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史跡保存ボランティア 次回は 加納久宜元町長の90回目の祥月命日

今日(22日)は第四木曜日
町の史跡保存ボランティア活動の日でした。

今回は、小雨の中、「城山の加納さんのお墓」の清掃でした。

次回の2月26日は、
加納久宜元町長の90回目の祥月命日です。

全国の競馬ファンの皆さん
農畜水産業関係の皆さん
信用組合関係の皆さん
教育関係の皆さん
司法関係の皆さん
スポーツ関係(日本体育会他)の皆さん
ボランティア関係(赤十字他)の皆さん
土木(基盤整備)関係の皆さん
鹿児島県の皆さん
(鹿児島大学、日体大、日体大荏原高校・・)
などなど

そして、一宮町の皆さん

ご縁のある皆様方と
皆で手を合わせられたらと思います。

できれば、
東京の谷中霊園にでも、一宮町の城山にでも
足を運ぶ方がんでいただければ幸いです。


今回の、清掃では、落ち葉を掃き、
皐月の根元などに集めました。

おしゃべりの話題は
堆肥(腐葉土、有機農法)について。
枯葉を邪魔者扱いにするのは、
もったいないと、あらためて思いました。


今から100年以上前の鹿児島県でのこと
加納知事は就任早々、
堆肥作りなどを奨励し、
コメの品質と収量の向上に成功しました。

昨年、実際にバケツで稲を育て(バケツ稲)、
山砂、腐葉土、休耕田の土、で比較してみました。
腐葉土の効果は抜群でした。

腐葉土は、落ち葉や草を捨てて積んであったところの土を
掘り起こして使ってみました。

加納知事は正条植えなどの農法の改良の他、
耕地整理、排水工事などの基盤整備にも取り組みました。


なお、当時、
『堆肥の奨励』とともに、『石灰肥料の禁止』をして騒動になったそうです。

宮沢賢治は、石灰肥料を奨励したのに、どうしたことかと、
昨年の読書会でも話題にしました。

おそらく、
堆肥と石灰肥料を同時に使ってはいけなかった
のではないかということです。

石灰を先に撒き、落ち着いてから
腐葉土を入れるようにしなくてはいけなかったのでしょう。

清掃活動に参加した人から、
「触れないぐらい熱くなったことがある」と聞き、
やはりそうだと思いました。

なお、今から90年前、加納町長の亡くなった大正8年は、
宮沢賢治が盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)を
卒業(首席)したばかりで、
東京で妹トシを母とともに看病していたころです。

宮沢賢治の卒論は
『腐植質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値』
ということで、専門だったわけですが、
石灰肥料の普及に力を入れたのは
その後のことです。

加納は、明治43年(1910年)に帝国農会の初代会長に推されています。
そのあたり(石灰肥料など)との関係(経過)も、
関心が出てきました。

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