浪漫飛行への誘(いざな)い

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キプロス・北キプロス旅行の思い出

2020年09月07日 08時21分30秒 | 旅行

2012年5月のヨーロッパ一人旅でアルバニアに次いで12日にティラナからアテネ経由で84か国目となるキプロスに足を踏み入れた。空港はラルナカという街にあり、ホテルもラルナカで4泊した。どこを観光するかは現地に行ってからバスのスケジュール等を調べて計画を立てたが、正確な情報に欠け、苦労した。

13日に世界遺産のヒロキティアという古代遺跡に行く予定であったが、スケジュール的に無理であることが判明し、急遽行先をビーチ沿いのリゾート、レメソスに変更し、レメソス城(中世博物館)とアマサスの古代遺跡だけは見学できた。

14日は、パフォスとクリオンの古代遺跡を訪ねる日帰りバスツアーに入った。ところが、このツアーについては、幸運と不運がミックスする結果となった。まず、幸運の方は、パフォスは、街全体が世界遺産になっていることもあり、行って大変よかったこと。バスの途中の休憩所がたまたま世界遺産のヒロキティアが目の前だったため、20分の休憩時間を使って、前日に諦めたヒロキティアをかけ足ながら見学できたこと。

不運のほうは、ラルナカからツアーバスに乗ったが、帰りにうとうとしていたのか、ラルナカを過ぎたのに気が付かず、バスガイドもすでに降りていて、次のアヤ・ナパというところで降ろされた。 どこで降りたか地図を見てびっくり、ラルナカからバスで1時間も離れたところで、しかも、ラルナカに戻るバスは約3時間後しかないことが判明。仕方なく見知らぬ街で夕食をとり、当初から約4時間も遅れてホテルに戻る羽目となった。

15日はバスでキプロスの首都、ニコシア(レフコシア)に行き、丸一日ニコシアの街を散策した。キプロスは1974年のキプロス紛争の結果、北キプロス(トルコ共和国)とキプロス共和国にグリーンラインで分断されているが、今では紛争も落ち着いていて、パスポートさえあれば、北キプロスにも簡単に入国できるようになっていた。若干の不安はあったが、クロスポイントを通って、北キプロスに入国して、セリミエモスク等いくつかの観光名所を見て回った。パスポートを見せ、出入国のスタンプも押印されたので、北キプロスが85番目の訪問地域となった。北キプロスでは山の頂に馬鹿でかいトルコの国旗が描かれており、モスクのトップにも国旗が掲げられているといった何とも異様な雰囲気があった。

南ニコシアでは、昔の面影を残す「ライキ・ギトニア」と呼ばれる一角をはじめ旧市街を歩き回ったが、ついにキプロス考古学博物館を訪れ、あこがれの「アフロディテ」大理石像の本物に接することができた。「アフロディテ」は、愛と美と性を司るギリシャ神話の女神で、前日には、パフォス近くにあるアフロディテ生誕の地と謂われるペトラ・トゥ・ロミウ海岸も見てきたので、感慨もひとしお。美しい女性美をじっくり鑑賞することで、何となくキプロス観光を達成したという満足感があった。

写真は、クリオンの古代遺跡とアフロディテの大理石像と山に描かれたトルコ国旗

キプロス旅行アルバム(2.24~):  https://youtu.be/QLT8Egf02zs

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