100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

89
歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「エチオピア」編 敬虔なキリスト教徒たち5 マリア最初のシナゴーグ3

2011年12月31日 08時19分13秒 | エチオピア

 このようなところにお金を置き続々と教会に入っていきます。エチオピア正教会の特徴の一つがマリア信仰と言われています。

 それでは良いお正月を! 来年は3日より始めます

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「エチオピア」編 敬虔なキリスト教徒たち4 マリア最初のシナゴーグ2

2011年12月31日 08時15分37秒 | エチオピア

 あわてて車を止めてもう1枚。ほとんどが白い外衣をかぶる女性で沢山の人が教会に向かっていました。この日、聖母マリアが生まれて初めてシナゴーグ(ユダヤ教の祈禱所でマリアはまだユダヤ教徒)行ったとされ、それを祝福するために多くの人が教会に出かけているところでした。この白衣の行列は延々と続いていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「エチオピア」編 敬虔なキリスト教徒たち3 マリア最初のシナゴーグ1

2011年12月31日 08時10分55秒 | エチオピア

 12月13日シエミン国立公園からアクスムへ向かう途中(12月3日の旅程図)このような場面に出会いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「エチオピア」編 敬虔なキリスト教徒たち2

2011年12月28日 08時27分52秒 | エチオピア

 私は多くの人にあなたはキリスト教徒ですか尋ねました。それに対して多くの人が、もちろん、当然だという表情でイエスと答えてくれました。そしてすべての人がそのことを証明するかのように胸から十字架を取り出して誇らしげに見せてくれました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「エチオピア」編 敬虔なキリスト教徒たち1

2011年12月28日 08時20分46秒 | エチオピア

 「ブータン」編はまだまだ沢山面白い話題が残っているのですが、一時中断して後日再開したいと思っています。

 エチオピアの人口は約8300万人(世界15位)でその約半分がキリスト教徒です(その他イスラーム教徒と伝統宗教、少し以前まではユダヤ教徒)。その歴史は古くアルメニアに次いでキリスト教を国教にした国です。(西暦4世前半)今回の私たちの旅の名前のサブタイトルが「古代キリスト教国の遺跡を訪ねて」で分かる通り主にキリスト教徒が住む地域を回りました。民族的にはアムハラ人の多く居住するところでした。民族の多数派はオロモ人で40%、次が今まで政治的実権をいたアムハラ人で35%を占め、以下ティグレ人7%、ソマリ人4%その他となります。

 アフリカ最古の国家で一度もヨーロッパの植民地なったことがないアフリカで唯一の国です

 この国のキリスト教にはユダヤ教の影響もあるようです。たとえば割礼です。そこで気になったのは世界的に問題になっている女性への割礼です。現地ガイドのダニエルさんに尋ねたところ両方とも(both)という返事が返ってきました。それを聞いていた添乗員の安原さん(女性)があわてて「女子の割礼は法律で禁止されている」(ダニエルさんは日本語を知らない)と注釈を入れてくれました。

 なにはともあれエチオピアのキリスト教徒は熱心な信者が多いように感じました。ブータンでは車にマニ車が置いてあることを紹介しましたが(2011年10月16日)、キリスト教国のエチオピアでは聖母子像でした。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臨時特別編 「ケレン・ハオール13号」2

2011年12月25日 08時56分58秒 | イスラエル・パレスチナ

 

 

  ユダヤとアラブの子供たちが近づいて理解しあうために

               エステル・山崎

未来に夢を託し多くの希望者から選択

新学期も始まり、今年も新入生を迎えて、共学共存の教育活動の第一歩を踏み出しました。今年は例年にない個性のある新入生の参加で、活動も期待に溢れています。共学共存活動を推進するアラブ側のエーベン・シナ中学校のスワード先生からも、同じような状態だと報告を受けました。つまり、近年の共学共存推進教育の現場での草の根活動が、小学校の児童たちにも徐々に受け入れられて、中学校へ入学する以前の環境から、この主旨が理解され始めたと考えるべきなのでしょう。

全国的規模の共学共存活動も、個々の現場としては、実際に少数の地味な草の根活動の連続だという現実を、報告しておきたいと思います。それは、私が指導する生徒20名、スワード先生が指導する生徒20名という限られた人数の活動だからです。この数字に関していえば、毎年新学期早々の募集期間に参加を希望してくる生徒数は、もっともっと多いのです。しかし、現場の活動費に限度があること、そして指導者の立場からすると、この程度の生徒数が丁度良い指導環境なのです。それが、活動開始前に参加できる生徒を選んで、活動し易い人数に限定している理由です。

生徒数は少ないのですが、この生徒たちが共学共存の本質を学び、次の時代へと輪を広げていく未来を考える時、その意味は重要です。将来に続くやり甲斐のある仕事なのです。草の根活動という地味な教育分野ですが、私たちを含め、現場の関係者は夢の多い教育だと希望を抱いて頑張っています。

「ユダヤとアラブの民族紛争」は、過去の長い歴史が物語っているように悲惨で重いものです。その歴史的重みを跳ね返すため、私たちは、共学共存教育のプログラム・レベルの質を毎年向上させようと努力しています。指導者側の研修会も頻繁に実施されています。そして当然、その教育に従事する関係者一人一人の頑張りがあります。近年は周囲から支援する組織が定着し始めたことも見逃せない事実だと思います。

共学共存指導要領と会合前の事前準備

さて、今回の具体的な現場からの報告の第一弾は、ユダヤ・アラブ双方の子供たちが接触する前の準備段階の話になります。これはスワード先生の学校でも、全く同じ方法で準備を進めています。共学共存の合同活動を始める前の段階で、各々の教室でユダヤ人側だけ、或いはアラブ人だけの集まりで始める準備段階のテクニックがあります。

まず、生徒たちに、それぞれの人種や民族に関する第一印象を率直に紙に書かせることから始めます。例えば、A君には、ロシア人とは何か、B君には、アメリカ人とは何か、C君には、日本人とは何かという具合いに質問して、各々の考えを書いてもらいます。もちろん、さりげなく、アラブ人をどう思うか、ユダヤ人をどう思うかも必ず組み込んでおきます。その結果、例えばロシア人には移民者、ホームレスが多く、アルコール中毒が多いなどと、報道機関のニュースから受けた印象だけでイメージを表現してきます。日本人に関しては、カメラを持って集団で行動し、同じ物体を撮影している人たちは多分日本人だろうと記述しています。近代の子供らしいユニークな回答もあり、時折、教室中に爆笑が起こります。

もちろん、深刻な描写で回答してくる場合もあります。例えば、アラブ人とは何かを質問されたユダヤ人の生徒の多くは、「アラブ人はテロリストだ、嘘つきだ、信用できない」などと回答します。一方、アラブ側でも同じ状況で、ユダヤ人とは何かについて、「ユダヤ人は武力と金力で支配する、信用できない」などの回答が多く集まります。

偏見からの解放と共学共存への糸口

これは、準備段階教育の最初の活動日に行う、イスラエル教育省の共学共存指導要領です。この方法は、教育者だけの研修会で事前に先生方に渡される「共学共存教育のプログラム」に明記されています。この個別アンケートの回答発表と討論は、準備教育時間の最後のまとめ段階になっています。この討論の時間に、生徒たちは意外な事実を先生から聞かされることになるのです。

先生は彼らの回答に対して、何故そのような回答をしたのか、よく考えてその理由を詳しく説明するように生徒たちに求めるのです。そうすることにより生徒たちは、「どうしてその回答になったのか」、それぞれの考えに到った要因を深く考えるのです。そこで浮かんでくる思考が、アラブとユダヤの接近への糸口になるのです。この討論で生徒たちが考えることによって、今まで漠然とした感覚だけでユダヤが嫌い、アラブが嫌いと考えていたという事実に気がつきます。つまり、具体的に明確な理由もなく漫然とした拒絶反応をしていたということです。それまでは、テレビのニュースなどから、一部の過激なグループが起こした事件を、まるで民族一丸となって起こしたかのように思っていたこと、無意識に民族全体を悪く考えていたことに気が付きます。つまり、ニュースを勘違いして受け止めた結果、そのニュースを異常に拡大させた民族意識に結びつけていたことに気がつくのです。そこで初めて、物事の本質や真実に、冷静に目を向けるようになるのです。

それからは、一般の人々は何を思っているのだろうと考えるようになります。これが、ささやかではあっても、明らかに平和への希望の光に育っていくのです。

こうした準備段階の教育は、極めて重要です。これから1年間の共学共存活動の主軸となるからです。準備段階での討論は、それを分析して理解すると、今まで漠然とした理由で「ユダヤ・アラブの接近」を妨げていた事実に気がつき、一歩近づこうと思う心が育ってくるのです。

こうしてユダヤ側もアラブ側も、接近してもよいという気持ちを確認し、最初の合同活動を実施する日取りを決め、次の合同活動に進むことになります。アラブ側のスワード先生とは、毎回緊密な連絡を取ります。そして、お互いの生徒たちの基本的な考え方が安定した時点を確認してから、次のステップへと進んでいきます。

今年も、私たちハヨベル中学校とエーベン・シナ中学校の「ユダヤ・アラブ共学共存」の草の根活動が開始されました。これから今年の新入生たちが、どう前進していくのか、「ケレン・ハオール」の機関誌の誌上を通して、読者の皆様に現場報告を続けていきたいと思います。私たちはスワード先生共々、日本の皆様からのご理解ご支援を活動のエネルギー源としています。どうぞ、今後とも応援宜しくお願いいたします。(訳:山崎智昭)

 

 写真はスワード、エステル先生と共学共存活動中の中学生

 

筆者は山崎智昭さんの奥さん 

なお「ケレン・ハオール」の全号をご覧になりたい方はhttp://keren-haor.blogspot.com/をどうぞ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臨時特別編「ケレン・ハオール13号」1

2011年12月22日 09時12分50秒 | イスラエル・パレスチナ

 「エチオピア」編の予定でしたが、変更してイスラエルの山崎智昭さんから送られてきた「ケレン・ハオール13号」の一部を2回に分けて紹介します。

 山崎さんは201044日に紹介したようにイスラエル旅行でお世話になった現地ガイドさんです。彼はイスラエル国籍を持つ日本人でアラブ人とユダヤ人の共学運動をしている方です。奥さんはユダヤ人で彼女の父親はアンネ・フランクに似た境遇の方です。「ケレン・ハオール」はその運動の機関誌です。詳しくは2010617日をご覧ください。

 

       恵伝、ハンド・イン・ハンド幼稚園入園

          中島ヤスシ

 

    恵伝ちゃんのプロフィール

       年齢:4才9ヵ月

       出生地:京都

       母親:日本人

       父親:ユダヤ人

 

9月4日、晴れて初登園

今年の9月から娘の恵伝が、エルサレム、ハンド・イン・ハンドの幼稚園に通うことになりました。偶然にも同じ保育園から他にも2人の子どもが入園しました。一人はアラブ人の男の子、もう一人はユダヤ人の女の子です。それぞれ5歳組、4歳組、混合組とクラスは違いますが、少しでも知っている顔があることは心強いものです。

今年はイスラムのお祭りが9月初めにあったため、新学期は9月4日から始まりました。その前の週に、幼稚園に新しく入園する子どもたちが,教室に慣れるように招待され、半日自由に園の中で遊びました。

そして9月4日に晴れて初登園しました。特別な入園式などはなく、普通に朝、親と別れて教室に入りました。恵伝は、事前の訪問で教室もわかっていたし、遊びたいおもちゃも見つけていたので、すんなり私から離れて園に入って行きました。このように最初の1週間は問題なく過ぎていきました。  

最初に直面した問題は……

ところで、私たちの住んでいる地区と幼稚園のある地区は街の正反対にあり、朝の渋滞のなか往復1時間半かけての送迎に負担を感じていました。近所でハンド・イン・ハンド校に通っている子どもたちの親と協力して、送迎を始めましたが、恵伝は、一番小さくてうまくいきませんでした。それに、送迎費として1カ月1万5千円分担しなければなりません。かなり高額の出費なのです。

朝の「お別れ」に泣く恵伝

そして再び私が送迎を始めました。ところが、園に着くと恵伝はなかなか私から離れず、別れる時泣くようになりました。10月に入り、以前の同じ保育園からハンド・イン・ハンドに入園した2人の子どもたちは、すっかり新しい環境に慣れたのに、恵伝は「お別れ」をいやがるようになり、毎朝問題を起こすようになりました。私は、最初のアプローチを間違えたことを痛感しました。そこで、恵伝が望むように朝しばらく一緒にいてあげたりして、再びクラスに慣れるよう手伝いました。その後2週間が過ぎて、恵伝が少し園に慣れてきた頃、ユダヤの新年で10日間の休みがありました。再び園から遠のいたので、また「慣らし」を始めなければなりませんでした。先生も協力してくれて、少しずつ朝一緒にいる時間が減っていきました。

帰りを嫌がる恵伝

ところが、朝これだけ嫌がるのに、午後迎えに行くと今度は帰りたがりません。これは良いサインです。そんな風に10月が過ぎ、11月に入りました。朝の通園も落ち着き、帰宅後、幼稚園でどんな風に過ごしたかも話してくれるようになりました。先生たちも恵伝は大分落ち着いてきたと連絡してくれました。

周りの人たちからは、なぜそんな遠くの幼稚園に通わせたのかと非難され、恵伝からは「もうハンド・イン・ハンドの幼稚園に行きたくない。近所の前の幼稚園に戻りたい」と言われました。主人は真剣に近所の保育園に戻すことも考え始めました。私は、当惑し挫折寸前の状態に追い込まれました。

なぜハンド・イン・ハンドを選び続けるのか

私はそれでも、なんとかがんばって恵伝をハンド・イン・ハンドの幼稚園に通わせ続け、1年後にもう一度検討しようと主人を説得しました。

なぜ私がそこまでハンド・イン・ハンドに幼児期から通わせることにこだわったのかというと、この時期の彼女の世界では、まだ自己と他者との境界があいまいだからです。人は普通大きくなれば、相手の属する集団でその人を判断するようになります。例えば、「恵伝がハンド・イン・ハンドの幼稚園に通っている」と私が言うと、周りの大人たちは「恵伝にアラブ人の友だちはできた?」と聞いてきます。でも彼女はその質問の意味がよくわかりません。なぜなら彼女にとっては、みんな同じクラスメートで、違いはその子がアラビア語を話すのか、ヘブライ語も話せるのかだけなのです。だから友だちの誰がアラブ人かと聞かれても、そのような境界線は、彼女の中にはまだ存在しません。

言語的側面から見れば1年前から通わせればもっと良かったのですが、丁度下の子が生まれたため、この送迎が困難だと思い断念しました。そのため4歳を過ぎた彼女は、すでにコミュニケーションを言語表現に頼るようになっていました。アラビア語に対しては、まだわからないもどかしさがあるようですが、それでも、一つずつ理解すると、そのアラビア語を私に教えてくれるようになりました。

そんな頃、イスラムの「犠牲祭」が始まりました。その前夜,父母も招待されて教室で夕食会がありました。夕方、下の子も連れて園に着くと「犠牲祭」とはどのようなお祭りかを、サブリン先生がアラビア語とヘブライ語で保護者たちに説明している最中でした。その後、男性がアラブの鍵盤楽器を弾き始めました。恵伝の話では、その人はサヘルという音楽の先生で、みんなに歌を教えてくれるそうです。子どもたちが教わった歌を、両親たちの 前で披露しました。アラビア語の歌で、最初子どもたちは恥ずかしがって、小さな声で歌っていました。そこで、周りのアラブ人の親たちが歌に参加、最後にはみんなで合唱になりました。それから、子どもたちが、音楽に合わせて遊戯をしたり踊ったりしてくれました。その後食事になりました。保護者の持ち寄りで、それぞれの家庭の味がしておいしかったです。最後に、午後の学童保育をしてくれるライラ先生が、子どもたちに一人一人プレゼントをくれました。

ハンド・イン・ハンドの特徴として、3つの宗教の祝日が休みになるため、休みが大変多いのですが、それぞれ休みの期間も何人かの先生が、有料で休日保育をしてくれます。この時期は子どもの数は通常より少ないので、保育は各教室合同で行われます。私はせっかく幼稚園に恵伝が慣れてきたので、この一週間の休みは長すぎると思い、この休日保育に通わせました。上の教室の子と仲良くなったり、先生の子どもたちも加わったりしました。恵伝曰く、「とても楽しかった」そうです。最近は朝、教室にはいると友達がやってきて、恵伝は一緒にその輪に入って行きます。また、帰宅すると、その日幼稚園でしたことを話してくれます。11月に入ってやっと新しい生活に恵伝は慣れてきました。私はほっとしています。

 写真は恵伝ちゃん。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「エチオピア」編 予告

2011年12月03日 08時22分05秒 | エチオピア

12月5からエチオピア旅行をします。帰宅は12月17日の予定なのでこのブログの再開は22日ごろを予定しています。写真の旅程図はトラベル世界㈱会社のホームページからの転載です。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする