4月3日に以下のようなことを書きました。
「先日(3月22日)カタコンベと「広辞苑」と題して書きましたが、依然として現在の高校の世界史教科書にはカタコンベをキリスト教徒の迫害、避難と関連付けて記述しているのがありました。いくつかの出版社には連絡をしておきました。」
この件について教科書会社から回答を頂きました。(写真)
写真が見難いかもしれないので主要な部分を転記し、私の意見を述べておきます。
「***この件につきまして、著者に確認いたしましたところ、カタコンベを迫害されたキリスト教徒の避難所とする学説は、近年では否定されつつあるということでございました。つきましては、「迫害」「避難所」といった記述を、平成31年度版より「初期キリスト教徒の地下共同墓地として使用された。」といった内容に変更する方向で検討します。なお、教科書の記述を変更するためには、文部科学省に申請を行い、承認を受ける必要がございます。***」
この文章で「近年では」と書かれていますが、ちょっと引っかかりました。というのは私がそれに気づいたのは1996年のイタリア旅行のときでこのブログに書いたのは2005年と2006年でした。その時、参照した文献の一つがヨーロッパで共通の歴史認識を共有しようとして15歳から16歳を対象として書かれた欧州共通教科書「ヨーロッパの歴史」で当時に日本でも話題になりました。その出版は1992年のことでした。そこにはカタコンベの記載はありますが、迫害とか避難場所とかの記述はありません。(英語版p90)
また1977年出版の「世界宗教史叢書 キリスト教史ⅠⅡⅢ」には全く記載はありません。というわけで「近年」のスパンをどのように考えるかでしょうが、かなり昔からカタコンベ→迫害の説は無かったのではないかと考えられると思います。
3月25日に以下のように書いています。
なぜこのような間違いが教科書などにあるのか私のそれ以来の疑問です。最近の私の妄想ではどうも「米欧回覧実記」(明治9年1876年)が元凶ではないか。日本にカタコンベが最初に紹介されたのはこの「米欧回覧実記」の記述からと考えれば腑に落ちるような気がしています。