100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「緊急特集」トルクメニスタンとメルヴ2

2006年12月31日 08時43分33秒 | トルクメニスタン

 キズ・カラの遠景です。

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「緊急特集」トルクメニスタンとキズ・カラ1

2006年12月31日 08時40分41秒 | トルクメニスタン

 トルクメニスタンのメルヴ(前日の地図参照)にはすこし奇妙な城跡があります。キズ・カラです。7世紀ササン朝時代に造られ,後のセルジューク朝(11~12世紀)には儀式用の会場として使用されました。(function room )

  このメルヴはアフガニスタンからエジプトまで支配したセルジューク朝の首都で「千夜一夜物語」の舞台にもなったところです。1221年のモンゴルの来襲ですべてが破壊されました。このとき100万の人が殺されたという説があります。(通説・私はあまり信用していません)

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「緊急特集」トルクメニスタン地図とアムダリア河

2006年12月29日 09時23分45秒 | トルクメニスタン

 地図は旅程図です。(ユーラシア旅行社のホームページからの転載)これを見れば前回紹介したアムダリア河がアラル海に注いでいることが分かります。アラル海の旱魃、縮小が日本でも話題になっています。撮影禁止のアムダリア河渡河付近で以前2kmあった川幅が現在800mになっているという説明を受けました。しかし砂漠の中をアムダリア河からの水を引いた運河が滔滔と流れているのを見るとその功罪をどう考えるのか分からなくなりました。

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「緊急特集」トルクメニスタン地図1

2006年12月29日 09時10分34秒 | トルクメニスタン

 なじみのない国なので地図を紹介しておきます。

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「緊急特集」トルクメニスタンと現地ガイド

2006年12月29日 09時04分48秒 | トルクメニスタン

  トルクメニスタンの現地ガイドのマヤさんを紹介しておきます。推定年齢26歳?の独身女性でした。(写真)父親がトルクメニスタン人、母親がロシア人で日本語は出来なく添乗員の斉藤さんとの会話はロシア語と英語だったようでした。彼女の家庭での共通語はロシア語で、英語とフランス語が出来るそうです。トルクメニスタン語はあまり出来ないそうです。しかし弟はトルクメニスタン語も出来るそうです。多分彼はソ連崩壊後の新しいトルクメニスタンの教育を受けたためでしょう。

 ちなみにトルクメニスタンの民族構成はトルクメン人77% ウズベク人9% ロシア人7% カザフ人2% で総人口は430万人です。ロシア人は減少傾向のようです。

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「緊急特集」トルクメニスタンとニヤゾフ大統領5

2006年12月27日 08時58分16秒 | トルクメニスタン

 もう一枚貴重?な写真を。

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『緊急特集」トルクメニスタンとニヤゾフ大統領4

2006年12月27日 08時54分10秒 | トルクメニスタン

  トルクメニスタンでは公共の場所での写真撮影は禁止でした。バザールでも禁止でした。アムダリア河を渡るとき橋が危険だということで乗客はバスから降りましたが、私は体調不良ということでバスにいました。そこからこっそりと撮影禁止のアムダリア河と橋を盗撮しました。というわけでこの写真は貴重品というわけです。

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「緊急特集」編 トルクメニスタンとニヤゾフ大統領3

2006年12月25日 08時43分15秒 | トルクメニスタン

 トルクメニスタンでびっくりしたのは現地通貨との両替でした。USドルとの交換で公式レートと闇市とでは4倍の差がありました。公式レートで1$=5200マナット、闇市では1$=2.3000マナットというわけです。このことが経済的に何を意味するのかは私には分かりませんが、国境ではトルクメニスタンから大量の物資を仕入れて持ち帰り商売をしようとするウズベキスタンのオバチャンたちの姿を多く見かけました。

 首都アシハバードのホテルでは伊藤忠商事の人に出会いました。天然ガスその他の地下資源の豊富な国だとの話でした。そのための商売で来ているようでした。

 博物館には日本のODAからの大型テレヴィが置かれていましたが全然機能していませんでした。 

 写真はこの国特産のブランディですが、やはりニヤゾフ大統領が。現地ガイドが日本に来るときの土産はこのブランディだそうです。

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「緊急特集」編 トルクメにスタンとニヤゾフ大統領2

2006年12月23日 09時02分44秒 | トルクメニスタン

 写真はトルクメニスタン航空機内のニヤゾフ大統領です。

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「緊急特集」編 トルクメニスタンとニヤゾフ大統領1

2006年12月23日 08時57分44秒 | トルクメニスタン

 昨日の新聞にトルクメニスタンのニヤゾフ大統領の死去が報ぜられていました。そこで急遽予定を変更してここを紹介します。(2004年の旅行です) トルクメニスタンで一番びっくりしたのは、ニヤゾフ大統領の絵、写真、それと金ぴかの像がいたるところに飾ってあるということでした。建物の壁に、トルクメニスタン航空の紀行機の中にも、そして公園には金ぴかの像というわけです。

 ニヤゾフ大統領はソヴィエト時代からの政治家でソヴィエト崩壊後この国の大統領になり彼の率いる民主党以外の党は禁止になり2002年に終身大統領になりました。世界でも珍しい北朝鮮と並んでの個人崇拝独裁国家です。写真は建物に描かれたニヤゾフ大統領です。

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「中国シルクロード」景観・風景編 天山南路2ゴビ2

2006年12月21日 08時41分56秒 | 中国シルクロード

 同じ天山南路です。

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「中国シルクロード」景観・風景編 天山南路1ゴビ1

2006年12月21日 08時39分00秒 | 中国シルクロード

 天山山脈を越えコルラに1泊して天山南路をクチャに向けて西方にバスは走ります。(9月4日と9月30日の地図をご覧ください)写真はコルラ→クチャの天山南路(西域北道)です。右が天山山脈(見えません)左はタクラマカン砂漠ですがこのあたりは小石が多くすこし草も生えておりゴビ砂漠と呼ばれる地域です。

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「中国シルクロード」景観・風景編 天山山脈越え2

2006年12月19日 08時56分58秒 | 中国シルクロード

 すこし近くでの写真です。

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「中国シルクロード」景観・風景編 天山山脈越え1

2006年12月19日 08時53分47秒 | 中国シルクロード

 天山北路を後にして天山山脈を越えて天山南路(西域北道)へ向かいました。天山越えの峠(標高3200m)にはチベット教のタルチョがはためいていました。チベット仏教徒にとって峠は神聖な場所でタルチョ(祈りの旗)と積み石とカタ(聖なる布)で飾られた祠が置かれていました。

 タルチョについては10月2日もご覧ください。

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「中国シルクロード」景観・風景編 天山山脈4 カザフスタン2

2006年12月17日 08時28分29秒 | 中国シルクロード

 この写真もカザフスタンで見た天山山脈ですが、道は11月1日と11月3日で紹介した中国天山北路最西端のコルガス国境につながるシルクロードです。このルートは遊牧騎馬民族の活躍する舞台です。モンゴル・ジンギスカン軍もここを通り西方に進みました。

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