100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「スペイン・ポルトガル」予告編

2009年03月29日 07時53分00秒 | スペイン・ポルトガル

 4月1日~5月1日にかけてスペインとポルトガルを旅します。この時期ブータンを予定していたのですがいろいろ不具合が生じて変更しました。ちょっと長旅で心配なのですが。1996年10月にスペイン・ポルトガルを13日間旅行したことがあるのですが今回は30日です。画像は旅程図です。旅のデザインルーム社のホームページからの転載です。したがって5月5日ごろまでこのブログを休みます。

 ところでスペインは外国旅行の収支ランキング黒字国のダントツの1位ということをご存知ですか。すなわち外国から旅行に来た人たちの落とした金額と自国の人が外国旅行で支払った金額の収支のバランスの黒字(32806百万米ドル)が世界一というわけです。2位はスペインの半額以下でイタリア(13004万米ドル)、ついで意外にアメリカ合州国、フランス、ギリシアと続きます。反対に持ち出しの多い赤字国の1位はドイツ(-43977百万米ドル)何処に行っても必ずドイツ人に出会います。以下イギリス、日本と続き4位のロシアは意外。そして韓国と続きます。(2007年観光白書) 

 なお「中国シルクロード」はあと少し残っていますが後日にします。 

 Fengdanさんいつもコメントありがとうございます。香妃の話は中国では有名な話なんですね。私はこのカシュガルの人たちだけの話かと思っていました。 

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「中国シルクロード」編 カシュガル13 アパク・ホージャ3

2009年03月27日 08時35分57秒 | 中国シルクロード

写真はこの廟の裏にある庶民のお墓です。アパク・ホージャと香妃を慕って、ここに墓を作る人が今なお後を絶たないそうです。

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「中国シルクロード」編 カシュガル12 アパク・ホージャ2

2009年03月27日 08時32分14秒 | 中国シルクロード

その内部です。この廟の別名が香妃墓です。清朝の乾隆帝が夢でホージャー一族の娘香妃を見初めて?呼び寄せました。ところが彼女は乾隆帝になびかないため殺されます。(異説あり)遺体が返されこの廟に葬られました。そこで香妃墓とも呼ばれています。

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「中国シルクロード」編 カシュガル11 アパク・ホージャ1

2009年03月27日 08時28分19秒 | 中国シルクロード

 中国最大のイスラーム教寺院エィティガールモスクがここカシュガルにありますが、なぜか私のカメラにありませんでした。そこでこのモスクと並んで著名な別のイスラーム関係の建造物アパク・ホージャ廟を紹介します。

 前述のように仏教徒だったカシュガルの人たちは10世紀ごろイスラーム教徒に改宗しました。そして17世紀頃ムハンマド(マホメット)の子孫と称するホージャー一族がこの地の政治、宗教を握ります。この一族のお墓(廟)がアパク・ホージャ廟です。写真はその正面です。

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「中国シルクロード」編 カシュガル10 街角風景3

2009年03月25日 08時22分00秒 | 中国シルクロード

 散髪屋さんを覗いてみました。

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「中国シルクロード」編 カシュガル 9 街角風景2

2009年03月25日 08時18分45秒 | 中国シルクロード

 音合わせですかね?

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「中国シルクロード」編 カシュガル8 街角風景1

2009年03月25日 08時15分24秒 | 中国シルクロード

 オシャベリをしている老人たちに出会いました。帽子によって民族が分かるそうです。私がいるのですが?

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「中国シルクロード」編 カシュガル7 職人街3 鍛冶屋さん

2009年03月23日 08時43分53秒 | 中国シルクロード

鍛冶屋さんです

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「中国シルクロード」編 カシュガル6 職人街2 帽子屋さん

2009年03月23日 08時39分57秒 | 中国シルクロード

帽子屋さんです。

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「中国シルクロード」編 カシュガル5 職人街1 楽器屋さん

2009年03月23日 08時34分55秒 | 中国シルクロード

職人街を歩きました。まずは楽器屋さん。

 Fengdanさんコメントありがとうございました。イスラーム教徒の女性は世界のどの地域でもすべての人ではありませんがこのようなベールをしている人がいます。

 たびたびコメントをいただいた”colo”さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りします。私の大先輩、友人で、このパソコンの先生でした。このブログ立ち上げも彼の教えで出来ました。死の直前までこのブログを気にかけていただき最後のコメントはこの3月9日の「しょぱいかな」でした。ありがとうございました。なお彼のブログは「読み書き散策」です .

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「中国シルクロード」編 カシュガル4 老街2

2009年03月21日 08時24分12秒 | 中国シルクロード

 老街ではこの写真のようにベールに顔を完全に隠した女性に出会います。

 2008年8月26日の朝日新聞はこの「老街」について「ウィグル族居住地取り壊し通告」「五輪直後『文化の破壊』と反発」という見出しで報じています。その記事を少し紹介します。

 「地元当局が都市再開発を理由に、住民代表らに早期立ち退き(老街から)を求めた。ウィグル族から反発の声が出ている。当局は50世帯の住居だけは保存すると説明しているという。だがウイグル族側は、『民族文化の破壊』が狙いだと反発。『五輪閉幕にあわせて出て行けと通告してくるとは。民族感情を無視した横暴な行為だ。国際社会の中国への関心が薄れるのを待っての措置としか思えない』 カシュガルでは、ウィグル族と漢族との間の結婚が勧められている」  

 2006年11月17日に現地のウィグル人の現地ガイド、パリダさんの「非イスラーム教徒を好きになることはありえない」を紹介しています。

 私がカシュガルを訪れたのは2006年9月のことでしたが、この老街はすでにかなり取り壊されているようでした。

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「中国シルクロード」編 カシュガル3 老街1

2009年03月21日 08時18分25秒 | 中国シルクロード

 勿論カシュガルは人口の80%をウィグル族で占める街です。2006年11月15日~11月23日に中国ウィグル族については紹介しています。写真はこのウィグル族の住む旧市街地(老街)です。

 このカシュガルからウルムチに向かう飛行機で拾った「新疆経済報」という新聞を見ていたら中国文と英文併記のカシュガル老城印象記に出会いました。筆者は新疆在住の外国人Tim Hathawayという人です。彼曰く。「多くの外国人が中国を訪れるが探している中国には出会うことが無い。求める文化的、歴史的のサイトが無いからである。しかしこのカシュガルのold town 旧市街のみが求める中国だ。それは戦災をまぬかれたポーランドのクラコフのようなノスタルジー(郷愁)を感じさせる」というわけです。

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「中国シルクロード」編 カシュガル2 グレート・ゲーム

2009年03月19日 08時49分38秒 | 中国シルクロード

 前記のようにカシュガルは地政学上の要地です。19世紀末南下政策を進める帝政ロシアとインド支配を目指すイギリスはシルクロード上にスパイを送り侵攻ルートや防衛拠点に関する調査を盛んに行いました。これをイギリスではチェスに見立てて「グレート・ゲーム」、ロシアでは「影の試合」と呼びました。この諜報合戦の拠点になったのがこのカシュガルでした。 

 この諜報戦の拠点になった領事館跡地が我々の宿泊したホテルでした。写真はその旧ロシア領事館の標識です。写真を撮りそこなったのですが、昼食のレストランは、旧イギリス領事館でした。

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「中国シルクロード」編 カシュガル1

2009年03月19日 08時41分33秒 | 中国シルクロード

 カシュガルは2006年9月4日と9月30日の旅程図で見るように中国シルクロードの最西端に位置する人口35万人の都市です。そして天山南路(西域北道)と西域南道の双方の終着点の都市でもあります。ここからインド、ローマへ向かいます。

 玄奘三蔵は7世紀インドからの帰途ここカシュガルに立ち寄っています。「伽藍は数百ヵ所,僧徒は一万余人、小乗教の説を学習している」と記しています。当時は仏教が盛んだったのですね。

 「新疆にこなければ中国の広さは分からない。カシュガルにこなければ新疆に来たことにならない」という言葉があるそうです。新疆ウィグル自治区の首府はウルムチですが、もっとも新疆らしい町はここカシュガルというわけです。

 写真はこの天山南路と西域南道が合流した地点です。

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「中国シルクロード」編 カシュガル→カラコルムハイウェー→カラクリ湖12 カラクリ湖3

2009年03月17日 08時23分25秒 | 中国シルクロード

 馬もいますがこれは観光客を乗せる商売用です。

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