昨日紹介した『一宮町1968町勢要覧』は
『沿革』から始まります。
沿革
1 町のおいたち
一宮町は、原始時代の遺跡(細田横穴群24基・柚木横穴群13基・貝殻壕貝塚=縄文後期・野中遺跡=縄文後期・待山円形古墳7基・など)も多く、古くから先住民が生活していたと思われます。
奈良時代には、玉前神社が上総一宮の格式をもつようになって開発が進んできたようです。
鎌倉時代には、上総平氏の平常家から4 . . . 本文を読む
「中世の一宮」(平成16年3月31日)という小冊子が
町の教育委員会により編集発行されています。
これは、昨日の一宮町の文化財の
31. 一宮城 出土遺物 【一宮町指定有形文化財】
について
時代背景や他の資料(文化財)との関連など
を含めて紹介しています。
中央公民館で入手することができます。
(700円です。)
なお、
今年の文化財講演会は
幕末のお台場(一宮海岸の砲台)に関する内容に . . . 本文を読む
毎年夏休みに、
その年一宮町の小中学校に赴任された先生方を対照として、
町の文化財を訪ねるフィールドワークが
実施されている。
毎年、案内を担当している方から
町のホームページの資料がどうなっているか
調べて欲しいとの依頼がありました。
そこで、それぞれA4サイズに収めて
プリントアウトして、お届けしました。
(かなりの枚数になりました)
折角なのでその一覧を紹介します。
詳細は、一宮町の . . . 本文を読む
宇都宮牛が町を逃走したニュースが伝えられている。
明治の一宮町でも、ホルスタインの逃走事件があったと
我が家で伝わっている。
一宮町は、
畜産業としてのホルスタイン飼育の先駆の地であり、
「一宮町史」「長生農協十年史」でも薦田宮吉を紹介している。
飼育方法が確立していなかった当時のことである。
オスとメスを一緒に飼っていると、
盛りのついたオスが暴れだして、
町中を逃走したそうだ。
今の一 . . . 本文を読む
長生農協十年史(昭和60年)では、
一宮町農業協同組合は、結成以来千葉県でも有数の事業実
績をあげ、組合員とともに農業近代化の推進に努力してき
た。ことに新しい村づくりに先駆者的役割を果たした。
と、一宮町の農業経営の伝統と成果を高く評価しています。
そしてそのその背景として、
この組合の発展向上は、創立者加納久宜子爵の指導による
ものであり、その理念は歴代組合長に引き継がれている。加
納久宜 . . . 本文を読む
「新撰大人名辞典」昭和12年発行に、
加納家の人々が載っていました。
(もちろん加納久明千葉県知事はありませんが)
立花種恭と加納久宜は三人兄弟です。
長男・鐘之助(立花種恭)
次男・英次郎(夭折5歳)
三男・嘉元次郎(加納久宜)
「二人兄弟」「久宜は次男」とする記載がまま見られます。
この人名事典が出展となっているのか、
別の出展からそうなったものか、前後関係が気になるところです。
次男 . . . 本文を読む
「千葉県の先覚」(昭和48年6月15日発行 編集発行千葉県企画部千葉県民課)の続きです。
晩年の明治45年から大正6年まで、一宮町町長を務めた加納久宜町長については、あまりにも情報が少ない。
にもかかわらず、町にお墓(銅像ではなく)や顕彰碑があるのはどういうことだろう。
まるで、誰かがその功績を隠しているかのようにも感じる。
(おそらく、そんなことはないでしょうが・・、
今度の2月26日は没後9 . . . 本文を読む
私たち千葉県人は、残念ながら千葉県の先覚者についてあまり知らない。(知らな過ぎる)
一宮町の関係者を調べているうちに、「千葉県の先覚」という本をつけました。
(昭和48年6月15日発行 編集発行千葉県企画部千葉県民課)
今回、特に注目したのは、大正時代の加納久宜一宮町長との志田太郎一宮実業学校創設者です。
一宮藩最後の藩主の加納久宜氏は、鹿児島県知事に就任した後、大正時代に町長になるまでの間 . . . 本文を読む
一宮海岸の松林には、加納藩台場跡(一宮町指定史跡)があります。
(写真:碑は昭和40年7月10日、千葉県教育委員会、一宮町教育委員会)
一宮町HPの解説加納藩台場跡の碑
鎖国をしていた江戸時代の終わり頃、房総半島の沖にも外国の船がひんぱんに来航するようになったため、太平洋に面した海岸の警備として当時の一宮藩主加納久徴は砲台を作らせました。5ヶ所の砲台の跡には今でも台場という地名が残されています。
. . . 本文を読む
世の中には、忘れ去られた偉人が居ます。
2月26日は加納久宜の90年目の祥月命日です。
当日は、ちょうど第4木曜日
「おらが町探検隊~文化財保存体験編~」
一宮町町長も参加予定だそうです。
城山公園の「加納久宜公の墓」「加納久顕彰碑」を見ながら
ひとしきり話し合うのもよいですね。
文化財を見るだけでなく、もっと身近に
感じてみませんか?
次回は町指定文化財の史跡「加納久宜公の墓」
を . . . 本文を読む
太平洋戦争末期の「ふ」号作戦(風船爆弾)の放球基地は,
茨城県大津(18台),千葉県一宮(12台),
福島県勿来(なこそ)(12台)にあり、
昭和19年11月から20年3月までの間に、
15,000~16,000個を発射する計画だったようです。
実際は昭和20年2月艦載機来襲,B29による京浜地区空爆、
3月10日の東京大空襲等で工場は被災し、
一宮は基地として機能しなくなり、
勿来とともに大 . . . 本文を読む
一宮海岸から、「風船爆弾」が発射されたことは
地元でも知らない人が多くなったきました。
完璧な立ち入り禁止であった上に、
製造や発射に直接かかわった人がいなかったから、
だと思います。
千葉遺産:/31 風船爆弾の発射基地 謎に包まれた最前線
/千葉 毎日 2009年1月29日
しかし、調べてみると
風船爆弾の製造にかかわった地域は想像以上に多く、
国を挙げて大規模な作業であったことが
わ . . . 本文を読む
毎日新聞千葉版に、
太平洋戦争中に一宮町にあった
風船爆弾の発射基地について取材した記事が
大きめに(紙面の半分)取り上げられました。
基地の位置の地図や、証言など
とても参考になりました。
軍事機密ということで、
地元の人は、近寄ることができなかったこともあって、
実態を知る人はほとんどいません。
何しろ、当時は、汽車の海側の窓のブラインドは
下げないといけない状況だったそうです。
毎日 . . . 本文を読む
今日(22日)は第四木曜日
町の史跡保存ボランティア活動の日でした。
今回は、小雨の中、「城山の加納さんのお墓」の清掃でした。
次回の2月26日は、
加納久宜元町長の90回目の祥月命日です。
全国の競馬ファンの皆さん
農畜水産業関係の皆さん
信用組合関係の皆さん
教育関係の皆さん
司法関係の皆さん
スポーツ関係(日本体育会他)の皆さん
ボランティア関係(赤十字他)の皆さん
土木(基盤整備)関 . . . 本文を読む
この地域は、天然ガスが沸いてくる地域です。
国によっては、天然ガスを主なエネルギー源としていたり、
積極的に海底天然ガス田の開発をしています。
また、メタンガスをバイオガスと称して
積極的に活用しはじめている県があります。
かつて、茂原市は煙の出ないきれいな工業市と言われました。
これを、必ずしも有効活用できていないのが残念です。
ガスの湧き出る田んぼの隣の温室は、重油を燃して温度を維持 . . . 本文を読む