「エキサイティング!!も・ちゃ・ちゃ☆」(日向美ビタースイーツ)
ボーカル 芽兎めう(CV:五十嵐裕美)
収録作品 音楽ゲーム「REFLEC BEAT」「pop'n music」「jubeat」「GITADORA」等に隠し曲として収録
ソロシングル「Five Drops 03 -strawberry milk- 芽兎めう」 曲はこちら。
打吹地区の重伝建エリアの西側は、西町の範囲に相当します。この辺りにも古い民家が並びますが、幾つかの建物は耐震対策を施してありました。いずれ外観の修景事業に着手すれば、こうした耐震装置は外からは見えなくなるものとみられます。
西町にて内部が公開される古商家建築の「豊田家住宅」です。江戸期の呉服商の店舗建築で、建物の配列などに山陰地方独特の要素が見られるとされています。平成18年に国登録有形文化財に指定されました。
中に入るとまず土間があり、観光案内所のようなスペースとなっています。観光パンフレットや資料などを配布しています。この建物を本拠とする「倉吉談語の会」の講釈師の方が、倉吉の歴史や文化財についての解説を色々行っています。
霜月凛のパネルも置かれています。りんりん先生ですねー。これで8枚目となりました。
江戸期の倉吉打吹地区の古地図の模写です。全ての町名および当時の住人の氏名が列挙されています。講釈師の方の説明によれば、現在の町割とは異なっている部分もあるそうです。陣屋の周囲と町の東西には武家屋敷が並んでいたそうですが、そちらの現存する建築遺構は一つも無いそうです。
私が毎週のように通っていた20年前には、まだ成徳小学校前の通りに面して数軒の武家屋敷が残っていたように思うのですが・・・。
母屋の内部です。幾度の改装を経たらしく、もとは住居部分の床が少し高かったのですが、後に店舗と床面を揃えています。なので、現在では天井が高く感じます。柱にも敷居の痕跡が見られます。
江戸期の外観の復元イラストです。御覧のように、二階建ての母屋、中庭、二階建ての離れ、坪庭、土蔵、の順に配列されています。間口は四間半、奥行きは二十間の敷地に建ち、典型的な町屋建築のスタイルを示します。外観の意匠は京風に則っていたようです。
母屋の床の間と丸窓です。
中庭です。五層石塔が置かれ、母屋から離れへの通路が太鼓橋の仕様に造られています。小さいながらも庭園の構えを意識した贅沢な庭です。
離れの二階から見た、土蔵の建物です。棟札によって明和八年(1771)の建立と知られます。その二十年前の寛延三年(1750)には、当時の倉吉22ケ町700軒の家が殆んど焼失した「鉄屋の火事」がありました。それで17世紀代に遡る古建築が倉吉には無いわけです。また同時に、古文献や記録史料の殆どが失われてしまっているので、江戸初期の17世紀代の倉吉の様相はあまり分かっていません。
この「鉄屋の火事」の教訓によって、それまでは単なる掘割に過ぎなかった玉川を整備し、川沿いに燃えにくい土蔵を配置して、火の出た鍛治町を境に上下の広小路を造りました。これらを防火区画帯としたわけですが、これらの対策が功を奏して、以後は大火に見舞われることがありませんでした。いま、古くからの町並みが伝わっているのはそのためです。
「豊田家住宅」の前の辻に建つ、明治時代の道標です。当時の倉吉が「駅(宿駅)」として久米郡に属していたことが分かります。久米郡は古代の伯耆国の六郡の一つで、郡名そのものは明治29年まで行政区として継承されましたが、その後は東伯郡となって現在に至っています。
打吹地区の重伝建エリアの西端に位置する玩具店の「たいら商店」です。驚くべきことに、私が毎週のように通っていた20年前そのままの外見を保っています。懐かしいです。
昔、このお店で何度もウォーターラインシリーズのキットを買いました。記録によれば、手元にある連合艦隊400隻余のうちの42隻が「湖山工廠」建造、とあります。当時は、鳥取市湖山町に住んでいたからです。
「たいら商店」の向かいには、昔には無かったもう一つの店舗スペースがあって現在は駄菓子屋として営業しています。
その戸口のウインドー内に、この日の9枚目となった芽兎めうのパネルがありました。冒頭の楽曲「エキサイティング!!も・ちゃ・ちゃ☆」を含むシングル「Five Drops 03 -strawberry milk- 芽兎めう」のジャケットのデザインです。
「も・ちゃ・ちゃ」とは、この芽兎めうが乗ってる自転車の名前です。歌詞にも「相棒はも・ちゃ・ちゃ」とあり「とってもばわふるな機能的びゅーてぃましん」とあり、その性能は「弾丸的」であるそうです。
どう見ても普通の子供用自転車なのですが、気になるのは「自爆ボタン」までついていることです。何の為についているんでしょうか・・・。もしかして、「ちくわ軍」の必殺戦術として自爆特攻があるのか、と思ったりするわけですが、芽兎めうの歌詞には「3年7ヶ月の歳月をかけて完成させたちょーぜつぎこーはいぱーとりっく」というのが出てきます。何なんだそれは・・・。
店内はこんな感じでした。この時は気付かなかったのですが、店内の奥にもう一枚のキャラクターパネルがありました。しかもそれが、一番難易度が高くて皆が探し回っているパネルでした。その存在に私がやっと気付いたのは、次の訪問時のことでした。 (続く)
ボーカル 芽兎めう(CV:五十嵐裕美)
収録作品 音楽ゲーム「REFLEC BEAT」「pop'n music」「jubeat」「GITADORA」等に隠し曲として収録
ソロシングル「Five Drops 03 -strawberry milk- 芽兎めう」 曲はこちら。
打吹地区の重伝建エリアの西側は、西町の範囲に相当します。この辺りにも古い民家が並びますが、幾つかの建物は耐震対策を施してありました。いずれ外観の修景事業に着手すれば、こうした耐震装置は外からは見えなくなるものとみられます。
西町にて内部が公開される古商家建築の「豊田家住宅」です。江戸期の呉服商の店舗建築で、建物の配列などに山陰地方独特の要素が見られるとされています。平成18年に国登録有形文化財に指定されました。
中に入るとまず土間があり、観光案内所のようなスペースとなっています。観光パンフレットや資料などを配布しています。この建物を本拠とする「倉吉談語の会」の講釈師の方が、倉吉の歴史や文化財についての解説を色々行っています。
霜月凛のパネルも置かれています。りんりん先生ですねー。これで8枚目となりました。
江戸期の倉吉打吹地区の古地図の模写です。全ての町名および当時の住人の氏名が列挙されています。講釈師の方の説明によれば、現在の町割とは異なっている部分もあるそうです。陣屋の周囲と町の東西には武家屋敷が並んでいたそうですが、そちらの現存する建築遺構は一つも無いそうです。
私が毎週のように通っていた20年前には、まだ成徳小学校前の通りに面して数軒の武家屋敷が残っていたように思うのですが・・・。
母屋の内部です。幾度の改装を経たらしく、もとは住居部分の床が少し高かったのですが、後に店舗と床面を揃えています。なので、現在では天井が高く感じます。柱にも敷居の痕跡が見られます。
江戸期の外観の復元イラストです。御覧のように、二階建ての母屋、中庭、二階建ての離れ、坪庭、土蔵、の順に配列されています。間口は四間半、奥行きは二十間の敷地に建ち、典型的な町屋建築のスタイルを示します。外観の意匠は京風に則っていたようです。
母屋の床の間と丸窓です。
中庭です。五層石塔が置かれ、母屋から離れへの通路が太鼓橋の仕様に造られています。小さいながらも庭園の構えを意識した贅沢な庭です。
離れの二階から見た、土蔵の建物です。棟札によって明和八年(1771)の建立と知られます。その二十年前の寛延三年(1750)には、当時の倉吉22ケ町700軒の家が殆んど焼失した「鉄屋の火事」がありました。それで17世紀代に遡る古建築が倉吉には無いわけです。また同時に、古文献や記録史料の殆どが失われてしまっているので、江戸初期の17世紀代の倉吉の様相はあまり分かっていません。
この「鉄屋の火事」の教訓によって、それまでは単なる掘割に過ぎなかった玉川を整備し、川沿いに燃えにくい土蔵を配置して、火の出た鍛治町を境に上下の広小路を造りました。これらを防火区画帯としたわけですが、これらの対策が功を奏して、以後は大火に見舞われることがありませんでした。いま、古くからの町並みが伝わっているのはそのためです。
「豊田家住宅」の前の辻に建つ、明治時代の道標です。当時の倉吉が「駅(宿駅)」として久米郡に属していたことが分かります。久米郡は古代の伯耆国の六郡の一つで、郡名そのものは明治29年まで行政区として継承されましたが、その後は東伯郡となって現在に至っています。
打吹地区の重伝建エリアの西端に位置する玩具店の「たいら商店」です。驚くべきことに、私が毎週のように通っていた20年前そのままの外見を保っています。懐かしいです。
昔、このお店で何度もウォーターラインシリーズのキットを買いました。記録によれば、手元にある連合艦隊400隻余のうちの42隻が「湖山工廠」建造、とあります。当時は、鳥取市湖山町に住んでいたからです。
「たいら商店」の向かいには、昔には無かったもう一つの店舗スペースがあって現在は駄菓子屋として営業しています。
その戸口のウインドー内に、この日の9枚目となった芽兎めうのパネルがありました。冒頭の楽曲「エキサイティング!!も・ちゃ・ちゃ☆」を含むシングル「Five Drops 03 -strawberry milk- 芽兎めう」のジャケットのデザインです。
「も・ちゃ・ちゃ」とは、この芽兎めうが乗ってる自転車の名前です。歌詞にも「相棒はも・ちゃ・ちゃ」とあり「とってもばわふるな機能的びゅーてぃましん」とあり、その性能は「弾丸的」であるそうです。
どう見ても普通の子供用自転車なのですが、気になるのは「自爆ボタン」までついていることです。何の為についているんでしょうか・・・。もしかして、「ちくわ軍」の必殺戦術として自爆特攻があるのか、と思ったりするわけですが、芽兎めうの歌詞には「3年7ヶ月の歳月をかけて完成させたちょーぜつぎこーはいぱーとりっく」というのが出てきます。何なんだそれは・・・。
店内はこんな感じでした。この時は気付かなかったのですが、店内の奥にもう一枚のキャラクターパネルがありました。しかもそれが、一番難易度が高くて皆が探し回っているパネルでした。その存在に私がやっと気付いたのは、次の訪問時のことでした。 (続く)