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浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

テレサ・テンが亡くなって早30年

2025年05月03日 19時45分28秒 | 音楽

1995年5月8日は42歳の若さで亡くなったテレサ・テンの命日であるが、今年は没後30年という節目を迎える。タイ、チェンマイのインペリアル・メーピンホテルで亡くなり、スイートが記念館として維持公開されていたが、ホテル自体が買収され、残念ながら消滅してしまったようである。生きていれば、72歳になっているが、その姿は想像できず、可愛らしい永遠の歌姫として自分の中で生き続けている。彼女の声は癒し効果があるので、ウォーキングや何となく音楽を聴く時は、必ず彼女の歌声を耳にしている。

没後30年ということで、何か特別イベントでもないか調べていたら、5月6日に東京の赤羽で、「没後30年メモリアル・チャリティコンサート」なるものが開催されることを知った。コンサートの趣旨は、「彼女の軌跡を振り返り、「愛人」「つぐない」「別れの予感」「時の流れに身をまかせ」などヒットナンバーを聞きながら、テレサ・テンへ思いを馳せる特別な時間を届ける」とあった。

出演歌手は、小柳ルミ子、中澤卓也、小林未都、郭静、司会は宮本隆治となっており、そんなに有名な歌手が出演するわけではないが、間際なのにまだチケットがあったので、早速購入した。テレサの生歌を聴きたいところであるが、かなわぬ夢であるので、ファンとしては雰囲気だけでも味わいたいところである。BS11が主催するコンサートなので、別途テレビでも放映されるものと思われる。

今から10年前の没後20年の時は、台湾北部の金宝山の墓園に鄧麗君紀念公園として整備されている彼女のお墓参りにも行ってきた。台湾の英雄として、蒋介石及び蒋経国両総統同様、火葬されることなく、そのままの姿で埋葬されている。墓園には大きなピアノの鍵盤、テレサのゴールドの像があり、お墓そのものは大きな大理石でできていて、マリア様が見守っている。墓園には、テレサ・テンの中国語、日本語、英語による歌声が1時間交代で絶えず流れているので、さながらコンサート会場にいるようである。

テレサ・テンは、1967年に14才でデビューし、日本の歌もいろいろカバーしていた。彼女のことを知ったのは、日本でデビューする4年前の1970年3月の台湾旅行中のことで、その時からのフアンである。彼女の透き通るような歌声は大変魅力的で、日本語の歌もさることながら、流れるような旋律を持つ彼女の中国語にはついつい引き込まれる。当時から、レコードやカセットテープをいろいろ集めていたが、今やその多くはユーチューブで聴くことができるので、便利な世の中になったものである。

鄧麗君紀念公園の様子(お墓参り時) :  https://www.youtube.com/watch?v=jSC4-RMhczg

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「人生の名曲に喝采を!コンサート」行ってきました

2025年04月17日 22時57分28秒 | 音楽

4月17日に東京国際フォーラムで開催された「人生の名曲に喝采を!コンサート」に行ってきました。このコンサートは、今年が昭和100年にあたる年で、ニッポン放送「徳光和夫とくモリ!歌謡サタデー」15周年記念として開催されたものである。チケット代は全席12000円であったが、早い時期にチケットを購入したので、1階の前から17列目というかなりいい席であった。ホールの収容人数は約5000席であるが、ほぼ埋まっていた印象である。昭和100年の歌謡曲の名曲を振り返るという趣旨からそのほとんどが同年代の人達であった。

コンサートは、一番バッターとしてベイビーブーによる「川の流れのように」「リンゴの唄」「青い山脈」「高校三年生」「ブルーシャトウ」「青春時代」等の名曲メドレーから始まり、次いで渡辺真知子さんが「迷い道」「かもめが翔んだ日」を熱唱し、さらに、トワ・エ・モアが懐かしい「虹と雪のバラード」「誰もいない海」を歌ってくれた。特に、「虹と雪のバラード」は、1972年の札幌冬季オリンピックにちなんだ曲で当時千歳に勤務していたので、思い出も人一倍である。その後は、ミュージカル歌手の井上芳雄さんとクミコさんが「届かなかったラヴレター」「瑠璃色の地球」「乙女のワルツ」等をミュージカル風に披露してくれた後、小椋佳さんが語りと自身の作詞作曲である「夢芝居」「愛燦燦」をしっとりと歌ってくれた。小椋佳さんの生歌は初めてであったが、素晴らしい歌声に魅了され、前半の幕を閉じた。

20分の休憩をはさんで後半が始まったが、最初は、昔からのファンである岡崎友紀さんが「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」と「私は忘れない」を歌ってくれた。彼女は、もう71歳ということであるが、可愛い昔のイメージそのままでものすごく若々しく見えた。当時、テレビドラマの「おくさまは18歳」はよく見ていたし、彼女のキュートな可愛らしさは国民的アイドルの感があった。当時、いつもお母さんがマネジャーのように付き添っていて、北海道にもよく来ていたが、空港で話をしたこともあった。特に、今回歌ってくれた「私は忘れない」は、「北国の青空にさよならを告げるのがつらいわ。。。」という歌詞が自分自身、転勤で北海道を去る時の心境と重なることから、お気に入りの大好きな曲である。あれから53年も経つが、今回いまだに可愛らしさあふれる彼女の生歌を聴くことができたのは最大の収穫であった。

その後、もとマヒナスターズのメンバーでお笑い芸人でもあるタブレット純さんが「ラブユー東京」で素敵な歌声を披露し、当初出演者リストになかった五木ひろしさんが「よこはま・たそがれ」や「夜空」を熱唱してくれた。トリは、堺正章さんが「さらば恋人」と「街の灯り」を熱唱しコンサートを締めくってくれた。

今回は、昭和のいろいろな名曲を懐かしく生で聴かせてもらったが、単なる歌だけでなく。司会の徳光和夫さんを中心に楽しいトークもいっぱい聴かせてもらい。あっという間の楽しい3時間であった。懐かしい昭和歌謡を聴くと不思議と元気が出るが、やはり生のコンサートが一番である。

「私は忘れない」(岡崎友紀):https://www.youtube.com/watch?v=jYn_3tPNUHg

今の岡崎友紀さん(ブログ~時の流れを感じる):https://ameblo.jp/yuki-okazaki-official/


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「人生、歌がある」~脳性マヒの車椅子シンガーに感動

2025年04月05日 21時20分29秒 | 音楽

BS朝日の「人生、歌がある」は、4月からテレ朝の坪井直樹アナウンサーが新しい司会者として加わり、岡田美里さんとのコンビで再スタートした。第1回目のゲストとして、生まれつき脳性マヒで車イスのシンガー、関本泰輝さん(20歳)の歌が紹介された。1年以上も前に歌手デビューしていたようであるが、彼のことは今回初めて知った。脳性マヒというハンディを背負いながら、歌手を目指して頑張ってきた姿とともに歌詞や実際の歌声を聴いて、涙が止まらないほどの感動を受けた。

番組では、彼自身が作詞・作曲した「Myself」という曲を歌ってくれたが、歌詞といい、歌声といい、あまりにも感動的で、心が洗われる。番組ではお母さんが横についてこの曲を歌っていたが、お母さんへの感謝が滲み溢れ出ていた。泰輝さんは双子で兄弟も脳性マヒとのことで、20年間苦労してきたご両親のことを思うと涙が止まらない。我々がいかに恵まれているか、普段、食べたり、歩いたりできることにもっと感謝すべきであることを痛感する。ハンディを背負いながら、プロの歌手としてメジャーデビューできたということは並大抵の努力では無理だと思うので、想像を絶する苦労があったものと思われる。

ABCテレビニュース(2024 2/17): https://www.youtube.com/watch?v=t3y8bmXIB1M


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いしだあゆみさんの訃報にショック

2025年03月18日 07時33分22秒 | 音楽

17日、ヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」などで親しまれ、俳優としても繊細な演技で作品を彩ったいしだあゆみさんの突然の訃報が伝えられ、ショックを受けた。彼女とは同学年であったので青春時代から親しみを感じていたので、悲しいというか寂しい思いである。歌手として印象が強いが、映画やテレビドラマでもその才能を発揮し、女優としても活躍し、いろいろな賞も受賞されていたので、残念である。

若い頃は、ふっくらとした可愛い印象が強かったが、年を重ねた後、久しぶりにその姿を見たのは、2019年のテレビドラマ『やすらぎの刻〜道』で、そのドラマでは大分やつれた印象があったので、心配気味の印象を持っていた。当時から甲状腺の病を患っていたのであろうか?

ここ数年、同学年や同年代の著名人の訃報が続いており、寂しく複雑な思いである。有名な方だけでも、坂本龍一さん、八代亜紀さん、谷村新司さん、大橋純子さん、小倉智昭さん、西田敏行さん、皆、同年代で、今の時代では早すぎる旅立ちである。知った人の訃報が入るたびに、愕然とするが、自分もそんな年になってしまったということであろう。健康寿命【男性約72歳】を全うできただけでもありがたく感謝すべきであろう。じっくりと「ブルー・ライト・ヨコハマ」(1968年)を聴いて、青春時代にプレイバックしたい。ご冥福をお祈りします。


「ブルー・ライト・ヨコハマ」: https://www.youtube.com/watch?v=msbuasBdpMw


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第12回「全音楽界による音楽会」3.11チャリティコンサート

2025年03月12日 14時23分03秒 | 音楽

2011年3月11日に発生した東日本大震災から早14年が経つが、今年も遺児孤児を支援する全音楽界によるチャリティコンサートの第12回が3月11日にサントリーホールで開催され、今年も足を運んだ。「ポップス、演歌、クラシック!ジャンルを越えた音楽のチカラを!」というキャッチフレーズで、出演アーティストやオーケストラの有志メンバーもすべてボランティアで、会場の使用も無料、入場も無料であるが、観客には1万円以上の寄付金がお願いされている。個人的には、大震災の支援について、何もできていないので、チャリティコンサートへの参加がせめてもの支援である。

観覧するのは今回で5回目となるが、知り合いがこのイベント企画に関わっているので、事前に寄付し、チケットを手配してもらっている。プロデュースは、三枝成彰、湯川れい子、林真理子、コシノジュンコさん等で、今回は、歌謡界からは、小林幸子、氷川きよし、ピーター、クミコ、松本伊代、森口博子、神野美伽さん、クラシック界からは、大谷康子(バイオリニスト)、宮田大(チェリスト)、仲道郁代・横山幸雄(ピアニスト)、coba(アコーディオニスト)、上野耕平(サクソフォニスト)、ジョン・健・ヌッツォ・笛田博昭(テノール歌手)、市原愛(ソプラノ歌手)、桜井万祐子(メゾソプラノ歌手)、樋口達哉(オペラ歌手)さんに3つの合唱団が加わる。指揮者は、渡辺俊幸さん(歌謡曲担当)と今までの大友直人さんに代わる三ツ橋敬子さん(クラシック担当)とが交代で務め、司会は、今年も露木茂さんと永井美奈子さんの名コンビである。また、それに異色のエンタテイナーである林芳正官房長官が今年は、なんと指揮者として出演した。昨年は、ビートルズのレットイットビーをピアノの弾き語りで歌っていたが、その才能ぶりには驚くばかりである。クラシック界は詳しくないが、出演者はすべて知る人ぞ知る蒼々たるメンバーである。

今回も、一人住まいの姉を誘い、一階席の前から中央13列目といういい席をとっていただき、真近でコンサートを堪能することができた。約3時間近く、休憩もなく、次から次へと素晴らしいエンタテイナーが歌や演奏を披露してくれるのだから、たまらない。演歌とフルオーケストラのコラボ、クラシックの演奏やオペラの歌、合唱隊によるコーラスとまさにジャンルを越えたコンサートは他にはなく、それも音楽の殿堂、サントリーホールで楽しめるので大変貴重なものである。

会場はほぼ満席で、今回のチャリティコンサートで集まった寄付金は、21,124,505円であったことも最後に報告された。この寄付金は、「3、11,塾」として「夢をかなえるチカラになる」ことをめざし、震災孤児や遺児が成長するその日まで支援するために使われるという。また、来年も3月11日(水)に同会場で開催予定であることも案内された。こんな贅沢なコンサートは、他にはまずあり得ないので、出来れば来年も足を運びたい。


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「博士ちゃん」~オーケストラと卓球のコラボ~

2025年03月10日 07時00分28秒 | 音楽

3月8日のテレビ朝日、「博士ちゃん」の番組で、世界的ヴァイオリニストである葉加瀬太郎さんをゲストに迎え、子ども博士ちゃんからの「音楽の疑問」に答える形で、スゴすぎる音楽ミステリーを紹介していた。その内、「ド派手な演出のクラシック」の一つとして、オーケストラと卓球のコラボが紹介されていて、興味を引いた。これは、「ピンポン協奏曲」といって、オーケストラの前に卓球台が置かれていて、オーケストラと卓球がコラボして演奏されるものである。アンディ・アキホという作曲家の作品で、この作品は、以前からユーチューブで見て知っていたが、卓球をやってる者からすると感動ものである。他に「ド派手な演出のクラシック」として、ハンマーや大砲を使ったものやタイプライターとのコラボなども紹介されていて面白かった。

他には、スピルバーグの映画作品の音楽のすごさとして、ジョン・ウィリアムズという作曲家がすべてテーマ曲を作曲しているが、「ド」と「ソ」を使い、映画を象徴する印象的な曲ばかりであるという。また、17億円のストラディヴァリウスのヴァイオリンについて、なぜ高額なのかなど詳しい解説をしてくれて、実際に、葉加瀬太郎さんが弾き比べもしてくれた。また、最近のヒット曲はなぜ転調が多いのか?とか日本人はリズム感がないって本当か?とかオリジナル作詞作曲へのコメントとか、子ども博士ちゃんからの音楽の疑問に真剣に答えてくれていた。

個人的には音楽はクラシックも含め、音楽は大好きであるが、音楽知識は全くなく、初めて聞くような話ばかりである。楽器演奏も出来ないし、譜面も読めないが、聴くことだけは好きである。葉加瀬太郎さんの話しは、参考になる面白い話ばかりで、その解説に引き込まれる。



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ザ・偉人伝~テレサ・テン30年目の歌声~時の流れに身をまかせ~

2025年02月24日 21時25分39秒 | 音楽

2月23日、BS朝日の「ザ・偉人伝」で、今年、「アジアの歌姫」として日本中を虜にしたテレサ・テンの没後30年を迎えることを記念してか、「テレサ・テン30年目の歌声」という特別番組が放送された。2時間近くにわたって、日本の歌姫に触れた幼少期から日本でのデビュー、国外退去、「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」の3部作の誕生、あまりにも早すぎる旅立ちと波乱万丈の42年について、エピソードも交え、かなり詳しく紹介してくれた。せつない女心を美しくも情念を感じさせる声で歌い上げ、アジア全域を魅了したテレサ・テン。その透き通った歌声は、想像を絶する波乱の道のりを歩んだ人間だからこそ出せる、唯一無二の歌声なのかもしれない。

番宣では、戦後の影響が色濃く残る時代に、台湾、中国、日本など同じアジアながら文化の違う国で、それぞれの国民を魅了してやまなかったテレサ・テンの没後30年を迎えるにあたり、その足跡と彼女の耐え難いほどの壮絶な人生を辿り、アジアの懸け橋となった歌声の魅力に迫るとあった。また、テレサと親しかった歌手、ジュディ・オングさんが彼女との思い出を、そしてテレサにあこがれ続ける俳優、檀れいさんが想いを語っていたが、歌声の魅力については全く同感であった。同じ台湾出身のジュディ・オングさんについては、番組後半で彼女の半生についても取り上げて紹介していた。

偉人伝展開の概要は、下記の通りであった。

●日本の歌姫に触れた幼少期――中国大陸出身の両親が戦後、台湾に渡り、各地を転々とするなかで生を受けたテレサ。ラジオから流れてきた美空ひばりの「リンゴ追分」が幼心に刺さり、歌手を志す。テレサは家計を支えるため、中学を2年で退学し、13歳で歌の道へ。
●瞬く間にアジアのスターへ――台湾テレビの専属、中国テレビの専属などを経てその人気はアジアに拡大。18歳で東南アジアツアーを開始し、1972年、19歳で香港10大スターに選出される。翌年、日本デビューを果たし、「空港」で日本レコード大賞新人賞を手にする。
●日本からの国外退去――東南アジアでの人気を不動のものにしたテレサを予期せぬトラブルが襲う。不正なパスポート取得を理由に1年間の国外退去処分がくだる。日本での活躍が期待されるなか不運に見舞われてしまう。
●恋人との別れと「つぐない」の誕生――しかし、テレサの苦境は彼女の歌が打ち破っていく。彼女の人気は留まることが無く、見事、復活。日本では「つぐない」が大ヒットするが、この曲はテレサが恋人と別れ、歌い続ける道を選んだがゆえに生まれた作品だった。
●あまりにも早過ぎる旅立ち――荒木とよひさ作詞、三木たかし作曲による「つぐない」を皮切りに、テレサは二人が手掛けた「愛人」「時の流れに身をまかせ」などヒットを連発し、日本での人気を不動のものに。しかし1995年、42歳という若さでこの世を去ってしまう。

番組の中で、「ふるさとはどこですか」という曲にまつわり、福島県の三島町とのエピソードが詳しく報じられていたが、テレサの第二のふるさとであったようで、興味を覚えた。ネットでは、ゆかりの地マップが公開され、昨年11月には歌碑も建立されたようなので、近い内に是非とも訪れてみたい。

この番組でテレサ・テンの魅力をたっぷり味わうことができたが、何と翌日の24日には、NHK総合で、1985年12月15日にNHKホールで行われたテレサ・テンの伝説のコンサートのリマスター版が約1時間40分にわたって放送された。録画しながら視聴したが、全編を通じて視聴できたのは初めてであった。彼女が憧れていたNHKホールでのコンサートが実現した1985年当時は、自分自身、ドイツのフランクフルトに駐在していたので、ライブどころかテレビでも見たことがなかったので、コンサート模様が視聴できたことは嬉しい限りであった。

「時の流れに身をまかせ」(1986)や「別れの予感」(1987)がヒットする前のコンサートであったが、彼女の2枚目のレコードの「空港」(1974)から始まって、最後は「愛人」(1985)がフィナーレを飾った。その間、彼女の日本語でのヒット曲やカバー曲に加え、中国語や英語の曲もいろいろ紹介され、全部で約30曲にわたりテレサの美しい歌声を楽しむことができた。没後30年とは、ひしと時の流れを感じるが、テレサの魅力は永遠に自分の中で生き続けている。

NHKコンサートの一部(ウェディングドレスで歌う「愛人」):https://www.youtube.com/watch?v=Qwq8pBbs8mw

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人生の名曲に喝采を!コンサートチケット購入

2025年02月06日 07時34分12秒 | 音楽

2025年は昭和100年にあたるということで、昭和の名曲コンサートが4月17日に東京国際フォーラムにて開催されるという新聞広告を見て、出演歌手もよかったので、早速チケットを申し込んだ。このコンサートは、ニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」15周年記念に、「人生の名曲に喝采を!コンサート」として開催されるようである。

チラシにある通り、出演歌手は、井上順、井上芳雄(ミュージカル歌手)、岡崎友紀、小椋佳、クミコ、堺正章、タブレット純、トワ・エ・モア、中村中(シンガーソングライター)、ベイビーブー、渡辺真知子さん(アイウエオ順)で, 司会は徳光和夫さんという豪華メンバーである。懐かしいメンバーで、恐らく懐かしい昭和の名曲を生で聴けることを楽しみにしているが、特に楽しみにしている歌手は、昔からのファンの岡崎友紀さんと初生歌の小椋佳さんである。チケット代は、12000円であったが、歌手の顔ぶれからするとそんなに高いものではないと思われる。生の歌謡コンサートは、今までに何回も経験しているが、テレビと生では雲泥の差がある。我々の世代は、やはり昭和歌謡が一番元気が出るので、楽しみがまた一つ増えた。

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懐かしいチェリッシュの楽曲

2024年12月11日 20時27分26秒 | 音楽

 

千歳時代の仲間の忘年会で当時を振り返っていたら、急に当時流行っていたチェリッシュの楽曲がフラッシュバックしてきた。社会人になってすぐ千歳勤務となり寮生活を始めたが、マイカーを持って独身生活を謳歌していた頃、休日にはよくドライブ旅行に出かけ、カーステレオで音楽を聴くのが楽しみの一つであった。好きな歌手のカセットテープを買ったり、レコードから自分で編集してカセットにしたりしていたが、当時一番よく聴いていたカセットは、チェリッシュの楽曲であった。彼らの曲は、軽快でドライブにピタリという感じであった。

デビュー曲は、「なのにあなたは京都へゆくの」(1971)であるが、自分が北海道に赴任したこともあって、「だからわたしは北国へ」(1972)あたりからファンとなった。仕事も慣れ、まさに独身生活を謳歌していた1972~74年頃は、次から次へとヒット曲を出していた。彼らの曲は癒し感もあって独身の自分にピタリであった。よく聴いていたのは、「ひまわりの小径」(1972)、「若草の髪かざり」(1973)、「避暑地の恋」(1973)、「てんとう虫のサンバ」(1973)、「白いギター」(1973)等である。市販のカセットテープも持っていたので、あまり知られていないB面の曲もよく聴いていた。一番よく聴いたカセットは、1973年発売の「春のロマンス」というアルバムである。好きだったのは、「落葉の喫茶店」「花のかなしみ」「線路づたいの細い道」落葉の森の晩餐会」「落葉の散歩道」「木の葉の街で」「花のような街で」等で今でも聴くと懐かしく当時の思い出が走馬灯のように浮かんでくるから不思議である。

チェリッシュは、名古屋出身で、自分が名古屋に勤務していた頃、空港のラウンジでいっしょになったこともあった。最近では、同窓会コンサート等で懐かしい歌声を生で聴いたことも何回かある。何といっても、悦ちゃんの透き通るような歌声は大変魅力的であったが、最近は美しい高音が昔のようにあまり出ないような印象があるのはちょっと心配である。それにしても、パソコンやスマホにより彼らの歌声をユーチューブで簡単に無料で聴いたり、連続して聴いたり、それも映像とともに楽しめる時代が来るとは思ってもいなかったので、ユーチューブに感謝する次第である。

 

チェリッシュ特集(34曲連続視聴):https://www.youtube.com/watch?v=mCWga4rr9nE&list=PL6p6Jz3Qnb1KiAsoCwADUXggDyU7dgKaA



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竹内まりや Music & Life ~人生の扉~

2024年11月02日 19時59分08秒 | 音楽

10月24日にNHK総合で「竹内まりや Music & Life~人生の扉~」というスペシャル番組を録画していたが、2日にやっと見る時間が取れた。NHK MUSIC SPECIALという番組で、月に1回、日本を代表する一流アーティストが登場するスペシャルプログラムで、10月は、大好きな竹内まりやさんが取り上げられたものである。23歳で歌手デビューして45周年を迎え、故郷である出雲への里帰りの様子と共に、ロングインタビューで音楽への思いと人生の原点について語ってくれた。彼女は、シンガーソングライターとして、あまりテレビに出ることもなく、自らの音楽スタイルを貫いてきた印象であるが、シティ・ポップブームの火付け役ともなった「プラスティックラブ」のヒット曲の制作秘話も紹介された。

彼女の歌については、資生堂のCMにも使われた「不思議なピーチパイ」くらいしか知らなかったが、1981年頃からしばらく休養宣言していたようで、作詞・作曲家として楽曲を提供していたようである。薬師丸ひろ子の「元気を出して」(1984)は気に入っている曲である。また、彼女の歌が特に好きになったのは、2007年発売の「人生の扉」で、今回のスペシャル番組でも、この曲をメインに、音楽と人生をフューチャーしていた。楽曲も歌詞も素晴らしく、年を重ねていく我々を励ましてくれるまさに人生の応援歌である。年を重ねることは悲しいことではなく、人生の扉を開いていくことは素晴しいことであることを気づかせてくれる。彼女の父親も大好きな曲であったようである。特に、好きな歌詞は、「満開の桜や色づく山の紅葉をこの先いったい何度見ることになるだろう」という箇所で、いつも自分にそう言い聞かせている。また、NHK朝ドラ「だんだん」の劇中歌「いのちの歌」及び映画「最高の人生の見つけ方」主題歌「旅のつづき」も人生応援歌として大好きな楽曲である。




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