農村ライフ 日々是好日

山形・庄内平野でお米を作る太ももの会広報部長の農村日記

正明をめぐる新しい資料

2023-12-08 22:58:33 | 

先月東京の悦子さんから頂いた古い山岳雑誌のコピー。
岩と雪でしょうか。
遠藤晴行さんのアコンカグア登頂のレポートです。
同行者は正明。

ただ高度順応が不充分だった正明は結局高山病で登頂出来ませんでした。
その事実は知ってはいましたが、今回頂いた遠藤さんの手記で
山行の内容を初めて知ることが出来ました。

1985年の暮れ、医師で登山家の原真さんと遠藤晴行さん、
そして正明の3名は南米のフイッツロイを目指します。
残念ながら好天を逃したため登頂果たせず撤退。

「原さん、このまま日本に帰るのも癪ですから、
 せめてアコンカグアあたりへ行けないでしょうか」
という正明の提案を受け入れ、
遠藤さんと正明は二人でアコンカグアを目指します。

以下、遠藤晴行さんの手記を抜粋。

「アコンカグアなら禿博信が、BCから8時間で登って下りてきている。
 お前ならそれくらいで登れるだろう」
と原隊長が言い出した。
「しかし、それは何日かの登ったり下りたりの順応活動をして、
 そのあと登ったわけでしょ。ぼくらには二日間しかないんですよ」
私は反論した。
「一日目に6000mを往復して、2日目にアタックすればいい」

 よく考えてみると、これはおもしろい実験登山になるかもしれない。
アコンカグアを高地順応なしで、一撃で落とすのだ。
そして春のエベレスト登山のためにも、アコンカグアに登頂できれば
7000mまでの順応が獲得できる。

 渋谷は2ヶ月半前にネパールのメラピーク(6654m)に登頂している。
私は3ヶ月半前にナンガ・パルパット(8125m)の6800mまで登っている。
条件は五分五分である。違いがあるとすれば、減圧トレーニングと高所経験だ。

 私は名古屋の減圧トレーニングのトレーナーとして、1年9ヶ月の間に
約5000回の減圧トレーニングを繰り返している。
原隊長に言わせると「改造人間」だそうだ。
高所経験では、渋谷は6000m以上の高山ではメラ・ピークだけであり、
私は6回8山の経験があるあ。この差だけだ。

 私は考えた。減圧トレーニングの成果を試すには、素晴らしい舞台ができ上がった。
それと、もう一つの疑問点である「順応が体の中に残っている日数」を実験できる。
日本の学者の間では2、3ヶ月、ヨーロッパでは1ヶ月弱が、順応が残っている期間と言われている。
渋谷に順応が残っているかどうかで、どちらが正しいか、はっきりする。

(中略)

ここ(BCから)から頂上(6959m)までは2759mの標高差がある。
完全に順応できていない私たちでは、ここから1日で
頂上を往復するには難しい。2日間しかない日程で
一番確かなタクテイスクは、明日5千メートル付近まで登り、
翌日アタックというかたちがよいだろう。

 1月8日、BCから夏の富士山のような登りで3時間半、
通常のC1である5200mのキャンプ地に着く。
テントが4、5張ある。私たちはさらに高度を上げ、5400mまで登る。

 今日は荷物を担いで標高差1200mを登った。
明日は頂上まで1600m。
ここがちょうどよい宿泊地だろう。

 キャンプ地に着く前から渋谷の調子がおかしかったが、
ここに着いてからよけいに悪くなった。キャンプを設営してから
渋谷を空身で登りに行かせる。100mも登って下りてくれば
少しはよくなるだろう。つまり高山病の逆療法である。
彼は一時間以上かけて往復して来た。少しはよくなった
といってっている。

「呼吸をしろ。腹式呼吸でゆっくりとだ。そうすれば治る」

 私の言葉が分かっただろうか。私自身も多少の頭痛がする。
しかし問題にならない程度のものだ。明日が心配だ。

 1月9日、渋谷は頭痛が激しくて動けない。
私も2、3時間寝ただけだが、なんとかなりそうだ。
渋谷を残してアタックに向かう。9時に出発。

(中略)

6200mの避難小屋に12時半着。
大きな尾根を越えるとアコンカグアの頂上が頭上に見えてくる。
頂上まで続いているガレ場地帯に入る。
残りは標高差300mくらいだろう。

 非常に苦しい。心臓が破裂しそうだ。脈拍は170くらいだろう。
頭痛がする。腹式呼吸をすると頭痛は治る。
しかし脈拍はなかなか下がらない。

 そういえば減圧トレーニングは6000mまでしかやっていない。
危険だな。しかし足が自然と前に出る。

(中略)

 体が重い。時おり、意識が遠のいてゆく。
足を止め深呼吸をしても、なお苦しい。限界に近いことを知る。
エベレスト無酸素登頂以来のことだ。
撤退を考える。しかし頂上はすぐそこだ。
下を見る。傾斜は急には見えない。これならよい。

 頂上稜線に出る。反対側の南壁が見える。
南壁側は雪、北側は雪の稜線をたどる。
一歩二呼吸になる。ザックをデポする。
最後の50mは岩場になる。

 16時。頂上に着いた。頂上は平だ。
いちばん高そうな所にアルミパイプと十字架があった。
セルフタイマーで写真を撮る。
(中略)
早々に下山する。足が重い。ゆっくり下ることにしよう。
下るにつれ意識がもどり、呼吸も楽になる。疲労感もない。

 18時、5400mのアタック・キャンプにもどる。
渋谷はいない。先にBCに下ったようだ。
突然猛烈な疲労感に襲われる。テントの中で寝そべりながら、
コンロに火をつけようとしたが、火が点かない。
ガソリンがないのだ。チクショー。BCまで下りるしかない。
クタクタの体にムチを打って下降する。

 20時、BCにもどった。渋谷はまだ頭が痛いという。
私は何ともないが、疲れた。

 1月10日、BCを撤収し、ベンテ・デル・インカにもどる。
12日に原隊長とメンドーサで合流。15日、成田着。

  *

 アコンカグアでの実験登山は大成功だった。これは渋谷のおかげである。
彼は決して高地に弱い人間ではない。体力もある。
しかしだれでも5400mまで一気に登れば高山病になる。

 私はBC設営後、実質1日半、11時間半で登頂に成功し、
4時間で下降した。

 この登山のなかからふたつの点がはっきりした。
ひとつは、以前に獲得した順応が体の中に残っているのは
2ヶ月以内であること。

 さらにこのアコンカグアの完全アルパイン・スタイルの成功によって、
減圧トレーニングのプログラムを、ほぼ実際の登山に近いような
トレーニングに変更できた。つまり、減圧トレーニングが高所登山に、
より効果的になったというべきだろう。

 私自身今回感じたのことは、3年前のエベレスト無酸素登頂のときよりも、
昨年の夏のパミール、秋のナンガ・パルパットのときよりも、
体力は変わらないが、高所に強くなったということを痛切に体感した。

 今年の春の高山研究所主催のエベレスト無酸素登山は、その意味で私自身が
減圧トレーニングによって本当に改造されたかを試す実験登山といえよう。
そして、長尾妙子の世界初の女性無酸素登頂の試み。

 二人の偉大な登山家、吉野寛、禿博信の両氏を失った1983年秋の
エベレスト無酸素登頂から2年。私は今、大きく変わりつつある
ヒマラヤ登山の核心にふれようとしている。
(引用おわり)

   *        *

 メンドーサで合流した時の原真さんの手記が残っています。
(以下引用)
 1月12日にサンチャゴを発った。メンドーサで遠藤と渋谷が乗り込んできた。
遠藤は1日半でアコンカグアを登頂、渋谷は5500mあたりから下山したらしい。
渋谷にも、いずれは高所のことが飲み込めるときがくるであろう。
すばらしい登攀能力を持つ渋谷は、その人柄からいって、
将来は必ずヒマラヤを目ざす男だと私は考えている。それが楽しみでもある。
「還らざる者たち フィッツロイに挑む ーーー正明とマルコの死」より




もう一つの雑誌のコピー記事は、
興津義訓さんの「ちょっとふざけたドロミテ登攀ツアー」。
85年のクライミング・ジャーナル誌であろうか?

8月8日興津氏と木村、森下、菊池、渋谷正明の5名が、
車でドロミテに出発します。荷物が多いので、
レンタカーでベルンからインスブルックに向かう道中のエピソード。

(以下引用)
「オイ、気持ち悪いからあんまりそばに寄るな」

 とはいっても狭い車の中のこととてどうにもならず、
例によって目を開けたり、閉じたりしながらのドライブで、
オーストリアとの国境へ日暮れ時に着く。さらに先を急ぐが、
ランデックあたりでとうとう夜の世界になってしまい、
何も見えなくなってたいくつした渋谷が、本人も理解に苦しむ
ビートルズの歌を彼流に歌い出す。

「なんだそれ、そんな歌あったか?」
「よせよ、こっちの耳が駄目になる!!」
「ゴチャ混ぜにしてうたってる!!」
等、非難の声を浴びながらも本人はいたって呑気。

「いいじゃないですか、本人がせっかく気持ちよく歌っているものは
歌わせておけばいいんで。それは音楽に対する理解の相違ですよ」とか。

 夜の9時過ぎにインスブルック着。駅の横手にあるベンチに腰かけ、
通りゆく女だけを眺めながらパンとソーセージの晩食を済ませ、
今宵のネグラを探す。
(引用おわり)

こういった場を和ませる?エピソードに事欠かない正明でしたが、
ここでも一つ面白い話を知ることが出来ました。

そしてこのドロミテツアーの最中、コルチナの街はずれで
今井通子さんとばったり出会う描写があります。

この年(1985年)の暮れ、正明は原真さん、遠藤晴行さんと
一緒にフィッツロイに出かけることになるのですが、原さんと
正明が出会ったのが、出発のわずか20日前でした。

場所は箱根にある高橋和之さんの別荘。

高橋さん(通称ダンプさん)の奥さんが今井通子さんですから、
この夏のドロミテで興津さんたちが今井さんと出会ったのが、
正明が原さんと繋がるきっかけに成ったのかも知れません。

そして遠藤さんの手記にあった、
1986年春の高山研究所エベレスト遠征。
この遠征で長尾(現姓山野井)妙子さんが女性では
世界で初めてとなる無酸素登頂を目指したようですが、
その結果を知りたいのですが、その資料が見当たりません。

渋谷正明 享年22
生きていたら今日12月8日で60歳、還暦でした。

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