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千葉県の先覚(2) 加納久宜町長

「千葉県の先覚」(昭和48年6月15日発行 編集発行千葉県企画部千葉県民課)の続きです。

晩年の明治45年から大正6年まで、一宮町町長を務めた加納久宜町長については、あまりにも情報が少ない。
にもかかわらず、町にお墓(銅像ではなく)や顕彰碑があるのはどういうことだろう。
まるで、誰かがその功績を隠しているかのようにも感じる。
(おそらく、そんなことはないでしょうが・・、
今度の2月26日は没後90年目の祥月命日です。誰もいない時間帯に、お墓参りでもしましょう)

さて、鹿児島県知事時代から、日本赤十字の活動を積極的に紹介していました。
各地の地方視察をした夜に、「赤十字幻灯講演」を開催したそうです。
弁士と幻灯技師を掛け持ちしていたことから、
他人(部下)まかせではなく、自らの声で積極的に熱弁を振るったことと推察します。

「たとえ戦時にあっても、敵味方関係なく被災者を助ける」ことを
「自ら進んで取り組むべき」と主張していたことが伺えます。

それは、
「戦時にあっては、敵味方の区別を明確にして、救護すべきかどうか判断すべし」
という考え方に反する言動といえる。

その考え方の対立が、人物の評価基準として、決定的なことだと考える人にとっては、歴史的に忘れ去られるべき人物の一人となることでしょう。
もしも、そうだとすれば、
知らない人が多く、何だかわからないけど批判する人もいる、
という状況の背景として、推測できます。
実際はどうなのでしょう。

赤十字、赤新月の理念としては、
アンリ・デュナン著「ソルフェリーノの思い出」が根本にあります。

そしてわが国においては、
佐野常民の尽力による西南戦争での「博愛社」の活動が
注目されます。

おそらく、地元鹿児島ということもあって、
西南戦争で県内にのこった心の傷を癒すためにも
この「敵味方の区別なく援護する」エピソードを
紹介したことと思います。

当時の幻灯など残っていたら、ぜひ紹介していただきたいものだと
思います。

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「千葉県の先覚」(昭和48年6月15日発行 編集発行千葉県企画部千葉県民課)
加納久宜
 新しい経世済民の先達
一八四八~一九一九
(嘉永元年~大正八年)
 江戸で、立花式部種道の三男として生
まれる。八歳のとき大地震おこり、一夜
にして両親をうしなう。慶応二年一九歳
のとき一宮藩主加納家へ迎えられ、翌年
第八世藩主となる。明治二年版籍奉還に
より一宮藩知事、廃藩置県をへて六年同
県は木更津県に統合。これよりさき久宜
ほ大学南校に入り西園寺公望らとフラン
ス語学を学ぶ。六年文部省八等出仕、二
三年貴族院議員となる。二七年鹿児島県
知事に就任、大いに殖産興業に尽力、三
三年職を辞して以降、地方の産業と教育
に尽力、また束京競馬会を創立し、日本
体育会長に推される。晩年一宮町長とし
て活躍。大正八年七一歳で没した。

 久宜ほ家柄のたかい武門の家に生れた。父ほきびしい教育を施した。八歳のとき安政大地震により一夜に両親をうしなった。それはあまりにも大きな悲

劇であった。だが久宜は、このわざわいを転じて人々の不幸の数年ひいては民心の安定へと終生たゆみない努力をかさねることになる。
 一九歳にして最後の一宮藩の殿様として迎えられ、幕末から明治へのはげしい歴史の流れを身をもって体験した。そこで得たものはいかにして民心を

つかみ、新しい立派な地方行政をつくり出すかにあった。久宜の関心は当然ながらヨーロッパの学問に向けられた。久宜はひたすら真の経世済民の学

を本質から問いなおす情熱にあふれていた。
 やがて男の死に場所とまで決心しておもむいたのは鹿児島の地であった。そのころの鹿児島県知事としての久宜の生活の一端を「自叙伝」によって紹

介してみよう。それによると毎朝出勤はかならず執務時間前をモットーとし、退庁の時間も人よりもおくらせることにした。それは庁内における事務処理の

動向をみるためであった。当時高等官の食堂は別室を旨としたが、このしきたりをとりはらって大ぜいの庁員と食事をとることにつとめた。
 久宜の全力投球により鹿児島県の治政は大いにあがり、かつ県民の信望もいやが上にもたかまった。そのころ久宜を農林大臣に推せんする動きもあ

ったという。だが彼ほ断然これをはねのけ、郷里の一宮町長に就任した。久宜の面目まさに躍如たるものがある。
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