朝、玉島小学校集団登校の見守り。事務作業、脱原発1000万署名に関して関係者に提言。
わが街茨木でも「維新」を語る者たちの動きが伝わってきました。このブログで「大阪維新の会ではなく大阪空っぽの会が実像に思えました」と題して「空っぽの候補者と空っぽの有権者が織りなす空っぽの政治」と書いたことがあります。
どこの看板が選挙に有利か、自らのみじめな実像を覆い隠すマントとして「維新」をまとう者たち。勢いだけではないでしょうが民主から自民、自民から維新と選挙のたびごとに政党を渡り歩く府議、そこにはかつて全日通労働組合幹部として社会党陣営に属した顔ぶれも出入りしています。その一人は扇町公園で集会参加者を前に時の権力を批判していましたが、180度の裏切りです。
さて維新の意味は本来革命を意味し、権力のありようを根底から変えるものです。大阪維新を騙るものたちは現体制でぬくぬくと肥えふとったものばかり。彼らの「維新」とは今の金持ち、権力持ちの人間がますます、それを肥大化させるためのもの、一片の革命的要素もなく、反対の体制維持で反革命でしかありません。看板に偽りありの「羊頭狗肉」はまだ可愛いほうですが、天国と言いながら地獄に導くようなものです。
明治維新の3傑といわれるのが西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允(桂小五郎)ですが、鹿児島で育った私には郷土の偉人・西郷隆盛への愛着は県人の血肉と化しているのではないかと思われるほどでした。その西郷隆盛に対して、大久保利通の人気は低く維新の3傑で同じ郷土の偉人にしては、雲泥の差があったものです。さすがに今ではきちんとした評価に基づく人気もないではありませんが、西郷さんを上回ることはありません。
さて鹿児島での西郷人気を支えているのは、その道徳性なのかもしれません。「敬天愛人」の額を見かけることがありますが、その意味は次のようなものとして理解されています。
「人それぞれには、天から与えられた「天命」というものがあり、それに従って、人は生きているのである。だからこそ、人はまず天を敬うことを目的とするべきである。天というものは、「仁愛」すなわち人々を平等に、かつやさしく愛してくれるものであるので、「天命」というものを自覚するのであれば、天が我々を愛してくれるように、人は自らも他の人に対して、天と同じように、「慈愛」を持って接することが何よりも必要である」(「西郷隆盛ホームページ敬天愛人より」)
また西郷隆盛の言葉として次のようなものがあります。今、維新の看板を語る者たちの品性とは対極にあるものばかり、維新の先人の爪の垢でも煎じて飲んでほしいものです。
「人を相手にせず、天を相手にして、おのれを尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」
「急速は事を破り、寧耐は事を成す」
「己を利するは私、民を利するは公、公なる者は栄えて、私なる者は亡ぶ」
「人は、己に克つを以って成り、己を愛するを以って敗るる」
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり」
≪被爆地福島の今を伝える地元紙など≫
福島民報 福島民友新聞 いわき民報
≪これまでの福島原発関連情報≫
◆全国の放射能(水道、雨の放射能)濃度一覧
◆山下HP反核・反原発サイト、放射能情報公開、反原発の歌
山下HP・「お元気ですか」 今日も元気だ のぼりラン のぼりラン備忘録
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どこの看板が選挙に有利か、自らのみじめな実像を覆い隠すマントとして「維新」をまとう者たち。勢いだけではないでしょうが民主から自民、自民から維新と選挙のたびごとに政党を渡り歩く府議、そこにはかつて全日通労働組合幹部として社会党陣営に属した顔ぶれも出入りしています。その一人は扇町公園で集会参加者を前に時の権力を批判していましたが、180度の裏切りです。
さて維新の意味は本来革命を意味し、権力のありようを根底から変えるものです。大阪維新を騙るものたちは現体制でぬくぬくと肥えふとったものばかり。彼らの「維新」とは今の金持ち、権力持ちの人間がますます、それを肥大化させるためのもの、一片の革命的要素もなく、反対の体制維持で反革命でしかありません。看板に偽りありの「羊頭狗肉」はまだ可愛いほうですが、天国と言いながら地獄に導くようなものです。
明治維新の3傑といわれるのが西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允(桂小五郎)ですが、鹿児島で育った私には郷土の偉人・西郷隆盛への愛着は県人の血肉と化しているのではないかと思われるほどでした。その西郷隆盛に対して、大久保利通の人気は低く維新の3傑で同じ郷土の偉人にしては、雲泥の差があったものです。さすがに今ではきちんとした評価に基づく人気もないではありませんが、西郷さんを上回ることはありません。
さて鹿児島での西郷人気を支えているのは、その道徳性なのかもしれません。「敬天愛人」の額を見かけることがありますが、その意味は次のようなものとして理解されています。
「人それぞれには、天から与えられた「天命」というものがあり、それに従って、人は生きているのである。だからこそ、人はまず天を敬うことを目的とするべきである。天というものは、「仁愛」すなわち人々を平等に、かつやさしく愛してくれるものであるので、「天命」というものを自覚するのであれば、天が我々を愛してくれるように、人は自らも他の人に対して、天と同じように、「慈愛」を持って接することが何よりも必要である」(「西郷隆盛ホームページ敬天愛人より」)
また西郷隆盛の言葉として次のようなものがあります。今、維新の看板を語る者たちの品性とは対極にあるものばかり、維新の先人の爪の垢でも煎じて飲んでほしいものです。
「人を相手にせず、天を相手にして、おのれを尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」
「急速は事を破り、寧耐は事を成す」
「己を利するは私、民を利するは公、公なる者は栄えて、私なる者は亡ぶ」
「人は、己に克つを以って成り、己を愛するを以って敗るる」
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり」
≪被爆地福島の今を伝える地元紙など≫
福島民報 福島民友新聞 いわき民報
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