区民まつりの一環として、7月27、28日と二日間にわたり、家の前の天妙国寺境内にて、納涼盆踊りが開催された。27日には長男夫婦、28日には次男家族が家に遊びに来て、2日間とも盆踊りを覗いた。孫にとっては、初の盆踊り見学となったようである。境内には各町会やPTAなどの模擬店が並び、参道には露店も出ている。境内の一角にはブルーシートが広げられ、家族連れが盆踊りを見ながら模擬店や露店で求めた食べ物などを楽しんでいて、まさに納涼盆踊りといったイベントである。毎年この時期に行われているが、すごい人出で、品川音頭、東京音頭など様々な曲が流れる中、大人も子供も一緒になって踊りを楽しんでいた。やぐらの上階では太鼓やお囃子が盆踊りを盛り上げていた。また、会場のお寺さんは、自分の永代供養納骨堂があるところなので、深い縁を感じる。
お盆や盆踊りについては、5年前に、仏教講話で仏教上の意味合いについて学んだことがあり、それについてブログにも書いていたことを思い出した。お盆や盆踊りには諸説があるようだが、5年前のブログで下記のように書いていたので、勉強のために読み返してみた。
『お盆とは、正しくは「盂蘭盆 ウラボン」といい、「仏説盂蘭盆経」から来ている。「ウラボン」は、サンスクリット語で、「倒懸」で、「倒さに懸かれる者」ということで、「盂蘭盆経」とは、「逆さ吊りにされた者を救う方法を教えた経」ということである。ウラボンとは、表裏の裏かと思いきやとんでもなかった。このお経のもとになるエピソードがある。
お釈迦様の十大弟子の一人である目連は、神通力で亡き母が地獄で逆さ吊りの刑を受けていることを知り、なんとか母を救済できないかと釈迦に尋ねたところ、釈迦は「旧暦の7月15日(現在の8月中旬頃)に、飯、百味等の珍味を、多くの高僧に供養すれば、餓鬼道の苦難から免れるであろう」と教導した。目連が実践したところ、母が餓鬼道から天上界に浮かぶことができ、喜びの余り踊ったのが、盆踊りの始まりだという人もいる。これが日本に伝わり、旧暦7月15日に、先祖の恩に感謝して、お墓参りやお盆の行事が始まったという。
逆さ吊りにされ苦しんでいる人を助けようとするのがお盆であるが、逆さ吊りになっているのは、目連の母親だけでなく、迷いを迷いとも知らず、真実を真実と信じられず、迷いを真実と誤解して、苦しみ悩んでいる我々は皆、仏の眼から見ると、逆さに吊りで苦しんでいる餓鬼である。金も、財産も、名誉、地位もあり、妻子ある者は、それらによって苦しみ、ない者は、それらを求めて悩んでいる。有るも苦なら、無いも苦である。なければ欲しい、あっても欲しい、欲しい欲しいと、飢え続け、渇き続け、恨み続け、満足ということを知らず、苦しんでいる餓鬼ばかりである。亡き先祖のことばかり案じて、我が身が餓鬼であることを忘れているのである。
お盆は、亡き先祖を救う日ではなく、今、現に、逆さに吊られて、飢え、渇き、苦しみ続けている自分自身を救うための日である。先祖は、26代遡ると1億数千万人にもなるので、お盆に皆帰ってきたらとんでもないことになる。お盆は、先祖が帰って来る日ではなく、先祖に感謝し、苦しみ続ける自分自身を救ってもらう日であることを肝に銘じるべきである。』