浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

パレスチナ旅行の思い出 

2020年09月13日 09時00分50秒 | 旅行

イスラエルのエルサレム滞在中、2014年4月1日にパレスチナ自治区にあるベツレヘムに日帰り旅行した。パレスチナが、96番目の外国(地域)となった。ベツレヘムはエルサレムからバスで45分ほど行ったパレスチナ自治区にあるイエス・キリストが生まれた町である。バス料金は8シェケル(約240円)で、行きはパスポートのチェックもなく、帰りのみパスポートのチェックが車内であったが、荷物の検査もなく、治安上の心配も全くなかった。

スポーツの世界では、イスラエルはヨーロッパに属しているが、パレスチナはアジアに属していることに疑問を感じていたが、行ってみてよくわかったのは、ベツレヘムは、イエス生誕の地であるが、今ではアラブ人の町でイスラム色が強く、まさにヨーロッパではなくアジアの一部というかイスラム社会の町で、聖書にも出てくる地名のイメージとは違和感があった。

街の中心にあるのは、イエスが生まれたとされる聖誕教会で、教会の地下洞窟の中にはイエスが生まれたとされる場所に銀の星の形がはめ込まれている。真偽のほどはよくわからないが、そうだと伝え続けられているものを目の前にすると感慨深いものがある。イエスはてっきり馬小屋で生まれたものと思っていたが、どうも違うようである。

2012年にネパールのルンビニというお釈迦様の生まれたところにも行ってきたので、これで仏教とキリスト教の2大生誕地に行ったことになる。ベツレヘムといっても他にはあまり見るべきものもなく、イスラムの町からか町全体もあまりきれいではないので、キリスト教世界のベツレヘムのイメージをこわしそうである。

写真は、聖誕教会及びイエス・キリストが生まれた場所

パレスチナ旅行アルバム(6.15~): https://youtu.be/Q6duzhNfP3w


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラエル旅行の思い出 

2020年09月13日 08時44分05秒 | 旅行

2014年3月30日、イスタンブール経由でイスラエルのエルサレムに入国し、ヨーロッパでは52番目、世界全体では95番目の訪問国となった。当時旅先で日記を書いていたので、振り返って記してみたい。(一部加筆訂正)

ホテルは、ヤッフォ門にあるニュー・インペリアルという100年以上前から営業しているという老舗のホテルでドイツ皇帝のヴェルヘルム2世も宿泊したとのこと。また、セルマ・ラーゲルレーヴというスウェーデンの女性作家(『ニルスのふしぎな旅』の作者で、ノーベル文学賞を受賞)が1900年にこのホテルに宿泊したということで、スウェーデンからの観光客は必ずホテルに見学に来るそうである。そんな由緒あるホテルであることは全く知らずに、ロケーションと値段(1シングル朝食付で70ドル)から選んで予約したものであるが、建物や内装も雰囲気があり、このホテルにして大正解であった。

ホテルに早く着きすぎたため、レセプションでもらったパンフレットにあった約2時間のフリーのウォーキングツアーに入った。ホテルのすぐそばから出発する英語による無料のガイドツアーで、オリエンテーションとしてはうってつけでチェックインまでの時間を有効に使うことができた。

3月31日は、丸一日、世界遺産となっているエルサレム旧市街を歩いて見て回った。地球の歩き方の本を片手にキリスト教地区から始め、シオンの丘にあるダビデ王の墓、最後の晩餐の部屋、マリア永眠教会、イエスが投獄されていた鶏鳴教会、オリーブ山にあるイエスが昇天した昇天教会、主の祈りの教会、主の泣かれた教会、イエスが祈り、捕えられたゲッセマネの園、マリア昇天の場所と謂われるマリアの墓の教会を見て回った後、イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道であるヴィア・ドロローサを最終地点の聖墳墓教会までイエスの歩く姿をイメージし、歴史を感じながら歩き通した。

聖墳墓教会はゴルゴタの丘にあるキリスト教最大の巡礼地で、イエスの十字架が建てられた所、十字架から降ろされた畳ほどの大理石版、イエスのお墓等があり、いつも礼拝者で溢れかえっている。イエスの墓はいつ行っても長蛇の列ができていたが、思い切って45分ほど並んで見ることができた。実際にイエスとマリアに関連するスポットを次から次へと見て回ると歴史をタイムスリップしたような不思議な気分になる。今までに世界各地で教会やイエスにまつわるものをいろいろ見てきたが、本場エルサレムは別格で感動が全く異なるのである。

キリスト教地区の後は、ユダヤ民族の心の故郷である「嘆きの壁」に足を運んだ。テレビでは何回か見たことがあったが、ついに本物に出会うことができ、感動的であった。男性と女性の祈りの場所が分けられているが、よくわからないまま女性の方に間違って入ってしまったが、誰からも注意はなく、危なく女性の方の壁に行くところであった。

嘆きの壁の後は、ユダヤ人地区にあるカルド(世界最古の繁華街)や4つのシナゴーグを見学したが、この地区にはいろいろな遺跡が多数残っているようで、あちこちで遺跡が掘り返されている。最後の締めくくりは、ホテルの目の前にある「ダビデの塔」を見学した。歴史を重ねてきたエルサレムを物語る砦としても魅力あるが、現在は歴史博物館としても利用されている。また、ちょうど、“Sounds of the Old City”という音楽フェスティバルが行われており、目の前で鑑賞することができた。イスラエルのミュージシャンが何組も舞台に立ち、昼も夜も充実した1日となった。

エルサレムは観光地としても有名でどこに行っても観光客で溢れ返っていた。治安状況が悪いという印象は全くなく、まさに平穏そのものであった。しかし、日本からの観光客をほとんど見かけないのが異様に感じた。1日観光地を歩き回って見かけた日本人は、2組で10人程度。エルサレムは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地であり、観光資源も素晴らしく、魅力ある都市に間違いないが、どうしてあまり日本人が行かないのか不思議である。外務省の治安情報の脅しと旅行会社の怠慢に起因しているような気がしてならない。今は、ちょっと治安に心配もあるが、絶対に一度は訪れたい聖地である。エルサレムに行かずして、キリスト教やイエスやマリアのことを語ってほしくない思いである。

写真は、嘆きの壁、ヴィア・ドロローサの第3番及び聖墳墓教会

イスラエル旅行の思い出: https://youtu.be/Q6duzhNfP3w

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする