大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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A,日々の出来事

☆( 1年間366日分の日々の出来事  )

B,日々の恐怖

☆( 日々の恐怖 )

C,奇妙小説

☆(  しづめばこ P574 )                          

日々の恐怖 9月30日 商店街

2013-09-30 18:25:04 | B,日々の恐怖




    日々の恐怖 9月30日 商店街




 商店街で人はまばら。
寒いけど、陽は射していた記憶がある。

平日の昼間は人でいっぱいなのにな。
なんで人がいないのかな。

 私は母と二人でシャッターの閉まった商店街を歩いていた。
そこで、眠っている男がいた。

母は、「 さわってごらん。」と、うながしたので、
私はその男を、右手の人差し指でつついてみた。
(そのあとぺたぺた触ったかも知れない。)
人間よりも、とっても冷たかった。
不思議だった。
「 ママ、このひと、つめたいよ。」
問いかけた後には、母は後ろ姿。
走って追いつき、もう一度言う。
「 さっきのひと、冷たかったよ。」
「 そう。」

今思うと、正月だったんだろうな。
どうして触らせたのだ、母よ。














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日々の恐怖 9月29日 ユニットバス

2013-09-29 18:14:01 | B,日々の恐怖





      日々の恐怖 9月29日 ユニットバス





 ある日のユニットバス施工仕事の話です。
うちの会社が施工したマンションのユニットバスが天井から水漏れすると言う苦情を受けて直しに入った時、苦情を入れた住民の方側のユニットバスを見ると、確かに天上が水漏れで蓋が黒ずんでいた。
 直ぐに蓋を外すと配水管とコンクリートの微妙な隙間から水が漏れてきている事が解った。
マンションは全て、全階水周りは同じ配置にされているから上の階のユニットバスに何か問題があるのだと思い、上の住民に説明してバスに入らせてもらった。
 家主が少し汚れていますけれどと断りを入れるので、ああ、掃除不足なのかと思って入ってみると、施工から一年も経っていないのにそこら中が水黴に侵食を受けていた。
僅かに水が腐ったような匂いまでしていて、プラスチックのパーツの隙間を埋めている白かったシリコン材が黴に食われて真っ黒に変色していた。
 こんなになっていても家主は気にならないのかと、よっぽど不清潔なのかと思うと、汚いのは風呂場だけで他の部屋はは小ざっぱりとしているし、家主も人がよさそうな小奇麗な40代風の女性でそんな風には見えなかった。
 気味が悪かったが仕事なのだからと諦めて排水部を確認してみると一体型の床部分、強化プラスチックに亀裂が入ってしまっている事が解った。
そんなに簡単に亀裂が入るわけがないと目を疑ったけれど当然現実、バスは床部分をあわせ、全取替えになってしまった。

 後日、ユニットバスを解体してバス一体型の床部を持ち上げると、コンクリートとの間にグズグズに崩れかけた出来損ないの人形みたいなものが落ちていた。
 会社の先輩と自分二人で来たんだが、二人ともそれを見て顔面蒼白。
それは、髪の毛の束を無理やり包帯で包んで人型にした様な物だった。
茶色のゼリー状のにこごりの様な物体がこびり付いた人形の体中心部分には、錆びた裁縫針が山ほど刺さっていた。
 正直触りたくもないと思ったけれど、十中八九原因はコレなんじゃないかと思い、ここで躊躇したら、またここに来なければならないと思い至る。
仕方がないのでゴム手で引っつかんでポリ袋に入れて帰社途中、適当なゴミ置き場に放置してきた。

 家主は、それの存在を知ってか知らずかその後の素振りも全く普通、こちらにはそういった話はしてこなかったし、自分達も余り触れたくなかったので、そのまま施工を終えて帰ってしまった。
 しかし、原因を作ったのがあの家主で、またユニットバスが壊れたとしたらどうしようかと今でも少し落ち着かない。
今のところ何もクレームがないので大丈夫だと思うんだが・・・。














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日々の恐怖 9月27日 写真

2013-09-27 18:04:11 | B,日々の恐怖





     日々の恐怖 9月27日 写真





 Kさんが子供の頃のお話です。
運動会の写真に写った5人を、最初は気付かなかったそうです。
 ある日の休み時間に、家族が撮ってくれた写真を友達同士で持ち寄って、見せ合いっこをしました。
Kさん達小学校6年生が、運動会で組体操をした時の写真です。
 背景に写る校舎の屋上に、5人の男達が立ち、手すりに寄りかかって運動会を見物しています。
よく見ると、5人の男は作業着の様な服を着て、2~3人は工事現場のヘルメットを被っています。
 屋上は、当然立ち入り禁止です。
工事でもしていたのかな?でも、運動会の日に工事なんてしてなかったし、する訳ないよ、と皆で不思議がり、他の写真も見ましたが、何故か屋上に人影が写っているのはその1枚だけでした。
 そこに担任の先生が来たので、

「 せんせ~、運動会の日に、学校で工事か何かしてた?」

と聞いてみると、先生は、

「 ン?してないぞ。
わざわざ運動会の日に工事なんてする訳ないだろ?」

と、予想通りに答えました。

「 でも、これ…。」

と、その写真を見せると、先生は、

「 う~ん、これは…。」

と写真を見て言いました。
 先生は、不審者が入って来た可能性を心配したのか、

「 ちょっと、この写真を貸してくれ。
他の先生にも聞いてみるから。」

と、その写真を胸ポケットにしまいました。

 後日、その写真はKさんの元へ返却されました。
先生は、

「 たぶん、塗装業者の人が、下見に来たんだろう。
もうすぐ、校舎の壁を塗り替えるから…。」

と、何となく曖昧な事を言っておりました。
 確かに、校舎は古く、そう言う事かと納得。
子供の事ゆえ、既にその写真には興味を失っていたので、それ以上の詮索もしませんでした。

 Kさんが大学生の頃、その先生が定年退職するので、久々に同窓会が開かれました。
席上、先生が思い出話のついでに、Kさん達にあの写真の事を語り始めました。

「 あの時は言わなかったけど、あの写真は俗に言う『心霊写真』かもしれんぞ。
実は、あの日は工事も下見も入っていなくて、職員室でもちょっとした騒ぎになったんだ。
念の為に屋上を調べても、鍵はしっかりかかったままで、人の入った形跡が全く無くてな。」

Kさん達は忘れかけた話を鮮明に思い出しました。

「 あの校舎、あの棟だけ3階建だろ、他の棟は4階建てなのに。
お前らは知らんだろうが、昔、学校を建設する時には、あそこも当然4階建てにする予定だったが、4階の工事をしている時に、立て続けに事故が起こったそうだ。
それも、常識では考えられない様な事故がね。
それで、5人の死者が出て、4階部分の工事は中止されて、結局あそこだけ3階建てになったそうだよ。」

 不審に思ったKさんは、家に帰ってから昔のアルバムをもう一度確かめて見ようと思いました。
しかし、いつ紛失したのか分かりませんが、何故かあの写真だけがアルバムには見当たらなかったそうです。
そして、その校舎も今では綺麗に立て替えられて、既にこの世から消えてなくなっていると言う話でした。













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日々の恐怖 9月26日 ホテルスタッフ

2013-09-26 18:28:22 | B,日々の恐怖




   日々の恐怖 9月26日 ホテルスタッフ




 都内の某ホテルのスタッフだけど、夜勤するスタッフにはスタッフ用仮眠室があるが、稼働が低い時なんか客室で仮眠をすることがある。
 皆、実はそれを嫌がっている。
それは何故かというと、必ずと言っていいくらいドアをノックされるフロアがある。
その部屋、じゃなくてそのフロア自体がなんかおかしい。
夜間巡回も、そこだけ避けたい。
 宿泊客からも、

「 ノックされたんですけど・・・。」

って内線が来る。
しかたなく確認に行くけど、ほんと怖い。
 ホテルは都内に数店舗あるけど、うちは何も(事故や自殺等)無い。
でも宿泊客で“このフロアは嫌だ”と言う方がたまにいる。
 さっきもそのフロアから内線があって、

「 ノックをされたけれど見たら誰もいない、気持ち悪い。」

と言われた。
こちらは半ば、“またかぁ・・・。”という感じだったが、とりあえず別フロアに案内した。
長い夜になりそうです。













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日々の恐怖 9月25日 姉貴

2013-09-25 18:28:05 | B,日々の恐怖





    日々の恐怖 9月25日 姉貴





 僕が中学に入ったばかりの頃、仔犬がうちに来ました。
母の知人のところで仔犬が何匹か生まれて、1匹もらってくれないか、って話で。
仔犬が来る日、かぎっ子だった俺は学校が終わったら寄り道もしないですぐに帰宅し、母がパートから仔犬を連れて帰ってくるまでワクワクしながら待ってました。

 夕方になって母が連れて帰ってきた新しい家族は、まだ足が滑ってしっかり立つこともできずにふるふると震えている、
本当にまだ犬の姿になったばかりの、小さな小さな子でした。
白いから“シロ”。
名付けたってほどじゃなくて、いつのまにかそう呼んでました。
 もちろん僕も可愛がってはいたんですが、僕よりも母がものすごく可愛がってました。
元々足の骨がしっかりしてて、父が、

「 こいつ多分けっこう大きくなるんじゃないか?」

と言ってたんですが、父の予想通り1年もすると中型犬と大型犬の間ぐらいまでに成長してました。
 少し遠い私学に通っていた僕は部活で遅くなることも多く、ちょうどその1年ほどの間、土日しか散歩に連れて行ってなくて、平日は両親が一緒に散歩に行ってました。
シロの食事も僕の帰宅前に母があげていたこともあって、1年が経った頃にはシロの中で僕の地位は、母>父>自分>僕 になってました。
つまり僕を弟分として認識していたようで・・・。
おかげで僕の言うことなんか全然きくわけもなく、完全に対等な感じでした。
 母が帰宅したときには玄関まで行って、尻尾なんて4~5本に見えるぐらいの勢いで、ぶんぶんぶんぶん振り回しての盛大なお出迎え。
僕が帰ると、いつもの座布団で寝そべったまま、尻尾をパタパタ。

「 お前もうちょっとちゃんと出迎えしろよ。」

って言うと、

「 ふぅ。」

なんて鼻で溜め息つかれたりして。
一応尻尾はパタパタ振りながらでしたけど。
 でも、やっぱり弟分として嫌われてはいなかったようで、学校で少しいじめられてた時期があったんですが、落ち込んで部屋でぼーっとしてたらトコトコやってきて、僕の腕のところに顔を乗せてじっと僕を見つめてたり、ベッドで横になってたらそっと寄り添って寝ててくれたり、そんなこともよくありました。
彼女にとっては“できの悪い、でも可愛い弟”だったんでしょうね。
 やがて高校、専門学校と進んで就職も一人暮らしもして、彼女もできて一緒に住んだりして実家に帰ることも少なくなり、シロと顔を合わせることも滅多になくなってました。
たまに帰ると、いつも通り寝そべったままパタパタ。

 そしてシロがうちに来て15年。
犬としては長寿ってほどじゃないけど、そろそろおばあちゃん、体も弱ってきて、散歩にも行きたがらない事が多いとか、食事の量が減ってきたとか、たまに母から電話があると、シロのことを心配してよくそんなことを話してました。
その頃から両親は、もうそう長くはないのかも知れないと感じていたようです。
 それから半年ほど経ったある日、母から、

「 あと何日ももたないかもしれない。」

と電話があり、あまり切迫感もないままとりあえず週末に実家に帰りました。
 玄関のドアを開けると、そこにシロが寝てました。
もう動くこともままならず、それでも昔のように尻尾だけはパタパタと振ってくれて。
びっくりして涙が出そうになるのをガマンして、

「 ただいま。」

と言いながら頭を撫でると、相変わらず尻尾パタパタしながら目だけで、

「 おかえり。」

みたいな。
 もう食べることもできず、そのままでは床擦れになるのでたまに向きをかえてやるぐらいしかできなくて。
でもたまに、クゥゥって鳴いたときにスプーンで水を飲ませてやると、目を細めてました。
 夜中2時ごろまでそうしてて、少し眠くなったので部屋で寝て、朝玄関に行くと、もうシロは冷たくなっていました。
両親はぼろぼろ泣いてぐちゃぐちゃになってましたが、僕は実感がわかず涙も出ませんでした。
 ただ、もっと僕が散歩連れてったり、ご飯あげたり、色々してやればよかったな。
そんなことをぼんやりと考えてました。
あんまり実家帰ってなかったし、きっと俺の印象薄かっただろうなぁって。
 翌日、ペット霊園にお願いしてシロとお別れしました。
やっぱり僕は泣けなかったけど。
 その日の夜、少し早めに布団に入ったんだけど、眠かったわけでもないのでぼーっとしていました。
冬だったので寒くて頭まで布団の中にもぐって、ぼけーっと。
 トットットッ・・・と足音が聴こえました。
人間の足音でないことぐらいわかります。
でも、もちろんすぐに“シロだ”とは思えず、“猫が入ってきたのか・・・?”とか“空耳?”とか色々ぐるぐる考えてました、って言っても一瞬だけど。
 そしたらお腹の辺りにもたれかかる感じがして、すぐ太ももの辺りにパタパタ・・・って。
“あ、シロだ!”と思ったけど、なぜかそのままじっとしてました。
しばらく重さだけの感覚があって、その後あの鼻で溜め息が聴こえて、たまらなくなって顔を出したら頬にペロッと。
 その途端、お腹の辺りに感じてた重さも、尻尾のパタパタもフッと消えて、何もなかったような一人きりの静けさが戻ってきました。

“ あ・・・、お別れに来たんだ・・・。”

そう思ったら、いきなり涙がぼろぼろ流れて止まらなくなりました。
 シロの生意気な仕草や、落ち込んでる僕を優しく見守ってくれてたのが、そういう色んなことが一気にあふれてきて、声を上げてぼろぼろ泣きました。
ありがとう、あんまり会ってなかったけど、できの悪い弟を最後まで心配してお別れに来てくれたんだよね。
ちょっと偉そうだけど優しい姉貴がいたこと、ずっと忘れないよ。














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日々の恐怖 9月24日 母親

2013-09-24 18:13:51 | B,日々の恐怖





      日々の恐怖 9月24日 母親





 中学からの親友から聞いた話です。
彼女の出生時、大量出血などで母親は死亡、一度も我が子を抱きしめる事なく逝ったそうだ。
父親は無口で優しかったが出張の多い人で、彼女は祖母に育てられたらしい。
 昔からものすごく人に気を使い、とても明るい彼女だったが36才で遅くなったが結婚し、出産した。
無事に子供は生まれたものの、その頃から彼女は壊れて行った。

「 どうしても我が子を愛せない。」

と言っていた。

 ある日心配で見に行くと、泣き叫び汚物臭のする赤子。
友人はその傍らで、耳を塞いで震えていた。
 私は子はいなかったがとにかく赤ちゃんにミルクを飲ませ、オムツを換えてやり、当時出張中だった友人の旦那にすぐ戻るように電話を入れた。
急いでも帰りは夜になるというので、それまでいる事になった。
 子供のように泣きじゃくる友人は、

「 どうやっても可愛いと思えない。」
「 泣かれると、殺したくなる。」

と病的な発言。
育児ノイローゼだったんだと思う。
 夜には旦那も戻り、育児協力と彼女を診療内科に連れて行く事を約束させ、私はその場を後にした。

 その翌日の仕事帰り、彼女のことが気になって仕方なかった私はすぐに彼女の家に向かった。
胸を絞め付けられながら開けた玄関の中に立っていたのは、晴れやかな顔をした彼女だった。
そして腕にはぐっすり眠る赤ちゃんがいた。

「 昨日はごめんね~。」

と、あっけらかんとした彼女に呆気にとられ、私はその場に座り込んでしまった。
で、落ち着いたところで話を聞いてみて驚いた。
 昨夜泣きつかれて、子は旦那に任せ眠ってしまったらしい。
そして夜中少し息苦しく目を覚ますと、若い女の人が涙を浮かべ彼女を抱きしめていたそうだ。
あまりの事に固まっていると

「 これが母親の愛情よ、覚えておきなさい。」

そして、

「 抱きしめてあげられなくて、ごめんね。」

と消えてしまったそうだ。

 それは、写真でしか見たことがない彼女の母だったらしい。
それから彼女は居間へ行き、改めて我が子を抱きしめてみると今まで感じたことのない愛しさと涙が溢れ出したと言っていた。
“愛せなかった”ではなく、“愛し方を知らなかった”のだと思う。
それを、一度も彼女を抱けなかった母が教えに来たのだと思った。
 今では彼女は立派な親バカです。
ただひとつ、母親は自分より一回り以上若かったことが悔しいと笑っていた。












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日々の恐怖 9月23日 食品スーパー

2013-09-23 18:09:55 | B,日々の恐怖




    日々の恐怖 9月23日 食品スーパー




 これは私がバイト場で体験した話です。
私のバイト先は超大型食品スーパーで、一日11時間労働など当たり前です。
社員に至っては13時間働く人も。
 そんな人手不足の中、納品が79台と大変多いときがありました(普段は30台~50台)。
そのときは私がバイト仲間に電話しまくって、5人が臨時で来てくれることに。

 K氏、Y氏、O氏、I氏は到着したのですが、最後の一人のT氏がいつまで待っても来ない。
とうとう時間になっても現れず、その日のバイトは総勢12人で、深夜3時まで続きました。
 翌日は日曜日で、朝6時から開店なので、あと3時間しかありません。

Y氏「 あと3時間後にはまた労働かよ~・・・。」
K氏「 辛すぎだよなぁ~。」
私 「 それはそうと、T氏はなぜ来なかったんだろ?」
Y氏「 知るか!あんな裏切り者!」
I氏「 つか俺、このバイトやめたいよ・・・。」
O氏「 まぁまぁ、それよりみんなこの後どうする?三時間しかないなら、このままホテルで寝ない?」
私 「 あ!それいいかも!俺はその話乗った!みんなは?」
K氏・Y氏・I氏「 俺たちもいいぜ。」
O氏「 よし!決まり!この近くのムーン○○ト行こうぜ。」
一同「 そこラブホじゃねぇかよ。(笑)」
O氏「 まぁいいじゃん。(笑)」

などと会話は進み、ホテルへ向かう一同。
 ホテルへ着き部屋を取り、みんなで川の字で床につきました。
ところが寝始めて一時間もしない内に、みんながみんな起きはじめたのです。

O氏「 ・・・なぁ・・・T氏が夢に出てきた・・・。」
私・Y氏・I氏 「 俺も・・。・」

そこでみんなは自然と口ごもって、何も言わず固まってまた寝始めました。
 後日、この話をこの面子でしたとき、みんな見た夢は一緒だったのです。
それは、

「 79台かよ~、何時になるかわかんねぇな~。」

などと呟くT氏。
私たちはバイクを運転するT氏の斜め後ろで、一部始終を見る羽目に。
 そこはお世辞にも見通しがいいとは言えない、十字路なのですが、T氏は信号が青なので、ノンストップで通過しようとしたとき、信号無視のトラックの側面に突っ込んで行きました。
T氏は即死。
トラックはひき逃げで、そのまま闇に消えていきました。
ここでみんな目を覚ましたのです。

 日曜日になってもT氏とは連絡がつかず、朝6時から働き始めて、休息を入れながらもう時間はpm9時。
みんなで冷凍食品の品だしをすることになり、超大型冷凍庫に入ることに。
目的の商品を取り出し、私とY氏で扉を閉める。(錆びてて重いんですよ。)
品だしをすること30分ほど。

社員「 おいY!ちゃんと扉閉めろ!解けちまうだろうが!」
Y氏・私「 ちゃんと閉めましたよ?」
社員「 5cmくらい開いてたぞ。」

ここでY氏と私は目を合わせ、一緒に扉を閉めにいきました。
 仕事に戻り5分もしないうちに、同じ社員から同じことを言われる。

“ さすがにおかしい!”

という事になり、休憩を貰い、冷凍庫がなぜ空くのかY氏と私で見ることに。

“ ガチャン!”

と大きな音を立てて、完全に閉まる重い扉。
この扉は開けるときも、物凄い力を必要とする。
 扉を見守ること早8分。

Y氏「 あかねーじゃん。」
私「 だねぇ。」

などと談笑になり始めたそのとき、

“ ガチャ・・・。”

と、扉が5cmほど開いたのです。
 Y氏と私は目を見合わせ、何かの間違いだろうと再度を扉を閉める。
今度は閉めて30秒もしない内に、

“ ガチャ・・・。”

と開く。

 流石に怖くなったので、社員に扉が壊れてると話し、バイト仲間全員で商品を第二冷凍庫に入れ替える。
しかし扉は壊れておらず、ただの骨折り損、くたびれもうけとなってしまった。
 このまま仕事を続け、仕事を終えた後、昨日の面子で冷凍庫を検証することに。
やはり、5分おきくらいに開く扉。
何度目だろうか・・・3度・・いや、4度ほど繰り返し、また閉めたそのとき、

「 なんで俺だけなんだよ・・・。」

空耳ではなかった。
みんな聞こえていた。
その声は紛れもなく、T氏のものだった。


 翌日、T氏の親がバイト場に電話して来て、すべての事実を知った。
T氏は土曜の夜急遽バイトが入り、バイクで慌てて出て行って、例の十字路でひき逃げされて即死。
その事実を聞いたとき、私たちは背筋が凍るような思いでした。

 私たちはその日限りで4人一緒に辞めて、それぞれバラバラの道を進みました。
これが私が経験した唯一の恐怖体験です。

 そして、この話には続きがあります。
私達が辞めた後、スーパーは極度の人手不足で一時閉店するほどに。
表向きは人手不足でしたが、仲のよかった社員に真相を聞いたとき、私は確信しました。
T氏が呪っていると。
 話の内容は、私たちが辞めて一ヶ月後に店長が謎の変死。
その後3日後、今度は主任が過労死。
主任の死から一週間後、食品担当の社員が自殺。
私達面子はみんなで集まりT氏のお墓参りをして、その後二度と会いませんでした。
 そのスーパーは、今でも営業しています。
私達全員が辞めた後、他店から派遣された新しい人達で再建したそうです。













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日々の恐怖 9月22日 開かずの間

2013-09-22 18:19:57 | B,日々の恐怖






        日々の恐怖 9月22日 開かずの間






 俺んちは田舎で、子供の頃から絶対入るなと言われていた部屋があった。
入るなと言われれば入りたくなるのが人情ってもんで、俺は中学生の頃こっそり入ってみた。
何て事は無い、普通の部屋だった。
 変な雰囲気もないし、窓からはさんさんと日光も入ってきて、何も怖くない。
なんだ、ただ単に部屋を散らかされるのが嫌であんな事言ってたのか、と思い拍子抜け。
退屈ということもあって、その場で眠ってしまった。
それでも金縛りにも全然あわないし、数時間昼寝して起きた。
 寝てるときも起きてるときも怪奇現象一切無し。
やっぱり全然怖くない。
入るなと言われてた部屋だから、怖いのを期待してたのに・・・。
 部屋を出るときに、何気なく部屋にあったタンスの引き出しを開けたら、和風の人形(雛人形を小さくしたような感じ)が一体だけ入ってた。
人形が入っている引き出しはそれだけで、他の引き出しには普通に着物とかが入ってた。
こえぇええと思った。


 後になって(人形の話とかはせずに)、ばあちゃんに聞いてみたら、なんでもあの部屋は親父の妹さん、つまり俺から見ると叔母さんに当たる人の部屋だったらしい。
タンスの中の物も全て叔母さんの物。
といっても、もう当時からも30何年も前の話。
 家を今の状態に建て替えたのは、両親が結婚してすぐのことで、 将来子供が(まあ俺のことなんだが)出来たときのために、二世帯住宅化したわけだ。
で、その時に、少し庭を潰して増築したのがまずかったらしい。
 その増築したところに建っているのが『入ってはいけない部屋』。
つまり叔母さんの部屋だったんだが、どうも家を新しくしてから叔母さんの様子がおかしくなった。
 まず最初は、部屋で寝たくないと言うようになったらしい。
叔母さんの話によると、新しい部屋で寝るようになってから、どんなに熟睡していても、夜中の3時になると決まって目が覚めるようになったらしい。
そして、目を開けると消したはずの電気が点いてて、枕元におかっぱの女の子が座って居るんだって。
そして、不思議なことに、煌々と点いた灯りの下で、女の子の顔だけが真っ黒になっていて見えない。
でも、何故か叔母さんには解ったらしい、笑ってるって。

 そんなことが1週間くらい続いた。
叔母さんは頭の良いしっかりした人で、最初はみんなに気味の悪い思いをさせたくない、と黙っていたんだけど、もう限界と、じいちゃんに言ったらしいんだ。
だけどじいちゃんは、

「 嫁にも行かんで家に住まわせて貰っているくせに、この大事な時期(親父とお袋のこと)にふざけたこと言うな。
出て行きたいなら出て行け。」

と突っぱねた。


 それから半月くらい経って、ばあちゃんふと叔母さんの話を思い出した。
近頃は叔母さん何も言わなくなったし、一日中妙に優しい顔でにこにこしていたから、もう新しい家にも慣れて変な夢も見なくなったんだろう、くらいに考えて、叔母さんに聞いてみたんだ。
そしたら叔母さん、にこにこしたまま、

「 ううん。
でももう慣れたよ。
最初は一人だったんだけどね、どんどん増えていってる。
みんなでずっとあたしのこと見下ろしてるんだ。」

そう言って「あはははは」と、普段は物静かな人だったという叔母さんには、とうてい似つかわしくない笑い声を上げたらしい。
たぶん、叔母さんのその話が本当だったにせよ、夢や幻覚のたぐいだったにせよ、この頃にはもう手遅れだったんだろう。

 叔母さんの部屋の隣は、じいちゃんとばあちゃんの部屋だったんだが、その日ばあちゃん、真夜中に隣から「ざっ、ざっ、ざっ、ざっ」って、穴を掘るみたいな音がして起こされた。
叔母さんの部屋に行ってみると、部屋の畳が引っぺがえされてる。
そして、むき出しになった床下で叔母さんがうずくまって、素手で一心不乱に穴を掘ってるんだよ。

「 何やってるの!?」

ばあちゃん、さすがに娘が尋常じゃないことを察して怒鳴った。
でも、叔母さんはやめない。
口許には笑みさえ浮かんでいたという。
 しばらくして「あった……」と言って、床下からはい出してきた叔母さんの手に握られていたのは、土の中に埋まっていたとは思えないほど綺麗な『小さな日本人形』だった。
叔母さんはばあちゃんに人形を渡すと、そのまま笑顔で壁際まで歩いていき、

ごんっ、ごんっ、ごんっ、

何度も何度も自分の頭を壁にぶつけだした。

ごんっ、ごんっ、ごんっ、

「 何やってるの××(叔母さんの名前)!」

ばあちゃんは慌てて止めようとしたけど、叔母さんはすごい力で払いのける。

「 何やってるんだろう?本当だ。
あたし、なんでこんなことやってるんだろう。
わからない、わからない、わからない・・・・。」

叔母さんの言葉はやがて、意味のない笑い声の混ざった奇声に変わっていった。
そして、ばあちゃんは聞いてしまったという。
叔母さんの笑い声に混じって、確かに子供の、しかも何人もの重なった笑い声を。
 叔母さんはそのまま10分以上頭を壁にぶつけ続け、最期は突然直立し、そのまま後ろ向きに倒れ込んだ。
おもちゃみたいだった、ってばあちゃんは言ってた。
 起きてきたじいちゃんが救急車を呼んだが、駄目だったらしい。
延髄だの脳幹だの頭蓋骨だのが、ぐっだぐだだったとか。
話を聞いたお医者さんは信じられない様子だった。
自分一人でここまでするのは不可能、とまで言われたらしい。
殺人の疑いまで持たれたとのこと。


 さすがにここまでになったらじいちゃんも無視できず、娘をみすみす死なせてしまった後悔もあって、お寺さんに来て貰ったらしい。
住職さん、部屋に入った瞬間吐いたらしい。
 何でも昔ここに、水子とか幼くして疫病で死んだ子供をまつるほこらがあって、その上にこの部屋を作ってしまったから、ものすごい数の子供が溜まっているらしい。

「 絶対この部屋を使っては駄目だ。」

と、住職さんにすごい剣幕で念を押された。
 ばあちゃんが供養をお願いした例の人形は、

「 持って帰りたくない。
そんな物に中途半端なお祓いはかえって逆効果だ。
棄てるなり焼くなりしてしまいなさい。」

と拒否られたらしい。
 で、そこからは怪談の定石。
ゴミに出したはずの人形が、いつの間にか部屋のタンスに戻ってたり、燃やそうとしても全く火が点かず、飛んだ火の粉で親父が火傷したりと、もう尋常じゃないことになって、困りあぐねて最後は、とりあえず元の場所に埋め戻して、部屋は丸ごと使用禁止にしたって訳。
 悲惨な話だから、経緯は俺に言わないでおいてくれたらしい。

「 とりあえず、元の場所に戻したのが良かったのか、人形はそれっきり。
また出てこないと良いけどねえ。」

うん。
ちゃんと出てきてたよ、おばあちゃん。












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日々の恐怖 9月21日 泥人形

2013-09-21 18:39:48 | B,日々の恐怖




    日々の恐怖 9月21日 泥人形




 最初は、ほんの冗談だった。
どのクラスにも、一人どうしようもない馬鹿がいる。
うちのクラスにも、ノロと呼ばれているヤツがいた。
なんでも信用するので、からかって遊んでいたのだが、ノロは、なぜか俺が気に入ったらしく、よく俺の言うことを聞いていた。

 ある日、「呪いってどうやってかけるか知ってる?」と、あまりにも馬鹿なことを聞いてきた。
“中3にもなって、呪いなんて信用するかなぁ・・。”って思ったけど、彼の顔を見ていたら、からかいたくなったので、

「 知ってるさ、ブーズー教の呪いの人形さ。
まあ、みてなって、カッターだせよ。」

そして、そのカッタ-で彼の指を少し切った。
彼は、真っ青になったけど、俺はそのまま進めた。

「 そして、この血をな、こうやって泥と混ぜて人形をつくるんだ。」

俺は、15センチ程度の血の混ざった泥人形を作った。

「 お前が、呪いたいのは・・・Tだろ?」

ノロは、びっくりしてコクっと頷いた。

「 本当は、彼の持ち物か、髪や爪があればいいんだけどな。」

すると彼は、かばんの中からヘアーブラシを取り出した。

「 お!それ、Tのか!
あいついつもお前のこといじめてるからな。
しかし、よくブラシなんか、ガメてきたよな。」

俺は、手早くブラシから髪の毛を取り出し、泥人形の中にうめこみ、Tの名前を書いた。
それから、

「 命をとるとあんまりだろう。
足でいいんじゃないか。」

釘を人形の足にねじこんだ。

「 そして、これを暗くて、誰にも見つからないところに隠すんだ。
すると、早くて2、3日、長くても1~2週間で効果がでるんだぞ。
最後にこれだけは守れよな。
効果が出たら、すぐに川か海に流すんだ。」

 彼は、信用したのか泥人形を何処かへ隠しにいった。
俺は、もう可笑しくって、可笑しくて、ノロがあんな泥人形を大事に抱えていったことを笑った。


 それから、二日がたった。
ノロが俺にドモリながら聞いてきた。

「 ね・ねえ。
い・いつ、きくの?」

最初は、何のことかよくわからなかった。
 ようやくなんのことか思い出したとき、友達が血相を変えて教室に入ってきた。

「 Tが、昨日の夜、交通事故に遭ったぞ。
盗んだバイクを乗り回していて、スピードの出しすぎで。
命には支障ないけど、動けないそうだ。」

友達の話が最後まで聞けなかった。

“ なんで、あんないいかげんな呪いが効くんだ。
いや、偶然だ。
なんで、あんないいかげんで思いついたような呪いが・・・。
でも、なぜ、あんなにスラスラと出てきたんだろう? ”

放課後、ノロが俺に言い寄ってきた。

「 すごいね、すごすぎだね。
いまから、人形、川に流すから、すごいね、すごいね。」

ノロは、ニコニコして飛ぶように帰っていった。

“ なんてヤツだ。
ヤツには、罪悪感がないのか。”

 クラスの仲間とTの見舞いにいったが、彼には会えなかった。
Tは、右足を切断したそうだ。
俺が釘を刺したほうの足だ。
 暗い気持ちになって、見舞いから帰る途中、近くの神社でノロを見た。
そわそわしながら、裏手の方から闇の中へ消えていった。
 なんとなく気になって、ノロのいた方へ行くと神社の裏手の羽目板がずれていた。
それを動かすと、血まみれの泥人形が出てきた。
その人形には、俺の名前が書いてあり、釘は額に刺してあった。













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日々の恐怖 9月20日 メール

2013-09-20 18:25:34 | B,日々の恐怖




    日々の恐怖 9月20日 メール




 中学の時、変なメールが来た。

「 今日のスープは僕が塾でした。月曜の (顔の絵文字) 」

みたいな。
 気持ち悪いの来たな・・・、と思って無視してた。
そしたら、一ヶ月に2、3通ペースでメールが来るようになった。
 着信拒否はしなかった。
うっとうしいけど、チェンメとかの類いではなかったから無視してた。
 それから一年ぐらいメールはこなくなり、次に来た時は画像を添付してくるようになった。
ビニール袋の写真が貼ってあって、

「 これは君の顔 」

とか相変わらず気持ち悪いメールだった。
 さすがに着拒を考え始めた時にきたメールに貼ってあった写真は、うちの近所の住所の写真だった。
たまたまかもしれないが、一気に鳥肌がたった。
 仲のいい友達以外にアドレスは教えてなかったし、どこかに書いたとか、漏れるようなことはしてなかった。
この気持ち悪いメール送ってたヤツが近所に住んでるとか怖すぎる。














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日々の恐怖 9月19日 坂道

2013-09-19 18:03:57 | B,日々の恐怖




      日々の恐怖 9月19日 坂道




 私の地元に十七坂という坂がある。
この坂はある曰くつきの坂で、地元では少し有名だ。
一説によると、この坂で子供が転ぶと、その子供に17才の時に災いが起きると言われている。
私が子供の頃も、怖い話の1つとして、この坂は近所の子どもたちの間で大変に有名であった。

 小学生時代のある日、私はM君という友人と他の友人と数人で、外で自転車に乗って遊んでいた。
するとしばらくして、同じクラスのちょっとヤンチャなガキ大将的なグループと遭遇した。
話しをすると、ガキ大将グループはこれから十七坂に度胸試しに行くという。
話の流れで我々のグループも付き合わされることになり、自転車で列を作って一緒に十七坂に向かった。

 程なくして十七坂に着いた我々。
しかし度胸試しと言っても、そのような少し怖い逸話があるというだけで、十七坂自体は、少し急なことを除けば、コンクリート造りの、都心の住宅地にありがちな至って普通の短い坂であり、見た目が不気味なわけでも、周辺が薄気味悪いわけでもない。
 昼間で明るかったこともあり、そこにいるだけでは何の度胸試しにもならないので、ガキ大将グループの面々は、わざと坂の途中で自転車のハンドルから両手を離したり、ペダルの上に立ったりして、決して転んではいけないこの坂でわざと転びそうなことをすることで、自分達の勇気を競い合った。
我々のグループは度胸試しをするつもりは毛頭なく、ただガキ大将グループのサーカスを坂の上から呆然と眺めていた。

 やがてガキ大将グループの一人がそんな我々の様子に苛立ち、「お前らも何かやれ」と言い出した。
不本意ながら、我々のグループの代表として私もサーカスに参加することになった。
私は自転車で坂を下り、坂の途中で少しだけウイリーしようとしたり、片手離し運転で蛇行したりした。
 しかしガキ大将グループは、自分たちは大したことをやっていないにも関わらず私のパフォーマンスに満足せずに、私を「ふぬけ」「根性なし」と言って茶化した。
私は自棄になって、自転車で両手放しで拍手しながら坂を下りたり、両手を大きく広げて歌いながら坂を下りたりし、これでもか、これでもかと次々と危険なことをして、ガキ大将グループの笑いを誘った。
やがてその場は、私専用のサーカス・ショーになっていった。

 いくつかのパフォーマンスを経て、私が自転車で両手放しをし、歌を歌いながら蛇行運転で坂を下っていたとき、私はついにバランスを崩して転倒してしまった。
坂の途中で自転車から転げ落ち、コンクリートの地面に手や肘などを打ちつけ、擦りむいてしまった。
ガキ大将グループの面々は痛がる私を見て大爆笑。
私が17才で死ぬことが決まったと言って、腹を抱えて笑っていた。
 坂の上から私のグループの数名が私を心配し、自転車に乗って私のいる坂の中腹まで下りてきた。
痛みが一段落して、私がふと、坂の上を見ると、私と特に親しい友人であったM君は、ただ一人私の近くへ来ずに、坂の上で自転車に跨ったまま呆然と立ち尽くしていた。
なぜM君は来ないのかと私が不思議に思うと、別の友人が「怖いんだって」と教えてくれた。
臆病なところがあったM君は、少し急な坂である十七坂を自転車で下りるのが怖いので、ただ一人その場でじっとしていたのだった。

 私の一人サーカスという余興が終わり、ガキ大将グループも満足したようなので、我々は私の傷の手当の目的もあって、いったん家に帰ることにした。
私は自転車を押して坂を上がり、M君のいる坂の上へ向かった。
すると、M君のいる場所まであと2メートルほどのところで、M君が突然「うわあ!」と声をあげた。
そしてまるで誰かに押されたかのように、M君は急に自転車ごと前につんのめるような形でこちらに向かって突進してきた。
 M君は私の横を抜け坂の中腹まで行くと、自転車から放り出され頭から転げ落ち、顔を思い切りコンクリートに打ち付けた。
右の額あたりを強打し、顔面の右半分を擦りむいたM君の顔は血まみれとなった。
M君は顔を上げると、ショックで声を出さないまま、ただボトボトと血を垂らし、じっと痛みに耐えていた。

 M君が転んだ時の衝撃音に驚き、近所のオバさんが近づいてきた。
オバサンはM君を手当し、救急車を呼んで、M君は病院へと運ばれていった。
検査の結果、M君は骨には異常はなかったものの、顔面や肘や膝、肩、手のひらなどにたくさんの擦り傷を作り、特にコメカミのあたりには挫滅創という大きめの傷ができてしまって、一生傷となってしまった。

 M君は体に大きな異常は無かったので、翌々日から学校に登校した。
しかし十七坂の件がよほどショックだったのか、話しかけても無言なままで、自然と会話ができるようになるまでには随分と時間がかかった。

 私はM君が転ぶ前、坂の上から急に飛び出してきた原因について知りたかったので、そのことをM君に尋ねた。
M君は「十七坂の上で、誰かに後ろから押された」と言った。
はじめ、M君は後ろに人の気配を感じたので、誰かと思って振り返ろうとすると、突然後ろからドン!と押されたという。
 私が坂を上がってM君に近づいていたとき、坂の上にはM君しかおらず、M君を押すような人物は周りに一人もいなかった。
しかし、M君は適当なことを言って茶化すタイプでも、人を欺くタイプでもなかったので、M君が嘘をついているわけではなさそうだった。
原因が分からぬまま、ただ不気味な印象だけが漠然と、坂の思い出と共に私の記憶に刻まれた。


 M君と私は中学で別々の学校となり、付き合いはあまり親密ではなくなった。
十七坂の件は当時の私にとって印象的なことではあったが、私はやがて時と共にそのことを忘れかけていった。
まして、十七坂で転んだM君や私の身に、17才の時に何か災いが起きるかも知れないとは全く想像すらしなかった。
しかし、その考えが一変したのは、M君と私が15才の時、高校に入学したての頃だ。

 中学時代ではなかなか会う機会が無かったけれど、高校生になったので久々に会おうとでも思ったのか、M君ともう一人の友人が15才の時、私の家を訪ねてきた。
私はM君を見るなり大変に驚いた。
M君は中学時代にどういう訳かクラスで少し人気者となり、中学デビューのような感じで少し垢抜け不良っぽくなっていた。
 しかし、驚いたのはそのことではなく、彼の顔にある痣だった。
M君があの時、十七坂でぶつけたコメカミ、一生傷となったその挫滅創を中心として、
半径3cmばかりの円形の痣が、彼の右の顔面にあったのだ。
小学校を卒業するまでは、彼の顔にそんなものはなかった。
中学時代に何度か会った時もそんなものはなかった。
しかし、まるで突然、何かの呪いにでもかかったかのように、ここ数年で突如そんな痣ができていた。
 M君に痣の話をしてみると、意外にも彼はあまり気にしていないようで、まして呪いなどとは思ってもいないようだった。
ただ、コメカミの辺りはたまに痛むそうで、十七坂の件はその度に思い出し、忘れたことは無いという。
 傷跡は何の前触れもなく、突如として痛みだす。
そのことでM君は、自転車などに乗っていて突如の痛みにバランスを崩し、危険な目にあったこともあると言った。
まさかそれが呪いの影響によるものとは信じていなかったが、傷が痛むたび、どうしても彼は17才での災いについて意識せざるをえなかった。
 しかし彼はその時まだ15才で、災いの起きる年齢の17才とは関係がない。
仮に何らかの呪いで、傷跡の痛みで事故が起きるとしても、2年も先の話だ。
しかし、「2年後には、本当にどうなるか分からないよ」と、M君は冗談めかして言った。
そして、その時は同じく転んだ私も無事ではないと言って、二人して大声で笑った。


 そんなM君とは、それからしばらくして、彼が16才の時に再会した。
垢抜けた不良のイメージで、少し豪快な印象すらできていた15才時のM君。
しかし16才の時に家に訪ねてきたM君はその時とは一変し、げっそりとやつれた様子で、塞ぎこんだような顔をしていた。
 彼は「自分は死ぬかも知れない」と言って、極度に怯えていた。
彼の顔の痣は15才の時より大きくなり、髪で隠し切れないほどの大きさになっていた。
彼は15才の時に私と会った後も、傷跡の痛みで何度も危険な思いをしたと言った。
 16才になり、彼は原付の免許を取ったが、彼が原付を運転していると、まるで彼を殺そうとするように狙ったように危険なタイミングで、突然に傷跡の痛みが襲ってくるという。
彼が電車に乗ろうと駅のホームで待っていると、ちょうど電車がホームに近づいたときに突如、傷跡の痛みが襲って、危うく線路に転落しそうになったこともあったという。
 私はその時、彼の怯えた様子にとまどい、彼に何と言葉をかければいいのか分からなかった。
その上、彼が話す突拍子も無い話を、そのまま真実と受け取ることができなかった。
私は彼に碌なアドバイスも出来ぬまま、恐怖を訴え続ける彼を半ば無理矢理、家から追い出してしまった。

 M君の訃報を聞いたのは、それから2週間ばかり後だった。
原付による単独の交通事故だった。
16年という大変に短い生涯だった。
傷跡の痛みが事故に影響したのか、それは分からない。
ただ、ひとつ言えるのは、彼が16才であり、17才ではなかったということだ。
昔から言われているような、十七坂が原因の、17才で起きる災いではなかった。

 M君の葬儀では、久々に小学校時代の仲間が集まった。
必然として、話題はM君の死の原因と、十七坂の関係の話になった。
誰が言い出したのか、その時に皆で十七坂にお祓いに行こうという話になり、葬儀の翌日に集まり、十七坂に向かうことになった。
 急なことで霊媒師のあてもないので、お清めの塩だけを持って、翌日、数人でお祓いのため十七坂に向かった。
しかし私はと言うと、そのお祓いには参加しなかった。
嫌な思い出のある十七坂に行く気がしなかったのと、そのお祓い自体が、M君の死に対する冒涜のようにも感じられたからだ。

 皆がお祓いに行っている時間、私は家で待機していた。
するとしばらくして、お祓いに行った数人が血相を変えて私の家に駆けつけてきた。
お祓いのメンバーは、「十七坂がない、十七坂がない」と言って、大騒ぎしていた。
聞くと、いくら探しても、あるはずの場所に十七坂が見つからないと言う。
私は小学校以来、十七坂を歩いていなかったが、十七坂が無くなるような大きな工事は記憶にない。
私はきっと何かの勘違いだろうと思って、お祓いのメンバーを落ち着かせ、家に帰らせた。


 それから20年近い月日が経った。
30代も半ばの中年となった私は、最近よくM君のことを思い出していた。
言い伝えでは17才で災いが起きるはずが、16才で亡くなったM君。
同じく坂で転んだ私には、17才時にこれといった災いは起きなかった。
M君の死と十七坂は関係がないのか。
私はそれを確かめようと考えて、何十年かぶりに十七坂に足を運んでみることにした。

 家から十七坂までの道を歩く途上、私はM君のことを考えていた。
そして、あの17才での災いというのは、実は昔使われていた数え年での17才で、現代に直すと16才での災いになる場合もあるのではないかと、その時に初めて気がついた。
これならM君が16才で事故死したのと矛盾がない。
しかしそんなことが分かっても、私に16才時に何も起きなかった理由にはならない。

 お祓いのメンバーが無くなったと大騒ぎしていた十七坂は、当たり前のようにあるべき場所に存在した。
私の背が大きくなったからか、少し坂が小さくなった気がしたが、坂の全体の様子は昔と何も変わらない。
 私はM君が自転車に跨っていた場所と同じ十七坂の上に立ち、下を見下ろした。
M君が自転車で下りるのを怖がった急な坂。
坂の中腹には、私やM君が転んだ場所もあった。
私は当時のことを思い出しながら、ゆっくりと坂を眺めていた。

 すると背後から、突如として何か人の視線のようなものを感じた。
私が驚いて振り返ると、そこには誰もいなかった。
しかし私は、どうも自分の顔より下の位置からじっと誰かに見られているような気がしてならなかった。
まるで自分の目の前に小さな子供が立っていて、その子供が私の顔を見上げているような気がしたのだ。
 私がゆっくりと目線を下におろすと、そこにはやはり誰もいなかった。
しかし目線を下ろしたことで、一瞬、誰かと目が合ったような気がした。
誰かと目が合い、じっと顔を覗き込まれている気がする。
私はぞくぞくと寒気を感じ、瞬時にして多量に冷や汗をかいた。
そのまま私は焦りと緊張で微動だにできず、硬直したまま時間だけが過ぎていった。

 すると、ふっと、急に今まで感じていた視線を感じなくなり、目の前から人の気配も消えた。
そして私の緊張もだんだんとほぐれていった。
私の前に立っていたのは誰だったのか。
小学校時代のあの時、M君を押した誰かなのだろうか。
私は緊張がほぐれた後も、その場でしばらく、ただ呆然と立ち尽くした。

 やがて私は坂を下り、坂のふもとへ歩いて行った。
そして、M君に手向けるために買った花束を道の脇に置き、両手を合わせ、M君の冥福を祈った。
そして今一度、もう二度と訪れないであろうこの坂を、下から見上げてみた。
 坂の上には何もない。
誰もいない。
しかし私には、やはり坂の上に誰かがいて、こちらをじっと見下ろしているような、そんな不気味な感覚があった。
私が坂を眺めるのをやめ、後ろに振り返ると、背中に誰かの強い視線を感じた。
しかし私は振り返らず、そのまま黙って歩きだし、十七坂をあとにした。















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日々の恐怖 9月18日 弟

2013-09-18 18:02:00 | B,日々の恐怖



   日々の恐怖 9月18日 弟



 これは、私の母が他界した時の話です。
母が乳癌の再再発で、お医者さまから、末期で治療といっても延命治療しかできないと言われ、苦しい思いをするなら延命治療はせずに家で最後を看取りたいと姉達と話し合い、母を家に連れて帰りました。
 痛みを和らげる為の強いモルヒネで、あの世とこの世の境目が解らない様な状態でしたので、私は仕事を辞め看病に専念する事にしました。
 家に帰ってきてから一週間位した頃から、廊下を歩く足音が1日に何度も聞こえました。

「 あぁ、弟が来てるんだなぁ・・・。」

と何の疑いもなく思いました。
 私は末っ子なんですが、私の後に3人子供が出来たんです。
全員死産だったんで、両親が名前を付けて水子供養してたんです。
その弟が来てると思いました。
全然怖くなかったし、いつも母が寝てるとこで足音が止まるんです。


 その2週間後、母は亡くなりました。
葬儀も終わり家に帰って姉達と(姉3人います。他県へ嫁いでいて今回看病の交代もかねて2週間程いました。)母の思い出話や愚痴?笑い話などを酒の肴に飲んでいました。
 長女がトイレに行って戻ってきたら、すぐに三女がトイレへ・・・、と血相変えて戻ってきました。

「 誰かいた!誰かいたのよぉぉ~!!」

と騒ぎ出した。
 長女が三女に、

「 アロハシャツ着てなかった?
短パンはいてなかった?」

と聞いていた。
 三女は声もなく、首がもげるんじゃないかと思うくらいブンブン縦に振ってた。

“ 長女も見てたのかよ!”

三女「 携帯もってて話してた!」

で、次女が私を見て、

「 あんた、なんか隠してない?」

って聞くから、足音の事を話したら、

全員「 弟だ!!年齢からいったら弟に間違いない!!!」

と勝手に納得した。

「 でも、幽霊が携帯使いますかね?
つか、誰に電話してたんだよ?」

と私が反論すると、全員で、

「 お母さんに決まってるでしょ!
私達が話しした事をチクってたのよ!
油断も隙もありゃしないわ!!」

え~~っと、なんでそうなるんでしょうか?
実際、家捜ししたけど、ホントに私達以外誰もいなかったし・・・。


 次の日、何事もなく夕方になり、晩御飯を姉達と作っていた。
その途中、突然、三女が玄関に行った。

「 どちら様でしょうか?」

と、三女が玄関で言っているのが聞こえた。
 その後、三女が台所に戻ってきて、

「 お参りに来た人みたいだけど、返事もしないのよ。
とりあえず、お茶の準備してね。」

そして小声で、

「 アロハ着てるのよ、失礼よね。
こんな時に、なんかムカつくわ。」
「 それって・・・・。」

全員脱兎のごとく玄関に行きました。
案の定、誰もいません。

三女「 ま、まさか、だって、昨日のアロハシャツと違う色だったのよ!」

また、全員で家捜しです。
 もちろん、誰もいませんでした。
幽霊がアロハって、それも着替えてるって、なんか、怖いとか切ないとか、ふっとんで笑ってしまいました。
 ただ、次女だけ、

「 姿見てないし、足音も聞いてないしで、末っ子は霊感あるから解るけど、長女・三女は霊感ないよね!
なんで私だけ見れないのっ!」

って拗ねて八つ当たりされました。
そっちの方が怖かったです。
 なんかね、看病とか、目の前で母が痩せて弱って行くの見てて辛かったんだけど、そんな辛い思いが全部、この事で笑って話せるようになっていた。
弟は、母を連れに来たんじゃなくて、後々、私が笑っていられるように来てくれたのかな?
私は、この世にいない弟だけど感謝してる。













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日々の恐怖 9月17日 自衛官

2013-09-17 18:42:54 | B,日々の恐怖




     日々の恐怖 9月17日 自衛官



 詳しくは言えないってことで大雑把にしか聞けなかったけど、現役陸上自衛官の友人から聞いた話です。
レンジャー課程ってのがあって、その課程に臨む人は約3ヶ月山に籠ります。
ここでは、人・獣・虫は勿論のこと、バケモンと遭遇した場合の訓練もあります。
 この3ヶ月の間にこんな事も含めて常軌を逸したことしかやらないから、途中でマジで精神を病んで辞める人も大勢います。
これをクリアした人は、人間以外の恐怖に対しては、ふ~ん程度しか思わないようです。
 更に、空挺レンジャー、冬季遊撃レンジャーていう資格があって、全て持ってる人はもはや人間じゃない状態です。
因みに、防衛省は大規模の幽霊騒ぎとかあれば動くとのことです。
どの国でも軍は謎って言うけど、日本の防衛省・自衛隊も謎です。



 元自衛官のおっさんです。
訓練場所などは詳しく教える事は出来ませんが、飯ごうにコメ1合、水筒1つ、ナイフ1本を持ち、とある山中に空から捨てられ、一昼夜をかけて人間に見つからないように帰投する訓練がありました。
 日々銃器をバラし組み立てる訓練もあり、練習用の弾は支給品で試射し照準を調整するだけで終わる為、自腹で弾を買い足して訓練する事もあり、休日に部隊一眼となり山へ入り、山菜取りをして山菜売りのおばちゃんにお金を戴き、訓練用の弾薬を買わせて頂いてました。
 通常の部隊と比べ、常軌を逸した訓練も多く辞めていくものは精神を病み、残る者はず太くなります。
私は持病の悪化で退役しています。
 山には人間でない者が確かにいます。
その対応としてタブーにあたることを教えられました。
生きて戻るならば山で会った○○に対してこの行動をするな、といったものです。
それを訓練の一つと思い込む自衛官がいてもおかしくないです。
 極限を越えた人間でなければ命のはざまで、仕事をする事は無理でしょう。
気持ちは全員助けるつもりで挑みますが、我々が出動する時は既に助ける事が難しい72時間の間際であったりそれを越しても、遺族の元へ送る仕事だと強い信念を持たなければ心が折れる仕事です。
〝友達がいっていた〝と息巻いて話すうちに尾ひれがついていきます。

 ヘビは頭さえ押さえれば、比較的に仕留めやすく食べやすくエネルギーも大きく外見以外はクセも少ないのでおすすめです。
逆に獣の血の匂いは強烈なので100%食べきれなければ、数時間で野獣に囲まれてパニック状態に陥りますし、人ではない者を呼び兼ねないので”自分が食べられる程度の1食”であればきっと山の神様も許して下さるのだ、と私は今でも信じています。










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日々の恐怖 9月16日 ラーメン屋

2013-09-16 18:20:49 | B,日々の恐怖



   日々の恐怖 9月16日 ラーメン屋



 うちの近所に夫婦でやってるラーメン屋があった。
うちは一家全員麺好きで、よくそのラーメン屋に行ってた。
ただ、ラーメン作ってるのは、おばちゃん。
おじちゃんは、ちょっとグータラっぽくて配達だけはしてた。

 社会人になっても、そのラーメン屋さんにはお世話になってた。
ある日、おじちゃんが入院したと聞いたので会社帰りにラーメン屋さんに寄って、おばちゃんと話したら、

「 あぁ、うちの亭主?
心配するような病気じゃないのに、おおげさに入院したのよ。
ガハハ!」

と笑ってたから少し安心した。

 それから2ヶ月くらい経った頃だった。
朝、出勤のためにバス停に向かっていたら、おじちゃんが愛車のスーパーカブの荷台におかもちを乗せて配達の準備してた。
おじちゃん、退院したんだ、と思って声をかけた。

私「 おじちゃん、退院したと?よかったねぇ。」
お「 おぉ!おはよう!退院したばい。病気の方が逃げて行ったばい!」
私「 あ、バスの来るけん、行くね。今日帰り寄るけん!」
お「 おぅ!いってらっしゃい!!」

と、私のお尻をポンと軽く叩いた。

 その日の帰り、ラーメン屋さんに寄ろうと思ったら閉まってた。
家に帰ったら、母と姉が喪服を着ていた。
これから通夜に行くと言う。
私の喪服も用意してるから、急いで着替えるように言われた。
誰が亡くなったのか聞いたら、ラーメン屋のおじちゃんだった。

私「 えぇぇ!?今朝、話したよ?」

と今朝の事を話したら、

母「 あんた、また・・・?
 いい?
 絶対その話おばちゃんにしたらダメよ。
 おじちゃん、末期ガンで、ずっと入院してたんだから・・・。」

もちろん、おばちゃんには話をしなかった。
余命いくばくもない事をおじちゃんやまわりの人に気づかれない様、空元気を出してたから、話したら、きっと辛いだろうなと思ったから。
おじちゃん、家に帰りたかったんだろうね。
切なくて、通夜では大泣きした。












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日々の恐怖 9月15日 友人

2013-09-15 18:08:41 | B,日々の恐怖




    日々の恐怖 9月15日 友人




 ちょっと長くなるけど、私の歳の離れた仕事仲間で、友人の事を思い出したので話します。
可愛い感じの美形で、優しいし何でも出来る本当に尊敬する人なんだけど、40歳目前で独身です。
いつも「独りのほうが気楽だし、どうせもてないし」なんて言うけど、狙ってる男性は多数います。
 以前は恋人がいたような感じもあったんだけどなぁと思って、出張先で同じ部屋に泊まって部屋で飲んでた時に、なんで彼氏作らないのと聞いたら、ぽつぽつと話してくれた。

 以前は遠距離恋愛ばかりだけど人並みに付き合って、いい感じで長続きもして、婚約したことも複数回ある。
けど、いつもその途端に何か起こった。

一度目は、2年半付き合って婚約した途端に彼氏が浮気、その相手に出来ちゃって別れた。

二度目は、プロのスポーツ選手で3年付き合って婚約、直後が契約更改だったんだけど、スポンサーの娘に言い寄られてたのが断りきれなくなって破談。

三度目の相手は、彼女にプロポーズした帰り道に事故に遭って、半身不随になると言われすぐ自殺。

四度目は、実は一度目の彼。
 相手の女が嘘ついてたか流産したか知らないけど、とにかく子供は生まれず、彼氏はその女と間もなく別れて、二人は10年以上遠距離のまま、近くに行くことがあれば会って食事したりして、友人づきあいしてた。
でも、やっぱり一緒にならない?って電話で言われて、結婚の約束。
12月の事で、彼女の年内の仕事が終わったら、彼氏の休暇滞在先で落ち合うことになった。
けど彼女が行く前に、彼氏はそこで事故死。

 さすがにこれでもうめげて、「それ以来全くの一人身で数年だ」と。
「4回もプロポーズされて、婚約者とデートしたこと一度もないんだ」って、諦めたような顔で言ってた。

 彼女は今年40になるけど、一人で山に登ったり自転車に乗ったりしてスタイル良いし、仕事でも一歩抑えた感じでニコニコ受け答えして、小柄なのも手伝ってぱっと見20代。
やっかみと冗談半分で、「怪しい美容法か整形でもしてるんじゃない?」と言われたりするけど、元の良さと努力の賜物で可能な範囲だとは思う。

 だけど気になるのが、私より古い付き合いの彼女の親友のしてくれた話です。
彼女と付き合ってて別れた人(婚約破棄の最初の二人を含み5人)は、全員別れて間もなく車で事故ってたらしい。
元彼たちには、車の運転が下手とか荒い人や不注意な人はいなかったのに、全て運転ミスの単独事故、元彼含み怪我人ゼロ、でも車は全損という共通点。

呪われてるのか、守られてる?のか・・・。












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