このところ、三島由紀夫関連の記事が続いちゃいました。
それでね、今回はなぜ三島由紀夫に興味を持つようになったのかお話しようと思います
。
その主な理由は、私のブログを、複数の三島由紀夫ファンの男性が読んでくださってい
ると気づいたからなの。
その方たちに共通しているのは、聡明で、思慮深く、男らしい反面、女性にとても優し
いという点だったの。
はっきり言って、とても素敵な男性だと思います。(真っ赤)
そこで、その方たちに影響を与えた三島由紀夫とはどういう人だったのか気になってき
ちゃったの。
今なお、男性たちに勇気を与え、奮い立たせている理由は、どこにあるの?
それに、そのうちの一人の人に、私は何度もすごく褒めていただいたの。
だから、ご恩返しの意味も含めて、三島由紀夫の魅力を、私なりに探ろうと考えたんで
す。
そこで、今まで三島由紀夫が好きだったという水木しげるさんのマンガ「宇宙虫」を読
んだり、三島由紀夫が出演した「黒蜥蜴」を観たり、三島由紀夫の自決の真相を探ったり
、「潮騒」「不道徳教育講座」「真夏の死」「反貞女大学」などの小説を読んできた訳な
の。
だけど、そうするうちに、私のブログを読んでいる人の中に、三島由紀夫について否定
的な人がいる事まで分ってきたの。
私はその人達にも興味が湧いてきちゃいました。
三島由紀夫のファンは男らしくて、素敵な人ばかりみたいだけど、否定的な人はどうな
の?
するとね、文学とは縁遠く、男らしさに欠けるような人ばっかりだったの!
とくに気になったのは、女性に対する優しさは表面的なだけという点と、すぐに同情を
買おうという姿勢ね。(笑)
そのうち、二人は飼い犬を亡くしていて、悲しくてたまらないから同情してほしいみた
いな事を、そろって書いてるの。
しかも、一度ならず、毎年、命日が近づくたびに、悲しい悲しいと書いてるのよ。
何をそんなに悲しがってるの?
でも、そういう人って、同情したからと言って、決して感謝はしないわよね。
その点、三島由紀夫ファンの人は同情してほしいみたいな事、まったく書かないですか
ら。
それに、そのうちの一人は、こんな事を言っていました。
「俺の姉の亭主は自殺して、姉はすごく苦労した。三島由紀夫にも奥さんと幼い子供が
いたのだから、何が何でも死ぬべきではなかった。」
飼い犬が死んだと、いつまでも悲しんで、同情をほしがってる人が、何言ってるの?
だから、私、こう反論してやったの。
「何が何でもって?
だったら、沈没しかけた船の船長が、死を覚悟して、最後まで残って、的確な指示を与
えていれば、大勢の人の命を救えたのに、職務を放棄して、我先にと救命ボートに乗った
ばかりに大勢の犠牲者が出た場合、それでも、夫だけは生きてたから喜べと言うの?
あなた、私に、そんな意気地なしの卑怯者の奥さんになれと言うの?
冗談じゃないわ!
例え、夫が死んだとしても、大勢の人の命を救うためだったのだから、仕方ないじゃな
い!
それで、私は夫や神様を恨んだりしないわ!
だって、主人が自分の命を犠牲にしてまで、大勢の命を救ったんですもの。
私は、立派な主人を持って幸せだったと思いながら、どんな苦難にも立ち向かっていけ
ると思うもの。
ちょっと熱く書きちゃいましたが、そういう訳で、このところ、いつも三島由紀夫の魅
力を考え続けている私なの。
そんなある日、古本屋さんで、椎根 和という人が書いた「平凡パンチの三島由紀夫」
って文庫本を発見しちゃったの!
この椎根さんという人は、雑誌「平凡パンチ」の編集者として、三島由紀夫に原稿を依
頼したり、自分でも三島由紀夫の記事を書いて、結婚式の仲人をしてもらったり、公私と
もに親しく付き合っていた人だったんです!
それでね、三島由紀夫の死後、何百冊も、三島由紀夫研究の本が出たけど、椎根さんは
なにか違うと、いつも思ってたらしいの。
あえて言えば、澁澤龍彦の「三島由紀夫をめぐる断章」という文章が、一番、しっくり
来たとか。
で、この「平凡パンチの三島由紀夫」には、三島由紀夫の姿が生き生きと書かれていて
、生前、どんなに人気があったのか知って、びっくりしちゃったの!
1967年春に、平凡パンチで行ったミスター・ダンディの人気投票で、三島由紀夫は、
三船敏郎、伊丹十三、石原慎太郎、加山雄三、石原裕次郎、西郷輝彦、長嶋茂雄、市川染
五郎、北大路欣也らを抑えて、1万9590票で、堂々、1位に選ばれたっていうの!!
そして、翌1968年の、世界一の男性を決める人気投票では、フランスのドゴール大
統領に続いて、2位に選ばれちゃってるの!!!
しかも、平凡パンチだけじゃなく、アメリカの高級月刊誌「エスクァイア」が、197
0年の4月号で発表した「世界の重要人物百人」という企画では、日本人で、ただ一人、
三島由紀夫だけが選ばれてるのです!!!
また、アメリカを代表する雑誌「ライフ」も、1966年9月26日号で、「伝説を作
りつつある天才・三島由紀夫」というタイトルで、9ページもの大特集を組んだとか。
三島由紀夫は、世界でも注目されていたんですね~♪
そんな三島由紀夫と、椎根さんはどんなお付き合いをしていたのでしょう?
それがね、椎根さんて、雑誌の編集者だから、売上を伸ばすために、褒めるだけじゃな
く、からかうような記事も書いてたらしいの。(苦笑)
例えば、三島由紀夫のボディビルで鍛えた体を、近代ゴリラと呼んだり、著名人に三島
由紀夫の悪口を言わせて、記事にしたり、剣道五段の腕前を、まだまだと書いたり。
そして、そのたびに椎根さんは、三島由紀夫に怒鳴られるんじゃないだろうかと、半ば
ドキドキしてたというんです。(笑)
だけどね、三島由紀夫は一度も怒った事はなかったんですって!
ちょっと言われただけで、動揺する男性も多いというのに、三島由紀夫は何て懐の広い
人なのでしょう♪
ところで、私、吉永小百合さんにも関心を持ってるじゃない?
それで、先日、吉永小百合さんの出演した映画「皇帝のいない八月」を何気なく観てい
たの。
それは、吉永小百合さん演じる杏子の夫の藤崎(渡瀬恒彦)が、元自衛官の役で、自衛
隊の反乱分子とともに、ブルー・トレイン「さくら」でクーデターを起こそうとしている
の。
そして、そのクーデターの黒幕、右派系の元首相(大畑剛造)が、私の大好きな佐分利
信さんで、ブルー・トレインの乗っ取りは政権を奪取するために起こしたらしく、太地喜
和子さんが愛人の役をしてるの。
でね、ずっと観てたら、なんと三島由紀夫の映像が映り、割腹自決した自衛隊の市ヶ谷
駐屯地で叫んだ言葉が、藤崎のセリフになってたの!
「我々は5年待った。もう待てぬ。我々の愛する美しい歴史と伝統の国、日本を骨抜き
にした憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。我々は至純の魂を持つ一個の男子として
、真の武士として蘇るのだ。共に立って、義のために死ぬ奴はいないのか。」
わっ!
藤崎が、三島由紀夫の意志を受け継ぎ、クーデターを起こしたのなら、応援しなくちゃ
!
ところが、政府もさるもの、大畑剛造(佐分利信)に贈ったお酒で毒殺しちゃうの!
佐分利信さん、可哀想・・・
どうせ、死ぬなら、私が腹上死させてあげたかったわ・・・(涙)
しかし、それでも、藤崎は「俺達は、日本古来の規律ある精神を復活させるために、命
を懸けてるのだ!」と言い放ち、あくまでもブルー・トレインを乗っ取り、クーデターを続
けるの。
だけど、共に決起した自衛官の中に、寝返る者が出てきて、クーデターの行方に暗雲が
・・・
ダメ、ダメ~!
藤崎の行く手を阻む者は、私が容赦しないから!
私だって、やる時はやるんだから。
ほら、そこの機関銃、私に寄こして。
ダ!ダ!ダ!ダ!
バキューン!バキューン!バキューーン!
邪魔する奴は、どいつもこいつも皆殺しにしちゃうから!!
ああ、だけど、藤崎は杏子と一緒にいるところを射殺されて、クーデターは失敗に終わ
っちゃうの・・・
わ~ん!
バカ、バカ、バカ~!!
これじゃ、三島由紀夫と、三島由紀夫ファンのあの人があまりにも可哀想・・・
せめて、映画の中だけでも、クーデターが成功して、三島由紀夫の願いを叶えてほしか
ったのに・・・(涙)
それから、暫く意気消沈した日々を送っていた私・・・
でも、三島由紀夫はなぜ、あんな事件を起こし、割腹自決したんだろ?
いろいろ、ネットで調べもしました。
すると、様々な説があって、一概には言い切れない事がわかってきたの。
その中でも、とくに私が関心を持った説を一つ、紹介しますね。
それは、三島由紀夫が事件を起こした自衛隊の市ヶ谷駐屯地に注目すべしという説で、
市ヶ谷駐屯地は戦前は昭和12年に陸軍士官学校、昭和16年には陸軍の大本営が置かれ
、敗戦後、極東軍事裁判いわゆる東京裁判が開かれた場所で、しかも、靖国神社とは一キ
ロの距離にあり、戦争や戦犯を裁いた裁判と深い関わりがある場所だったっていうの。
三島由紀夫は戦争中、勤労動員中の昭和20年に応召された事があり、遺書まで書いた
のですが、父と兵庫県富合村で入隊検査を受ける事にし、気管支炎を肺浸潤と誤診されて
、即日帰郷となり、国家の命運を決めることになった戦争に対する自らの消極的な態度が
、特異な死生観や「戦後は余生」という複雑な思いを抱かせる結果になったそうなの。
それで、若い頃の三島由紀夫は肉体に非常なコンプレックスを持っていて、ボディビル
で体を鍛えあげ、武道もたしなみ、精神的にも肉体的にも、強くて、たくましさを求め続
け、望むものは殆ど手に入れてきたそうなの。
そうなると、許せないのは戦争中に、友人や同胞が命懸けで戦ったり、或いは戦死した
のに、「徴兵逃れ」とも受け取られないところで、入隊検査を受けた事や、病弱なゆえに
、出征してお国のために尽くせなかった事だった。
そこで、自分に罰を与えるためと、己の軟弱さを払拭する最期の地として、戦争とゆか
りの深い自衛隊の市ヶ谷駐屯地で、割腹自決して、自分を裁き、真の男になろうとした。
ね?
そう言われればって思うでしょう?
だけど、これも一つの解釈だと思いますけど、そんな極めて個人的な理由だけで、後世
まで残る、あんな人騒がせな大事件を起こし、今もなお三島由紀夫の生き方や著作が愛さ
れ続けているのかな?
ほかにも、何か理由があるのでは?
そういう事ばかり考えてたからでしょうか?
ある日、またまた古本屋さんで、保阪正康著の「三島由紀夫と楯の会事件」という文庫
本を見つけちゃったの。
その本は、事件を賛美も否定もせず、楯の会の元メンバーや、三島由紀夫と親しかった
人に直接、インタビューして、事実を正確に把握して、事の真相にせまる意図で書かれた
ものだったの。
この本の冒頭で、著者は「三島の訴えた政治的主張は、戦後社会の骨格を揺さぶってる
と私には思える」と書いているんです。
その戦後社会の骨格には主に3つあって、一つは戦前の大日本帝国憲法を否定し、国民主権
、非武装、文化国家を理念とした憲法で、2つめは「生と死」についての思想で、戦後、
人間としての生き方が質よりも量に還元されて論じられてきたこと。
3つめは伝統とか文化という精神世界よりも、物質や経済が上位を占める合理性の尊び
という軸だというの。
この3つの旗は、昭和40年代にはそれなりの成果をあげていたが、憲法は平和憲法と
称されたものの、この憲法によって失われていく知的退廃が皮層化し、歴史の検証能力や
現実社会を分析する知的論理は著しく弱まり、「人命の尊重」を声高に叫べば誰もが黙し
てしまう風潮が出来上がってしまい、欲望の肥大は、豊かな経済社会を生みはしたが、そ
の反面で経済的価値が何にも増して尊重される社会を作ってしまった。
三島の感受性はこうした方向を「亡国」と捉え、その焦りを誰よりも強く持っていた。
今から見れば、この3つの骨格が私たち自身の心理の中に独善と退廃を生み、次第に肥
大化させた。
戦後社会が理想と現実、言語と事実などの面で大きな矛盾を含んでいて、その矛盾が引
きに引けぬ状態に達していたのは誰もが認めざるを得ない。
あと、この本で知ったのは、三島由紀夫はクーデターが未遂に終わるのは予見していて
、その失敗から責任を取った訳ではなく、「諌死」と呼ばれるもので、死をもって、人を
諌める意味だったという事です。
三島由紀夫は早いうちから、死に傾斜していたそうですが、命の尊さも知っていて、諌
死という挙に出たようです。
また、三島由紀夫は民主主義を嫌っていましたし、自営の国家防衛隊とも言える楯の会
を組織していましたので、右翼とか軍国主義を標榜していたと捉えられがちですが、当の
三島由紀夫自身にそのつもりは毛頭なく、かえって右翼に利用されるのを警戒し、「今に
、目に見せてやる」と知人にもらした事もあったそうです。
その民主主義を三島由紀夫が嫌った理由について考えていたら、GHQの最高司令官ダグラス・マッカーサーの名が浮上してきました。
敗戦後、日本はアメリカに占領され、その指揮にあたったのはマッカーサーで、日本の
それまでの軍国主義を排し、民主主義を推進したのは、再び、強大な国になって、アメリ
カに脅威を与えぬようという意図があったからで、世界に類を見ない平和憲法と言われる
日本国憲法も、同様な理由で、起草されたとか。
だから、マッカーサーは、日本が社会主義体制になるのも恐れ、猛然と反対の意志を示
していた。
自衛隊の前身、警察予備隊も、朝鮮戦争を機に、将来、アメリカの援軍となるよう、や
はりマッカーサーの指示で組織された。
つまり、憲法も自衛隊も外国に振り回されて作られ、日本自らの意志は反映されていな
いのです。
ここで、映画「皇帝のいない八月」に話を戻しますと、ラスト間近で、アメリカ大統領の一
等書記官が登場して、事件が収束したのを喜ぶ意味も分かってきます。
そして、この映画は歩行者天国での人々の様子を映した映像で幕を閉じるのですが、そ
の意味は藤崎が、投降を呼びかける石森(山本圭)に言い放つ「お前の言う平和はクズだ
。東京を見てみろ。どこに美しさがある。秩序がある」に呼応したものであるのは明らか
です。
実は歩行者天国は三島由紀夫が割腹自決した昭和45年8月に始まり、三島はあれが民
主主義の行き着く先かと揶揄していて、戦後の民主主義を考えるのに相応しいと思って、
このようなラストにしたのではないでしょうか?
そして、三島由紀夫があの事件を起こしたのは、民主主義を問いなおしてほしいとの願いから、戦後25年めの節目の年に当たる昭和45年に決行したのかも知れません。
では、三島由紀夫が理想としていた戦前の美しくて、強い国、日本、そして人としての
生き方とはどういうものだったのでしょう?
まだまだ、三島由紀夫の魅力を探る旅は続きます。
それでね、今回はなぜ三島由紀夫に興味を持つようになったのかお話しようと思います
。
その主な理由は、私のブログを、複数の三島由紀夫ファンの男性が読んでくださってい
ると気づいたからなの。
その方たちに共通しているのは、聡明で、思慮深く、男らしい反面、女性にとても優し
いという点だったの。
はっきり言って、とても素敵な男性だと思います。(真っ赤)
そこで、その方たちに影響を与えた三島由紀夫とはどういう人だったのか気になってき
ちゃったの。
今なお、男性たちに勇気を与え、奮い立たせている理由は、どこにあるの?
それに、そのうちの一人の人に、私は何度もすごく褒めていただいたの。
だから、ご恩返しの意味も含めて、三島由紀夫の魅力を、私なりに探ろうと考えたんで
す。
そこで、今まで三島由紀夫が好きだったという水木しげるさんのマンガ「宇宙虫」を読
んだり、三島由紀夫が出演した「黒蜥蜴」を観たり、三島由紀夫の自決の真相を探ったり
、「潮騒」「不道徳教育講座」「真夏の死」「反貞女大学」などの小説を読んできた訳な
の。
だけど、そうするうちに、私のブログを読んでいる人の中に、三島由紀夫について否定
的な人がいる事まで分ってきたの。
私はその人達にも興味が湧いてきちゃいました。
三島由紀夫のファンは男らしくて、素敵な人ばかりみたいだけど、否定的な人はどうな
の?
するとね、文学とは縁遠く、男らしさに欠けるような人ばっかりだったの!
とくに気になったのは、女性に対する優しさは表面的なだけという点と、すぐに同情を
買おうという姿勢ね。(笑)
そのうち、二人は飼い犬を亡くしていて、悲しくてたまらないから同情してほしいみた
いな事を、そろって書いてるの。
しかも、一度ならず、毎年、命日が近づくたびに、悲しい悲しいと書いてるのよ。
何をそんなに悲しがってるの?
でも、そういう人って、同情したからと言って、決して感謝はしないわよね。
その点、三島由紀夫ファンの人は同情してほしいみたいな事、まったく書かないですか
ら。
それに、そのうちの一人は、こんな事を言っていました。
「俺の姉の亭主は自殺して、姉はすごく苦労した。三島由紀夫にも奥さんと幼い子供が
いたのだから、何が何でも死ぬべきではなかった。」
飼い犬が死んだと、いつまでも悲しんで、同情をほしがってる人が、何言ってるの?
だから、私、こう反論してやったの。
「何が何でもって?
だったら、沈没しかけた船の船長が、死を覚悟して、最後まで残って、的確な指示を与
えていれば、大勢の人の命を救えたのに、職務を放棄して、我先にと救命ボートに乗った
ばかりに大勢の犠牲者が出た場合、それでも、夫だけは生きてたから喜べと言うの?
あなた、私に、そんな意気地なしの卑怯者の奥さんになれと言うの?
冗談じゃないわ!
例え、夫が死んだとしても、大勢の人の命を救うためだったのだから、仕方ないじゃな
い!
それで、私は夫や神様を恨んだりしないわ!
だって、主人が自分の命を犠牲にしてまで、大勢の命を救ったんですもの。
私は、立派な主人を持って幸せだったと思いながら、どんな苦難にも立ち向かっていけ
ると思うもの。
ちょっと熱く書きちゃいましたが、そういう訳で、このところ、いつも三島由紀夫の魅
力を考え続けている私なの。
そんなある日、古本屋さんで、椎根 和という人が書いた「平凡パンチの三島由紀夫」
って文庫本を発見しちゃったの!
この椎根さんという人は、雑誌「平凡パンチ」の編集者として、三島由紀夫に原稿を依
頼したり、自分でも三島由紀夫の記事を書いて、結婚式の仲人をしてもらったり、公私と
もに親しく付き合っていた人だったんです!
それでね、三島由紀夫の死後、何百冊も、三島由紀夫研究の本が出たけど、椎根さんは
なにか違うと、いつも思ってたらしいの。
あえて言えば、澁澤龍彦の「三島由紀夫をめぐる断章」という文章が、一番、しっくり
来たとか。
で、この「平凡パンチの三島由紀夫」には、三島由紀夫の姿が生き生きと書かれていて
、生前、どんなに人気があったのか知って、びっくりしちゃったの!
1967年春に、平凡パンチで行ったミスター・ダンディの人気投票で、三島由紀夫は、
三船敏郎、伊丹十三、石原慎太郎、加山雄三、石原裕次郎、西郷輝彦、長嶋茂雄、市川染
五郎、北大路欣也らを抑えて、1万9590票で、堂々、1位に選ばれたっていうの!!
そして、翌1968年の、世界一の男性を決める人気投票では、フランスのドゴール大
統領に続いて、2位に選ばれちゃってるの!!!
しかも、平凡パンチだけじゃなく、アメリカの高級月刊誌「エスクァイア」が、197
0年の4月号で発表した「世界の重要人物百人」という企画では、日本人で、ただ一人、
三島由紀夫だけが選ばれてるのです!!!
また、アメリカを代表する雑誌「ライフ」も、1966年9月26日号で、「伝説を作
りつつある天才・三島由紀夫」というタイトルで、9ページもの大特集を組んだとか。
三島由紀夫は、世界でも注目されていたんですね~♪
そんな三島由紀夫と、椎根さんはどんなお付き合いをしていたのでしょう?
それがね、椎根さんて、雑誌の編集者だから、売上を伸ばすために、褒めるだけじゃな
く、からかうような記事も書いてたらしいの。(苦笑)
例えば、三島由紀夫のボディビルで鍛えた体を、近代ゴリラと呼んだり、著名人に三島
由紀夫の悪口を言わせて、記事にしたり、剣道五段の腕前を、まだまだと書いたり。
そして、そのたびに椎根さんは、三島由紀夫に怒鳴られるんじゃないだろうかと、半ば
ドキドキしてたというんです。(笑)
だけどね、三島由紀夫は一度も怒った事はなかったんですって!
ちょっと言われただけで、動揺する男性も多いというのに、三島由紀夫は何て懐の広い
人なのでしょう♪
ところで、私、吉永小百合さんにも関心を持ってるじゃない?
それで、先日、吉永小百合さんの出演した映画「皇帝のいない八月」を何気なく観てい
たの。

それは、吉永小百合さん演じる杏子の夫の藤崎(渡瀬恒彦)が、元自衛官の役で、自衛
隊の反乱分子とともに、ブルー・トレイン「さくら」でクーデターを起こそうとしている
の。
そして、そのクーデターの黒幕、右派系の元首相(大畑剛造)が、私の大好きな佐分利
信さんで、ブルー・トレインの乗っ取りは政権を奪取するために起こしたらしく、太地喜
和子さんが愛人の役をしてるの。
でね、ずっと観てたら、なんと三島由紀夫の映像が映り、割腹自決した自衛隊の市ヶ谷
駐屯地で叫んだ言葉が、藤崎のセリフになってたの!
「我々は5年待った。もう待てぬ。我々の愛する美しい歴史と伝統の国、日本を骨抜き
にした憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。我々は至純の魂を持つ一個の男子として
、真の武士として蘇るのだ。共に立って、義のために死ぬ奴はいないのか。」
わっ!
藤崎が、三島由紀夫の意志を受け継ぎ、クーデターを起こしたのなら、応援しなくちゃ
!
ところが、政府もさるもの、大畑剛造(佐分利信)に贈ったお酒で毒殺しちゃうの!
佐分利信さん、可哀想・・・
どうせ、死ぬなら、私が腹上死させてあげたかったわ・・・(涙)
しかし、それでも、藤崎は「俺達は、日本古来の規律ある精神を復活させるために、命
を懸けてるのだ!」と言い放ち、あくまでもブルー・トレインを乗っ取り、クーデターを続
けるの。
だけど、共に決起した自衛官の中に、寝返る者が出てきて、クーデターの行方に暗雲が
・・・
ダメ、ダメ~!
藤崎の行く手を阻む者は、私が容赦しないから!
私だって、やる時はやるんだから。
ほら、そこの機関銃、私に寄こして。
ダ!ダ!ダ!ダ!
バキューン!バキューン!バキューーン!
邪魔する奴は、どいつもこいつも皆殺しにしちゃうから!!
ああ、だけど、藤崎は杏子と一緒にいるところを射殺されて、クーデターは失敗に終わ
っちゃうの・・・
わ~ん!
バカ、バカ、バカ~!!
これじゃ、三島由紀夫と、三島由紀夫ファンのあの人があまりにも可哀想・・・
せめて、映画の中だけでも、クーデターが成功して、三島由紀夫の願いを叶えてほしか
ったのに・・・(涙)
それから、暫く意気消沈した日々を送っていた私・・・
でも、三島由紀夫はなぜ、あんな事件を起こし、割腹自決したんだろ?
いろいろ、ネットで調べもしました。
すると、様々な説があって、一概には言い切れない事がわかってきたの。
その中でも、とくに私が関心を持った説を一つ、紹介しますね。
それは、三島由紀夫が事件を起こした自衛隊の市ヶ谷駐屯地に注目すべしという説で、
市ヶ谷駐屯地は戦前は昭和12年に陸軍士官学校、昭和16年には陸軍の大本営が置かれ
、敗戦後、極東軍事裁判いわゆる東京裁判が開かれた場所で、しかも、靖国神社とは一キ
ロの距離にあり、戦争や戦犯を裁いた裁判と深い関わりがある場所だったっていうの。
三島由紀夫は戦争中、勤労動員中の昭和20年に応召された事があり、遺書まで書いた
のですが、父と兵庫県富合村で入隊検査を受ける事にし、気管支炎を肺浸潤と誤診されて
、即日帰郷となり、国家の命運を決めることになった戦争に対する自らの消極的な態度が
、特異な死生観や「戦後は余生」という複雑な思いを抱かせる結果になったそうなの。
それで、若い頃の三島由紀夫は肉体に非常なコンプレックスを持っていて、ボディビル
で体を鍛えあげ、武道もたしなみ、精神的にも肉体的にも、強くて、たくましさを求め続
け、望むものは殆ど手に入れてきたそうなの。
そうなると、許せないのは戦争中に、友人や同胞が命懸けで戦ったり、或いは戦死した
のに、「徴兵逃れ」とも受け取られないところで、入隊検査を受けた事や、病弱なゆえに
、出征してお国のために尽くせなかった事だった。
そこで、自分に罰を与えるためと、己の軟弱さを払拭する最期の地として、戦争とゆか
りの深い自衛隊の市ヶ谷駐屯地で、割腹自決して、自分を裁き、真の男になろうとした。
ね?
そう言われればって思うでしょう?
だけど、これも一つの解釈だと思いますけど、そんな極めて個人的な理由だけで、後世
まで残る、あんな人騒がせな大事件を起こし、今もなお三島由紀夫の生き方や著作が愛さ
れ続けているのかな?
ほかにも、何か理由があるのでは?
そういう事ばかり考えてたからでしょうか?
ある日、またまた古本屋さんで、保阪正康著の「三島由紀夫と楯の会事件」という文庫
本を見つけちゃったの。
その本は、事件を賛美も否定もせず、楯の会の元メンバーや、三島由紀夫と親しかった
人に直接、インタビューして、事実を正確に把握して、事の真相にせまる意図で書かれた
ものだったの。
この本の冒頭で、著者は「三島の訴えた政治的主張は、戦後社会の骨格を揺さぶってる
と私には思える」と書いているんです。
その戦後社会の骨格には主に3つあって、一つは戦前の大日本帝国憲法を否定し、国民主権
、非武装、文化国家を理念とした憲法で、2つめは「生と死」についての思想で、戦後、
人間としての生き方が質よりも量に還元されて論じられてきたこと。
3つめは伝統とか文化という精神世界よりも、物質や経済が上位を占める合理性の尊び
という軸だというの。
この3つの旗は、昭和40年代にはそれなりの成果をあげていたが、憲法は平和憲法と
称されたものの、この憲法によって失われていく知的退廃が皮層化し、歴史の検証能力や
現実社会を分析する知的論理は著しく弱まり、「人命の尊重」を声高に叫べば誰もが黙し
てしまう風潮が出来上がってしまい、欲望の肥大は、豊かな経済社会を生みはしたが、そ
の反面で経済的価値が何にも増して尊重される社会を作ってしまった。
三島の感受性はこうした方向を「亡国」と捉え、その焦りを誰よりも強く持っていた。
今から見れば、この3つの骨格が私たち自身の心理の中に独善と退廃を生み、次第に肥
大化させた。
戦後社会が理想と現実、言語と事実などの面で大きな矛盾を含んでいて、その矛盾が引
きに引けぬ状態に達していたのは誰もが認めざるを得ない。
あと、この本で知ったのは、三島由紀夫はクーデターが未遂に終わるのは予見していて
、その失敗から責任を取った訳ではなく、「諌死」と呼ばれるもので、死をもって、人を
諌める意味だったという事です。
三島由紀夫は早いうちから、死に傾斜していたそうですが、命の尊さも知っていて、諌
死という挙に出たようです。
また、三島由紀夫は民主主義を嫌っていましたし、自営の国家防衛隊とも言える楯の会
を組織していましたので、右翼とか軍国主義を標榜していたと捉えられがちですが、当の
三島由紀夫自身にそのつもりは毛頭なく、かえって右翼に利用されるのを警戒し、「今に
、目に見せてやる」と知人にもらした事もあったそうです。
その民主主義を三島由紀夫が嫌った理由について考えていたら、GHQの最高司令官ダグラス・マッカーサーの名が浮上してきました。
敗戦後、日本はアメリカに占領され、その指揮にあたったのはマッカーサーで、日本の
それまでの軍国主義を排し、民主主義を推進したのは、再び、強大な国になって、アメリ
カに脅威を与えぬようという意図があったからで、世界に類を見ない平和憲法と言われる
日本国憲法も、同様な理由で、起草されたとか。
だから、マッカーサーは、日本が社会主義体制になるのも恐れ、猛然と反対の意志を示
していた。
自衛隊の前身、警察予備隊も、朝鮮戦争を機に、将来、アメリカの援軍となるよう、や
はりマッカーサーの指示で組織された。
つまり、憲法も自衛隊も外国に振り回されて作られ、日本自らの意志は反映されていな
いのです。
ここで、映画「皇帝のいない八月」に話を戻しますと、ラスト間近で、アメリカ大統領の一
等書記官が登場して、事件が収束したのを喜ぶ意味も分かってきます。
そして、この映画は歩行者天国での人々の様子を映した映像で幕を閉じるのですが、そ
の意味は藤崎が、投降を呼びかける石森(山本圭)に言い放つ「お前の言う平和はクズだ
。東京を見てみろ。どこに美しさがある。秩序がある」に呼応したものであるのは明らか
です。
実は歩行者天国は三島由紀夫が割腹自決した昭和45年8月に始まり、三島はあれが民
主主義の行き着く先かと揶揄していて、戦後の民主主義を考えるのに相応しいと思って、
このようなラストにしたのではないでしょうか?
そして、三島由紀夫があの事件を起こしたのは、民主主義を問いなおしてほしいとの願いから、戦後25年めの節目の年に当たる昭和45年に決行したのかも知れません。
では、三島由紀夫が理想としていた戦前の美しくて、強い国、日本、そして人としての
生き方とはどういうものだったのでしょう?
まだまだ、三島由紀夫の魅力を探る旅は続きます。