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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

74冊目:「アンナ・カレーニナ(下)」

2012-06-18 21:58:19 | 
総評:★★★★★ 読み終えた感はスゴい!
面白い度:★★★★★ 引き込まれた。
読みやすい度:★★★☆☆ 変わらず普通。
ためになる度:★★★★★ かなり色々学んだと思う。
また読みたい度:★★★☆☆ 読み返してみたくなる感はまあまあある。


長かったアンナ・カレーニナ。やっと全部読み終わりました!
途中で小休止もあり、足かけ4か月にも渡った小説でした。
最終巻は半月とちょっとで読み終わることができた。


そんなんで最終巻は、結構早く読み終えたこともあり、なかなか引き込まれる巻でした。

最後には、今までの境遇から色々な思いや考えが回りまわって、アンナはブロンスキーを愛するあまり、彼を憎むようになっていく。
ブロンスキーを取ったら自分には何もない、しかし彼は自分の境遇も何も考えず自分勝手なことばかりやっている、と、深く考えるようになってしまった。

一方、ブロンスキーは、いつもアンナを第一に考えてはいるが、アンナの勝手な考えや行動のために、自分がいつも縛られるわけにはいかない。自分の男としての自由は誰にも縛られないと、考えるようになった。

そんな二人の考えが正反対になってしまい、いつもは最後まで喧嘩を続けることはなかった中で、それが中途半端になって終わってしまう。
そこからお互いが歩み寄れなくなり、歩み寄っても心は疑心暗鬼が残ってしまうような状況になってしまった。


アンナは自分をさらに悲観するあまり、さらにブロンスキーに迷惑をかけていく。ブロンスキーはアンナを愛してはいるのだが、迷惑をかけていくアンナに振り回され、すこし邪険に扱ってしまう。

アンナはとうとう追い詰められ、この状況で、最後にブロンスキーへの愛を分からせ、後悔をさせるには自分が死ぬしかないと考えるまでに至る・・・
最終的にはアンナは線路を走る列車に身を投げ、無残な死を遂げるのであった・・・


そんな悲しい物語。
アンナは本当に「愛」に生きた人なんだなぁと思った。
しかし、ここまでの愛はただ男性を困らせることになると思う。
深すぎる愛は身を滅ぼす。そんな感想を持ちました。


ところでアンナは、結果的に息子も捨て、社交界も捨て、家庭も捨て、住んでいた土地を捨て、とブロンスキー以外には何もない状況に陥ってしまった。
そういった所が最後にはブロンスキーしか見れなくなってしまったという最終的な孤独に追い込まれていってしまった。

そこの所に、何か息子なり、社交界だったり、何でも話ができる知り合いなんかいると、そこまで思い詰めることはなかったのかなぁと思う。
なので、人の心には愛だけではだめで、それを中和するような何かがなければいけないんだろうなぁと思う。


そこで、アンナ、ブロンスキーと対になる形で描かれているのが、リョーヴィン、キチイ夫妻なのであった。
当初は離れ離れになりお互いとても辛い別れになってしまった二人だったのだが、ひょっとした出会いを通じ、あっという間にくっつき、結婚し、子供も産まれる。

家にいろんな人々も訪れる幸せな家庭を築き、ほんとにアンナとヴロンスキーとは真逆の状況をたどっていった。
作者のトルストイはこの対比と、このリョーヴィンとキチイの夫妻もテーマにしているんだろうと思った。

特にリョーヴィンは思い返せば最初から主人公級の扱いで、アンナとブロンスキーより描かれている内容が多いと思う。
その点で、この物語のタイトルは、「アンナ・カレーニナ」ではなくて、「二つの夫婦」とか、もう「リョーヴィン」でもいいような内容であった。

そもそもアンナが自殺をした後は、アンナとヴロンスキーのその後というのはほとんど書かれず、最後はリョーヴィンの家庭を描いて終わるという、最初の方から最後までほんとにリョーヴィンであった。

なぜ、「アンナ・カレーニナ」という題名にしたのかは謎だが、
このアンナ・カレーニナという人物はこの物語の中ではひたすら強烈で、女性の中の女性という像を持っているからかもしれない。


あまり締まりのない文になってしまったが、この物語、最後の最後でやっとアクセルがかかり、一気に最後まで読者を引き込む。そんな物語になっていました。
そんなんで、読み終わった感想としては、すごかったな~っていう感想です。名作と言われるのも分かりました。

さらに最終巻は心の表現がさらに秀逸。そこにかなり引き込まれました。トルストイは本当に人の心や情景など、細かい描写がうまいなぁと思いました。

そんな激動の最終巻。色々引き込まれたり、ためになる所もありました。

最後にそんなシーンを書く。
■引き込まれた所
・アンナが自分の考え(や状況?)をドリィに告白する場面
・アンナがヴロンスキーに対して思い詰めていく場面

■面白かった所(抜粋)
・仕事をしていくうえに、なによりも肝心なのは、自分の仕事は、自分といっしょに滅んでしまうのじゃなくて、ちゃんとした後継者がいるという信念をもつことなんです。

・家庭生活においてなにかを実行するためには、夫婦のあいだの完全な決裂か、あるいは情に根ざした意見の一致が絶対に必要である。ところが、夫婦の関係があいまいで、それがどっちつかずの場合には、どんなことも実行するわけにはいかないのである。
 世の中には、夫婦が互いにあきあきしながらも、永の年月をそのままの状態で暮している家庭がたくさんあるが、それはただ完全な決裂も一致もないからにほかならない。

・アンナにとって彼のすべては、その習慣も、思想も、希望も、精神的また肉体的特徴も、いっさいをひっくるめて、ただひとつのものに、つまり、女性に対する愛情ということに帰結されていた。しかも、この愛情は、彼女の感覚からいえば、自分ひとりにだけ集中されねばならぬものであった。ところが、今やこの愛情が薄らいだのであった。

・なんだってきみはぼくの忍耐力をためそうとするんだ!

・あたしの愛情はますます情熱的に、わがままになっていくのに、あの人の愛情はだんだんに衰えて消えていく。だからこそあたしたちはだんだん離れていくんだわ

・自分の欲得のためじゃなく、神さまのために生きなくちゃいけないのだ。・・・(中略)・・・何かしら不可解なもののために、だれひとり理解することも、定義することもできない、神のために生きなくてはいけないのだ。

・もし善が原因を持ったら、それはもはや善ではないのだ。もしそれが結果として、報酬をもてば、やっぱり善とはいえないのだ。したがって、善は原因結果の連鎖を超越したものなのだ。


最後に、リョーヴィンは、老人の何気ない一言から、自分の認識を一変させる出来事に出あう。
そして兄の死から絶望を学んだ後に、妻と子供の家庭を顧みて、かけがえのない幸せの中にいることを感じる。

トルストイはこの二つの夫婦(!?)を対比させて、人の生きる道を伝えたかったんじゃないかと思う。

まあそんな長い物語の長い感想でした。そんなんで以上☆
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