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40年前の一宮町 『一宮町1968町勢要覧』 沿革01

昨日紹介した『一宮町1968町勢要覧』は
『沿革』から始まります。


沿革

1 町のおいたち

一宮町は、原始時代の遺跡(細田横穴群24基・柚木横穴群13基・貝殻壕貝塚=縄文後期・野中遺跡=縄文後期・待山円形古墳7基・など)も多く、古くから先住民が生活していたと思われます。
奈良時代には、玉前神社が上総一宮の格式をもつようになって開発が進んできたようです。
鎌倉時代には、上総平氏の平常家から4代広常までの館を一宮柳沢城(高塔山)にかまえていたといわれます。
また、徳川時代には、享保年間に遠江守加納久通の所領とをって幕末まで8代140余年にわたって城下町として繁栄しました。

中古以前は埴生郡に属して一宮荘の中心でしたが、後に長柄郡に編入されて一宮本郷村と呼ばれていました。
明治4年に藩政が廃止されて木更津県の所管に、明治6年には新に県制がひかれて千葉県長生郡とをりました。
明治14年12月に新?村を併せて一宮町と改められました。
その後、昭和28年11月に東浪見村を合併して、続いて昭和29年4月に船頭給・昭和30年4月に新地・同年9月には宮原がそれぞれ長生村から分村合併して現在の一宮町とをっています。


2 町のいまの姿

国鉄房総東線が南北に走り、上り・下りとも約1時間ごとに運行しており、町内には上総一宮駅と東浪見駅があって国鉄の利用には便利です。
主要道路は国道128号線が町を横断していて、飯岡~一宮線・南総一宮線・一宮停車場線の県道と交流して交通の便は良い現況です。
従って、バスの路線も多く貨物の中継所として重要を場所とをっています。

町の戸数の約40%は農家で、主要生産物は水稲ですが、ビニールハウス利用の野菜栽培・果樹・酪農が盛んで近代的を多角経営で収入も多いといえます。
商業は、都市を中心とした商業の発展にともなう影響が大きいといえますが、誠実を経営によって永年の信用を得ている商店も多く、近隣町村からの客が相当の割を示めています。
また、都内の茂原市の発展と交通の便のよい関係で俸給生活者が他町村に比らべて多いため、生産物や商品の町内消費高は大きいともいえます。


位置

一宮町は、千葉県太平洋岸の九十九里浜の南端にあって、
東経140度21分・北緯35度22分にあたっています。

面 積 (畑)(1km2)
23.65

人口密度 (1km2あたり)
431.1

一宮町1968町勢要覧表紙


00目次


02庁舎全景と胸像


03議決機関と執行機関


04財政


05特別会計事業


06昭和40年国勢調査より 人口と構成


07産業別就業者ほか


08産業と経済


09農業


10農業構造改善


11商工業


12学校教育


13社会教育


14社会福祉


15土木事業


16交通通信ほか


17景勝地行事


99裏



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