玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

引きこもりから独りへ

2014-08-22 14:04:08 | Weblog



鬱病、引きこもりなどで外に出れなくなっている子供が多いと聞きます。
そりゃあそうだ。これだけ人を対象化して、全てが商品化してるような社会だもの。
人の関係も人の身体も全て経済を媒介した言葉での表現にまみれ、人の意識も感情も経済に反応するようになっている昨今。
真っ当な感覚の子、もしくは感性豊かな子は恐くて外に出れないよね。人間を人間として扱ってない社会ですもの。
義務教育が国民の義務として課されているから、大きな声では言ってはいけないけど、学校なんかいかなくても真っ当に育つ人は育ちます。海外では学校に行かさないで、自分の家で子供を育てたという方がいて、ある人なんかはそのお子さんが数学者、物理学者になったという人までいます。
今当たり前にしなくてはいけないとされている事、当たり前にあるものも本当にそれが必要なのだろうかと疑うことも大事です。
全ては否定する必要はないけど、学校が出来て学歴社会による差別が生まれ、病院がある事で病気の人が増えている現実があります。

SNSやメールの機能でも「開封済み」とかいう余計な機能を付けた事で、読んでるのに返信くれないと疑心暗鬼になって妙な感情に苛まれている事が多いといいます。無くていいものがあることで、余計な心がうまれている。こういう事が多々あり過ぎます。
しかもネットは本当に恐い。今世界で起きているオゾマしい現実や人間性を疑う現象がそのまま映像で見れてしまいます。
テクノロジーには必ず善し悪しがあります。その限界や枠をよく理解して、うまくつかう事はこれからの教養のひとつになるでしょう。

引きこもってるのなら、本を読みまくる。ネットとはほどほどにつきあう。誰もが読まないけど、すまじく価値の高い本はたくさんあります。しかも日本には海外のものであっても訳されている本が多いです。自身の心に闇を抱えているのなら、ドストエフスキーを真剣に読んで見る。時代が違うとはいえ、人間の心理、心の奥底に立ち向かった凄まじい思索の形跡が読み取れると思います。自分自身、妙な心理状態の時に「地下室の手記」を読んで、何だこれは、、この凄まじい重苦しさは、、と感じ、それが活字となっており、読み進めていくうちに、人間心理の深さが身に沁みて、すっとした事があります。読んでおかしくなるのではなく、読んで自分の事がわかり、その時、状態が確実に変化していくのです。そう、そして歴史の残る文学者や科学者の中には今の病院で診断したらほとんどの人が鬱病、統合失調症と診断されるという話があります。引きこもってひたすら創作したり、研究したり、読み続けたりという人ばかりだったといいます。

今の画一化された在り方に合わないのなら、合わないと自己卑下することなく、ただ違うんだと認識する事が大事です。
と同時に好きな事を探究し、しかも具体的な事ばかりではなく、難しいことに向かっていく。
人間とは何かと、自分に向き合うことから全ては始まります。
どこまでも邪悪にもなれるし、どこまでも神聖になれる、人間というこの不思議な存在の桁違いな大きさ。
人間とは何か?と問い続けている限り、必ず変わる何かがある。
一人でいるのでない、独りになれることを追い求めるべき。大勢といて一人でないだけで、決して独りになれない人が多いのも現実。
独りとは?おなじ”ひとり”と読むがその意味合いは全く異なる。
独りとなってはじめて超越した存在に出会えるとは古今の宗教や哲学伝えることです。
一人から独りへ。引きこもりから独りへ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする