100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「北欧大紀行」編 コペンハーゲン1

2022年10月30日 07時52分15秒 | 北欧

 大道芸人が活躍していました(写真上)
コペンハーゲン港の入口を防御するために作られたカステレット要塞の中心に、ゲフィオンの泉が水を湛えています。女神ゲフィオンが左手を振りかざした勇敢な姿で、4頭の牛に鞭を打っています(写真中)
写真下はゲフィオンの泉の近くにあるアンデルセンの童話で有名な人魚姫ですね。人魚姫の手や首が切り取られるとう事件があったそうです。

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「北欧大紀行」編 ストックホルム〰コペンハーゲン

2022年10月27日 07時54分25秒 | 北欧

 ストックホルムからデンマークの首都コペンハーゲンに列車(写真上)で向かいました。2000年7月に開通したスウェーデンとデンマークを隔てる海峡をつなぐオースレン大橋を渡り5時間の列車の旅でした。
 コペンハーゲン到着して最初に感じたのは自転車駐輪場の整備でした。(写真中)コペンハーゲンでは多額の費用を投じて街中に自転車道が整備されています。全市民の62%が通勤に自転車を使用しているそうです。世界で一番自転車にやさしい都市です。
 日本では最近自転車規制が厳しくなってきています。自転車道路などを整備してもっと優しくしてほしいですね。大気保全、個人の健康に良いと思います。
 写真下はわたくしの撮影ではなくネットからの借用です
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「北欧大紀行」編 ストックホルム3

2022年10月24日 07時52分53秒 | 北欧

 ストックホルム2日目の最初はノーベル賞受賞者の祝賀晩餐会の行われる市庁舎でした(写真左上)。その後、前々回紹介した旧市街ガムラ・スタンでこのような狭い路地に出会いました(写真右)
 奇妙な模様が描かれた大きな石に出会いました(写真左下)。ルーン文字です。ルーン文字はゲルマン人がゲルマン諸語の表記に用いた文字です。後にラテン文字にとってかわられますが、北欧では中世後期まで使用されていました。
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「北欧大紀行」編 ストックホルム2

2022年10月21日 07時53分44秒 | 北欧


初日のストックホルムの午後は自由時間でした。わたくしの自由時間は買い物でした。先住民サーミ人の伝統的音楽ヨイクのCDでした。方向音痴で語学音痴のため難渋を極めた買い物でした。サーミ人はノルウェー、スウェーデン、フィンランドに住む少数先住民族で本来はトナカイの遊牧民族で、現在は定住しています。その数は4万人〰10万人といわれています。なお名称は以前ラップ人と呼ばれていましたが差別語だということで現在はサーミ人と呼ばれています。日本からの添乗員がラップ人といって現地ガイドから注意を受けました。
 「その彼らの伝統音楽ヨイクはヨイクの第一人者ニルス・アスラク・ヴァルケルバー(写真上の左の人物)によればただ単に伝統音楽、民族の音楽とのみ言い切れるものではない。***国家を持たない少数者として他民族の支配と略奪、抑圧を受け続けてきたサーミの人々が、****自らの文化を、そして民族全体を守り続けてくることができた大きな支え」
(「読んで旅する世界の歴史と文化 北欧」p83)
私は音痴なのでよくわかりませんが、非常に特徴のある音楽で心が休まる感じです。忙しい現代人を癒す音楽だと思います。事実ヨーロッパではガンに効く音楽と言われ病床で聞く人が多いそうです。このブログではCDをお聞かせできないのが残念です。写真上はCDに挟まれていたリーフレットです。
 写真中は民族衣装を着て土産物を売っているサーミ人です。撮影はノルウェーのサルタです。
 CDを求めてウロウロしていた時写真下の光景に出会いました
突如ケタタマシイ車の(タクシーが多い)クラクションとともに旗を掲げ、警察に付き添われたデモ隊らしき一団に出会いました。かなり長く行列は続きました。何事かと野次馬に聞いたところ彼らはトルコ人の一団でワールドカップで韓国に勝利し3位になったことを喜ぶ祝賀パレードだったのです。よく見れば旗はトルコ国旗でした。
 ドイツにはトルコ人の出稼ぎ労働者が多くいることは知っていましたが、スウェーデンにもこんなに多くのトルコ人労働者がいたとは
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「北欧大紀行」編 ストックホルム1

2022年10月18日 07時55分22秒 | 北欧

2002年6月28日〰7月15日デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドのツアーに参加しました。すでに少しばかり紹介していますが(カテゴリー「北欧」)未紹介の部分を中心に記述したいと思っています。
 最初の訪問地はスウェーデンの首都ストックホルムでした。ストックホルムはバルト海に面した美しい水の都です(写真左上)。スウェーデンは立憲王国なので王宮があります。丁度衛兵の交代時でした(写真左下)
 写真右は中世の雰囲気が残る旧市街ガムラ・スタンです。奥に見える建物はストックホルム最古の大聖堂です。
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「チェコ・スロヴァキア・ハンガリー」編 ブタペスト観光

2022年10月15日 07時52分34秒 | チェコ・スロヴァキア・ハンガリー

 旅行最終日ブタペストはたくさんのところを観光しましたが、紹介は一か所だけにします。写真左上の英雄広場です。ハンガリー建国1000年を記念して1896年に造られました。記念碑のてっぺんは大天使ガブリエルで周りの像は9世紀後半にここハンガリーの地に足を踏み入れたマジャール人7部族の長たちです。
 写真右上と下は帰国の空港での撮影です。このおじさんは気楽に自慢げに撮影に応じてくれました。どんな偉い人なんでしょうね。一つ一つの勲章の由来を知りたいですね。
 今回で「チェコ・スロヴァキア・ハンガリー」編を終わります。
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「チェコ・スロヴァキア・ハンガリー」編 夜のドナウ河クルーズ

2022年10月12日 07時52分51秒 | チェコ・スロヴァキア・ハンガリー

 晩餐後夜のドナウ河クルーズを楽しみました。ブタペストは元々ドナウ河を挟んでのブタとペストの別の都市でした。写真上、下はその両者を結ぶ「くさり橋」です。橋の完成は1849年でそれまではブタとペストの間は船でした。
 写真中は王宮です。前々回紹介したように13世紀モンゴル来襲から逃れてのベーラ4世の築城に始まります。
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「チェコ・スロヴァキア・ハンガリー」編 晩餐

2022年10月09日 07時51分57秒 | チェコ・スロヴァキア・ハンガリー

 ヴィシェグラードとエステルゴムの観光を終えてブタペストに戻ってハンガリー舞踊、音楽の晩餐でした。料理は前菜、パロックスープ、サラダ、ポークグヤーシュ(ハンガリー名物料理)、ポテト、アップル&あんずパイ、白ワイン、コーヒーまたは紅茶でした。
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「チェコ・スロヴァキア・ハンガリー」編 ヴィシェグラード→エステルゴム

2022年10月06日 07時52分32秒 | チェコ・スロヴァキア・ハンガリー

 最終目的地首都ブタベストに到着しましたが、初日は周辺の小都市ヴィシェグラードとエステルゴムの観光でした。
 写真上はヴィシェグラードの黄金時代の14世紀〰15世紀の200年間、時の王国の城跡です。
 エステルゴムは初代ハンガリー国王イシュトヴァーンの戴冠の地です。その後モンゴル来襲後首都はブタペストに移ります。写真中は国内最大の聖堂で創建当時(10世紀)から現在に至るまでハンガリーカトリックの総本山です。現在のこの建物は19世紀立て替え。紙幣の絵柄にもなっています。
 写真下はエステルゴムから見たドナウベント(ドナウ河の曲がるところ)の風景です。対岸はスロヴァキアです。橋はマーリア・ヴァレーリアで第二次世界大戦で破壊されましたが、わたくしたちの訪問時2001年に改修されました。現在行き来は自由で添乗員のメモによればvisaなしということです。
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「チェコ・スロヴァキア・ハンガリー」編 ケチケメート

2022年10月03日 07時55分15秒 | チェコ・スロヴァキア・ハンガリー

 人口10万人の都市ケチケメートを訪れました。写真左は町の中心部にあるコシュウート広場です。ハンガリーが世界史に名を残した人物を独りだけ挙げよといわれたら、誰もがコシュート(1802~94)を挙げるといわれるそのコシュート記念した広場、銅像です。彼は1848~49年の独立戦争を指導、共和制を宣言、大統領に就任、革命敗北、亡命、トリノで客死します。
 この地にもシナゴーグが残されていました(写真右上)現在はユダヤ人は居住していないようで別の施設になっています。
 訪問した当日は吉日だったのか結婚式がたくさん開かれていました。(写真右下)
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