千葉ロッテマリーンズの投手コーチ吉井理人さんは、
中学時代は陸上競技の円盤投げの選手だった。
和歌山県大会で優勝し、近畿大会でも2位。
中学陸上界ではけっこう目立つ存在だったが、まったく女の子にモテなかった。
(女の子にモテるには野球しかない)
そう決意して中学入学当初入ってすぐやめた野球部に復帰した。
高校進学に当たり、どうせやるなら強いチームでやりたい。
そう考えて地元和歌山の箕島高校を選んだ。
3年生でずっとエースナンバーをつけていた吉井選手は、
最後の夏の大会前全く調子が上がらなかった。
尾藤監督は吉井選手に気合を注入するためか、
ユニフォームのエースナンバーをむしり取った。
「理人、好きな番号つけとけ」
吉井選手は悔しくて悔しくてしゃかりきになって練習した。
監督の思惑通りになった。
母親があとで教えてくれた。
その日の晩監督から家に電話がかかってきたという。
「理人、どうしてる?」
「あ、なんか自分で背番号縫うてます」
「実は、喝を入れるため背番号むしり取ったんや。元気出すよう言うたってくれ」
監督は、選手本人にはそういうことは言わず、それとなくフォローを入れる。
そういうことをしてくれる人だった。
現役時代はそうとは知らず「あのくそおやじ」「面倒くさいおっさん」としか思っていなかった。
でも監督の術中にまんまとはまり、必死に頑張った。
選手に怒ったり厳しくしたりして奮起させるのも、
すべての意選手に対して同じことをやっていたのではない。
その選手の性格をしっかりと把握しないと、
間違った𠮟り方をしてつぶれる選手も出てしまう。
そういう意味でも尾藤監督は教え子たちのことをすべて見抜いていた。
吉井選手の野球人生、コーチ人生を考えるうえで、
地元にこんなにも素晴らしい指導者がいて、
その人に巡り合えたのはラッキーだった。
選手の叱り方は本当に難しい。
プロ野球のコーチとして10年近く過ごして、選手を本気で叱ったのは二度か三度だ。
一度はある投手が試合中、どんな球を投げても打たれる気がすると、投げやりな姿勢になった。
「投げたくないんだったら、代えたるぞ!」
そう言うと、何やらブツブツ不平を言い始めたので、堪忍袋の緒が切れた。
「おまえな、投げたい奴なんていくらでもおんのやぞ!
そんな気持ちで投げるんやったら、とっとと帰ってまえ!」
感情に任せてすごい剣幕で怒鳴ってしまった。
「ヨシ、絶対に殴んなよ!」
梨田監督も血相かえて飛んでくるほどだった。
尾藤監督のように計算して叱ったわけではない。
感情に任せて叱ってしまったので「やってもうた・・・」という気持ちだった。
今ではさすがに計算して叱るようにしている。
ただ選手の技術的なミスで叱ることはない。
コーチになってすぐのとき、野村克也さんに質問しに行った。
「野村監督、選手を叱るときはどんなケースがありますか?
僕、叱り方がわからないんです」
野村さんは、いつもの調子でボソッとつぶやいた。
「そんなん簡単や。手ぇぬいたときや。
でもな、選手のミスは絶対に叱っちゃあかん。
本気出さんとき、手ぇぬいたとき、そんときだけ怒れ」
振り返ると、尾藤監督の姿勢とまったく変わらない。
指導者を極めた人の言うことは、基本の幹は共通しているものだ。

吉井理人 著
「最高のコーチは、教えない。」より