところに、背筋をのばして大股で歩いてきて、突然、

「 鏡を買ってきてくれ。」

と言い出した。

「 ジイちゃん、鏡は部屋に掛けるのか?
なんなら鏡台を持っていこうか?」

と聞くと、首を振って、

「 庭に据える。」

って言う。
 続けて、

「 俺はもう長くないから、あれが入ってこようとしている。
ひっ返させねばならん。」

こんな話になって埒が明かない。

「 あれって何だい、何が来るって?」 
「 ・・・・・・。」

返事が無いので、

“ まあいいか・・・。”

と思って聞いてみた。

「 鏡くらい、いいけど、どんくらいの大きさ?」

ジイちゃんは少し考えた後、手で50cm四方くらいを示した。
 俺は、

“ それで、ジイちゃんの気が済むのなら・・・。”

と思って、その日の仕事帰りにホームセンターで壁に掛ける用の鏡を買ってきた。














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日々の出来事 12月30日 星 新一とマタンゴ

2018-12-30 10:08:20 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月30日 星 新一とマタンゴ





 今日は、星 新一が亡くなった日です。(1997年12月30日)
星 新一はSF小説家で1000編以上の短編作品を残し、“ショートショートの神様”と呼ばれていました。
 星 新一は1926年、東京の本郷で星薬科大学の創立者で星製薬の創業者である星 一を父として生まれます。
地元で成長し旧制東京高等学校に入学、不愉快な寮生活を経験します。
 星 新一は、後年、この寮生活を“不愉快きわまることばかりで、いまでも眠る前に思い出し、頭がかっとなったりする。入ってみてわかったことだが、この学校はとてつもなく軍事色が強く、教師だけならまだしも、生徒たちの多くもそのムードに迎合していたので、うんざりした。着るものはもちろん、食うものもだんだん不足してくるし、学校は全部が狂っているし、まったく、どうしようもない日常だった。”と述べています。
 東京大学農学部農芸化学科を卒業後大学院に進学しますが、父である星一が急逝したため中退、経営が傾いていた星製薬を継ぎましたが破綻してしまいます。
破綻直後、病に臥せっている中でレイ・ブラッドベリの“火星年代記”を読んで感銘し、SF作家の道を歩み始めます。
 そして、星 新一は、三島由紀夫、石原慎太郎が参加していた“空飛ぶ円盤研究会”に参加、このとき知り合った柴野拓美らと日本初のSF同人誌“宇宙塵”を創刊、その第2号に発表した作品“セキストラ”が“宝石”に転載されてデビューを果たしました。
その後、日本SF作家クラブの創設に参加し、作家クラブの一員として多数の作品を発表することになります。
また、ウルトラシリーズの“ウルトラQ”の企画会議に加わりアイデアを提供、さらに特撮映画“マタンゴ”の原案を担当しています。





    特撮映画“マタンゴ”


 この映画は、ヨットで漂流し無人島に流れ着いた若者達の恐怖の体験を描いたホラー映画です。
それも、無人島に漂着したのですが、協力して脱出なんてどこ吹く風、自分のエゴを剥き出しにする人間の心の醜さを描いた映画です。
それに追加して、キノコを食べたら恐ろしいキノコの化け物“マタンゴ”になってしまうのです。
 天本英世がマタンゴ怪人で出てくるのですが、キノコなので天本英世とは分かりません。
もっとも、天本英世はノーメイクでも怪人の凄い人です。
映画のストーリーは言いません。
さて、何人がこの島から脱出できたのでしょうか?








  マタンゴ
















☆今日の壺々話










 星新一の年賀状


今年もまたご一緒に九億四千万キロメートルの宇宙旅行をいたしましょう。
これは地球が太陽のまわりを一周する距離です。速度は秒速29.7キロメートルのマッハ93。安全です。
他の乗客たちがごたごたをおこさないよう祈りましょう。

                     星新一







 星新一が尼崎在住の小松左京へ送った手紙



小松左京が星新一から手紙をもらうと、いつも宛先に「尻崎」と書いてある。

『 なんで「尻」なんて書くのだ。』
『 だって「七」より「九」のほうが大きいからいいじゃないか。』
『 バカをいうな、「七」、「七」と書くんだ。』

二度繰り返したのがまずかった。

次に届いた手紙の宛先は 「屁崎」。

















    全国各地にある“ありがたいもの”の発祥過程






 空想科学小説が好きな人が集まって開かれる“SF大会”という催しがあります。
元々はアメリカ発祥ですが、日本でも行われています。

2001年の大会で、映画“2001年宇宙の旅”に出てきた“モノリス”という黒い直方体が映画の描写に忠実に再現されて会場に飾られました。

始めのうちは単なるモニュメントであり、記念撮影や待ち合わせに使われていましたが、そのうち誰かが願い事を書いた名刺を根元に置きました。

それに気付いた人が同じように名刺を置きました。
次に、小銭も置かれるようになりました。
何時の間にか賽銭箱が置かれ、御神酒や御供物が周りを埋め始めました。

次の日、注連縄が掛けられました。

銀色の風船が周りの空間にも供えられ、御神体と化したモノリスには願い事を書き込んだ名刺が絵馬のように突き刺されるようになり、賽銭を投げ入れ、柏手を打ち、何かを祈念する姿も見られるようになりました。

そして、それは、いつしか“モノリス大明神”と呼ばれるようになりました。

日本人は、こんなのが大好きな民族です。















お見舞い




 ジョンは、病気で入院している友人のハリスのお見舞いに行った。

「 ハリス、どうなんだ?具合のほうは?」
「 う…、ぐ…。」

体中のあちこちにチューブでつながれたハリスは、満足にしゃべることもできなかった。

「 気の毒になぁ……。
おい、息子さんに何か伝えたいことがあったら、この紙に書いてくれ。
俺がちゃんと持って行くからな。」
「 ぐぅっ!!!」
「 どうした!ハリス!どうした!」

彼は急いで走り書きしたかと思うと、急にぐったりし、そのまま帰らぬ人となってしまった。


 お通夜の日、ジョンはハリスの息子に会った。

「 ハリスは死ぬ直前にこれを残した。
よっぽどあんたに伝えたかったらしい。」
「 え……、これが僕への伝言ですか?」

その紙には、こう書いてあった。

『 酸素チューブから足をどけろ 』


















天国の控室





 ここは通称「天国の控室」、正式名称は「国立終末介護医療センター」である。
比較的裕福で身寄りの少ない重病患者が、終の棲家として選択する医療機関だ。
ただ、すでに危篤状態になっている患者はここに入院することは無い。
なぜなら、寿命を全うするまでの期間、たとえそれが数日であろうと、本人の意思で至福の時間を過ごす事を目的としているからだ。
 人によっては数年間の長期入院になる事もある。
幸せな時間を1日でも多く過ごしたいという欲求が、その命を永らえるのかもしれない。
N氏もそんな患者の一人であった。

「 Yさん、ちょっとこちらへ来てくれないか。」
「 はいN様。」

そう応えたのは、N氏が入院してからずっと付きっ切りで介護してきたY看護婦だった。

「 もうどれくらいになるかな…。」
「 約4年7ヶ月になりますわ。
正しくは4年6ヶ月と28日8時間46分…。」
「 ははは、君はいつも正確無比だな。」
「 恐れ入ります、N様。」
「 私にはもう近々お迎えが来る。
君には本当に世話になった。」
「 そんな気の弱いことをおっしゃってはいけませんわ。」
「 いや、分かるんだよ、自分の事は。」
「 N様がそんな気持ちになってしまわれると、私が担当の先生に叱られます。」
「 そんな医者、私が怒鳴りつけてやる!わっはっは。」
「 うふふ…、患者様から気を使われるなんて、看護婦失格ですわね。」

「 ところで、私が死んでからの事なんだが…。
私にはこれまで苦労の末築いた財産がある。
それを君に相続してもらうわけにはいかんだろうか?」
「 唐突なお話ですのね。
しかし私には財産をいただく権利はございません。
それにN様もご存知のように…。」
「 そう、君はロボットだ。
だが、ロボットが相続してはいけない法律はないだろう。」
「 いいえN様、法律の問題ではなくて、私にとってはその財産が無意味なのですわ。」
「 そうなのか、私の財産は君には何の価値も無いということなのか…。」
「 申し訳ございません、私には物の価値を認識するデータがプログラムされていないのです。」
「 …確かにな、金や不動産や贅沢品は人の欲望が造り上げた物。
君には無用か…。」
「 ご好意には感謝いたします。」

「 Yさん、今だから言えるが、私は起業には成功したが良い家庭は築けなかった。
家族ほったらかしで仕事に没頭し、愛想をつかした妻は一人息子を連れて家を出て行った。」
「 そうだったのですか。」
「 だが、今私はとても幸せだ。
君のお陰で最高の死を迎えられそうだよ。」

その時、一人の男性が病室に入ってきた。

「 お、お前は…。」
「 父さん、久しぶりです。」
「 今更名乗りをあげても、お前達には財産はやらんぞ!」
「 父さん、母さんはもう5年前にここで亡くなりました。
最期まで父さんを愛していましたよ。」
「 そ…、そんな人情話は通用せん!」
「 僕は財産が欲しくてここに来たんじゃありません。
本当のことを、お話しに来たのです。」
「 何だと?」
「 母さんは家を出たあと、大変な苦労をして僕を育ててくれ、大学にまで入れてくれました。
お陰で僕は思う存分自分の好きなロボット工学の勉強をすることができました。」
「 ロボット工学…。」
「 そうです。
実は、この施設の介護ロボットはすべて僕が開発したものなんです。」
「 では、このYさんも…。」
「 ええ、今まではロックがかかっていたので、お話できませんでした。
申し訳ございません。」
「 父さんは先程、彼女のお陰で幸せだと言っていましたね。
どうしてだか分かりますか?」
「 ああ、彼女は親切でよく気が利いて私の好みも分かってくれていて、まるで…。」
「 まるで?」
「 …かつての私の妻のように…!」
「 そうです、Yには僕の覚えている限りの母さんの性格やしぐさをプログラミングしてあります。
ただ、父さんの好みまでは僕は知りませんが。」
「 そ…、そうだったのか。」
「 母さんは本当に最期まで父さんを愛していました。
これを聞いてください。」

息子はY看護婦の耳たぶにそっと触れた。

「 お父さん、お久しぶりです。
もう、お互いに昔の事になってしまいましたね。
あの時は突然出て行ってしまってごめんなさい。
ご苦労されたでしょうね。」

Y看護婦はN氏の妻の声で話し続ける。

「 お父さんのお仕事の邪魔になってはいけない。
私達が出て行かなければいけないって勝手に思い込んでしまって。
でも大成功されたんですものこれで良かったんだと思います。
私が先に逝くことになってしまったけれど、本当に愛していました、さようなら…。」

 その後、幾日かしてN氏は天寿を全うしこの世を去った。
病室には1通のメモ書きがサインを添えて残してあった。

『遺言 私Nの全財産を Y看護婦の開発者に贈与する』
















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12月29日(土)のつぶやき

2018-12-30 02:59:24 | _HOMEページ_
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日々の恐怖 12月29日 ご神木

2018-12-29 20:13:07 | B,日々の恐怖





 日々の恐怖 12月29日 ご神木





 うちの叔父は土建屋やってて、いわゆる“ご神木”を処理したことがあるんだが、帰る途中で事故起こして、神木を処理した重機はめちゃくちゃになった。
 重機に乗っていた叔父も事故で骨折+指3本車体に挟まれてもっていかれたうえ、その後から奥さんが乳がん・甲状腺がん・胃がんを繰り返して結局死亡した。(ちなみに転移じゃなく、それぞれ別の癌らしい。)
 息子も事故に巻き込まれて人工関節をいれたし、後遺症でかなり長く苦しんだり、もやもや病で現在も定期な検査が必要だ。
その後、息子は長く付き合っていた恋人と結婚したんだが、生まれた子供は上が生まれつき心臓に疾患もちだった。
 下の子は3歳の検診の時に耳の異常で引っかかって真珠腫と診断を受け、摘出手術をしたけど、数年後に再発した。
難聴で耳が聞こえづらく、顔面麻痺まで併発していて水もうまく飲めない。
 あまりにも不幸が続くので、周囲からお祓いをすすめられたこともあるらしいが、

「 馬鹿らしい。」

と言い聞く耳もたない。
 本人だけならともかく、家族や孫にまで影響がでてる。
その肝心の叔父は、現在食道ガンで闘病中である。












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日々の出来事 12月29日 南方熊楠の記憶力

2018-12-29 10:38:00 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 12月29日 南方熊楠の記憶力






 今日は、南方熊楠が亡くなった日です。(1941年12月29日)
南方熊楠は、博物学者、生物学者、民俗学者で“歩くエンサイクロペディア”と言われています。
これは、子供のころから驚異的な記憶力を持ち、蔵書家の家で100冊を越える本を見た後、家に帰ってからそれらをすべて書写した逸話からも分かるように、膨大な知識を記憶し頭に溜め込んでいたからです。
また、語学が非常に得意で、英語、フランス語、ドイツ語、サンスクリット語等、19ヶ国語の言語を理解していました。
 1887年アメリカに渡り、ミシガン州ランシング市州立農大に入学するも、酒豪であったため寄宿舎での飲酒を禁ずる校則を違反して自主退学、その後、新発見の緑藻を科学雑誌Natureに発表、次にキューバで採集旅行し石灰岩生地衣グァレクタ・クバーナを発見、サーカスに入団し中南米旅行、イギリスに渡り大英博物館に就職、1900年に和歌山に帰って来ました。
 和歌山に帰ってからは、粘菌新属“ミナカテルラ・ロンギフィラ”を発見するなどの業績をあげる中、1906年に布告された“神社合祀令”について、生態系が破壊されてしまうことから反対、自然保護運動を展開し、この活動は2004年に世界遺産にも登録された熊野古道が今に残る端緒ともなっています。
 南方熊楠と交流のあった人は、地衣類学者カルキンス、ディキンズ、孫文、柳田國男、江戸川乱歩等が挙げられます。
また、飼っていた猫の名前は一貫して“チョボ六”です。









  南方熊楠
















☆今日の壺々話









     記憶無し




 ひどい二日酔いで目を覚ましましたジャックは、記憶が無くどうやって家に帰ってきたのか覚えていなかったので、何か悪いことはしなかったかと思い返しました。

 最初に目に入ったものは、サイドテーブルの上にある頭痛薬2錠と水でした。
その横にはバラの花が1本添えてあります。
不思議に思い起き上がってみると、彼の服がきれいにアイロン掛けされて置いてあります。
あたりを見回しました。
全てがきちんと整っています。
部屋もとてもきれいで、部屋以外も掃除が行き届いています。

 とりあえず二日酔いの頭痛薬を飲み、洗面所に行きました。
鏡を見てみると、昨日まで無かった大きな青アザが出来ていて驚きました。
鏡の片隅にはメモがあり、赤く小さなハートマークとキスマークと共にメッセージが添えられていました。

「 あなた、朝食はストーブの上よ。
あなたの大好物の夕食を作るためにスーパーに行って来るわ。
愛してるわ、ダーリン!」

 よたよたとキッチンまで行ってみると、確かにストーブの上に湯気の立ったコーヒーと朝食がありました。
息子がちょうど朝食を食べていたため、ジャックは尋ねました。

「 昨日はいったい何があったんだ?」

息子は言いました。

「 父さんは朝方の3時に帰ってきたよ。
すごく酔っ払ってた。
コーヒーテーブルのところで転んでテーブルを壊しちゃったんだ。
それから廊下で吐いてたよ。
そのままドアにぶつかって目に青タンが出来たんだよ。」

ジャックはますます困惑して尋ねました。

「 じゃあどうして家の中はこうパーフェクトなんだい?
いつもはないバラの花と朝食がパパを待っているんだ。」

息子は答えました。

「 ああ、それね。
昨日ママがパパをベッドに引きずって、ズボンを脱がそうとしたんだよ。
そうしたらパパが突然叫んだんだ。
“触らないでくれ!オレには妻がいる!”ってね。」

















医者の記憶力





 10年以上前に大病して手術したときの病院に、同じような部位の別の病気の疑いでかかりに行ったら、手術のときの執刀医が担当になって、こっちも名前はともかく顔は覚えてなかったし、向こうもカルテの病歴とかみても、ふーん、って覚えてないふうだったのに、

「 どれ、まずはエコーで診ましょう。」

って、その部位を出したら、術痕見て、

「 あ~!あーあー!」

ってなって、あのときはどーも、いやぁあれはけっこう今お元気そうだから言いますがあけたら大変で云々と、昨日のオペのように話し出したのにはびっくりした、ということがある。
ほんと、医者って患部以外どーでもいいんだな、と思った。


 笑っていいのかわからないけど、ごめん、ワラタ。
傷跡で全部思い出すんだね。
その後どうでした?同じ部位の具合は。


 隣の臓器をおかしくしたんだけど、それは投薬で完治可能で投薬中。
大病については再発なく安定。
術痕もそうだけど術痕のわきに生まれつきのうすいシミがあったりしたのも記憶にあったかもしれないな。
 エコーでもなんだか懐かしそうに大病した臓器のほうを投影して「うん、いいですね、うん」とか言ってたな。
具合悪いのそっちじゃないっつーの。
おまけに「お元気そうで~」とか。
元気じゃないっつーの。
まぁ深刻な病状じゃなかったけどさ。


 歯医者でも、ほったらかしの虫歯いっぱいとかで恥ずかしいと患者が思ってても、歯医者の方は充分そんな口内見慣れてるし、逆に綺麗にしてやるぞ!ってやる気が出るとか。


 自分が執刀したなら、自分の作品みたいなものなのかな。
一つ一つ全部の症例覚えてるとも思えないから、特に大変だったのかもね。
薬で完治出来るそうで良かったです、お大事にね。


確かに歯科医の先生がそうだった。
患者の名前を出しても『誰?』と。
カルテ見せてレントゲン写真を見た途端『あー!あの人ね!』。
口の中しか見てないんだな、と思った。


作品といえば作品だな。


 脳外科医だけど、半年もたつと特に女性は化粧やら、髪が伸びて、(緊急だとすぐバリカンで丸坊主にしちゃうので)、外来で会ってもすぐには思い出せないこともあります。
意識状態によっては会話もあまり無いですし。
 画像(CT、MRI、脳血管撮影)なんかをみると、「ああ~、あのときの!」ってすぐ思い出しますけど。


 教授や部長クラスの先生は、自科の入院患者30人近く大抵覚えてるよ。
名前で、あ~〇〇の患者さんねって大抵なる。


顔や名前は忘れても患部覚えててくれる医者っていいと思うよ。


 学生時代に東京で新聞配達やってて、先週20年ぶりに出張で上京したから、一日前泊取って毎朝チャリこいでた町内を散歩して見た。
…配達ルートはあんま覚えてなかったが、ドアやポストは意外なほど覚えてたなw
「あ~あ~こんなボロポストだったw このドア20年前から変わらねーwww」
こんな感じ。
学生時代4年間世話になった、当時で築30年超だったボロアパートは更地になってたな。
大家の爺さん当時70超えてたから亡くなったんだろう。
蔦だらけの壁のボロアパート思い出してちょっと泣けた


 むしろ、こういうふうに病気のことだけ覚えててあとは忘れてほしいな。
うっかりばったり会ったとき、
“ あっ!コイツの痔はすごかったなあ~~!”
とか思い出されたくないもん。


 うちの病院だと一人の先生が500~700人くらい患者さんを持っている。
「よく覚えきれますね」と聞いたら、「覚えきれるわけないだろう」とアッサリ返された。
じゃどうやって?
先生によるとカルテを見ると全部思い出すそうな。
患者の身の上話やら過去の経緯とか。
 これが不思議とコンピュータの電子カルテだと思い出せないとか。
お陰でうちの病院は未だに紙カルテです。
ただ、この院長決してコンピュータが苦手ではないというか大好き。
院長室の机の三方にコンピュータを配置し、まるでエンタープライズの指揮室。
 ただ院長、確かに私はコンピュータ好きですが、勝手にサーバー管理者やネットワーク管理者にしないで下さい。
ネットが繋がらないからと電話で呼び出さないで下さい。
保険請求の締め切り明日何です。
今、修羅場なんです。


 ごめん、俺もこれだわ。。。
顔と名前で覚えてない。
外傷で覚えてる。。。


いいお医者さんじゃないか。


 何年も前の手術を傷跡で思い出せるほど手術に全神経集中させてるんだろ。
いい事じゃないか。


むしろ、こういうプロ臭のする医者を選びたい。


お元気そうで~って、大病した臓器に言ってんだろな・・・。


















同級生の記憶





 夏の同窓会であった一件。
小学校の同級生達とだったんだけど、うちの小学校は田舎なので各学年一クラス。
人数も三十人程度で六年間一緒だから、なんというか全員幼なじみみたいなもん。
当然ある程度の水準でみんな仲良かったといえるくらいのクラスだったんだけど。

 そんなクラスの実に十数年ぶりの同窓会でのこと。
六年間同じメンツだったんだけど、毎年転校してくやつ転校してくるやつが、それぞれひとりふたりくらいいたんだ。
そんな転校生達のなかの一人の話。
 彼女は記憶してる限り、二年の二学期頃、変な時期に転校してきた。
普通の可愛い子で、明るくよく笑うし、すぐにクラスにも馴染んだ。
女子とも男子とも仲良くて、放課後遊んだりしたことも結構あったし、彼女の家に友達何人かで遊びに行ったりとかも勿論してた。
 彼女はその後、四年だか五年の時に親の仕事の都合で転校していった。
さすがに転校先までは失念してしまったけど、どっか遠方だったと思う。
それで、友達も多くて人気もあったから、ずっと覚えてた彼女の事を、

「 あの子どうしてるかね~。」

って、ぽろっと言ったら場の空気が変わった。
変わったというか、正確に言うと、反応がまっぷたつに分かれた。

「 あーいたね!どこに転校したんだっけ?」
「 可愛かったよね、今どんなんなってるんだろ?」

みたいな連中と、

「 誰?転校生?いたっけ?」
「 いやいやいや二年の時は転校生一人もいなかったろ。」

っていう連中に二分された。
俺含めた半分くらいは、

“ 何言ってんだ、こいつら?”

みたいな感じだった。
まあ残りの半分も同じような感じだったんだけど。


 それで不思議なのが、俺は普通に仲良かったから当然だろうけど、別段仲が良いって訳でもない連中が彼女の事しっかり覚えてたり、逆にむちゃくちゃ仲良くていつも一緒にいたろレベルの女子が全く覚えてなかったり、単純に印象が薄いとか関わりがなかったとかで言い切れない感じだったんだ。
 それでまあ当然のように学級委員が持ってきてた卒アルを出してきたんだけど、当然彼女は途中で転校しちゃったから卒アルには載ってない訳で、他の日常スナップにも写ってない。
(いなくなった子の写真は載せない方針だったようで、他に途中で転校した子も同じ扱い)

 で、こうなってくると明確な証拠がないので“いなかった組”がほらみろ、みたいになった。
でも、

「 実際、俺等は覚えてるし、彼女の両親に会った事もあるし、家の場所まで覚えてる。」

ってとこまで話がすすんだ所で、ふと思い出したんだ。

「 そういや、彼女が住んでた家の場所は今更地になってるよね。」

そこからまた更に話がこじれた。
 彼女のことを覚えてる組はその事を知ってるし、賛同するんだけど、そうでない連中がみんな一様に「?」って顔するもんだから、

「 どこそこの角曲がって抜けた所だよ。」

って説明したら、

「 あー確かに今更地だけど、あそこは前神社だったじゃん。」

とか言い出す。

「 いやいやあそこは彼女が住んでた借家があった。」
「 いやずっと神社だし。」
「 んなわけあるか、この辺の神社は○○と○○と○○だけだろ。」
「 いや、でもあそこの神社でよく遊んだよ、ねえ○○ちゃん?」

そんな議論が続く続く。


 で、結局そこでああだこうだ言ってても仕方ないし、とりあえず後で調べてみるかー、って事で、ちょっともやもやしたままその話は終わり。
そのあとは二次会組だ何だに分かれて解散になった。

 俺はそのあと調べてみたんだけど、というかわかる範囲でだけどね。
まとめると

・彼女の家があった場所は確かに更地で、家は確実にあった、写真があった。

・彼女は卒アルには写ってなかったけど、各年度ごとに出す文集には名前があった。
(四年の終わりに出した文集にまで名前があったのでそこまでは確実にいたはず。)
(白黒印刷で鮮明ではないけど集合写真に彼女も写ってる、文集の人数とはあってる。)

・親とばあちゃんに聞いたけど、更地の所に神社が建ってたことはないとのこと。
(そもそも神社ってそんな簡単に取り壊したりするのか?)

・意外だったのが覚えてた連中、誰一人として転校先だけはっきり覚えてない
(ドタバタで転校していった訳ではなくお別れ会的なものをやったのは覚えてる。)

・覚えてない奴らはみんなしてあそこは神社だったと主張する。
(ちいさな公園が隣りにあって遊具がどうのという所までだいたい一緒の証言)


とまあ、大体そんな結論に軟着陸したけど、なんとなく釈然としない。
家が写ってる写真は、その内覚えてない組に見せようとは思ってる。
連絡は取ってないけど多分覚えてない連中も文集見て彼女の実在を確認してるとは思う。
それでも「?」みたいな感じなんだろうけど。

 あと転校してきて、そのままこっちずっといて卒業したヤツ(こいつは覚えてた組)が、ぼそっと、

「 もしかして、俺がこうなってた可能性もあるのか…。」

とか言ってたのは、ちょっと笑った。

まあそんな長い割にオチのない話でごめんよ。

『 大○明○ちゃん、今どこにいますか?元気にしてますか?』
















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12月28日(金)のつぶやき

2018-12-29 07:57:04 | _HOMEページ_





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日々の出来事 12月28日 ボレロ

2018-12-28 09:45:19 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 12月28日 ボレロ






 今日は、ジョゼフ・モーリス・ラヴェルが亡くなった日です。(1937年12月28日)
ラヴェルは、ピアノ曲“亡き王女のためのパヴァーヌ(1899年)”、バレエ音楽“ボレロ(1928年)”などで知られたフランスの作曲家です。
 ラヴェルは、フランス南西部にある町シブールで生まれました。
家族と共にパリへ移住した後、音楽の道へ進むことを決意しパリ音楽院に入ります。
パリ音楽院で14年間学ぶ中、質の高い作品でローマ大賞に応募しますが、年齢制限により最終選考から外され、ガブリエル・フォーレやロマン・ロランなどの抗議によりパリ音楽院院長のテオドール・デュボワが辞職に追い込まれるラヴェル事件が起こります。
その後、何回か応募はしますが、結局、ローマ大賞受賞には至りませんでした。
それでも、この過程でラヴェルの作品群は高い評価を得てヨーロッパで広く名前が知られるようになりました。
 1928年には、ラヴェルはピアノ演奏旅行で初めてアメリカに渡ります。
このときのラヴェルの演奏旅行は各地で非常に好評で、ニューヨークではスタンディングオベーションの絶賛を受け、オックスフォード大学から名誉博士号を受けました。
 晩年は不運で、1932年にパリでタクシーに乗っているとき交通事故に遭い、記憶障害や言語障害を起こして不自由な生活を強いられました。
そして、このことが原因で徐々に体調が悪化、1937年12月28日に亡くなりました。







ジョゼフ・モーリス・ラヴェル
















☆今日の壺々話








     ボレロ



 モーリス・ラヴェルの代表作の“ボレロ”は、同じリズムとフレーズが楽器を変えながら何回も繰り返され(フルート→クラリネット→サックス→トランペット)、段々と強く大きくなり最後には全楽器による壮大なフィナーレを迎える名曲です。
ラヴェルはこれを“音楽のないごく単純な譜面”と表現していました。
 ボレロの初演は1928年11月22日にパリのオペラ座でありました
演奏を聴き終わった女性が“作曲者は狂っている!”と言ったとき、ラヴェルはニヤッと笑って“彼女こそ、この曲の真の理解者だ!”とコメントしました。















オシャレして舞台を観に行った





昔、舞台を見に行ったら山賊の手下役と自分の着てる服が丸被りしてた事があった。
一張羅だったのに!




どんな服なんだよ。


山賊の服装?
イメージ的に金正男みたいな感じかな?
結婚式の二次会とかに若い女が良く着ていってるような、半袖で丈の短いファーボレロとかじゃね。
陰で「マタギ」と言われる格好。


物語に感情移入できて一石二鳥だな!


どんな一張羅。


毛皮のチョッキかジャンバーみたいなやつか。


斧を持たせたい。
なんかこう、毛皮のおしゃれっぽいチョッキ(わざと)みたいなのを着てたんじゃなかろうか。


毛皮のベストだな。
俗に木こりとかマタギと呼ばれている。
しかし、女なのにそれを嬉々として報告するなよ。


あぁ、たぶんファーベストとかの「マタギ」ファッションだったんだろうな~。
さっき昼食からの帰りに、マタギベストに加え、ファーでモサモサしたブーツ履いてる女学生をみた。
ワイルド~。


カットソーに紐の編み上げが付いてるやつじゃね?
しまむら、とかに売ってるやつ。


あれは・・・、ブルーザー・ブロディ!?


わろた。

















面接でドアをノックした時






面接の時、トントントトントトトントトゥントゥン!ってノックしたら、
向こうからトトントトトントトントトトゥントゥクトゥン!って返ってきて、
そのあと壮絶なセッションになった。
結局ドアは開けずに帰った。




つっかえ棒ポールがしてあったんじゃね?


モールス信号だと思った。


ボレロのリズムで再生されたのは私だけではないはず。


一週間後、合格通知が届いたというオチを期待してた。


ノックがすぐに返ってきた、とは書かれてないんだな。
ちょっと間が空いてから返ってきたのかもよ。
普通に歩いてドアの前まで来たんじゃね。


トゥントゥクトゥンの打ち方が気になる。


気さくに立ってドアまで来てくれたのか、いい会社な気がする。


面接受けろよ~。















     トラウマ



「 フィギュアスケートって、すげ~なァ。
安藤美姫、氷の上でクルクル回ってる。」
「 そ、そうだな・・・。」
「 ん・・、おまえ、何ソワソワしてんだよ。」
「 こ、これ、ラヴェルのボレロだ。」
「 それがどうかしたのかよ?」
「 これ中学の掃除の時の音楽。」
「 そうなのか~。」
「 ホ、ホウキ持たなきゃ・・・。」
「 ホウキ?」
「 ホウキ持てば、セーフ。」
「 持たなければ?」
「 アウト、担任のゴリラにやられる。」

















音楽室




 中学校の頃の音楽室での話。
音楽室の後方の壁に食器棚のような棚があって、普段はカーテンがかかっているんだが、中を覗くと、すごい古い誰かの手書きの楽譜とか、完全に色が変色した古い教科書、日付を見ると昭和34年とかの資料といった、どうやら授業ではもう使わないけど、捨てるに捨てらんない系らしきものが色々入っていた。
 右下が引き出しになっていて、中にはやはり古いカスタネットや笛のようなもの、あとボロッボロに錆びて完全にこげ茶色になっているトライアングルが入っていた。
 この音楽室には噂があり、6時を過ぎてからこの音楽室でこの茶色のトライアングルを3回鳴らすと、壁に貼ってある作曲家の肖像画の目線が一斉に凝視してくるというものだった。

 ある日、友人のAが女子達とこの話で盛り上がり、すっかりテンション上がったAが、これを試して、どうなったかあとで報告してやると言い出した。
一人でやっても証拠が無いからっつって、Aと同じくバスケ部だった俺がどうしても一緒に行ってくれと言われ、ついて行くことになった。

 この音楽室には普通の教室と同じくドアが2つある。
黒板側と後ろ側。
後ろ側のドアのところは、木琴と鉄琴が置いてあって足の踏み場があまり無いんで、授業で出入りする時も生徒は黒板側しか使わない。
後ろ側のドアは常時鍵がかかっている。
 放課後、音楽の先生が黒板側のドアは必ず鍵をかけてチェックするが後ろ側はしない。
コーラス部の人に頼んで後ろのドアの鍵を開けといてもらえば、先生のチェックを逃れて後ろ側のドアを開け、木琴とかもちょっとずらせば中に入れる。

 そんなわけである日、練習終わったあと中に進入。
初夏の頃だったので、6時でもまだ結構明かるかった。
 俺ははっきり言って怖かったので他の部員も誘いたかったが、Aはそれをやると反対する奴が居そうでヤダというから結局2人っきり。
引き出しからトライアングルを取り出し、Aが鳴らす。

チーン、チーン、チーン。

おそるおそる肖像画を片っ端から確認する。
どうやら変化は何もない。
 3打目のトライアングルの残響も止み、黒板のところの時計の秒針しかきこえない。
俺はこの雰囲気だけでなんか怖い。
音楽室の空気が一気にずっしり重くなったような気がした。
Aは全然怖がってない。
“何も起こらないのかなー”と顔に笑みを浮かべ、さらにトライアングルを鳴らす。

チーン。4打目。   
チーン。5打目。

俺はびびりつつAの様子をずっと見てた。

チーン。6打目。

6打目は唐突にAがトライアングルを手で握って音を止めた。

「 出よう。」

Aがトライアングルを席に置き、俺の袖を引っ張りドアのところに引っ張って行く。
その顔に笑みは無い。

「 どうした?」
「 いいから。」

Aはそこそこ強い力で俺を音楽室から廊下につれ出した。

“ こいつは一体何を見たんだろうか?” 

音楽室からは出たので、もういいかと思って、

「 えっ、何、何、なんか出・・・。」
「 ちょ、(ヒーッ)。」

Aは俺の『出た』という単語を止めたかったのだとわかった。
が、取り乱していて呼吸が整わず、(ヒーッ)と息で音を立てただけだった。

“ 怯えている。
まじで、Aが怯えている。”

様子が尋常じゃないので、俺は“だいじょうぶ、だいじょうぶ、どうってことねー”ってとか励ましつつ、一緒に学校を出た。
 そのままAには何も説明させず、とにかく公園まで行った。
ベンチに座り、Aが落ち着くのを待つ。
ここからは学校は見えない。
俺は、音楽室にトライアングルを放り出して来てしまったことを思い出した。

 Aはしばらく顔面蒼白で、俺もどうしたらいいのかわかんなかったけど、犬の散歩のおっさんが一人通り過ぎたのをちらっとAが見たので、これをきっかけに聞いてみた。

「 俺、何も気付かなかった。
どの絵が動いたの? 
ベートーベン?」
「 ・・・ビタワン。」
「 え?」
「 だから、ビタワン。」

 黒板側の窓際には、何やら書類の入った袋がいくつかあり、そのうちの一つが何故かペットフードのビタワンの一番大きなサイズのビニール袋だった。
それにプリントされた犬の絵が目が真っ赤で、じ~~っと視線を動かしAを凝視していたらしい。
 これを聞いて、家に帰ってから疑わしくなった。
Aは俺を怖がらして、その様子を笑いにするために演技してんじゃねーかと思った。
次の日学校に行ったら、俺がびびっていた様子を言いふらしてネタにするパターンか? と。

 しかし次の日、どうもAは誰にもこの話をしていなかった。
同行した俺のほうが、女子から昨日どうなったのと訊かれる。
 やがてトライアングルを放置したことから侵入がばれた。
と言っても俺が一緒だったことはバレず、職員室にAだけ呼ばれて怒られた。
その際、音楽室で見たことを全てAが話した上で、Aの頼みで先生はビタワンの袋をやめて別の袋にした。
あれはもしかするとマジだったのかも知れない。
今も俺は、ビタワンのデザインがちょっと怖い。
















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12月27日(木)のつぶやき

2018-12-28 07:54:11 | _HOMEページ_








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しづめばこ 12月27日 P540

2018-12-27 20:15:37 | C,しづめばこ



 しづめばこ 12月27日 P540  、大峰正楓の小説書庫で再開しました。


小説“しづめばこ”は読み易いようにbook形式になっています。
下記のリンクに入ってください。
小説“しづめばこ”



大峰正楓の小説書庫です。
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日々の出来事 12月27日 ピーターパンとピーターパンシンドローム

2018-12-27 10:26:04 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 12月27日 ピーターパンとピーターパンシンドローム






 今日は、ジェームス・バリーの童話劇“ピーターパン”がロンドンで初演された日です。(1904年12月27日)
ピーターパンはイギリスの作家ジェームス・マシュー・バリーの小説“ピーターパンとウェンディ”の主人公である少年の名前です。
 ピーターパンはロンドンの公園で乳母車から落ちましたが、ベビーシッターが見つけられず迷子となって年を取らなくなります。
そして、ネバーランドに移り住み妖精のティンカーベルや親とはぐれて年を取らなくなったロストボーイ等と共に、敵役の海賊のフック船長やインディアンのタイガーリリーと冒険の日々を送る物語です。
 この物語の中でピーターパンの仲間には子供しかいないのですが、どうして子供しかいないかと言うと、原文では“子供たちが大人になったようなときには、それは規則違反なので、ピーターは彼らを間引いた”とあり、実はとっても怖ろしいお話なのです。

 アメリカの心理学者ダン・カイリーは、ピーターパンを“無責任で・反抗的で・怒りやすく・依存的で・ずるがしこく、そして価値観が世間一般のものや法律を飛び越している”と捉え、精神疾患としての概念“ピーターパン症候群”を唱えました。
ピーターパン症候群は“成長する事を拒む男性”として定義され、対象者は言動が子供っぽいという事のほかに、精神的・社会的・性的な問題を抱え、人間的に未熟でナルシズムに走る傾向を持っていると言われています。









  ピーターパン














☆今日の壺々話










 ピーターパンシンドローム(ピーターパン症候群)の女性向け説明




 大人の年齢に達し身体は立派な成人なのに、精神的に大人になれない、というよりは、大人になることを拒んでいる男性です。
こうしたパーソナリティを、1980年代初頭に米国心理学者ダン・カイリーはピーターパンシンドロームと名づけました。
精神医学の正式用語ではありませんが、パーソナリティ障害に似たコンセプトと言えるでしょう。


(1)ピーターパン症候群とは?

 表面的にはプライドが高く立派な大人のように見えても、内心、非常に傷つきやすく臆病な男性。ピーターパン症候群には次のような特徴がみられます。

・12~50歳の男性。
・無責任、不安、孤独感、性役割における葛藤の基本症状を抱えている。
・人生において漠然とした不平不満を持っているが、自分はノーマルだと思っている。
・成長した大人を演じようとし、第一印象はよく、深く知らない人には好感をもたれやすい。
・結婚して父親になり安定した仕事は持っていても、人生は退屈だと絶望している。
・45歳ころから憂うつや苛立ちの症状が強く表れ、それまでのライフスタイルに反抗する
・デートは年下や幼い印象の女性を好む。結婚後は家庭よりも友だちを優先する。
・若いころは職を転々とし必要に迫られなければ働かない。立派なキャリアにあこがれるが努力を嫌う。
・年長になると仕事人間が増える。
・豊かな家庭で育った長男に多い。父親はデスクワーク、母親は専業主婦のケースが多い。
・パーティ好きで、騒ぐのが好き。

 人当たりは悪くないけれど未成熟で、積極的に社会に適応していこうとはしないパーソナリティです。
その原因には、経済的な豊かさとこれに反比例する精神的な貧しさや、両親の不和といったことがあるようです。
このことは、1980年代のいわゆるバブル期を象徴する文化でもありました。


(2)自己愛と男尊女卑へ向かうピーターパン症候群の基本的な4つの症状は?

・無責任
過保護に育てられて、自分は特別と思っている。でも、さまざまなことを訓練していないので、自分に自信がない。

・不安
両親の不和、子どもの頃からの家庭の緊張感、温かいコミュニケーションの欠如、遊びと仕事のアンバランスなど、両親の結婚生活の悪影響で不安になっている。

・孤独感
経済的に豊かな家庭で育っているので、働くことへの価値観が崩壊し、時間を持て余している。そこで、流行を追いかけ、たくさんの友だちを作って仲間外れにならないようふるまっているが、神経をすりきらせて結果的に孤独感だけが残っている。

・性役割の葛藤
男らしくあれ、ということに適応できずに、葛藤している。

 一言でいえば未熟なパーソナリティは、上に挙げた4つの基本症状が発展して、 ナルシシズムと男尊女卑の傾向を生み、愛を通して成長することを阻んでしまうと言われています。
しかし、ピーターパン症候群の男性たちは、こうした自己愛や男尊女卑を露骨に見せることはなく、表面上はやさしくふるまいます。


(3)ピーターパン症候群の恋愛傾向は?

次のような項目に該当すると、ピーターパン症候群の傾向は強いとされています。

チェック10項目

1、記念日や誕生日といった大事な日を忘れる。
2、ごめんなさい、の一言がどうしても言えない。
3、友達のためなら何でもするが、彼女や妻からの頼みはほとんど無視する。
4、自分から出かけたい時以外は、外出しようと言わないし、何かしようと自分から提案しない。
5、父親とは会いたいと思っているが、いざ目の前にすると深みのない会話しかできない。
6、自分と違う意見に耳を貸そうとしない。
7、不平不満を言うだけで、何もしない。
8、アルコールが入ると人が変わり、カラ元気にはしゃいぎ、理由もなく怒りだす。
9、わけのわからない不安におびえたり、自信が無くなったりする。
10、でも、それには触れられたくない。


(4)ピーターパン症候群の男性に惹かれる女性の2つのタイプは?

 ピーターパン症候群の男性に惹かれる女性には2つのタイプがあります。
一つは男性の面倒見が良くて、過保護な母親を演じてしまうウェンディ・タイプ。
共依存に走ってしまうタイプです。
 もう一つは、ピーターパン症候群の男性の未熟さに気づいていても、いつかは大人になるだろう、と期待してつき合ってくれるティンカー・ベル・タイプです。
 言い換えると、ウェンディ・タイプは甘やかすのに対してティンカー・ベル・タイプは、対等に協力し合って成長したいと願うタイプです。
こうしたタイプが、ピーターパン症候群を抜け出し成熟した男性になっていくには必要です。
 とはいえ、本人もつき合う彼女も、そのことに気がついて、十分に関係しあっていくには、途中で大きなストレスにも耐えなければならないでしょうね。


ピーターパン症候群の彼と付き合っているアナタ・・・、大変ですが頑張って下さい・・・。
















ビデオ





 部活で、ビデオを購入することになりました。
テレビに付けるやつじゃなく、子供の運動会でお父さんが持ってくるビデオカメラです。
高い買い物でしたが、皆でお金を出しあって購入。
その日は先輩達が「試し撮りしてみる」と言って持ち帰ることになりました。
 次の日の朝、臨時朝礼で「変質者が出た」との話がありました。
夜中に裸で校内を徘徊していた人物を警備員が見つけたそうです。
その日の午後、「ピーターパン」と書かれた真新しいビデオテープが一本、部室に置いてありました。
















子供に世の中を教えた話






交通量の少ない交差点で赤信号の横断歩道を渡ろうとしたら、

園児を連れて散歩中の保母さん(結構かわいい)に、

「 影響を与えるので子供たちが見ている前で信号無視しないでください。」

って言われたとき、ちょっとアウトローな時間に追われるビジネスマンぶって子供たちに、

「 ボク達、ルールを守ってるだけじゃこの世界は生きていけないんだぜ。」

って、かっこつけて去ろうとしたら軽トラに轢かれた。
















ネバーランド




 今日ね、バイトの面接行ったの。
カラオケの。
 それでね、面接が普通のカラオケ部屋で行われたんだけどもうカオス。
凄いカオス。
隣とか上の部屋で普通に客歌ってるの。
 こちとら面接で「そうですね、僕の長所は・・・」とか話を切り出した瞬間、

「 100%勇気~!もうやりきるし~かないさ~!」

とか、隣の部屋で忍たま乱太郎歌ってんの。
それもダンディな低い声の男が。
 とてつもないカオス。
いい声の男が、忍たま乱太郎。
 そして、面接続けていくうちに隣で、

「 乱太郎の乱は、乱交の乱!」

とかダイナマイトなこと言ってんの。
もう苦笑いしかないっしょ。
俺も面接の人も。
 そして、ひとしきり苦笑いした後に面接の人が、

「 今、これ歌ってるの店長なんですよ。」

時給720円は、とんでもないネバーランドだった。















クリスマス




 俺35才だけど、クリスマスに枕元に靴下置いて寝たら、朝手紙が入ってて「働け」って書いてあった。
二度寝した。

















僕はときどき





僕はときどきジャムパンが食べたくなる。
別に空腹でも何でもないのにジャムパンが食べたくなる。
なぜこんなにジャムパンが恋しいのか原因はよくわからないけど、多分産まれてから初めて見たものがジャムパンだったんじゃないかな。
まずジャムパン見て、次に看護婦見て、看護婦の右おっぱい見て、看護婦の左おっぱい見て、最後に母親をチラ見して「おつかれッス」だと思う。

そんなわけで、乳離れはできてもジャム離れのできないまま二十三歳になった僕は今日もコンビニでジャムパンを探す。
そう、まるで母親を探すように。
うそ、ジャムパンを探すように。
そんな僕の目にあるパンが飛び込んできた。
マーガリンとジャムを挟んだ、まさに理想的なパンだ。

しかし名前が「頭脳パン」

悩んだ。
すげー悩んだ。確かにジャムパンは食べたいけれども、
今年二十四歳になる男が「頭脳パン」なんて、頭脳を小さじ一杯も使ってないような名前のパンだけを買うってのはかなり恥ずかしいだろう。
ズボンのチャックが開いててそこからリスが顔を出してるのに気づかないぐらい恥ずかしいだろう。

しかしジャムパンは食べたい、どうしても食べたい。
次のコンビニまで我慢なんて出来そうもない。
しかし頭脳パンだ
「頭脳」パンだぞ。

ジャムパンは食べたいけれど、買うのは恥ずかしい。
万事ガチ休した。
こんなに絶望的な状況は久しぶり、まるで前をライオンに囲まれたまま崖っぷちに追い詰められ、さらに上から銃で狙われながらたっぷり入ったホットコーヒーを運んでる気分だ。
何のバイトだそれ。

おそらく五分は頭脳パンと見詰め合っていただろう。
まるで久しぶりに会った恋人のようだ。
知らない人が見たら織姫と彦星だと思ったことだろうが、周りで笹を燃やされても「あ、あの」としか言えないので頭脳パンを陳列棚に戻し、店から出た。
買えなかったけど、まあいいさ、たかが頭脳パンだ。

しかし何だろう、この心の寂しさは、まるで頭脳パンが恋しいかのように足取りが重い。
一体何故だ。何でこんなに頭脳パンのことが気になるんだ。
ジャムパンだったからか。
ああ、そうか。



















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12月26日(水)のつぶやき

2018-12-27 07:58:11 | _HOMEページ_




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日々の出来事 12月26日 ジョンベネ事件

2018-12-26 09:41:22 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月26日 ジョンベネ事件





 今日は、ジョンベネ事件が起こった日です。(1996年12月26日)
ジョンベネ事件とは、アメリカのコロラド州ボルダーで6歳の少女であるジョンベネ・ラムジーが誘拐され、後に自宅地下室から遺体として発見された事件です。
このジョンベネ・ラムジーはアメリカの美少女コンテストの常連で非常によく知られており、事件はマスコミに大きく報道されました。
 1996年12月25日の夜、ジョンベネとその家族は友人らとクリスマスパーティーに出席、一家はパーティーが終わると自宅へ戻り、ジョンベネはすでに車の中で眠ってしまっていたため、父親が抱きかかえてベッドに連れて行きました。
翌26日の朝、ボルダー警察署にジョンベネの母親から「ジョンベネが誘拐された」との内容の電話があり、捜査本部が設置されます。
 犯人から来た脅迫状はジョンベネ宅にあったメモ用紙で、“警察には連絡するな。午前8時から10時ごろ連絡する。警察に連絡したらおしまいだ。身代金11万8000ドルの金を用意しろ。”とあり、この金額は父親のボーナスの額と全く同額で、家の事情に精通している者の犯行を強く示唆していました。
 そして、警察は家の中を捜索しましたが地下室の一部屋だけが忘れられており、10時を過ぎても犯人からの連絡が無く、再度家の中を調べると、調べ忘れていた地下室の部屋からジョンベネの遺体が発見されました。
 マスコミは父親の犯行を強く疑う中、2006年8月16日、タイ・バンコクで元教師の米国人男性が容疑者として逮捕されますが、DNA鑑定が行なわれ犯人でないことが分かり、さらに、2008年7月9日、新たに行われたDNA鑑定により、ジョンベネの家族の潔白が改めて証明される事になりました。
そして、事件の真相は今も判明しておりません。







  ジョンベネ・ラムジー

















☆今日の壺々話








     不条理物語1




ある村で少女が言った。

「 大変、みんな寝たままなの。」

確かに周囲の民家を調べてみると、村人全員まだ昼間だというのに寝ていた。
老若男女村人全員が寝ているのだ。不思議に思った私は少女に尋ねた。

「 何でお嬢ちゃんは起きているの?」

少女は答えた

「 だって私の髪は長いもの。」

私はしばらく考えた、なるほど、そういうことだったのか。



原文

I asked the girl,"Why are you getting up?"(何故髪をアップにしてるの)
The girl said,"Because my hair is long."(だって私の髪は長いもの)










        不条理物語2





ある昼下がり。
小鳥のさえずる森の中を、一人の少女が走っていた。

「 おかあさん!どこにいるの?」

叫ぶ少女。だが答えは無い。
そのうち少女は、とある家の前に辿り着いた。

「 ここね!ここにいるのね!」

そう言って少女は扉を開けた。
だがそこにあったのは、たった一つの日記帳。
何も無い家の中心にポツリと置かれている。
少女はそっと手に取り、読み始めた。

5/16/2007
明日は楽しい楽しいクリスマス。 プレゼントがいっぱい。とっても楽しみ。

5/17/2007
サンタさんがこない。
サンタさんがこない。
サンタさんがこない。

5/18/2007
昨日はとっても楽しかった。サンタさんにいっぱいプレゼントもらっちゃった。
でもおかしいなぁ。そのプレゼントどこに置いたんだろう?

33/9/2007
時計の針がね、ゆっくりゆっくり私に近づいてくるの。

65/12/2007
今日ね、お外に出てみたの。
そしたら人がいっぱいいたんだよ。
いっぱいいっぱいいたんだよ。でもみんな変な色だった。なんでかな?

少女は突然、日記帳を閉じた。少女は気付いてしまったのだ。 そう。少女は、気付いてしまったのだ…。



さて・・・。

















アメリカの都市伝説





 7人目のルーシーこと伝説の殺人鬼 “ルーシー・モノストーン”


 アメリカの都市伝説は映画化したりしているものが多いので、映像を見たことがあるかも知れません。
 母による子殺しを題材にしたマザーグースの様な6人のルーシーに関する歌を歌うと、7人目のルーシーが来て歌った人間を殺すという『ルーシー7』という都市伝説があり、そこから “ルーシー・モノストーン”というキャラクターが生まれたようです。
生まれたからには設定が付きまして、歌手だとかテロリストだとか両性具有だとか新興宗教の教祖だとか自殺したとか、犯罪者(反社会・反体制者)のカリスマになり、“ルーシー・モノストーン”を名乗る歌手や犯罪者が実在してしまう程の存在になってしまいました。
 ちなみに、あのジョン・レノンを殺害した犯人が、

「 自分はルーシー7だ。」

と名乗ったことは有名です。











ベビーシッター




 昔、アメリカの小さな町に2人の赤ん坊の世話をまかされたベビーシッターがいた。
そのベビーシッターを雇っている家は大富豪で家の主と妻はいつも忙しくて家にはいなかった。
 ある日の昼、その家に電話が鳴った。
二階に赤ん坊たちを寝かしつけたベビーシッターは一階で掃除をしている時にその電話をとった。

「 もしもし、どなた?」
「 俺の名はルーシー・モノストーンだ。」

ルーシー・モノストーンと言う名はその頃のイギリスでは赤ん坊殺しのルーシーとして有名で、無差別に何の罪もない赤ん坊を狙う殺人犯の名前。
 しかし、ベビーシッターは、

「 イタズラはやめてください!」

と言って全く相手にせず電話を切った。
 しかし、しばらくして、また電話がかかってきて

「 俺の名はルーシー・モノストーン、今どっかの家の赤ん坊を殺したところさ。」

と言った。

「 いい加減にしなさい!」

とベビーシッターは電話を切り、オペレーターに相談した。

「 電話を逆探知いたしますので、次にかかってきたら話を長引かせてください。」

 案の定電話がなり、

「 俺の名はルーシー・モノストーン、今どこかの金持ちの赤ん坊を殺したところさ。」
「 分かったわ!あなた悪ふざけもいい加減よしなさい!」

オペレーターに言われたとおり話を長引かせて電話を切ると、すぐにオペレーターからの電話がなった。

「 いいですか、今すぐあなたはその屋敷から出なさい!
逆探知の結果、電話の発信場所はその屋敷の二階です!!」

 ベビーシッターは電話を切り、何かの気配に気づき振り向くと、そこには血がベットリついた包丁を持った若い男がたっていた。

「 俺の名はルーシー・モノストーンだ。
今、二階の赤ん坊2人を殺してきた。」

しかし、ベビーシッターは冷静にこう言い返した。

「 それは違うわ。
だって、あたしがルーシー・モノストーンですもの。」

次の日、その屋敷の二階に赤ん坊2人の惨殺死体と、一階に赤ん坊以上にひどい殺され方をした若い男の死体が見つかった。
そして、ベビーシッターは見つからないまま・・・・・・。

















留学



 1990年の10月、私がアメリカの大学で経験した話です。
アメリカの学生はとにかく課題レポートを書かされる。
もちろんパソコンを使って仕上げるわけで、私の大学には50台程度のコンピューターが整備されているラボがいくつもあった。
学生はここで夜通しレポートをタイピングするわけだ。

 その日も私は相変わらずレポート作成に忙しかった。
夕食を済ませ、寮から荷物を抱えてコンピューターラボに入り、パソコンの前に座った。
当時は、来る日も来る日も同じような生活で、うんざりだった。

 ここのパソコンはインターネットに接続されていた。
まだウェブブラウザが「モザイク」メインだった頃だ。
ウェブコンテンツも研究者の研究成果発表などばかりで、さほど面白いものではなかった。
おまけに検索エンジンなどは進化しておらず、URLはもっぱらページ制作者本人から口頭で教えてもらうことが多かった。

 その夜、私はいつものようにレポートをしばらく書いていた。
その時、何気なく目をやったパソコンデスクに、鉛筆でURLが書かれていた。
学生がメモ代わりにしたんだろう。

 気分転換にはなるだろうと思い、私はそのURLをブラウザに入力してみた。
しばらくすると画面にはページが現れた。
信じられないページだった。
 そこには薄暗い部屋で床に血だらけで倒れている男性の写真があった。
今ではよく見るこのような画像ではあるが、私はこのような残酷な写真に戦慄し、吐き気を催した。
よく見ると、画像の下にはこんな一文が添えられていた。

“A guy in Michigan, aged around 30, Killed by me today”

間違いない、殺人者が自らの犯罪を自慢するサイトだ。
 私は何かとんでもないものを知ってしまったのではと思い、すぐにラボを飛び出して寮に帰った。
翌日まで誰とも話すことが出来なかった。

 次の日の朝、私は再度ラボに出向いた。
そして、昨日のウェブサイトが気のせいであることを信じてURLを開く。
現れたのは同じく薄暗い部屋の画像だった。
しかし、今回は床に倒れているのが丸裸で仰向けになっている女性だ。
左乳房に大きなナイフが刺さっている。
口、鼻、耳から血が流れている。
写真の下にはまたも一文が添えられていた。

“A bitch in Michigan, aged around 30, Killed by me today”

 すぐに私は大学警察に行き、警官に相談した。
しかし、まだウェブがまったくメジャーでなかった頃だ。
“ウェブで殺人者が犠牲者の画像ファイルを掲載している”といっても、うまく理解してもらえない。
それに恥ずかしい話だが、私の稚拙な語学力も足かせになり、取り合ってもらえなかった。

 恐怖と好奇心が一緒になった独特の心境で再度ラボに戻り、そのウェブサイトのURLを入力してみた。
すると、その日数時間前まであった画像はすでになくなっていた。
その代わりに、なぜか私の住所と電話番号が書かれていた。
その後にメッセージが一文。

「You are the next star on my Web.」

私は持ち物のほぼ全てを友人に譲り、2日後に帰国した。
ミシガン大学で経験した実話です。















イギリス現地で聞いた怪談話





 これはイギリスに滞在していた時に、現地のイギリス人の仕事仲間から聞いた話です。


 ある青年がいたと言う。
学生で、同じ学年に付き合っている彼女がいた。
非常に仲睦まじく、お互い卒業したら結婚の約束までしていたと言う。
 だが、ある日不幸が起きた。
彼女が交通事故で死んでしまった。
彼女は歩行者で、運転手の脇見運転からなる、悲劇の事故だった。
 彼は病院に駆けつけた。
死因は脳挫傷で、遺体は眠っているだけの様な、本当に綺麗な物だったと言う。
彼は深く悲しみ、絶望した。
葬儀は、彼女の遺族らと共に、深い悲しみの中、行われた。

 彼は抜け殻の様になってしまった。
学校へもあまり出席せず、彼女と同居していた古いアパートに篭りっきりの生活をしていた。
少しでも彼女の思い出に触れていたいが為、居間・台所・風呂・玄関・寝室・トイレに至るまで、彼女との思い出の写真を置き、何時でも目に入るようにしていた。
 そんな彼を心配して、友人達が良く部屋に出入りして励ましていたが、あまり効果は無かった。
2Fの真上の部屋は小さな教会になっており、彼と親しく、割と歳も若い神父も励ましにやってきていたが、効果はなかった。
 毎日、飢えない程度の粗末な食事をし、彼女の写真を見つめて過ごす日々が続いた。
ある夜、彼は子供の頃に聞いた話をふと思い出した。

『 死者と必ず会える方法がある 』

その方法とは、

『 時刻は、深夜2時前後が良い。
まず、会いたい死者を思い浮かべる。
その死者の遺品があればなお良い。
家の門を開けておく。
ただし、家の戸締りは必ず完璧に施錠する事。
遺品を胸に抱き、蝋燭1本にだけ火を灯し、部屋の灯りを消し、ベッドに入り目を瞑る。
そして、死者が墓場から這い出てくるのを想像する。
生前の綺麗な姿のまま、死者は、ゆっくりゆっくり、自分の家に歩いてくるのを想像する。
1歩1歩、ゆっくりと…。
そして、門を通り、玄関の前に立つのを想像する。』

想像するのは、そこまで。
 そして、絶対に守らなければいけない事は、

『 死者が何と言おうとも、“絶 対 に 家 の 中 に は 入 れ な い 事”。』

だった。
 扉越しにしか話せない、何とも切ない事ではあるが、それがルールらしい。
青年は、漠然とそんな話を思い出していた。

“ 会いたい、迷信だろうが作り話だろうが、もう1度会って話したい。”

 もちろん、迷信だとは頭では思っていたが、もしも、彼女と話した様な気分になったら、いくらか心も休まるかもしれない。
青年は、自分へのセラピー的な効果も期待し、それをやって見る事にした。

 時刻は、深夜2時ちょっと前。
オートロックなんて洒落た物は無いので、アパートの門を開けておく。
生前、彼女が気に入っていたワンピースを胸に抱き、蝋燭を灯し、部屋の灯りを消し、彼女の“蘇り”を想像した。
 アパートは老朽化が激しく、2Fの真上の教会(彼の部屋の天井に当たる)から、何やら水漏れの様な音がする。
ピチャッ…ピチャッ…、彼の部屋のどこかに水滴が落ちているらしい。

“ そんな事はどうでも良い…、集中して…生前の…綺麗な姿で…、彼女が微笑みながら、部屋にお茶でも飲みに来る様な…。”

ドンドン ドンドン

ハッ、と目が覚めた。
いつの間にか寝ていたらしい。

ドンドン ドンドン

何の音…?
隣の住人?
隣人も夜型の人だから、うるさ・・・・・。

ド ン ド ン ! !  ド ン ド ン ! !

 …違う。
自分の部屋の玄関のドアを、誰かが叩いている。
時計を見ると、深夜2時50分。
こんな時間に友人…、とは考えにくい。
 まさか・・・・。
流石に冷汗が額を伝う。
蝋燭を手に持ち、恐る恐る、玄関に近づく。
 叩く音が止んだ。

「 …誰?」

返事がない。

「 00か…?」

彼女の名を呼ぶが、返事が無い。
恐る恐る、覗き穴から覗く。
 長い髪の女が、後ろを向いてドアの前に居る!!
何者かが、確実に居る!!

「 00なら答えてくれ…。」

青年は、ふいに涙が溢れてきた。
楽しかった思い出の数々が蘇る。

「 寒い…。」

ふいに、女が口を開いた。
彼女の声の様な気もするし、そうではない気もする。

「 寒い…、中に入れて…00。」

女は青年の名を呼んだ。
涙が止まらない。
抱きしめてやりたい!!青年は、ルールの事など忘れて、ドアを開けた。
 女は信じられないスピードで、後ろ向きのまま、スッ、と部屋に入った。
青年が顔を見ようとするが、長い髪を垂らし、俯いたまま必ず背中を向ける。
青年が近づこうとすれば、スッと距離を置く。

「 とりあえず、ベッドにでも腰掛けてくれよ…。」

青年が言うと、女は俯いたままベッドに腰を落とした。
 しかし、この臭い…、たまらない臭いがした。
彼女が歩いた跡も、泥の様なモノが床にこびり付いている。
しかし、彼女は彼女だ。
色々と話したい。
死人にお茶を出すのも妙な気がしたが、2人分の紅茶を入れ、彼女の横に座った。
 蝋燭をテーブルに置き、青年は語り尽くした。
死んだ時苦しくはなかったか、生前のさまざまな思い出、守ってやれなかった事…。
 1時間は一方的に語っただろうか。
相変わらず彼女は俯いたまま、黙ってジッとしている。
やがて、蝋燭の蝋が無くなりそうになったので、新しい蝋燭に変える事にした。
火をつけて彼女を照らす。

“ おかしい・・・・。”

 ワンピースの右肩に、蛇の刺青が見える。
彼女はタトゥーなど彫ってはいない。
足元を照らす。
右足首にも、ハートに矢が刺さっている刺青。
というか、黒髪??
彼女はブロンドだ。
言い様のない悪寒が全身を走る。

“ 誰だ…!?”

 電気をつけようとしたその時、女が凄まじいスピードで起き上がり、青年の腕を掴む。
凄まじい腐臭。
女がゆっくり顔を上げると、蝋燭の灯りの中、見たくもない顔が浮かび上がってきた。

 中央が陥没した顔面。
合わせ絵の様に、左右の目が中央に寄っている。
上唇が損壊しており、歯茎が剥き出しになっている。
飛び出ている舌。
 青年は魂も凍るような絶叫を上げたが、女は万力の様な力で、青年の腕を締め上げる。
女が何か呻く。

“ 英語じゃない…、ロンドンのチャイナタウンで聞き覚えのある様な…。
まさか…!!
彼女を轢いたのは、在英の中国人女と聞いている…。
その女も即死している…。
こいつが!?
殺される!! ”

 青年がそう思い、女が顎が外れんばかりに損壊した口を大きく開けた瞬間、凄まじい雷か破裂音の様な音が室内にこだまし、天井が崩壊してきた。
女は上を見上げ、青年はとっさに後方に飛びずさる。
 崩壊して落下する瓦礫と共に、大量の水が流れてきた。
女は「ギッ」と一言だけ発し、瓦礫と大量の水に埋もれて消えた。
崩壊は、天井の一部だけで済んだ様だった。
 青年が唖然として立ち尽くしていると、上から寝巻き姿の若い神父が、驚愕の表情で穴を見下ろしていた。

 その後、アパートは、消防・警察・深夜に爆音で叩き起こされた野次馬達、等で大わらわとなっていた。
調べによると、2Fの神父の教会兼自宅の、バスタブと下の床が腐食しており、それが崩壊の原因だと言う。
 ただ、確かに腐食はしていたが、今日の様に急に床ごとブチ破る様な腐食では無い、という点に、警察消防も、首を傾げていた。
さらに、神父は月に1度、祈りを込めた水で入浴していた。
毎日の幸福を神に感謝して・・・・。
 もちろん、青年は女の事など誰にも話さなかったし、瓦礫の下にも誰もいなかった。
ただ、血の混じった泥の様な物が一部見つかったという。
 そして、青年は不思議な事に気がついた。
部屋の至る所に散りばめていた、彼女との思い出の写真立てが、全て寝室に集まっていたのだ、まるでベッドを円形に囲む様に。

青年は、部屋を覗き込む野次馬の中に、微笑む彼女を見た様な気がした。
















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12月25日(火)のつぶやき

2018-12-26 07:54:11 | _HOMEページ_







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