玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

奈良の巨石の謎-益田岩船

2021-05-16 16:56:10 | Weblog
奈良県の飛鳥地方には橿原神宮、高松塚古墳、キトラ古墳など、古代日本を象徴するような遺跡が多く存在します。その中でもその存在意味が全く解明されず、それでいて全く注目されてない不思議な巨石があります。

益田岩船。


(西国三十三所名所圖會より)

それは江戸の昔から人々の注目を浴び、数多くの絵巻などにも描かれた不思議な巨石である。あの本居宣長も次のように表現されている。

「この石、いずれの世に、如何なるよしにて、かく作れるにか、いと心得がたき物の様なり。
 里人は昔の長者の酒船と言い伝えて、このあたりの畠の名も、やがて酒船と言うとかや。
 この石、昔は、なお大きなりしを、高取の城築きし折に、かたはらをば多くかき取りもて去にしとぞ。」(『菅笠日記』)

小高い岩船山の頂上に推定800トンと言われる巨石をどのように運んだのか、そして何のために運んだのか、あまりにも不思議である。この益田岩船を知ったのは松本清張氏の「火の路」という小説である。この作品は「ペルセポリスから飛鳥へ」という古代イランと日本の古代との関わりを推測したまさに壮大なストーリーが展開されている。その益田岩船に先日、ついに行くことができました。


益田岩船への入り口。ここの周囲は団地や公園がありますが、あまり注目されてない事もあって、全く人が往来するようにはできていません。とはいえ以前調べた時よりも、岩船までへのルートはわかりやすく、ちょっとした山道ですが、整備はされているようでした。


このような山道。雨の日は止めたほうがいいというアドバイスもあるようです。

そして10分ほど山を登ると、いきなり現れる益田岩船。


でかい。


とにかくでかい!なんだこりゃあ!!あまりに周囲と溶け合わないその巨石っぷり。。

周囲は竹林に覆われていて、タケノコ掘りをした後が結構ありました。


少し上側から。


以前はむき出しのようでしたが、今は竹林に覆われています。それでも岩の上には天空が開けていました。


岩の上部には二つの穴が作られています。

一つはなぜか水が溜まっておらず。底に水が抜けていくルートがあるのかもしれません。


こちらは水がしっかりとたまっています。

この二つの穴の存在から松本清張氏は古代イランの宗教であるゾロアスター教の祭壇、もしくはジッグラトと言われる聖なる塔ではないかと推測しています。ゾロアスター教は火を祀る拝火教とも言われ、主神であるアフラ=マズダを祀る拝火壇だけでなく、実は水を司る女神アナーヒターに捧げる儀式のための岩であるサンゲ・アープを含めた二つの祭壇を合わせ祀る所もあったという。この益田岩船はその二つを同時に備えた聖なる祭壇としての使用されていた可能性が指摘されています。


不思議な模様が彫られています。


見る角度によって様々な表情を見せてくれる岩船。


何かを流すような形相。

改めて、その全貌を見てみると。


とにかく巨大である。

いきなりイランが出てきたり、ゾロアスター教が出てきたことで、まったく理解できないとするのは現代人的な認識である。奈良時代には胡人と言われるペルシャ人が官僚として名前が記されていたり、正倉院にはペルシャのガラスの器が多数存在しているようで、奈良時代は今考えられている以上に国際的な交流があったことがわかっているといいます。ちなみにここでいうペルシャ人は今でいうイラン人です。

そして松本清張氏は益田岩船だけでなく、飛鳥地方に多く存在する不思議な石造物の形状の多くが古代イランの遺跡、ペルセポリスの石像にとてもよく似ていることから、その関わりの深さを推測しております。

さらに、です。
今回の益田岩船の公的な史跡説明に以下のように記述があります

「古くからこの地に築造された益田池の台石とする説もあるが、頂部平坦部を九十度回転させ横口式石槨(棺)だとする説や占星台の基礎とする説、物見台とする説がある。 このように用途は明らかでないが、上部平坦部の溝や孔が高麗尺(こまじゃく)で計画され、花崗岩の加工技術が終末期の古墳と共通するなど、すくなくとも七世紀代の特色をもち、飛鳥地方に分布する特異な石造物の中でも最大のものである」

何とこの益田岩船は高麗尺で計測されて作られているといいます。この高麗尺は高句麗尺とも言われ、あの法隆寺も高麗尺で作られており、高句麗の人たちの高い技術力がそのまま奈良時代の日本に伝わり、もしくは高句麗人そのものが指導にあたって作ったのかもしれない事がわかってきます。

その高句麗人は、あまり知られていないかもしれないが、高句麗将軍塚と言われる中国の集安に、巨大なピラミッドを造築する技術を持ち合わせているのである。それがこれである。

(「高句麗将軍塚」wikipediaより 高句麗第19代好太王の王陵と言われている )

日本の古代、日本のあけぼのと言われる飛鳥時代や奈良時代。実は今考えている以上に国際的で、そしてどこか桁外れな宇宙的な感覚を持って国を治めていたのかもしれない。あまりにもその後の歴史が複雑になりすぎ、勝者敗者が出たことにより、隠された歴史が多く存在することは、奈良の地に行ってみれば痛感することである。

益田岩船からイランとの関わり、ゾロアスター教、そして高句麗。奈良は実は面白い。相当な謎かけがされている。しかもそれは巨石文明に関わるような宇宙的な事と関わるのかもしれない。ただ現実とのギャップがまた凄まじくある。誰もそんなこと微塵も感じない、考えもしないところで生きている。だからこそ、あえて、全く別の視点で、側面で考えていく。そのことは松本清張氏の推理から多くを学んだことでもある。とにかくスケールを大きくして、である。

奈良はどんどん明かされ、開かれて行っている。それだけは間違いない。
また考えていきます。

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