大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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日々の出来事 11月30日 オスカー・ワイルド 幸福な王子

2018-11-30 07:00:00 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 11月30日 オスカー・ワイルド 幸福な王子






 今日は、オスカー・ワイルドが亡くなった日です。(1900年11月30日)
オスカー・ワイルドはイギリスの詩人、小説家、劇作家です。
代表作は、戯曲“サロメ”、“真面目が肝心”、小説としては“幸福な王子”、“ ドリアン・グレイの肖像”があります。
 オスカー・ワイルドは、オックスフォード大学在学中に、W. H. ペーターの唯美主義やJ. ラスキンの芸術観に強く影響を受けました。
そして、卒業後はロンドンで社交界の人気者となり、芸術至上主義の代表的作家として活躍しました。




   “幸福な王子”(The Happy Prince)


 ある町の中心部に高く聳え立つ金箔の王子像がありました。
その王子像は、両目には青いサファイア、腰の剣には真っ赤なルビーが輝き、体は金箔に包まれていて、心臓は鉛で作られていました。
この王子像はとても美しく町の人々の自慢でした。
 あるとき、旅のツバメが寝床を探し、王子の足元で寝ようとすると突然上から大粒の涙が降ってきます。
ツバメが王子に訳を聞くと、王子は町の不幸な人々に心を痛めていたことが分かります。
 そして、王子はツバメに頼みます。
自分の持っているものを町の不幸な人々にあげてください。
ツバメは、ルビーを病気の子供がいる貧しい母親に、サファイアは飢えた若い画家と幼いマッチ売りの少女に持って行きます。
眼の見えなくなった王子は、それでも、ツバメから話を聞き、体の金箔を剥がして不幸な人々に与え続けます。
 やがて、冬が来て、ツバメは寒さで凍え死にます。
そして、みすぼらしい姿になった王子は心無い人々によって溶鉱炉で溶かされてしまいます。
でも、王子の鉛の心臓だけは溶けず、ツバメと一緒にごみために捨てられるます。
 天国で神様が、天使に“この街で最も尊きものを二つ持ってきなさい”と命じます。
天使は王子の鉛の心臓と死んだツバメを持って帰って来ます。
神様は天使を褒め、その後、王子とツバメは楽園で永遠に幸福になったと言うお話です。





 オスカー・ワイルドの言葉


  恋愛

男は常に女の初恋の人になろうとする。
女は男の最後のロマンスとなろうとする。


  結婚

男は退屈から結婚する。
女は物好きから結婚する。
そして双方とも失望する。


  教育

教育は結構なものである。
しかしいつも忘れてはならない。
知る価値のあるものは、すべて教えられないものだということを。


  Man

Man can believe the impossible, but man can never believe the improbable.







  オスカー・ワイルド















☆今日の壺々話








        王子様




 むかしむかし、若くて男前の王子がいました。
しかし、ふとしたことで魔女の怒りをかい、王子は呪いをかけられてしまったのです。
その呪いとは、1年に1文字しか話せないというものでした。
もし1文字も話さない年があれば、翌年2文字話せます。
手紙や身振りも許されなかったので、相手に意志を伝えようと思ったら、何年もかけて文字数をためるしかありません。
 ある日、王子は散歩の途中で美しい姫に出会いました。
金色の髪、ルビー色のくちびる、サファイア色の瞳。
王子は一目で恋に落ちました。
 本当は、すぐにでも『アイシテル』と言いたかったのですが、5文字しゃべるために、その後の5年間ひとこともしゃべらず待ちました。
でも、5年たつと『ケッコンシテ』も言わなくてはと思い、更に5年待ちました。
そうして初めての出会いから10年後、やっと王子はプロポーズ!

「 愛してる、結婚して!」

王子の言葉に、姫は金色の髪をかき上げ、サファイア色の瞳で王子をみつめ、
ルビー色のくちびるを開いて答えました。

「 え?なに?」















三つの願い




オス猫を膝にのせたお婆さんが居眠りをしていると、魔法使いがやってきました。

「 やあ、俺、魔法使い。
三つのお願いをかなえてあげるよ。」

お婆さんは魔法使いを見て言いました。

「 あっちへお行き、年寄りをからかうのはやめとくれ。」

魔法使いは言い返します。

「 お婆ちゃん、俺、本当に魔法使いなんだよ・・・・。」
「 じゃあ、向こうの畑のカボチャを馬車にしてごらんよ。」
「 ああいいとも。」 

魔法使いが杖を振ると、カボチャはたちまち馬車になりました。
 これを見て、お婆さんは急にやる気を出しました。

「 私を、若くてきれいなお姫さまにしておくれ。」
「 いいとも。」

魔法使いが杖を振ると、お婆さんは美人のお姫さまになりました。

「 つぎは何? 最後のお願いだよ。」
「 私の猫ちゃんを、ハンサムでお金持ちの王子さまにして!」

魔法使いが杖を振ると、猫は凛々しい王子さまになりました。

「 お願いはこれで終わりだよ、じゃあね。」

魔法使いが帰ってしまうと、王子さまはうっとりしているお姫さまの手をとって、耳元にささやきました。

「 去年、動物病院で私を去勢したのを、今じゃ後悔してるんじゃないかい。」
















テニスの王子様




 俺が中学生の時、好きだった子がテニスの王子様にはまっていると聞いて、越前リョーマの真似をしていた。
でも、テニスしてるわけでもなく、勉強が出来るわけでもなく、人の揚げ足とって「まだまだだね」とか言ったりして、ただ痛くて嫌なやつだった。
 リョーマの真似を始めてから半年が過ぎ、“あの子も俺のことが気になり出してるはずだ!”とか勘違いして、あの子に告白した。
あくまでも、リョーマっぽく…。

俺「 アンタ、最近、俺のことジロジロ見てるね。」
女「 …うん?話が分からないんですが。」
俺「 誤魔化しても無駄だよ、俺は分かってるから。」
女「 何を?」
俺「 俺のこと、好きなんでしょ?」
女「 誰が?」
俺「 アンタが…。」←(この辺で自分の勘違いに気付いた。)
女「 ふぅん…言いたいことは大体分かったけどさ、何でリョーマ口調?」
俺(涙目涙声)「 え…だって…、アンタ…テニスの王子様…好きだって…。
 だから俺…リョーマの真似すれば…好きになってくれるかなって…。
 だから…、付き合ってください…。」
女「 あ~、なるほど…。
 そういうわけかぁ…、うん、ゴメン。」
俺「 え…。」
女「 好きな人がいる、付き合えない。」
俺「 …。」

 翌日、学校へ行くと、黒板にデカデカと“偽リョーマ撃沈”と書かれてあった。
俺の青春は終った。

















○○様





 今、旦那と喧嘩中・・・、原因は他愛も無いことなんだ。
おせち料理に飽きたんで3日の夜に外食したんだけど、考えることは皆同じで、どこもかしこも満席。
入口で「お名前を書いてお待ちください」と言われた。
 我が家は日本国内で一番多い苗字なんで、いつも名前を呼ばれると、3組ぐらい「はい!」と立ち上がるのが常。
そこで、昔を思い出し、今日は違う名前を書いた。
 20分ほど待って、「3名でお待ちのヨン様~、ヨン様~!」と呼ばれたので、右手を左胸に当てながら「は~い♪」と返事をしたら、待合室にどっと笑いが起こった。
そしたら旦那が「お前、しょーもないことすんなよ!恥ずかしいじゃないか!」と激怒!

「 みんな長時間待たされてイライラしてたのが、一瞬和んだんだよ。
場が沈んでいたら、笑いをとって盛り上げるのが関西人やん。
何があかんの?」

と、そこから端を発して大喧嘩。

 学生の頃、ファミレスや居酒屋チェーンでやりました。
たいていはカタカナで書くわけだけど、
「4名でお待ちのお地蔵様~」と呼ばれて拝んだり、
「3名でお待ちのお一人様~」と呼ばれて、おや?となったり、
「2名でお待ちのオマチドウ様~」とか。

旦那様、王子様、奥様、お世話様、ご苦労様、神様、仏様、お釈迦様、上様、何様、お殿様、お姫様、お疲れ様、ご馳走様(おいおい、まだ食べてないし~w)などなど。

学生の頃は、定番。
別に悪い事じゃないよね・・・・・?















お話“幸せの丸い貝”




大学で日本の風俗を研究している私は、
休みを利用して、東北の海沿いの道路を歩いていた。
道路から階段が伸びていて、下には岩場がある。
ふと下りてみたそこには1人の少女がいた。

少女は岩場を、何かを探すように歩いていた。
「何か探しているのですか」私は声を掛けた。
「貝を」少女は言った。
「幸せの丸い貝を探しています」
貝とはまた奇妙だ。
それは希少で高級な貝なのかと問えば違うという。
食用かと問えば、食べる人もいるが、と言う。
となると、恐らく貝殻が必要なのだろう。
「祭で必要なのです」と少女は言う。
「幸せの丸い貝が無いと、祭が台無しになってしまう」
その話に興味を持った私は祭のことを少女に問うが、
少女はよくわからないという。

親類が詳しいというので、
頼み込んで家まで案内してもらった。
少女の家はまさに祭りの前日といった様子で、
着くなりたくさんのご馳走で歓迎された。
酒が入っていたからだろう。
ろくに質問もせぬうちに私は眠ってしまった。
目を覚ますと、もう祭りは始まっていた。
少女はいない。私は一番近くにいた人に話し掛ける。
「幸せの丸い貝は見つかったのですか」
「ああ、もうここにあるよ」
やがて祭りは佳境に入り、
私は幸せの丸い貝がどんなものなのか理解した。
ああ、それにしても奇妙な風習じゃないか。



贄です。



















 最近少し責任のある仕事を任せられるようになり家に帰るのが遅くなることが多かった。
遅いと言っても9時か10時くらい。
土曜は時々出勤があったが日曜は家に居て嫁と過ごすことを唯一の安らぎにしてた。
オレは嫁大好き人間だ。

 大学の後輩として入ってきた2つ年下の嫁は小柄で可愛らしくて明るくて一目ぼれだった。
何度断られてもアタックして、いつの間にやら付き合うことになって嫁が大学卒業してから2年後にプロポーズ。
結婚生活3年目の今まで一度たりとも嫁を裏切ったことはない。

 それどころか今も昔と変わらず、いや昔以上に嫁が大好きだ。
見た目も中身も平々凡々で、稼ぎも人並みなオレのことを好きと言ってくれる、いつも隣で明るく笑ってくれてる嫁がいるだけでオレは幸せだった。
嫁がいるからがんばれる。嫁を幸せにすることだけがオレの人生の目的と言っても過言じゃなかった。


 その日も仕事で遅くなり10時過ぎに帰ってみると家中の電気が消えていた。
あれ?寝たのかなと思って寝室を覗いて見ても誰もいない。
それどころか家に人の気配がない。
??と思って着替えながらリビングに入るとテーブルに一言置手紙が・・・。

「 ごめんなさい。探さないで下さい。」

 この時のショックをどう言い表せばよいだろうか。
恥ずかしながら読んだ瞬間に涙が洪水のように溢れ出した。
臓腑が急に下腹部へ落下したような感触とともに、まるで誰かに頭を持たれて振り回されたように目の前の世界がゆがみ立ちくらんだ。

“ 何故?何が原因なのか?”

 とりあえず嫁の携帯に電話してみる。
電池が切れているか電波が届かないという無味乾燥な声が聞こえる。
誰に?どこに電話すればいい?パニックだった。
嫁の両親はすでに他界している。
そうだ、遠縁の親戚か共通の友人だ。
慌てて携帯をいじろうとして手元が狂って床に落としてしまった。

 その瞬間クローゼットの扉が開き『エイプリルフール(はぁと)』と書いた手製のプラカードを持った嫁が飛び出てきた。
もう何がなんだかわからなくて、とりあえずひざから床に崩れ落ち腰が抜けたような格好になった。
その格好のまま嫁を見ると嫁も泣いてた。
オンオン泣いてた。

 後で聞いたが、勝ち誇った笑顔で出てくるつもりが、必死なオレを見てイタズラをしてしまったことへの後悔の念と、自分への愛情の深さを感じたことで涙が止まらなかったらしい。

















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11月29日(木)のつぶやき

2018-11-30 02:56:02 | _HOMEページ_
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日々の恐怖 11月29日 裏拍手(5)

2018-11-29 12:46:58 | B,日々の恐怖





 日々の恐怖 11月29日 裏拍手(5)





 俺たち同窓会メンバーどころか、他の客も店員さんも呆気にとられて茫然としている。
さすがに飲みなおす空気ではなく、その日はそそくさと解散することになってしまった。

 後日、Bから連絡があった。
あの尋常でない様子を不審に思い、またきっかけを作った責任を感じていたので、Aの実家に連絡をとったそうだ。
 BはAの家族に、同窓会での出来事をオブラートに包んで話し、何か連絡はきていないかと聞いたらしい。
 すると家族から予想外の反応があった。
それは本当なのか、どこの店だと食い入るように聞かれ、なんとAが10年前の同窓会からしばらくして失踪していたことを知らされたというのだ。
 今回の同窓会の手紙は届いていたが、家族の方は忙しくて返信を忘れていたとのこと。
もちろん10年前に失踪したまま家に帰っていないAが、クラスメイトの誰とも連絡をとらずにどうやって同窓会をかぎつけたかなど不思議なことはあるが、俺はいたたまれない気持ちになった。
 思えば10年前の同窓会で言葉を飲み込むような様子は、本当は何かを話したかったんではないかと思った。
あれから二年が経つが、今もAは見つかっていないらしい。
 俺が裏拍手を知ったのは、もっともっと後のことだ。
同窓会に出席しいていたメンバーは、先のことは分からないが、Bを含めて今のところ普通に生活している。
そして、同窓会での状態を考えるとAが元気に・・、とはいかないだろうけど、どこかで生きていてほしいと、切に願っている。














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日々の出来事 11月29日 大韓航空機爆破事件

2018-11-29 07:00:00 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 11月29日 大韓航空機爆破事件






 今日は、大韓航空機爆破事件があった日です。(1987年11月29日)
1987年11月29日、バクダッドからアブダビ、バンコク経由の大韓航空機がベンガル湾上空を飛行中に時限爆弾が爆発し、乗客・乗員115名全員が死亡しました。
 事件直後、韓国警察は、バグダッドでこの飛行機に搭乗し、経由地のアブダビ空港で降りた実行犯二人を拘束します。
この二人は、蜂谷真一・真由美と言う日本のパスポートを持っていましたが偽造が発覚、服毒自殺をはかり、男は死亡、女は助けられます。
 取調べの結果、この女は金賢姫と言う名前で、北朝鮮の工作員であることが分かり、当事国の韓国だけで無く、世界中から北朝鮮への非難が巻き起こりました。
そして、この事件は、韓国政府の国際社会における信頼性の低下とソウルオリンピックの妨害を行うことが目的であったと言われていますが真相は不明です。
その後、金賢姫は、裁判で死刑判決を受けながら大統領特赦で赦免されています。






  金賢姫












☆今日の壺々話









     北の国から来たスパイ




「 おい、ボンド、アイルランドに行って、密かにスパイを探してくれ。」
「 長官、名前は?」
「 マーフィーだ。」
「 何か、目印は?」
「 合言葉だ。
“おまえはあほかァ~”って言ったら、“あんたよりましやァ~”って答えるんだ。
これは、マーフィーにしか分からない合言葉なんだ。」
「 よし、早速、出発だ!」

アイルランドの小さな町の酒場にて

「 なあ、バーテンさん。
マーフィーと言うヤツを探しているんだが・・・・。」
「 う~ん、弱ったな。
この辺りは、マーフィーっていう名前ばかりだからな・・・。
パン屋のマーフィー、銀行家のマーフィー、鍛冶屋のマーフィー、それに僕もバーテンのマーフィーだよ。」

困ったボンドは、バーテンのマーフィーに合言葉を言ってみました。

「 おまえはあほかァ~・・・・。」
「 あ、スパイのマーフィーか。
彼なら、この通りの先に住んでるよ。」













我慢強いスパイ



 スパイが任務中、敵に捕まり拷問を受けた。
だが、どんな拷問を受けてもスパイは口を割らなかった。
拷問官が感嘆として、質問した。

「 なんでお前はそんなに我慢強いんだ?」
「 3回結婚している。」













スパイ




日本ってスパイ天国すぎて、どの国のスパイも別の国のスパイにだだ漏れ過ぎて逆に動きにくいってまじ?

そう、まじっぽい。
あと、ヨーロッパなどで培ったスパイ感覚が狂うって話もあるようだ。


KGBのスパイが霞ヶ関の官公庁や財界、政治家のパーティにほぼ必ず参加する謎の人物を発見。
         ↓
ほとんどのパーティで主催者が必ず挨拶に訪れる。
         ↓
驚くほど幅広い人脈から日本政界の大物と判断。
         ↓
ソ連政府、謎の人物との接触と背景の洗い出しをKGBスパイに命令。
         ↓
各国スパイ、謎の人物の背景を探るたび一人一人いなくなる。
         ↓
KGBスパイ、本国から細心の注意を払うよう命令を受ける。
         ↓
KGBスパイ、接触を経て謎の人物の自宅で夕飯を共にするまで仲良くなる。
         ↓
謎の人物、寿司職人から叩き上げた料理屋の会長で「安い・早い・旨い」と
パーティの厨房を任されてた業者の人だった。
         ↓
KGBスパイ、不手際で本国に召喚される。
         ↓
ソ連崩壊後出版された元KGBスパイの回顧録で、
「あの親父、ロシア人に寿司とキリンビールの旨さを教えた悪魔だ。」
         ↓
謎じゃなくなった料理屋の会長、ロシア進出。
         ↓
プーチンの同僚だった元KGBスパイ、紆余曲折を経て地元のお偉いさんに。
         ↓
日本語訳された回顧録読んだ親父、元KGBスパイの家を訪れ
ふたたびビールと寿司で食卓をともにする。
















盗聴器




 友達(既婚・3才の子持ち・旦那と3人でアパート暮らし)が、

「 最近昼間、家に変な電話がかかってくるから出ないようにしてる。」

と相談メールをしてきたから、

「 何かあってからじゃ遅いから気をつけなよ?
不審なことがあったら110番しな?」

とアドバイスしてあげていた矢先、その友達の家に夜8時くらいに家のインターホンが鳴ったから出たら、

「 ○○(テレビ局名)の者なんですがちょっとお話いいですか?」

と言われて、ドアにチェーンかけたまま開けたら男性が3人いて、

「 いま番組で盗聴器の調査で回ってまして、どうもお宅から盗聴電波が発信
されてるみたいなんですよ。」

って言われたもんだから友達もビックリして「えぇっ!」って言ったら、

「 この声も盗聴されている可能性があるので、小声でおねがいします。
顔やお住まいはモザイクかけますし、盗聴器の除去も無料ですのでいいですか?」

と言われて気が動転して家に男達を上げちゃったらしい。(旦那さんはたまたま残業、子供はすでに寝ていた)
 1人がトランシーバーのような機械を持っていて、もう1人がビデオカメラの大型のを持ち、残りの1人がスタッフ兼リポーターみたいだったらしい。
それで、

「 コンセントの中に盗聴器が埋め込まれている、出すのに感電する恐れがあるから、奥さんは離れていてください。」

と言われて隣の部屋で待機していると15分後、男たちが黒い小さいコンセントを見せて、

「 ありました、これです!」

あとは盗聴バスターズの番組っぽく進行していったという。
 旦那が帰ってきてから盗聴器のことを話すと、

「 ちょっとその3人も怪しい。」

ってことになって名乗ってたテレビ局に確認の電話をすると

「 そういうのは行っていません。」

とのこと。
 速攻、警察を呼んで調べてもらったら、男が盗聴器をはずしたと言っていたコンセントに実は最初から盗聴器なんかなくて、別の盗聴器が仕掛けられてたんだって!
警察が来たのも一部始終盗聴されてて、後日「殺す!」って書かれた手紙がきたらしい。
泣きながら電話してきた。
今は引っ越して平穏に暮らしてるけど、テレビの盗聴番組見てて思い出して怖くなっちゃった。


















現代の忍者





 かなり前の話だけど、飲食店でバイトしてたときに、日本好きっぽい外国人観光客から、
「 日本には、もうニンジャはいないのか?」と聞かれた。
「 結構いるよ。l」と言ったら、
「 どこに?誰がニンジャなんだ!?」と言われた。
「 見た目じゃ判らんよ。」と言うと、
「 どうしてだ?
忍者は黒い服を着て刀を背負って…。」とか言う。

「 忍者の仕事はなんだ?
現代で言うスパイやスナイパーだろ?
現代日本で黒装束を着て刀を背負っていたら目立ってしかたがない。
 ビジネスマンのようにスーツ姿だったり、普通の人と同じ格好だよ。
今は竹筒くわえて水にもぐったりする事もない。
メイドインジャパンのハイテクツールを使ってスパイ活動を行うんだ。
 昔は幕府や大名が忍者のボスだったが、今は国家機関に属している。
アメリカのCIAみたいな組織だけど、政府はその存在を認めていない。
忍者は公務員ばかりでなく、いろんな会社や組織に一般人として送り込まれてる人も多い。
詳しく知りたいなら、本屋に行って『現代の忍者』って本を読むのが一番いいよ。」

って教えたら、本屋に走っていった。
















忍者




 昔、仕事で不良外人と仲良くなった。
で、飲み屋で飲んでて、“忍者見せろよ、忍者いるんだろ”ってウルセーから、

「 馬鹿!やめろって!」

口ふさいで、キョロキョロと辺りを伺うふり。
“何々?忍者いるの?どこどこ?”とか興奮してるから、黙って箸袋にメモ。

“ National Intelligence agency of JApan 略してNINJA”

 で、ヤツに説明。

「 日本語だと日本国家情報局とでもいうのかな。
アニメにでてくるような忍者はいなくなったけど、子孫がスパイとして暗躍してる。
アメリカで言うCIAとNSAとFBI合わせたような組織だ。
お前、外人だからきっと監視ついてる。
騒ぐと消されるぞ。」

って脅した。

“ えー、どこっ?どこっ・・・・・?”って不安な顔して怯えてるから、“忍者は絶対に見つからない!”って追い討ちかけておいた。
それ以来、なんか品行方正になった。

















忍者男




 2年ほど前の話。
休日に公園で読書してたらそのまま眠り込んでしまい、起きたら暗くなってた。
焦って携帯で時間を確かめたら9時過ぎてた。
どうも6時間くらい寝てたらしい。
 さすがに寝すぎたと慌てて公園を出て、車を停めてあった駐車場に向かった。
時間が時間だけに、だだっ広い駐車場内に人影は無く、停めてある車は俺のを含めて4台くらいだったと思う。
その駐車場からは丘が見えるんだけど、その上が墓地になってたりして、暗い時間帯になると薄気味悪い。
 ちょっと怖くなった俺は、小走りで車の前まで行って扉の鍵を開ける。
ふと周囲を見渡すと、いつの間に現れたのか、20mほど離れた場所に人が立っていた。
さっきまで誰の気配もなかったのに、いつの間にかそいつは立っていた。
 街灯の薄暗い光に照らされたそいつは男のようで、黒づくめのジャージかトレーナーのような服を着ており、顔には目だし帽か覆面のようなものを着け、目の部分だけが見えていた。
まるで忍者のような出で立ちのそいつは、ご丁寧に背中に棒状の物(忍者刀?)まで背負っていた。
その忍者男がじっと立って、こちらを見ている。
 なんとか悲鳴をあげずにいたものの、驚いて固まってしまった俺。
一瞬、そいつと見詰め合ってしまった。
忍者男は妙に黒目がちな目で俺を見ていた。
突然、忍者男がこちらに向かって走り出した!

「う わあぁぁぁ!?」

と情けない悲鳴を上げた俺は、必死で車の扉を開けて運転席に飛び乗った。
 扉を閉めてロックすると、そいつの方を確かめる。
あの距離でダッシュしてきてるはずだから、もう運転席の前に来ていてもおかしくないはずである。
だか、何故か忍者男は、まだ先程の場所にいた。
どういう訳か、忍者男はその場で激しく足踏みしているだけで、走ってはいなかったのだ。
目を疑う俺の目の前で、男は激しくその場ダッシュを続けていた。
 忍者男を確かめながらキーを入れ、車のエンジンをかける。
その瞬間、忍者男は俺の車に向かって走り出した!
今度はその場ダッシュではない、どんどん近づいてくる!
 忍者男はあっという間に運転席の側まで来ると、運転席の窓を軍手を着けた手で叩き始めた。

パタパタパタパタパタパタ・・・!

忍者男が妙なソフトタッチで、窓を叩く音が車内に響く。

「 うわあああぁぁぁぁ!!」

悲鳴を上げながら、俺は車を急発進させて逃げ出した。
 駐車場の出入り口まで来てからバックミラーで確かめると、忍者男はさっきの場所に立ったまま、こちらをジッと見ていた。
家に帰り着くと、その日はすぐに寝ちゃった。
 次の日、車を確かめると、窓にびっしりと手形が・・・というような事は無かった。
ただ、何故かわかんないんだけど、助手席の足元に一塊のお米が置いてあった。
俺は一人暮らしだから車使うのは俺だけだし、誰も車内に米を持ち込むヤツなんていないのに。
 それも米粒が、なんか絵の具みたいなのを塗ってあるみたいで、全部黄色く染まってる。
気持ち悪くって、お米はすぐに捨てて車内を綺麗に掃除した後、お守りをもらって来て、その後は車内に置くようにした。
忍者男とお米が関係あるのかもわかんないし、霊的なものとかじゃないとは思うんだけど、その時はとにかく薄気味悪かったから。
 結局、忍者男が何者なのか、強盗の類か、異常者なのか、それとも霊的なものなのか、わかんない。
聞いてて怖くないかもしれんが、俺はしばらく怖かったです

















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11月28日(水)のつぶやき

2018-11-29 02:54:05 | _HOMEページ_






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日々の出来事 11月28日 鹿鳴館

2018-11-28 07:55:54 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 11月28日 鹿鳴館






 今日は、鹿鳴館が開館した日です。(1883年11月28日)
鹿鳴館はイギリス人のジョサイア・コンドルによって設計された建物で、迎賓館を持っていなかった明治政府が慌てて建てた社交場です。
建物は、煉瓦造2階建ての洋風建築で、1階は大食堂、談話室、書籍室、2階は100坪ほどの広さの舞踏室で、建物内にはバーやビリヤードも設備されていました。
 明治政府は、遣欧使節や遣米使節の報告にあった外国の技術水準の高さに圧倒され、植民地化されることに恐れ、急速に西洋文化を取り入れることに躍起になりました。
 そして、外務卿の井上馨が迎賓館建設の計画を推進し、1883年11月28日、鹿鳴館が開館します。
鹿鳴館では、日々、舞踏会や婦人慈善会が開かれ世間の注目を集めていました。
ダンスはアメリカ留学から帰国した山川捨松、津田梅子や農学校のドイツ人講師ヤンセンらが指導し、背中の開いたドレスを着た貴婦人たちがお灸の痕を物ともせず活躍しておりました。
 この頃、横浜には早くもテイラー、写真館、西洋家具を作る職人も開業し、一気に西洋文化が花開きます。
その後、この極端な欧化主義に批判が高まり、中心となった井上馨が外務卿を辞職し鹿鳴館時代は終了します。
そして、鹿鳴館は民間に払い下げられ、華族会館を経て1941年に取り壊されました。


ちょっと、この時代の鹿鳴館に行ってみたい気がします・・・。







   タイムマシンにお願い(サディスティックミカバンド)




ヽ( ・∀・)ノ  さぁ不思議な夢と遠い昔が好きなら
       さぁ、そのスイッチを遠い昔に回せば♪
       ジュラ紀の世界が拡がり
       はるかな化石の時代よ♪
       アンモナイトはお昼ね
       ティラノザウルスお散歩、アハハ~ン♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙ さぁ、無邪気な夢のはずむ素敵な時代へ~
       あぁ、タップダンスと恋とシネマの明け暮れ~♪
       きらめく黄金時代は ミンクをまとった娘が
       ボギーのソフトにいかれてデュセンバーグを夢見る~、
       アハハ~ン♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙ 好きな時代に行けるわ
       時間の螺旋をひと飛び♪
       タイムマシンに~お願い~~!♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙ さぁ、何かが変わる、そんな時代が好きなら
       さぁ、そのスイッチを少し昔に回せば~♪
       鹿鳴館では夜ごとの~ワルツのテンポに今宵も~
       ポンパドールが花咲き、シルクハットが揺れるわ、
       アハハ~ン♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙ 好きな時代に行けるわ~
       時間の螺旋をひと飛び♪
       タイムマシンにお願い~~!! ♪ ヽ(´∀`)ノ


 ♪ ∧_∧  
   (´・ω・`) ))  ♪
 (( ( つ ヽ、  ♪
   〉 とノ ) ))
  (__ノ^(_)

     ∧,_∧  ♪
  (( (    )
♪   /    ) )) ♪
 (( (  (  〈
    (_)^ヽ__)  ♪












  鹿鳴館
















☆今日の壺々話













消したい過去



 小学生の頃からオカマだったんだけど、当時の尊敬する人が美川憲一だったこと。
クレパスで目の周りを紫に塗ったり、同じような髪型にしたり、食事する時は、ちょびちょび食べるのが女のマナーみたいに思ってたし、みんなの会でさそり座の女を熱唱したりしてた。
いじめられても、「良い女ほど嫉妬されるもの」とか思ってたし。
 親も必死こいてやめさせようとしたけど、「世間は私みたいなのを理解しようとしない」 て言ったら、母親が遂にキレて暴力振るわれるようになった。
「逆境こそが自分を強くする」って思い、自己陶酔に浸りさらに歪んだ幼少期を過ごしたわ。
中3までそれが続いて、そんなオカマ取りたくないからか高校受験の面接で落ちまくったのよ。
 教師に真剣に説得されて、やめる決意をしやったことが月曜の朝礼で壇上に上がり、「あたしは今日から普通の男になります。今まで応援ありがとね。あたしの最後の歌聞いてください。」て言ったら、「死ね」だの「気持ち悪い」だのブーイングの嵐。
 一応高校受かっておとなしくしてたけど、タイムマシンがあるなら過去に戻って自分を殺したいわ。














タイムマシンの作り方



①十兆度の高温状態を作る。

②高温の塊を圧縮、さらに過熱する。すると微小ワームホールができる。

③できた微小ワームホールを拡大する。

④ワームホールの出口と入口の間に時間差をつくる。

 → そこに飛び込む。

















タイムマシンで18歳の時に戻れるなら乗る?





教「 お前どうすんの?」
僕「 うーん。」
教「 想像してみ?
フリーターでなんとなく生きて、40くらいになって人生振り返って後悔したとする。
タイムマシン完成しました。
18に戻ってやり直せます。
乗る?」
僕「 乗る!」
教「 はい戻ってきた、って考えるとやる気出ない?」
僕「 お、おう・・・。」

















     舞踏会




シンデレラ「舞踏会、私も連れてってくらさい。」
継母「シンデレラは逝かなくってもヨシ!」
姉1「つーか厨のくせに生意気すぎ。」
姉2「シンデレラは掃除でもしておけとマジレスしてみるテスト。」

シンデレラ「うぇぇぇぇん…・゚・(ノД`)・゚・舞踏会キボン……。」
魔法使い「連れてってあげてもいいと思われ、まずは鼠とカボチャを用意汁!」
シンデレラ「魔法使いさんキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!」
魔法使い「よーし、それじゃあ魔法をかけちゃうぞー!
       さいたまさいたまさいたまさいたま!!」
シンデレラ「馬車キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!
         御者キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!
           ドレスキタキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!」
魔法使い「それで舞踏会に逝けばヨシ。
       でも12時過ぎたら魔法がアボンするから気をつけて。」
















早朝のシンデレラ




 今年の6月。京王線、朝のラッシュ時。
渋谷駅行きの電車、前寄り車両(押し込み半端無い)に、下北沢から乗り込む際に靴をかたっぽ落とした。
ホームと線路の間。
スーツに合わせたバックストラップのミュールみたいなやつ。
たまたまその日、時間がギリギリで、会社への恐怖心等から冷静な判断が出来ず、“戻ったら間に合わない!!”という理由で電車に乗り込んでしまった。
 電車は発車し、扉にもたれながら“靴が無いと、電車降りてから歩けない”と気付き、何故か隣の人に意見を求めてしまった。(眼鏡をかけ太っているお兄さんです。)
その時は、羞恥心からくるカミングアウト欲求とかだったのかもしれないが、今思えばたぶん狂いかけていた。(当時会社が辛くて辛くて半泣きで通っていた。)

私「 あのう、すみません。」
男「 はい。」
私「 私、下北沢で靴を落としちゃったのです、どう思いますか?」
男「 え?」(私の足下確認)

ここで、私は何故か笑いが止まらなくなってしまった!

私「 ふひひひひひ!どうしよう。
 これは渋谷まで止まりませんよね。
 どうしよう、遅刻しちゃうっ、フヒフヒ!!
 私、新人だから遅刻は絶対ダメなのに、あははは!」
男「っぶ!
 とっ、取り敢えず、しし渋谷まで行って。
 戻って、駅員さんに言うとか…。
 っぷ。」

男性は笑いを堪えていた。

私「 そうですよね、そうします。
 ありがとうございました。
 すみませんでした。
 っグ!」

 その後も私は笑いが止まらなくなり、堪えられずに困ってしまい、どうでもよくなりついには開き直って声を上げて笑ってしまった。
静まり返った満員電車で「アハハハハ、ウグッグッグッグ…うっふふふふふ」って。
 そのうち、後ろの方からも「ウグッ!」「ングググ」「っひっ!」「クスクス」とか聞こえてきた。
ああ、私、危ない人と思われてんだろうなあって、余計おかしかった。
昔、めちゃイケに「笑う男」ってあったけど、ああいう感じ。


で、どうやって会社行ったん???ワロタ


 叩かれるのも覚悟で書いたので、笑ってくれてありがとうございます。
渋谷駅で降り、先ずホームで会社に連絡をし、事情説明して遅れる旨を伝えました。
とりあえず、ホームの椅子で2分くらい放心し、靴を脱いで、ペタペタとホームを歩いて駅員さんを探しました。
 念の為、靴の落とし物について連絡が無かったか聞いたところ、無いとのことで、下北沢まで戻りました。
そこで、駅係員の方に事情説明したところ、「この電車が行ったらすぐに探します!」。
電車発車後、係員の方数名が線路を覗き込む様子を見てホームのお客「ざわ…ざわ…」。
裸足の私は、恥ずかしさと申し訳なさで直視できず、ホームの柱の影に隠れてチラチラ見ていました。
 結局、ホームと線路の間に落ちていたのがすぐ見つかり、靴を渡していただき、謝ってお礼を言ってそれを履いて出勤しました。
電車の遅れ発生等も一瞬想像し、青ざめましたがもちろん無し。
靴は大切だと思いました。



















お話 “タイムマシン”




大学2年生の頃、
私たちは親友であり、
一人の女性をめぐりライバル関係にあった。
私たちは直接そのことには触れなかったが、
お互いを意識はしていたと思う。
熾烈な争いの結果、彼女の心を射止めたのは私だった。
私の人生の絶頂期だ。

しかし、それは長く続かなかった。
彼女とのドライブ中、私は事故を起こし、
彼女は死に、私はおめおめと生き残った。

始めの一週間は自失状態だった。
次の一週間は正気を取り戻した分、
悲しみが波のように押し寄せ私は泣いた。
そして一ヵ月した頃、
あいつはやってきたのだ。
あいつは非常に馬鹿げた提案を私にした。
私はその提案に乗った。
私とあいつは就職活動をせず大学に残った。

そして約7年の歳月が流れたころ、
私たちは遂にやり遂げた。
タイムマシンを作ったのだ。
しかし、エネルギーの関係から一回しか作動させることができない。
どの時代に行くかは問題ではなかった。
問題は誰が行くかだった。

あいつは彼女のことを諦めきれなかったのだろうか?

「 いいか、何があっても絶対あきらめるな。
必ず彼女の事故をなかったことにするんだ!!
お前にはその義務と責任があるんだからな!!」

私は、なぜあの時「わかった」と言ってしまったのだろう。
あいつはタイムマシンの中に私を押し込めた。
時間遡行中は振動が予測されるため体中を拘束具で固定する。
舌を切らないよう頸椎から顎にかけて固定をした後、
あいつは私にリモコンを渡した。
拘束具の解除を行うものだ。
そして、何らかの事態に備えるため生命維持装置を作動させると、
ふたを閉め、完全な密封状態とし、
いよいよマシンを作動させた。



私は二つの間違いに気づいた。
二つとも単純なことだ。

一つは彼女を助けることはできないということだ。
もしこのタイムマシンで彼女を助けたとしよう。
しかし、そもそもこのタイムマシンは彼女の死から始まっている。
彼女が死ななければタイムマシンは作られないし、
タイムマシンがなければ彼女は助けられない。
パラドクスだ。

そしてもう一つは、
タイムマシンそのもののことだ。
私たちのは理論は完璧だった。
遡行は成功し7年前にたどり着いたはずだ、それは間違いがない。
しかし場所は?

私は今、宇宙空間の中を漂っている。
7年間で地球の位置はどれだけずれるのだろう?
考えてみれば地球は自転をしているし、公転もしている。
そして太陽系そのものも移動しているのだ。
7年間ここで待てば地球がやってくるのだろうか?
それもありえない、
このタイムマシンは遡行直前の運動状態を保持している。
私はほぼ地球の自転の速度で等速直線運動をしていて、
すでに元の場所にはいない。


あいつはこうなることを知っていたのだろうか?
私はどうもそのような気がしてならない。
あいつから見れば、
私は彼女を奪い、彼女を殺し、
永遠に手が届かないところに連れ去った。
つまりこれはあいつの復讐なのだ。

もうどれぐらいの時間がたったのだろうか。
時間感覚がすでに麻痺している。
何日か、何週間か、それとも何年か?

漂う中、身動き一つできない私の手には、
作動しないリモコンが握られている。


















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11月27日(火)のつぶやき

2018-11-28 07:55:33 | _HOMEページ_




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日々の出来事 11月27日 アルフレッド・ノーベル

2018-11-27 08:17:59 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 11月27日 アルフレッド・ノーベル






 今日は、アルフレッド・ノーベルがノーベル賞設立の趣旨となる遺言状を書き、ノーベル賞制定記念日となっています。(1865年11月27日)
アルフレッド・ノーベルはスウェーデンの化学者で、ダイナマイトの発明を手始めに油田開発で得た資産を運用し、莫大な遺産を残しました。(ノーベルは事業として武器製造もしており、死の商人とも言われていました。)
 その後、この遺産を人類に貢献した人に与えたいと言う遺言から、遺産の一部である168万ポンドを基金として、毎年その利子が、物理学・化学・生理学医学・文学・平和事業の5分野に貢献した人に贈られています。







  アルフレッド・ノーベル














☆今日の壺々話






         ノーベル数学賞




「 えっと、これらの分野のノーベル賞受賞者は、一斉に蛙跳びをピョンピュンしますっ
 と・・・。
 あ、書けた、書けた、ついに遺書が書けたぞ!
 よし、次は、結婚だ!
 そろそろ、秘書のベルタ・キンスキーちゃんがやって来る時間だぞ。
 あっ、来た、来た、やって来たぞォ!」
「 おはようございます、ノーベルさん。」
「 あの、突然ですが、結婚して下さい!」
「 あらっ、知らなかったんですかァ~。
 私、アーサー・フォン・ズットナーと婚約してるんですけど・・・・。」
「 ゲッ、あの数学者かァ~。
 くっそォ~~!!」
「 もう指輪もあるのよ、ホラッ!」
「 ああ、もう、分かった、分かった。
 急いで遺書を書き直さなきゃ!
 ノーベル賞の分野には、数学は永久に入れてやらないからな・・・。
  えっと、数学削除っと!
 ホント、数学者なんか大嫌いだ!
 ダイナマイトでブチ殺してやる、クソッ!!」

そして、アルフレッド・ノーベルは生涯独身で子供はいなかったということです。
















     H君の悩み





 KさんとMさんが、二人とも数学者のH君のことを好きになってしまいました。
2人はH君に告白しました。

Kさん「私はMさんの2倍、あなたのことを愛しています。」
Mさん「私はKさんの10倍もあなたのことが好きです!」

すると、H君はため息をついて、悲しそうに言いました。

H君「それじゃあ、二人とも、僕を少しも愛していないことになる。」














     数学者のプロポーズ




「 君と僕の間の2次方程式の判別式は負になるんだよ。」
「 どうして?」
「 なぜなら、そこには愛があるから。」
















数学ジョーク“黒い羊”



 ある国を数学者と物理学者と工学者が一緒に電車で旅行していた。
すると、窓から牧場が見え、そこには1匹の黒い毛の羊がいた。

工学者:この国の羊の毛は黒いんですね。
物理学者:いえ、この国には黒い毛の羊が少なくとも1匹いるということしかわかりません。
数学者:いえ、この国には身体の少なくとも片側の毛が黒い羊が少なくとも1匹いるということしかわかりません。


原文

◆Black Sheep◆

An engineer, a physicist, and a mathematician were on a train heading north, and had just crossed the border into Scotland.

* The engineer looked out of the window and said "Look! Scottish sheep are black!"

* The physicist said, "No, no. Some Scottish sheep are black."

* The mathematician looked irritated. "There is at least one field, containing at least one sheep, of which at least one side is black."



variants:

* The statistician : "It's not significant. We only know there's one black sheep"

* The computer scientist : "Oh, no! A special case!"




 変化型“黒い羊”


 ある国を詩人と古典物理学者と数学者と量子物理学者と哲学者と羊飼いと生物学者が、一緒に電車で旅行していた。
すると、窓から牧場が見え、そこには1匹の黒い毛の羊がいた。

・詩人
「 この国の羊の毛は黒いんですね。」

・古典物理学者
「 いえ、この国には黒い毛の羊が少なくとも1匹いるということしかわかりません。」

・数学者
「 いえ、この国には身体の少なくとも片側の毛が黒い羊が少なくとも1匹いる、ということしかわかりません。」

・量子物理学者
「 いえ、観測から時間 t の経過した現在、この国には身体の少なくとも片側の毛が黒い羊が少なくとも1匹いるという事象すら不確定です。」

・哲学者
「 いえ、記憶の中に存在するあの黒い羊が、本当に実在したものだったかどうかすら確かではありません。
確実なのは、“そう考える私がいる”ということだけです。」

・羊飼い
「 たぶんジャコブ( Jacob )種の子供じゃないかな。
古代種の血をひく希少羊で、白と茶のパッチワークのような毛に包まれているんだ。
子供は真っ黒だよ。」

・生物学者
「 じゃあ確認してくる。」

生物学者はそう言い残して車窓から飛び降りた。

















 ヨガファイヤー




 うちの研究所に、インド出身の超偉い学者さんが来られたんです。
その分野に関しては世界クラス。
私も研究内容を説明したんだけど、いつツッコミはいるか内心バックバク。
 “まぁ、でもいい経験だよね”と思いつつ、食堂で一緒に食事してたんだ。
で、うちのゼミの学生も寄ってきて、その学生の友達も寄ってきて、アメリカから来られたインド系の学者さんって説明したんだ。
 そしたら、そのうちの一人が、

「 すいません、ヨガファイヤーって言ってもらえませんか?」

“ お 前 は 何 を 言 っ て い る ん だ !!”

しかも、流暢に、

「 ヨガファイアー!!!」

と応えるプロフェッサー。

“ 本当、本当すいません。”

さらに“ヨガファイアーとは何ですか?”と聞き返す始末。

「 えっと・・・・。」

 正直に答える学生。
話を聞いて爆笑する教授。
携帯で動画見せて、音声まで再生してんじゃねぇ・・・・。
心臓止まるかと思った。
 結局、インド人は火を噴いたりテレポートはできるけど、人前では見せないという事実が明らかに。
今の所、僕は無事です。
気さくな人だったと信じたい。
















 スノードーム

   アレックス・シアラ―



 
 科学者である独身中年男性Yの職場には、同じく科学者である青年Aがいる。
優秀で研究熱心なAだが、人との関わり合いを避け、家族も恋人もいないようだった。
そんなAの机の上には、スノードームのような置物が一つ置いてある。
 Aがとても大事に扱っているそれが気になったYは、ある日Aが席を外した隙に、それを手に取り眺めてみる。
中にはごく平凡な街並みが広がっていた。
そこへAが戻り、勝手なことをするなと激怒。
 次の日出社すると、スノードームはAの机の上にねじで固定されていた。
YはAのあまりの神経質さに違和感を覚えるものの、触らぬ神に祟りなしと、なにも詮索はしない。

 しばらくして、Aが忽然と姿を消す。
意外にもAが自分宛に手紙を残していることに気がつくY。
そこにはAが語ることのなかった、これまでの人生が綴られていた。

 Aは幼い頃、画家である父と二人、貧しくはあるがそれなりに幸せな生活を送っていた。
父には、自由奔放で魅力的な、踊り子の恋人Pがいる。
Aもその恋人によく懐いていた。

 Aの近所には、天才発明家兼芸術家Bが住んでいた。
裕福であるが生まれつき非常に醜いBは、誰にも愛されることなく一人寂しく暮らし、時折個展を開いては自らの作品を公開している。
その個展を覗いたことがきっかけで、AとBは知り合うことになる。
自分の子を育てることを諦めていたBは、Aのことを非常に可愛がる。
AはBを少し苦手と感じながらも、その作品に魅了され、交流を続けていた。
 そんな中、父の恋人P、次いで父が謎の失踪を遂げる。
途方に暮れるAだが、Bの養子として迎えられ、新たな生活が始まった。
BはAが実の子であるかのように愛情を注ぎ、何不自由のない暮らしをさせる。
だがAはBに恩義を感じつつも、Bの望むようにBを「父さん」と呼ぶことはどうしてもできずにいた。

 月日が経ち立派に成長したAは、国内有数の大学への進学が決まる。
ずっと自分を支えてくれたBに対して愛情が芽生えていることを自覚し、初めてBを「父さん」と呼ぼうと決意するA。
だがその矢先に、Bは自宅で事故死をしてしまう。
階段を上る途中に転落したBの腕には、Aの年頃には合わない大量のおもちゃと、知らない名前に「Bおじさんより」と書かれたバースデーケーキが抱えられていた。
Bの死を悼みつつもそれらを不審に思うAは、ついにBの日記を発見し、その内容に衝撃を受ける。

 BはPに恋をしていた。
しかしどうしても振り向かないPと自分の醜さに失望し、無理やり自分のものにしてしまおうと考えるまでになった。
Bは自らの発明品を用いて、Pを顕微鏡を使わないと見えないくらいに小さくし、作品であるスノードームに閉じ込めてしまう。
 鍵の掛かった研究室にPの入ったドームを置き、時間を見つけては彼女を踊らせそれを眺めるB。
食事や生活用品を小さくしてはドームの天井に開けた扉から送り込み、廃棄物を取りだし、Pを飼うように生かしていた。
 しかしPは日に日に衰弱し、このままでは死んでしまうとBは焦り始める。
体を元の大きさに戻そうとするが、どうしてもそのための装置が作れない。
歪んではいるもののPに深い愛情を抱いていたBは、結局Aの父までも小さくし、Pと再会させる。
 理不尽な仕打ちに始めこそ憤慨する二人であったが、時間を掛けてその生活に慣れ、子を儲けるにいたる。
Pの腹が膨らみ始めたことに気がついたBは激しく嫉妬し、咄嗟にドームを割ろうとするが、Aの存在により思いとどまる。
やがて生まれる赤ん坊を見て、Bはその無垢な姿に感動する。

 生まれた子供は自分達の境遇を教えられず、また外の世界があまりにも大きいため認識もできず、生きるとはこういうことだと思ったまますくすくと成長する。
Bは純粋なその子を我が子のように想い、様々な服やおもちゃを与え可愛がる。
PやAの父に対する嫉妬や憎しみもいつしかなくなり、Bは三人を温かく見守るようになっていた。
 何も知らないAと、閉じ込められたままの三人。
自分にも家族ができたと幸せを感じるBだったが、それでも良心は痛み、とうとう事故で死ぬまで何年間も、三人を元に戻すため成果のでない研究を続けていた。
日記には、A達に対する愛情や罪悪感、そしてどうか許してほしいと願う気持ちがつらつらと書かれていた。

 真実を知り愕然とするA。
確かに芽生えていたBに対する愛情は消え、Bの願いとは裏腹にどうしようもない憎しみを抱く。
そのまま大学へ進学したAは、ひたすら勉学に励み、科学者となり、奪われた家族を取り戻すため研究に打ち込む。
だが一向に結果が得られないまま、ドームの中の父とPは年老いていく。

 Aの手紙は、こう締めくくられていた。
自分は失われた家族との時間を少しでも取り戻しにいく。
Yは優秀な科学者であるし、信用のおける人物だと思う。
どうか自分達を生かし、研究を引き継いでほしい、と。

 手紙を読み終えたYは、信じられない気持ちで卓上のスノードームを顕微鏡で覗きこむ。
そこには確かに、家族に囲まれ幸せそうに笑うAの姿があった。


















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11月26日(月)のつぶやき

2018-11-27 06:21:46 | _HOMEページ_







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日々の恐怖 11月26日 裏拍手(4)

2018-11-26 18:22:07 | B,日々の恐怖






 日々の恐怖 11月26日 裏拍手(4)






 しかし、この言葉に微笑むばかりだったAの様子は激変した。
小刻みにブルブルと震えだし、目を見開いて床を見つめている。
 その様子におじけづいたBはすぐに、

「 あ、すべったよね。
気ぃ~悪くした?
ごめんごめん。」

とフォローをいれたが、そんなことはまるで眼中にないようにAはブルブルと震えている。
みんなもその異常な気配を察知してシーンとなってしまった。
 俺はといえば、やはり何かの精神的な病気なのかと同情しつつも、冷たいことに、Bの軽いギャグに過剰反応して場を白けさせたAに少しイラついていた。

「 ほんとごめんね?気を取り直して飲みなおそう!」

とBが立て直そうとする。
 みんなも、さっきのことはなかったことにするように雑談を再開し始めた。
しかしAの震えはどんどん大きくなり、椅子がガタガタと音を立てるまでになった。
 さすがに尋常ではないと思い、俺も声をかけた。

「 おい大丈夫か・・・・?」

するとAが奇妙な行動をとり始めた。
笑っているような怒っているような表情で、自分の手の甲と手の甲を打ち付け始めたのだ。

“ たん、たん、たん、たん、たん・・・・。”

とリズミカルに打っている。

“ げえ~、なんだこいつ怖えェ・・・。”

と思ったのもつかの間、耳をつんざくような雄たけびを上げてAは店から走り去ってしまった。

















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日々の出来事 11月26日 さまよえる湖 ロプ・ノール

2018-11-26 07:00:00 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 11月26日 さまよえる湖 ロプ・ノール






 今日は、スウェン・ヘディンが亡くなった日です。(1952年11月26日)
スウェーデン生まれのスウェン・ヘディンは、ベルリン大学のリヒトホーフェンに地理学を学んだ探検家です。
 スウェン・ヘディンは、1893~1937年の間に5回にわたって中央アジアの探検を試み、この地域の地理学的疑問の解明に取り組みました。
このときの業績としては、インダス、ブラマプトラ両大河の源流を突き止めたこと、ヒマラヤ山脈とコンロン山脈の間に横たわるトランス・ヒマラヤ山脈を発見したこと、シルクロードの楼蘭の遺跡を発見したこと、さまよえる湖 “ロプ・ノール”の謎を解いたことがあげられます。




       ロプ・ノール



 “ロプ・ノールはどこにあるのか”という問題に関する論争には、長い歴史があります。
中国の文献には、タリム盆地の東側に大きな湖があることが記録されていました。
しかし、それがどこにあるのか、当時は誰も知りませんでした。
 1876~77年にかけてタリム河の下流を調査したロシアの探検家プルジェワルスキーがロプ・ノールを発見したと宣言しましたが、中国の古地図にあった位置より南に400キロも離れており、また、発見された湖は淡水湖で記録での塩湖と違っていたことから、ドイツの地理学者リヒトホーフェンと論争となりました。
そして、この“そうだ”と“違う”の論争は延々と繰り返されました。
 結論が出ないまま時が流れ、この論争に終止符を打ったのがヘディンです。
ヘディンが考え、後に実証された答えは、タリム河が約1500年周期で下流が南北に振れる川であり、ロプ・ノールとは川の流れの変動に伴って移動する湖であったことです。








  スウェン・ヘディン















☆今日の壺々話






       ニュース“さまよえる湖”




「 ハイ、次のニュースです。」

“ Natureニュース
2007年、チリ南部のパタゴニア地方にあった広さ1平方キロ、深さ約30メートルの氷河湖が突然消滅しました。
3月には存在が確認されていたが、5月27日に公園レンジャーが定期パトロールに訪れたところ、消えていました。
 底に氷塊があったほか、大きな亀裂が走り、湖に流れ込んでいた川も干上がっていました。
地震で亀裂が生じ、水が失われたとの見方が出ているほか、地球温暖化が影響している可能性も指摘されています。”

「 それでは、今日、特別ゲストで、さまよえる湖 “ロプ・ノール”の謎を解いたヘディンさんを研究している方に来て頂いていますので、この謎を解いていただきます。」
「 ハイ、よろぴくぅ~。」
「 えっと、これは一体どうしたことなんですか?」
「 アハハハハハ、これは湖の高低差がああなってこうなって地球の中を通過してロプ・ノールに水が・・・・。」
「 ハイ、ありがとうございましたァ~。
それでは、次のニュースです。」















      ウソつき




 誰もいない湖の上。
一艘のボートに若い男と年上の女が乗っていました。
と、突然、男が女を水の中へ突き落としました。
びっくりした女が、巧みに泳ぎながら男に向って叫びました。

「 あなた!結婚してくれる、なんてウソだったのね?」
    
すると男も負けじと言いました。

「 き、君だって、泳げないなんて、ウソついたじゃないか!」
















人造湖



 飲み会の席でFさんから聞いたお話です。
奥さんと結婚する前、今から30年ほど前でしょうか、二人で旅行に行った際に、とある湖に立ち寄ったそうです。
湖は、ダムでせき止められた人造湖で、天気の良い秋の休日の事、観光客や釣り人で賑わっていたそうです。
 湖にはお約束のボート乗り場があり、Fさん達は手漕ぎのボートを借りて湖面に漕ぎ出ました。
爽やかな風が湖を渡り、Fさんたちは「ここから先は行ってはいけません」のブイのところまでボートを進め、のんびりと歓談しておりました。湖面には、他にも多くのボートが浮かんでいました。

 湖面に出て15分ほど。
湿った風がふうと吹いたかと思うと、白い霧がFさん達のボートを覆いはじめました。
こんなに天気がいいのに霧?と思っているうち、霧はあっという間に濃く深くなり、向かいに座った奥さんの姿もかすむ程です。

「岸に戻りましょ」

と怖がる奥さんを、

「山の天気は変わりやすいからな。
しばらく待てばすぐ晴れるよ。」

となだめながら、Fさんは岸の方向に見当をつけて、ボートを漕ぎました。

 さて、せいぜい5分も漕げば岸に着く筈なのに、しばらく漕いでも一向に辿り着きません。

「 おかしいな、方向を間違ったか?」

と、Fさんも少し焦り始めた頃、妙な事に気付きました。
さっきから、あれだけ浮いていたボートに、一艘も出会ってない。
それに、さっきまであちこちから聞こえていた、子供連れ客の歓声が全く聞こえない。
霧に閉ざされ、シーンと静まり返った湖面には、Fさんの操るオールがたてる水音だけが響いています。

「 あ、岸が見えた!!」

とFさんの背後を指差す奥さんの声に振り返ると、霧の中にこんもりとした森のシルエットが黒く見えています。

「 ああ、ホントだ。良かった。」

とホッとしたのも束の間、どうも様子がおかしい。

 近づいていくと、そこは岸ではなく、木々が生茂った小さな島でした。
周囲がせいぜい数十m位の。

この湖に、島なんかあったっけ?

そこで、Fさんたちは異様な光景を目にしました。
バシャ バシャ… と響く水音に、霧を透かして見てみると、島の一角から、白装束を身につけた人達が列をなして、湖に入っているのです。
岸には、順番を待つように、十人以上の白装束が無言で並んでいます。
 湖に入った人はそのまま歩み続け、湖面が足から腰、胸に達しても淡々と進み続け、遂に頭が湖面に沈んでも、再び浮き上がって来る事はありませんでした。

(何かの儀式?集団自殺?一体、何をやってるんだ?)

あまりに現実離れした光景にFさん達が言葉を詰まらせていると、霧がますます深くなり、数m先の島影さえ見えなくなりました。
 恐ろしくなったFさんが、必死になってあてずっぽうにボートを漕いでいると、1分としないうちに、さっきと同じ様に突然霧が晴れ、そこには観光客の歓声にあふれるのどかな湖の風景が広がっておりました。
 驚いた事に、Fさん達は岸のすぐ傍まで来ていました。
湖を見渡しても、島などはひとつもなく、霧のひとかけらも見当たりませんでした。
キツネにつままれたような気分で、いや、実際にキツネに化かされたのかと真剣に思いながらボートを返し、

「 この湖に、小さな島って、ありますか?」

と係の人に聞いてみると、

「 いや、ご覧のとおり、島なんてありませんよ。」
「 さっき、霧が出ましたけど、ここではよく霧が出るんですか?」 
「 へ?霧?いや、今日はずっとこの陽気で、霧なんか出ませんでしたよ?」 
「 早くここを離れましょうよ」

と奥さんに急かされて、バス乗り場に向い、やってきたバスに乗ろうとすると、バスの中は、ずぶ濡れの白装束の人々で一杯でした。
 老若男女の白装束が、髪の毛や袖口からポタポタと水滴を滴らせながら、それぞれが全くの無表情、無言で、バスの席を埋めています。
一番奥の席だけが2つ、空いているだけで、まるでそこはFさんたちが座る為に空けてあるかの様でした。

「 う、うわあ!」

思わずバスから転げ出たFさん達の背後でバスは出発して行きました。

「 あのまま、バスに乗ってたらと思うと、心底ゾーッとしますよ。
あんな、訳の判らない、気味の悪い思いをしたのは、後にも先にも、あれっきりですよ。」

Fさんは、そう言いながら、ぶるっと身体を震わせておりました。














心霊スポット案内 薗原湖



薗原湖は、群馬県沼田市、薗原ダムによって形成されるダム湖(人造湖)である。


概要

薗原湖は地元民や来訪者もよく見かけるほど心霊現象と思われるものが頻繁に起こっている。そうしたいわれは薗原ダム建設前の旧・薗原村や水没橋に関係している。 しかし、ダム完成後も赤い橋からの飛び降り自殺や、人間の死体が沈んでいたなどの事件が起こっている。また、上流からの水死体や事故死による死体が薗原湖 やその付近まで流れ着くのである。そのため、滅多に干上がることのない湖だが、水不足で干上がると人骨が見つかることもある。薗原湖に通じる道も狭く曲が りくねっているため、事故により薗原湖に車ごと落ちてしまうこともある。



心霊情報

旧・薗原村の時代に架かっていた水没橋だが、その昔は大変風揺れや足場の悪さがたたっていた。そのため人ばかりでなく、馬や牛までも多く転落してしまったという。そのため、現在の薗原湖に架かっている赤い橋の上では、人の霊だけではなく、蹄の音や馬のいななきが聞こえたりすると言われている。
また、赤い橋は飛び降り自殺があったところでよく報告される心霊現象と思われるものは橋の欄干に人が寄りかかっていたり橋の外側にぶら下がっていたりというものである。赤い橋の反対側にある山にも少々いわくがあり、よく出るという報告がある。そのいわくとは、明治維新のころ薗原村の付近を誰が統治するかをめぐって争いが多発しており、刃物三昧の刃傷沙汰で多くの村民が亡くなったという。このことは薗原騒動の一部として伝えられている。夜になると森の奥で白いものが動き回っていると言われている。
他にも多く目撃されているのが、地元の人々の間で一時期『離れ小島の白衣(びゃくえ)』と呼ばれていた女性の霊である。薗原湖の水位が高くなり、島となった場所に出現するといわれている。しかし、出現場所が定まらないときもある。




















 11年前の2月、何も無い湖の駐車場でガリガリの猫が寄ってきた。
よろよろと俺たちの前に来ると、ペタンと腹をつけて座った。
動物に無関心だった俺は“キタねー猫だな”と思っただけで、他に何とも思わなかった。
 猫を飼っていた彼女が、その猫を撫でながら言った。

「 こんな所にいたら、病気で死んじゃうね・・・。」

単細胞の若者だった俺は頭にきた。

「 何、こいつ病気なのか?
死ぬと分かってて放っておくのは殺すのと一緒だろ!
何言ってんだオメー。」

ドライブは中止。
そのまま膝の上に乗っけて車を運転して帰った。
 顔は目ヤニだらけ、鼻水で鼻はガビガビ、尻から出てきた回虫が俺のズボンの上を這っていた。
くしゃみで車のドアはベトベト、コホコホ咳をして、痰でゴロゴロいっていた。

「 どうするの、その子?」
「 治るまで俺が飼う。」
「 じゃあ名前は?」
「 うーん…、痰が詰まってるから…痰助。」
「 変な名前。」
「 うるせー。」

 獣医に寄って虫下しと風邪の薬などを貰って帰った
風呂場で綺麗に洗って、とりあえずシシャモとちくわを食べさせた、腹がカチカチになるまでがっついていた。
 ペットは駄目なマンションだし、治って暖かくなったら逃がすつもりだったが、1週間で方針を変えた。
あっという間にまるまると太り、誰が見ても目を細めるような人懐っこい顔になり、夕方になると俺の帰りを玄関に座って待つようになった。

 もともと飼い猫だったようで、トイレは最初からできた。車に乗るのが好きな変な猫だった。
人間も同じだろうが、食べ物で苦労したせいか、すごい食いしん坊だった。
冷蔵庫が開く度にダッシュで駆けつけ、何もくれないと分かると、わざと歩くのに邪魔な所に寝そべって俺に抗議した。
 かつては歴戦のツワモノだったようで、耳は食いちぎられて欠け、しっぽは折れたまま曲がり、ケガの跡のハゲがあちこちにあった。
当時は分からなかったが、そうとう歳をとった猫だった
歯が何本も抜けていて、筋肉も細かった、一日中じっとしていた、食べる時以外に走ることはなかった。
 ちょうど一年後、俺は痰助の誕生日を勝手に決め、仕事帰りに誕生日プレゼントとして一個千円のカニ缶を買って帰った。
普段は脇目も振らずに食べる痰助が、その日は一口食べるごとに俺の顔をじっと見ていた。

「 なんだよ、俺でも食った事ないんだぞ。
早く食わないと俺が食っちまうぞ。」

いつもどおり缶の底がピカピカに光るまで食べたのだが、無理をして食べているように見えた。
 誕生日の二、三日後、食欲が無く朝からぐったりしているので、いつもの獣医に連れて行った。
検査の結果、腎臓がかなり悪い事が分かり、即日入院となった。
 先生が抱き上げようとすると、必死に俺の肩に登ろうとした。
先生に抱かれて診察室の奥の部屋に行くとき、ガラスのドア越しに見えなくなるまで俺をじっと見続けていた。
あのときの哀しい眼差しを、俺は生涯忘れる事はないだろう。
 雪のちらつく朝、痩せた体に一輪の花を乗せて、痰助は大好きな車で俺と一緒にうちに帰った。
大工の弟に頼んで作った小さな棺に俺の写真と大好物だったちくわを入れて、痰助に出会った湖の桜の木の下に埋めた。
 
 今となれば分かる。
湖からの帰り道、あれは痰が詰まっていたのではなく、嬉しかったんだと。
今日も壁に掛かったコロコロの痰助が行儀良く座って俺を見ている。

 













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11月25日(日)のつぶやき

2018-11-26 06:57:50 | _HOMEページ_



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日々の出来事 11月25日 参加することに意義があるらしいもの

2018-11-25 07:00:00 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 11月25日 参加することに意義があるらしいもの






 今日は、クーベルタン男爵がオリンピックの復活を提唱した日です。(1892年11月25日)
1892年11月25日、クーベルタンはフランスのソルボンヌ大学で“ルネッサンス・オリンピック”と題した講演を行いました。
この講演の中でオリンピック競技大会の復興を提唱し、後に賛同者による国際オリンピック委員会 (IOC) の設立、1896年のアテネオリンピックへの開催へと繋がっていきました。
 クーベルタンは、近代オリンピックのシンボルである五輪のマークを考案し、パリのディドン神父の“より速く、より高く、より強く”という標語のもとに、“オリンピックは、参加することに意義がある”の言葉を残した人物です。








  クーベルタン男爵













☆今日の壺々話






 北京オリンピックの疑問



「 あ、ジミーペイジだ。」
「 ギターの電源入ってる?」
「 電気のコードは見えないけど・・・?」
「 これも口パク臭いな・・・。」
「 あ、ベッカムも出た!」
「 これはCGだろ。
 しかも中身は漢民族!!」
「 ジミーペイジは、着ぐるみかなァ?」
「 背中のファスナー見える?」
「 う~~ん?」

















体育教師1




 俺の中高では登下校時は革靴で、校内は上履きとしてスニーカーを履くことになっていた。
しかし高2くらいになると、面倒だから校内でも革靴で過ごす奴が増えてくる。
教師によってはそれをうるさく注意する奴もいた。
 ある期末テストの日、試験監督としてコワモテの体育教師が俺のクラスにきた。
試験が始まると、教師はさっそく教室を回りながら革靴を履いてる奴を指摘して回った。

「 革靴、革靴、はいお前も革靴、革靴、お前も、…。」

 しかし、その日、友人Mは前もって極上のネタを仕込んでいた。
オランダ土産の木靴を履いていたのである。
童話にでてくるような、デカくて先がクルンと丸まった木靴。
教師はMの席に近づいていく。

「 はい革靴、革靴、お前も革靴、革靴、木靴、革靴、革靴、…。」

教師は伝説となった。






体育教師2



 弟が高校時代、沖縄に修学旅行へ行った時の話。
有名な戦没者の碑の説明を受けてたが、騒いで落ち着きない生徒達。
学校一怖い体育教師がブチ切れて一喝、

「 お前らっ!いい加減にしろよ!!」

シーン・・・・・。

「 いいか、この ひまわりの塔 はなっ!」

ひめゆり、ひめゆり、ひめゆり・・・・・・。
 皆、必死で肩を震わせて堪えていたが、屈伏した者は次々と、気付かぬ教師の制裁の餌食になっていったらしい。





体育教師3



 体育大学での出来事。
ハンマー投げの模範演技を披露した先生。
回転中に足を滑らせ自分の側頭部に鉄球直撃。
 倒れた先生を見て“あっ 死んだな”と思ったが、
彼は数分後にムックリ起きあがって、

「 今のは悪い例です。」

と平然とのたまい、すぐに再び模範演技を再開したのだった。
 上級生に聞いてみると、その先生は以前にも同じようなことをしたのだという。
“体育教師は脳味噌まで筋肉で出来てる”という逸話を裏付けるような出来事だった。

















体育教師にありがちな特徴




運動できないやつにやたら厳しい。


何故か受験生の学年部に所属。


雨降ったら体育館でドッヂボール。


なんでも二人組にしたがる。


自分も参加して本気になっちゃう。


鉄拳制裁。


あだ名が「タックルベリ男(お)」
通称「べりお」。


口で言って分からない奴は暴力で教える。


脳筋。
ムキムキ。
暴力。


白いシャツ。


教育委員会の定めた規律を勝手に捻じ曲げる。


豪快=爽やか(清々しい)と思ってる。


わざとか知らんけど太陽がある方に立ち「まぶしいと思うがこっち向け」
だけど自分はサングラス。


非合理的な持論を生徒に押し付ける。


はい、四角く円を作って~!


教官室が無法地帯。


体がほぼパッション。


水泳の時ブーメランパンツ。


嫌われる教師って8割は体育教師だよな。


何か1つ必殺技を持ってる。



















ピザな自分は体育座りが苦手





 封印してた記憶が甦った。
昔、学年集会があり体育館で体育座りをして話を聞いてたんだけど、
チビのうえピザな自分は体育座りが苦手で、
前で組んでた手がプルプルして、そのうち限界を迎えてしまい、
後ろにひっくり返って、自分の列がドミノ倒しみたく、
みんな後ろに倒れちゃって、学年集会が一時中断してしまった。
 しかも、ひっくり返ったときにブブブオォォッて盛大にオナラまで出た。
あの日、あれからどう過ごしたのか記憶にない。
ただ、あの日から私のあだ名は爆心地になったことだけは覚えてる。




















土蔵




 俺が中学二年のときの話。
体育祭の日の朝、体操着を着て弁当の入った袋を提げて、きげんよく通学路を学校へ向かっていた。
 途中に、住宅街には似つかわしくない白壁の土蔵が一軒建ってる。
入口は、道路がわからは見えない中庭に面していて、白壁のずっと上のほうに明かり取りの小さな窓が一つあるだけ。
何気なくその窓を見上げると、無表情な男が中から道路を見下ろしていて、俺と視線が合った。
変だなと思ったのは、ふつう人間が知らない人とうっかり視線が合ってしまったら、反射的に目をそらすか、人によっては微笑むか睨みつけるかするだろうと思うのだけれど、その人はまったくの無表情で、じっと俺の目を見つめ続けていたのだ。
 すごく色白で、きれいに頭を散髪した、30前後の男だった。
20秒ほど見つめ合っていた。
やがて俺のほうから視線を逸らして、なにごともなく学校に着いた。
 ふつう土蔵の明かり取りの窓の内側には、階段も何もない、ということを知ったのは、ずっとあとの事だ。
もしも暗い夜道で同じことがあったら、たぶん悲鳴を上げて逃げ出していただろう。
そのていどの不気味さは、そのときも感じていた。
 実際には、雲一つなくよく晴れた明るい朝で、人通りもないわけではなかった。
だからそのまま登校したのだ。
しかしいま思い出すと、明るい街並みとあの無表情な顔との対比に、かえって寒々しさを感じてしまう。
















シャワー棟




 うちの学校はプールに併設して古いコンクリートのシャワー棟があった。
入り口はひとつで、中に入ると左右に男女別の扉があって、その奥は脱衣所みたいなロッカー室、さらにもうひとつ奥がシャワー室(敷居がなくてノズルだけがずらっと並んでいる)という構造。
 男女のロッカー室・シャワー室はちょうど左右対称になっていて、天井のところの20センチぐらいだけ男女で吹き抜けになっていた。
その男子シャワー室の中に、夜一番最後まで残っていた水泳部の奴らが深夜まで閉じ込められた。
 そいつら曰く、いつの間にかシャワー室と脱衣所の間の引き戸が開かなくなっていたらしい。
部活動終了の報告は先に帰った部長がやっていたため、しばらく後に当直に電源が落とされて真っ暗になった。
 運悪くみんなタオル一枚持ち込んでいなかったので濡れた体を拭くことも出来ず、シャワーの温水はやがてタンクの備蓄を使い切って水に変わり、晩秋の夜を震えながら過ごしたとか。

 で、真っ暗になってから数時間後、10時~12時ごろのいつかに突然女子シャワー室のほうからガラガラと引き戸を開ける音がした。
そしてペチペチとタイルの床を人が歩く気配。
 当然、閉じ込められた男子たちは大声で助けを求めたわけだが、どういうわけかその足音の人物はそれに全く反応することなく蛇口をひねってシャワーの水を出し始め、真っ暗闇の中で3分ほどシャワーをばしゃばしゃと浴び続けたんだとか。

 さすがに不気味になった3人がそこにいるのは誰だと素性を聞いても無視し続けて、最後はキュッと水を止めて、入ってきたときと同じように水音を立てながら引き戸を開け閉めして、その場からいなくなった。
それでも、続くロッカー室の扉や、建物自体の扉を開け閉めする音はいつまで経っても聞こえなかった。

 結局そいつらは深夜の2時ごろに家族の通報から始まっていた捜索で助けられたんだが、 女子シャワー室の一件から救出までの間に2回もしくは3回、引き戸を隔てた自分たち(男子)のロッカー室からロッカーの扉を閉めるような金属音が聞こえたという。

 引き戸は救出時にはちょっと引っかかっただけで特に問題なく開いたらしい。
立て付けが悪かったのでは、とのこと。
しかし出入り口の扉はというと建物、男子ロッカー、女子ロッカーのすべてが閉じて鍵がかけられており、扉の音を立てずに出入りすることはちょっとありえない状態だった。
そして、その鍵束は男子ロッカー室内のベンチの上と、職員室の2箇所にしかなかった。

 この話が出てからというものシャワー棟は気味悪がられるようになり、それまで唯一女子シャワーを使っていた女子バスケ部はシャワーを浴びずに帰るようになった。
 しばらく後になって別の場所にシャワー付きの部活棟が出来上がり、古いシャワー棟は取り壊され始めた。
今後「メディアセンター」という建物が出来るということで、俺たちの卒業時には更地になっていたが、
それから10年近く経った今も、何故かそこには何も建っていない。
















ジョージアの謎




 うちの高校は校内の裏手に小川っぽく水が引いてあるんだが、そのある特定の位置のレンガの上にいつも仏花1本とジョージアが置かれていた。

 さてはそこで誰か死んだりしたのかと思いきや、その花とジョージアを毎週木曜日の朝に置いているのは野球部で、その費用は野球部のOB会から寄付されており、そのOBたち自身も事情はよくわからないらしく、ただ昔からの伝統で置いているようだった。

 俺は校内新聞部だったので、みんなで、わが校最大のミステリー「ジョージアの謎」についてOBを当たって調べたんだが、40代50代の古参OBが知らない一方で1980年代半ばにはもう習慣があったらしい。

 ただ、その頃は仏花を添える習慣はなく、木曜日だけではなく毎日で、飲み物はレンガの上ではなく水中に沈めており、品目もジョージアではなくポカリスエットであり、そして1本ではなく野球部の人数分が用意されていたという。

そう、どうやら最初は「美味しく飲めるように清流で冷やしておく」ってだけだったようなのだ。
それが途中、小川が汚くなって来たために人気が無くなって需要が数本だけになり、飲みたい人だけが自前で買ってきて冷やし、いつかのタイミングで勝手に飲むようになった。

 結果、縁の薄い一般部員からは「あの缶は誰かに捧げている物」という誤解が加わってしまった。
そして1994年度、おそらく最後まで飲んでいたであろう人物が卒業したことにより缶が設置されなくなったわけだが、それに気付いた新部長が危機感を抱いて部費から缶代を落として設置するようにした。

 いつしか、缶の横には仏花が追加され、OB負担や木曜設置といった慣習もできあがり、あのミステリアスな「ジョージアの謎」が完成されたのだった。

 ちなみに、発端の94年度部長によれば、
「それまでいつも缶コーヒーが置かれていたのでその通りにした」ということで、
「ポカリの謎」ではなく「ジョージアの謎」になった原因は93年度卒業生の嗜好だったようだ。

 こうして「献花」という誤解が晴れたこの習慣だが、その結果途絶えることになってしまったかというとそうではなく、野球部の長い歴史に対する敬意とユーモア、そして願掛け的な意味が加わり、花の種類をもう少し楽しげなものに変えてその後も続いている。


















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11月24日(土)のつぶやき

2018-11-25 06:50:36 | _HOMEページ_





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しづめばこ 11月24日 P537

2018-11-24 11:20:19 | C,しづめばこ



 しづめばこ 11月24日 P537  、大峰正楓の小説書庫で再開しました。


小説“しづめばこ”は読み易いようにbook形式になっています。
下記のリンクに入ってください。
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