浪漫飛行への誘(いざな)い

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荻村伊智朗さんの偉業と統一コリアの奇跡

2020年09月20日 22時48分13秒 | 卓球

9月19日のBSテレ東の「卓球ジャパン!」は、日本が生んだ卓球界の偉人、荻村伊智朗さんの偉業を特集していたが、卓球愛好家としては惹きつけられるように見入った。現役プレーヤーとして世界卓球で12個の金メダルを獲得して、日本の卓球黄金時代を牽引したが、引退後は、指導者として日本のみならず、スウェーデンや中国等世界中で活躍した。さらに、国際卓球連盟の会長に就任後、数々の改革を実施し、日本という枠に収まらず、世界の卓球界でその力を発揮し、1991年の世界卓球では、統一コリアチームを実現させるほど国際貢献した伝説的な人物である。

タモリから「卓球は根暗のスポーツ」と揶揄されてから、荻村さんは卓球のイメージアップ作戦の陣頭指揮を取った。ボールをオレンジ色に変え、ユニフォームもカラフルなものに変え、卓球台も暗いグリーンから明るいブルーに変え、年寄りでも楽しめるラージボール卓球を生み出した。卓球のディナーショーなんかも行われた。そのお蔭で、学校のクラブ活動でも卓球部は人気のクラブに変わり、卓球人口も相当増えたものと思われる。愛ちゃん効果や最近では張本智和や伊藤美誠のような中国選手にも負けないレベルの選手が出てきたことも人気の一因となっている。

荻村さんが成し遂げた偉業の一つが、1991年に千葉で開催された世界卓球での南北朝鮮の統一コリアチームの実現である。統一チームの顛末については、後に、「ハナ奇跡の46日間」というタイトルで映画化されたほどである。女子団体戦において、それまで中国が8連覇していたが、何と統一コリアが決勝で中国を破り、奇跡的勝利を収めたことで世界の注目の的となった。国旗ではなく、朝鮮半島が描かれた統一旗が会場を席巻したのが印象的であった。

1991年の世界卓球は、個人的にも印象深い大会であった。当時、名古屋に勤務していたが、この世界卓球を見に千葉まで出かけ、5月5日に生で観戦する機会を得ることができた。ニッタクという卓球の会社に知り合いがいて、招待券をいただいたものである。昔の卓球用具(ピンポンセットという)が展示されていたり、着物を着た人が卓球をするデモがあったり、記念の卓球ボールもいただき、今でも大事に保管している。

もうひとつ印象的であったのは、優勝した女子の統一コリアチームのコーチがLee Yoo Sungという当時大韓航空のコーチをやっていた人であったことである。当時、大韓航空は、女子の韓国リーグでも3番目位の強豪チームであり、そのコーチが統一コリアのコーチに抜擢されたものである。インターライン卓球大会で何度も顔を合わせていた人物だったので、よけい親しみが沸いた。当時のテレビ映像にもコーチとして何度も顔が映っていたのが印象的であった。

いがみ合っていた韓国と北朝鮮が統一チームを作るなんて、誰も想像しなかったことだが、荻村さんは、両国の間に入って、実現させたのだからまさに偉業である。スポーツによる国際交流のレベルを超え、まさにピンポン外交の面目躍如といえる。国際交流といえば、スケールは小さいが、自分も1983年に東京で開催されたインターライン卓球大会で、中国に初参加を強く働きかけ、当時国交のなかった中国(中国民航)と韓国(大韓航空)の卓球交流を実現させた経験がある。当時、両国の民間レベルでのスポーツ交流は、ほとんどなかったので、マスコミにも一部取り上げられた。予想通り、女子決勝で対決したが、4対1で、大韓航空が勝利を収めた。両チーム選手がプレゼントを交換したり、仲良く交流しているシーンはとても感動的であった。卓球をやっていてよかったと感じた一瞬であった。

写真は、番組紹介、女子団体表彰式、着物卓球及び1983年の中国・韓国チーム

世界卓球1991の実際の決勝シーン映像(8.47): 


「ハナ奇跡の46日間」の映画予告編(2.18): 


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バハマ旅行の思い出

2020年09月20日 09時14分49秒 | 旅行

グアテマラシティからマイアミに飛び、1泊した後、2011年9月5日にバハマの首都、ナッソーに入った。2週間前にアイリーンというハリケーンがバハマ諸島を襲ったので、心配していたが、無事入国でき、これで、バハマが80番目の訪問国となった。

バハマ諸島は数多くの島から成り、首都ナッソーはニュー・プロビデンス島にある。日本では馴染みの薄い国であるが、個人的にはインターライン卓球大会に参加していたバハマ航空を通じよく知った国である。グアテマラ等は、高地にあることもあって、涼しかったが、さすが、カリブ海に来ると日差しが強く暑い。

初日は、ダウンタウンの散策と砦の名所を歩いて見て回り、万歩計の数字も25000歩を越えた。一人で歩き回ったが、治安の心配はほとんどない。

2日目は、ナッソーで一番大きいシャーロット砦から街全体を見渡した後、ランチはアラウアキーにあるツインブラザーズという人気のあるお店で、バハマ名物のコンク・サラダ、コンク・チャウダー(コンクは大きな巻貝)を食べた。午後は、船でパラダイス・アイランドに行き、度肝を抜かれるほどスケールの大きいアトランティスという巨大テーマパーク型のホテルを散策した。

幻の海底都市アトランティスをテーマにした超大型リゾートホテルで、カジノ・水族館・多数のプール・ビーチ・ハーバーありで、夢の世界に迷い込んだ錯覚を覚えるほどである。水族館には5万匹の魚が泳いでいて、サメも目の前で悠々と回遊、ホテルのロビーやいろいろなところから観賞できる。こんな壮大なリゾートを見たのは初めての経験であった。リゾート地なので、たった2泊ではもったいなかったといえる。

写真は、パラダイス・アイランド、アトランティスのリゾート及びナッソーのシャーロット砦からの眺望

バハマ旅行アルバム: https://youtu.be/ESSGrH3e09M  


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エルサルバドル旅行の思い出 

2020年09月20日 08時38分32秒 | 旅行

グアテマラシティ滞在中、2011年9月3日に、隣国のエルサルバドルにあるホヤ・デ・セレン遺跡、タスマル遺跡、サン・アンドレス遺跡への日帰りツアーに参加した。これで、エルサルバドルが79番目の訪問国となった。国境越えは、ホンジュラスと違って、若干厳しい印象であった。中米の北と南を結ぶ幹線にある国境なので、車の出入りも多く、パスポートチェックにも時間がかかった。

ホヤ・デ・セレン遺跡は、世界遺産にも登録されていて、中米のポンペイとも呼ばれるマヤ住居跡の遺跡で、火山の爆発で、街全体が灰で埋もれ、1300年も地中に埋もれていたものが、1976年に偶然発見され、近年発掘されたもの。やはりマヤ遺跡であるタスマル遺跡とサン・アンドレス遺跡は、ともに小規模だが、全部が発掘されているわけではなく、その多くは、まだ地中にあるそうだ。

グアテマラを始め中米各国は日本ではまだあまり知られていないが、思っていた以上にマヤ遺跡等見どころが多い。大使館の安全情報や旅行ガイドブックでの中米の治安に問題ありとの情報がブレーキになっているのは残念なことである。

写真はタスマル遺跡、ホヤ・デ・セレン遺跡及びサン・アンドレス遺跡

エルサルバドル旅行アルバム(6.16~): https://youtu.be/v29ubB9xrQw
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