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「イスラエルとパレスチナ」編 臨時特別の巻 ユダヤ・アラブ平等教育推進ハガール協会8

2010年07月23日 08時21分49秒 | イスラエル・パレスチナ

 会の代表者松村光子氏のあいさつ原稿です。写真は挨拶をするゴーシュ・ハイアン市長、右下が松村氏です。

 「こんにちは」という言葉は日本語で日中に使う挨拶です。「こんにち」の意味は「今日=きょう」です。その昔、日本民族の大部分は米作に従事する農民でした。農民にとっては天候が最も重要でした。そこで日本人が出会うとお互いに「今日は(どうですか)」と言いました。それから、「今日は 良い天気ですね」、あるいは「曇りですね」と天気について話します。その後、通常の会話に入ります。

  ここイスラエルでは、あなたがたはお互いに「シャローム」、「サラーム」と挨拶しますね。これは、この地方では常に「平和」が最も重要であったことを示唆しています。(私注 2010年4月18日をご覧ください)私にとっても「平和」は非常に重要です。私は第2次世界大戦中、父をフィリピンの戦場で、叔父を満州の戦場で失いました。私は心の痛みと悲しみで長い間泣き続けました。そこで、子ども時代から「世界平和」を夢みていました。

 私は1967年5月22日に22人の若い日本人のグループの一員として、イスラエルに初めて到着しました。そして6月5日に「6日戦争」に遭遇しました。日本大使館から「直ちにイスラエルを離れ、戦争に関係していない近隣諸国に行くよう」助言されました。しかし、私たちはキブツ・ダリアに残ることに決定しました。恐怖で緊張しながらキブツで働きました。防空壕に逃げ込んだその日に、ある家族の一人息子であるキブツの若者が、ジェニンの戦闘で戦死したと聞きました。 私は、ユダヤ人でもアラブ人でもありません。私はユダヤ人、アラブ人に対して憎しみを持っていません。私はイスラエルとアラブの両側で戦死した人たちを、私の家族の一員であったかのように感じ、心を痛め悲しく思いました。 私はユダヤ・アラブ間で「共存」を求めるあなたがたの1年間を締めくくるこの総会に参加できることを嬉しく思います。あなたがたは新しい世代です。ここに2民族の「共存生活」が実現することを期待します。そして将来、中東だけでなく世界の見本になってほしいのです。

  私たち日イ支援会、日本の支援者、そして、1905年に日本で最初に創設されたキブツである一燈園が、あなたがたを応援しています。一燈園の子どもたちが、昨年11月末に街頭募金に出ました。1日で約1000ドル集め、そのお金をユダヤ人とアラブ人が一緒に勉強しているベルシェバのハンド・イン・ハンド校に寄付しました。 手に手をとって、「平和」、「サラーム」、「シャローム」に向かって行進しようではありませんか。最後に、1963年に暗殺されたアメリカの大統領J.F. KENNEDYのことばで、私の挨拶を結びたいと思います。

 「人類は戦争を絶滅しなければならない。さもなければ人類は戦争によって全滅する」(Mankind must put an end to war, or war will put an end to mankind)。(原文:ヘブライ語)


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