100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「バルカン半島」編 マケドニア共和国 4 アレクサンダー大王2

2010年10月30日 08時31分02秒 | バルカン半島

 写真は右がコソボからモンテネグロまでのスルーのガイドGezimさん(アルバニア国のアルバニア人 後日紹介の予定)、左がスコピエの現地ガイド、ミランさん(マケドニアのマケドニア人)です。ここでミランさんにコーヒー(トルココーヒー?)をおごってもらいました。あなたはアレクサンダー大王の後裔だと信じていますかとミランさんに聞いてみました。もちろんとの返事でした。

彼の叔父さんはチトー共にパルチザンを戦った国民的英雄だと語ってくれました。ついでに?共産主義について尋ねてみました。彼は滔滔と論じてくれましたが、私の英語力では全く理解不能でした。

 

 

 

 

 

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「バルカン半島」編 マケドニア共和国3 アレクサンダー大王1

2010年10月30日 08時26分48秒 | バルカン半島

 マケドニアは隣国ギリシアとの間に国名をめぐってトラブルがあります。ギリシアの言い分は、「マケドニア」という国名は、かの有名なアレクサンダー大王の古代マケドニアの名称の僭称というわけです。そして自分たちギリシアがマケドニアの正当な継承者と主張しています。そこで国連加盟の時の呼称は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」となっています。

 しかし「マケドニア」は自分たちがアレクサンダー大王古代マケドニアの正当な継承者と本気で思っているようで、写真は首都スコピエの中心部にあるアレクサンダー大王広場建設予定地です。アレクサンダー大王像もここに作られる予定とのことです。

 

 

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「バルカン半島」編 マケドニア共和国2 マザーテレサ2

2010年10月28日 08時29分26秒 | バルカン半島

 彼女の銅像です。

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「バルカン半島」編 マケドニア共和国1 マザーテレサ1

2010年10月28日 08時25分55秒 | バルカン半島

 1979年のノーベル平和賞受賞者マザーテレサ(受賞理由:長期にわたる献身的な働きにより、苦しみの中にいる人々に安息をもたらした)は紹介の必要のない著名人ですが、生まれはここマケドニアのスコピエです。この地では少数民族のアルバニア人です。しかも多くのアルバニア人がイスラーム教徒であるなかローマンカトリック教徒の家庭に生まれました。またこの地の多く人々はマケドニア正教会の信徒です。このようなマイノリティ出身者ということが彼女のような素晴らしい人物を育てのではないかと私は思っています。

 写真は彼女の生誕記念館です。「地球の歩き方」にも”lonely planet”にも記載がないので比較的新しいのでしょうか。

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「バルカン半島」編 コソボ6 リェヴィシャ教会3

2010年10月26日 08時45分38秒 | コソボ

 この教会はグラチャニツァ修道院と違いコソボの警察下にあるようで向に警察の監視室がありました。

 「たいよう」さんへ 再生できたようでよかったです。勘違いごめんなさい。

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「バルカン半島」編 コソボ5 リェヴィシャ教会2

2010年10月26日 08時42分15秒 | コソボ

 というわけで警官(コソボのアルバニア人でイスラーム教徒)に鍵を開けてもらいの観光でした。

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「バルカン半島」編 コソボ4 リェヴィシャ教会1

2010年10月26日 08時36分05秒 | コソボ

 

うひとつ世界遺産に登録されているこの地のリェヴィシャ教会を紹介します。

12世紀にセルビア正教の教会として創建されオスマン時代にモスクに転用され、20世になりセルビア正教に戻った由緒ある教会です。

 コソボ紛争の最中アルバニア系住民の過激派によってかなり破壊されました。

 

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「バルカン半島」編 コソボ3 スルタン・ファティ・メフメトモスク

2010年10月24日 09時04分18秒 | コソボ

 もちろんこの地はイスラームが優勢なのでモスクも1つだけですが紹介しておきます。

 15世紀半ばに創建されたモスクです。

 中谷さん(西遊旅行社の現職添乗員)、うーちゃんさんコメント有難うございました

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「バルカン半島」編 コソボ2 グラチャニツァ修道院

2010年10月24日 08時46分24秒 | コソボ

 写真のグラチャニツァ修道院(世界遺産)はセルビアとコソボの対立の象徴的存在です。

 海外旅行はどこの地域でもその歴史的背景を知らなければ興味、理解は半減します。しかもこのバルカン地方は歴史が複雑だけにその理解が無ければ半減どころか、10分の一の楽しみもないように私は思います。

 というわけで、この地の歴史を単純化して最初に紹介しておきます。

古代は省略します。中世に入り東からはオスマン帝国がこの地に勢力を伸ばしてきます。西からはオーストリア帝国が、そして在地の勢力と三つ巴の争いになります。その後ほぼ全域がオスマン帝国の支配下にはいり、近代に入りオスマン帝国からの独立運動が始まります。独立運動は近隣列強の思惑とお互い同士の勢力争いが絡み複雑な様相を呈してきます。第2次世界大戦では連合軍(イギリスなど)と枢軸国(ドイツ、イタリア)との複雑な同盟、対立がありました。この地域での対立抗争を一つにまとめたのがチトーでその国が前回紹介したユーゴスラビアでした。

さてこのグラツァニツァ修道院の話はオスマン帝国がこの地に侵入して在地のセルビア人と戦いオスマンが勝利をしたコソボの戦い(1389年)に始まります。この時のセルビアの指導者ラザル侯はオスマンにとらえられ斬首されます。その首が40年後に現れ、コロコロとこの修道院に転がり込みます。このコソボの敗北の屈辱はセルビア人にとってラザル侯は民族的英雄であり、ここコソボは民族の故地となりました。

しかしその後のオスマンの支配でしだいにイスラーム化しイスラーム教徒のアルバニア人が1857年には人口の70%以上を占めるようになります。そして19世紀にはこの地はアルバニア人の国家統一とオスマンからの独立の拠点になります。

というわけでこの地はセルビア人にとっては心の故郷であり、アルバニア人にとってもそれは同じであったわけです。しかしユーゴ解体後はセルビア国の一部として残され、コソボ紛争が起きました。そして前回紹介したように2008年の独立宣言になりました。

その後のラザル侯の遺体についてもう一言。

1988年~89年にかけてコソボの戦い600周年にかけての時期、当時のミロシュヴィチ大統領がラザル侯の遺体を先頭にしたセルビア人の行列を組織し、セルビアとボスニア各地のセルビア正教会の修道院を巡回させてセルビア・ナショナリズムを煽ったことはよく知られている。セルビアでは中世の王国の神話が現在でもなお生き続けているのである」。(「バルカンをしるための65章」p25

写真の人物はこの地に住むセルビア人で修道女の通訳をしてくれました。またこの修道院はかなり多数の国連兵士(ノルウェー人)で警護されており内部は撮影禁止でした。左に小さく見える人物が兵士の一人です。

 現在のコソボの民族構成はアルバニア人92%、セルビア人4%、その他ロマ人などです。アルバニア人の大部分はイスラーム教徒で、セルビア人はセルビア正教徒(キリスト教の一派)です。

 

 

 

 

 

 

 

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「バルカン半島」編 コソボ1

2010年10月22日 08時25分22秒 | コソボ

 今回の旅行先はアルバニアを除いてすべて旧ユーゴスラヴィアを構成していた国々です。 旧ユーゴは「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」という複合国家でした。この旧ユーゴがチトー大統領の死後、1991年から解体し始めパンドラの箱が開いたように「ユーゴ紛争」が起きました。
 そして最後に独立したのが今回の最初の訪問国コソボでした。2008年2月17日にセルビアからの独立宣言をしました。2010年7月現在国連加盟国192カ国のうち69カ国(日本を含む)が承認しています。もちろん、セルビアは独立を認めません。
 そこで画像のようなことが起きました。画像は私のパスポートの査証のページです。左上にバツ印×がありますね。見にくいですが、そこにはコソボへの出入国のスタンプが押してあります。すなわち、コソボのスタンプがバツ印×で消されているということです。そうなんです、セルビアに入国したときセルビアの係官がコソボのスタンプをバツ印×で消したわけです。
 kkさんコメント有難うございました。写真があるので送りたいのですが。メールをいただければ幸いです。

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「バルカン半島」予告編

2010年10月01日 08時43分08秒 | バルカン半島

3日から「バルカン半島の知られざる6カ国(コソボ、マケドニア、アルバニア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ)・大周遊」というパックツアーに参加します。帰宅は18日の予定なのでそれまで休載し、再開は22日ごろを予定しています。画像の旅程図は旅のデザインルーム社のホームページからの転載です。 

 またも「インドネシア」編を未完のままで中断しますが、その他の未完編を含めていずれ再開する予定です。

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「インドネシア」編 タナ・トラジャ さようなら

2010年10月01日 08時39分10秒 | インドネシア

 最初にタナ・トラジャへの入り口ゲートを紹介しましたが、この写真はさようならゲートです。SELAMAT JALAN は残る人が去る人に贈る「さようなら」という意味のインドネシア語です。トラジャ語でないことに注目ください。

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「インドネシア」編 マンダル人

2010年10月01日 08時36分08秒 | インドネシア

 写真はトラジャのガイドUDIN Mさんです。マンダル人でイスラーム教徒です。バリ島のガイドはバリ人でヒンドゥー教徒であることはすでに紹介しました。ジャワ島のガイドはジャワ人のプリヤディさんでイスラーム教徒です。各々の母語は異なります。多民族国家ですね。

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「インドネシア」編 ブギス人

2010年10月01日 08時32分44秒 | インドネシア

 彼はトラジャ人と対立していたブギス人です。名前はUMARでこのタナ・トラジャでの敏腕運転手さんでした。もちろんイスラーム教徒です。

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「インドネシア」編 トラジャ人21

2010年10月01日 08時25分15秒 | インドネシア

 彼がトラジャ語を教えてくれました。左がトラジャ語で右が英語ですね。ちなみにインドネシア語の「ありがとう」はtorimakasih 「おはよう」はselamat pagi です。表記文字はすべてこのようにラテン文字です。

 インドネシアはいろんな意味で多様な国家です。インドネシア政府の国是は「多様性の統一」です。民族の指標になる言語はウィキペディアの日本語版は583以上、英語版では700以上、小川忠氏によれば(「インドネシア 多民族国家の模索」)415というわけです。人口2億4千万人でジャワ語の使用が6000万人、ついでスンダ語が2400万人と続きます。インドネシア語はこの国を構成する民族の言語ではなくマレー語に起源をもつ交易言語が元になりました。

 「多様性の国家インドネシア国家統一の最大の武器は、インドネシア語にほかならない」(小川忠p18) 今回の旅行で感じたのは小川氏のこの指摘の正しさでした。

 土産物屋の店員をはじめとして私の接触した人はすべてインドネシア語と自民族の言語のバイリンガルでした。尋ねた土産物屋の店員同士の会話は当然インドネシア語だそうです。家に帰っての家族同士の会話は所属の民族語ということでした。

 聞いてみると新聞はすべてインドネシア語ということでした。民族語の新聞は禁止ですかと尋ねてみましたが、肯定的にこたえる場合と、部分的に民族語が併載されている場合もあるかのような返事もありました。家族同士の手紙のやり取りなどもインドネシア語である場合が多いような返事でした。すでにインドネシア語が母語になっている人もいるようです。学校教育はすべて幼稚園からインドネシア語です。

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