
今回はチャップリンの初期のサイレント映画に出ていたエドナ・パーヴァイアンスのお
話をしたいと思います。
チャップリンの映画には数多くの女優が出演しているのですが、私がもっとも好きなの
はエドナ・パーヴァイアンスなんです。
私のエドナ・パーヴァイアンスのイメージは美しくて、清潔感があって、純情可憐とい
ったところでしょうか。
エドナが、チャップリンの映画に初めて出演したのは、1915年製作の「アルコール夜
通し転宅」からで、1923年の最後の作品「巴里の女性」まで、出演本数は34本を数えま
す。
チャップリンが、初めてエドナを見た時の印象は、可愛い程度ではなく、まったく美し
く、喜劇映画には不向きではないかと思っていたとか。
時にチャップリン26歳、エドナ20歳でした。
当時のチャップリンは、20分程度のスラップスティック・コメディ映画を作っていて、
エドナに恋する放浪紳士の繰り広げるドタバタを、これでもかこれでもかと面白可笑しく
見せて大人気だったそうです。
しかも、チャップリンとエドナはプライベートでも恋人同士であり、「チャップリンの
舞台裏」という映画では、何度もキスするシーンがあるんです♪

当然、チャップリンはエドナと結婚まで考えていたそうですが、あと一歩というところ
で、どうしても踏み出せなかったとか。
その理由を、淀川長治さんは、エドナがあまりにも清らかで、純情可憐だったからでは
ないかと分析していらっしゃいました。
実際、エドナは欲らしい欲のない人で、ギャラも、ずっと変わらなかったので、チャッ
プリンの秘書の高野虎市さんが見かねて、チャップリンにギャラをそろそろ上げたら?と
進言するほどだったらしいです。
二人の恋人関係は2年後の1917年にはなくなり、チャップリンは女優のミルドレッド・
ハリスの奸計にハマって結婚し、離婚後は「キッド」で起用したリタ・グレイを妊娠させ
て、責任をとる形で再婚します。
その間、エドナは「犬の生活」「公債」「担へ銃」「サニーサイド」「一日の行楽」「
キッド」「のらくら」「給料日」「偽牧師」と、チャップリンの映画に出演し続け、
1923年、唯一、チャップリンの出演していない芸術性をうたった「巴里の女性」で、主
役である運命に翻弄される儚い女性を演じ、そのあと「かもめ」で再び主演をつとめ、フ
ランス映画「王子教育」で、その映画人生に幕を閉じたそうです。
エドナは、チャップリンと結婚までは至らなかったですが、1938年に航空機のパイロ
ットと結ばれ、その男性が1945年に亡くなるまで、結婚生活は続きました。
また、チャップリンは、エドナが亡くなるまで、それまで出た映画の出演料という名目
で、週に150ドル、欠かさず送り続けたそうです。
今、私の手元に、淀川長治さんの著書「私のチャップリン」があるのですが、淀川さん
は1953年に渡米した際、チャップリンの元秘書の高野虎市さんを通じて、エドナに会っ
たと書いておられます。
それによると、エドナはビバリー・ヒルズの近くに住んでいて、その邸宅は意外に小さ
く、芝生をひとまたぎするともう玄関だったとか。
当時、エドナは50歳を出たばかりで、ペルシャ猫を抱いて、淀川さんにやさしく微笑ん
でくれたそうです。
あれこれ話をした後、チャップリンの話になると、エドナは涙ぐんで、「私の生涯の誇
りは、チャップリンと共演したことです」と念を押し、「私にはもうそのことだけで、私
の人生は十分ですわ」と語ったそうです。
そして、大切にしていたチャップリンと映った5枚あるフィルムのうちの2枚を淀川さん
にプレゼントしてくれた。
エドナは、それから5年経った1958年に62歳で、ハリウッドの病院で亡くなくなりまし
た・・・
チャップリンは自伝の中で、一貫して、エドナ・パーヴァイアンスを高く評価していて
、お終いの方に、エドナのチャップリンの幸せを願う、こんな文章が載っているそうです
。
たくさんお子さんもお出来になったし、本当にお幸せにお暮らし下さい
エドナは、終生、チャップリンと出会えたことを感謝し、誇りに思っていた。
それを思うと、私はなぜかとめどもなく涙があふれて、チャップリンと結ばれる事がな
かったエドナ・パーヴァイアンスが愛おしくてならなくなるのです・・・