2019年2月5日の朝、京都からの夜行バスを利用して水戸に着きました。前夜に京都駅八条口で乗り込んですぐに寝てしまい、目が覚めた時には既に水戸駅北口ターミナル前の交差点を通過していました。座席シートを起こし、毛布を片付け、荷物をチェックしているうちに、バスは水戸駅南口高速バスターミナルに入ってゆきました。
この日のバスは、渋滞のためか、到着予定時刻の8時3分を40分余りも過ぎて水戸に着きました。なので、水戸の友人からの電話がかかってきた時には、まだ水戸駅のビル内に居ました。
「おはようござる、右京大夫殿。もう臨鉄に乗って大洗へ向かってる頃かな?」
「いや、まだ水戸駅に居る」
「あれ、今日は夜行バスが遅れたのかね」
「うん、かなり遅れた。・・・まあ急いでるわけではないし、これからゆっくり乗るよ」
「しかし、二年ぶりだから嬉しいだろな。やっと来られた、って気分かな」
「そういうことやな」
「天気はちょっと残念だが、気温はなぜか高いのよ。楽しんでくれ。明日の集合時間を忘れるなよ」
「承知した」
携帯電話を仕舞いつつ、相手が昔の通称で呼んだことに気付いて、笑ってしまいました。以前には「伯耆守」でしたが、京都での活動が中心になってきた現状をふまえてか、室町幕府の管領職を務めた細川京兆家の官職名である「右京大夫」に戻っていました。
その通称は、京都造形芸術大学時代、私が京都歴史学の単位レポートを「管領細川京兆家の職掌と権限」と題して書いた事に因みます。もともと中世歴史考古学が好きで、畿内の中世戦国史や武士および城館の歴史を、室町幕府の政治史を中心にして勉強していたため、細川京兆家のドラマには、結構興味があって色々調べていたのでした。
とりあえず朝食を、と考えましたが、昨晩の京都での模型仲間との夕食で結構食べたので、まだそんなに空腹ではありませんでした。それで大洗行きの最初によく行っている水戸駅ビル内の吉野家には入らず、真っ直ぐに水戸駅の改札口へ進みました。
時計をみると、ちょうど9時でした。鹿島臨海鉄道の大洗行きが、その10分後に出ると分かったので、切符を買ってホームへ降りました。
既に列車がホームに待機していました。新型車輌でした。今回はガルパンラッピング車輌の時刻を調べておらず、強いて乗る積りもなかったので、この新しい列車に乗れれば充分でした。
お約束の切符です。大洗駅の改札口で回収されますから、こうして記念に撮影しておくのが、大洗行きにおける慣例の一つになっています。
平日の朝の通勤通学時間帯の後でしたので、車内は閑散としていました。のんびりまったり出来ますので、個人的にはこういう空いた車内の雰囲気が好きです。
常澄駅を過ぎて、大きく右にカーブしてゆきますと、地平線の向こうに大洗のマリンタワーが見えてきました。天気予報は晴れでしたが、実際には曇りでした。
大洗駅に着きました。連絡階段を降りると、懐かしいあんこうチーム5人のヘッドマークが出迎えてくれます。それぞれのキャラクターの生誕イベントの日に列車に取り付けられたものだそうですが、実際に撮りつけた姿を見た事は一度もありませんでした。
横には、初めて見るあんこうチームの5人のパネルが並んでいました。鹿島臨海鉄道の制服のようですが、ガルパンのキャラクターは何を着せても似合います。
まあ、アニメのキャラクターは、みんなそうですね。
連絡通路奥の、お馴染みのガルパン電光広告も、最終章のデザインに替わっていました。サメさんチームの5人が加わっていますから、ギッシリ感が増えていて満員電車のような雰囲気です。
最終章第2話以降に、さらに新しいチームが10番目の戦車とともに加わる可能性が言われて久しいですが、もしそうなった場合は、このガルパン電光広告もまた更新されることでしょう。
列車を降りたのは私だけだったので、この空間も独り占め状態でした。ですが、改札口の方を見ると待機する駅員さんの姿が見えたので、あまり待たせては申し訳ないと思い、急いでそちらに向かいました。 (続く)
ガルパンラッピング列車4号車のほうは、今回見るチャンスがありませんでした。次の機会には是非見たいですね。