100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「モロッコ」編 サボテンの実2

2008年12月31日 08時30分50秒 | モロッコ

 道端にサボテンが栽培(?)されていたので皆さん写真を撮りました。食い意地の張った私は棘を避けながら実を捥いで食べようとしました。ところが大きな硬い棘以外に産毛のような無数の棘が手に刺さりかなりの痛みがはしりました。添乗員が毛抜きを持ってきてくれましたが完全には取り切れませんでした。あと手がはれることを覚悟しましたがその点は大丈夫でしたが、2日ほど痛みが残りました。そういえば、前頁のサボテン売りのおじさんからすぐにサボテンを受け取ろうとした時「ノウ、ノウ」といって皮をむいて差し出してくれたことを思い出しました。

  お粗末の一席。 

 それではよいお年を! 来年もよろしく!

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「モロッコ」編 サボテンの実1

2008年12月31日 08時26分52秒 | モロッコ

 サボテンの実を売っていたのでさっそく試してみました。青臭い味がするかと思いましたがそんなことは無くすっきりとした上品な甘さで美味でした。私には高級感すらありました。(これは味痴の私の感想ですから当てになりません)

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「モロッコ」編 風景・景観の巻34 グラナダ

2008年12月29日 08時37分54秒 | モロッコ

 そこで本場グラナダはということで12年前に訪れたグラナダの町並みをアルバムで探してみました。それがこの写真です。写真は12年前で安いフィルムのプリントなので鮮明ではありませんが、なんとなくティトゥアンに似ていることこと(逆)に気付かれると思いますます。

 写真は一度クリックして、右下に出る拡大のアイコンをも一度クリックしてください。

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「モロッコ」編 風景・景観の巻33 ティトゥアン

2008年12月29日 08時29分29秒 | モロッコ

 スペインを旅行するとイスラーム文化の影響が色濃く残っていることに気付かされます。それに対してここモロッコではスペイン文化の面影を見ることができます。この写真のティトゥアンの町がそうです。(10月7日の地図のタンジェとショウエンの間)カスバ街道沿いに見られる11月21日に紹介したオアシス村やその他の風景とはずいぶん違います。以前に紹介したレコンキスタ(12月21日)により多くのユダヤ教徒、イスラーム教徒がスペインのグラナダからこの町に逃れて来ました。それでこのようなスペイン風の町並みが造られました。グラナダなどのスペイン南部はアンダルシア地方なので、このような風景をアンダルシア風と呼んでいます。

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「モロッコ」編 ユダヤ人11 エルジャディーダ2

2008年12月27日 08時39分58秒 | ユダヤ人

 混住していた証に隣接してイスラーム教のモスクがありました。

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「モロッコ」編 ユダヤ人10 エルジャディーダ1

2008年12月27日 08時36分58秒 | ユダヤ人

 エルジャディーダ(10月7日地図)は1514年にポルトガルによって造られた城塞交易都市です。(世界遺産)ここではポルトガル商人とともにユダヤ人が裕福な商人として活躍し豊かなユダヤ人共同体を作っていました。しかしメラーはありませんでした。ということはモロッコのここだけはイスラーム教徒、カトリック教徒などと平和的に混住していたのです。写真は今は使われなくなったシナゴーグです。上部に私には良く見えなかったのですが、ユダヤ人の象徴である「ダヴィデの星」があります。このむこうにはやはり広大なユダや人墓地がありました。

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「モロッコ」編 ユダヤ人9 マラケシュ7

2008年12月25日 08時47分44秒 | ユダヤ人

 墓地に行くことにしました。道はすでに分かっていたのですが、シナゴーグでのポン引きガイドがくっついて離れません。今回は入口は開いていたのですが、入ると同時に制止されました。またも怪しまれたのです。今回も他の団体と一緒になだれ込みました。ビックリしました。広大な墓地でした。警備のような人からは付きまとわれるし、約束の時間は迫っているし、慌てて撮った写真なので分かり難いかと思いますがとにかく広大な墓地です。肉眼、カメラの視界を越えて広がっていました。1537年以来の墓地ですね。

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「モロッコ」編 ユダヤ人8 マラケシュ6

2008年12月25日 08時44分12秒 | ユダヤ人

 本もたくさんありました。旧約聖書、トーラー、タルムードなどでしょうか。

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「モロッコ」編 ユダヤ人7 マラケシュ5

2008年12月23日 08時47分17秒 | ユダヤ人

 写真は同じくシナゴーグの内部です。ポン引きガイドは説明をしてくれますが英語なので殆ど分かりません。ただ1949年にこのシナゴーグが建立されたということだけは聞き取れました。前回紹介した1537年と時期的に一致します。すなわちレコンキスタにより追放されたユダヤ人たちのシナゴーグなのです。

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「モロッコ」編 ユダヤ人6 マラケシュ4

2008年12月23日 08時41分17秒 | ユダヤ人

  シャバトで悔しい思いをしたのですが、マラケシュでは3日の滞在で最終日にこのシナゴーグの近くの観光があったのでその観光をから抜け出してもう一度出かけることにしました。ところが添乗員がこれを許しません。「駄目だ」と強い調子です。押し問答の末時間を厳しく制限されようやく許可が出ました。パック旅行のつらいところ。

 急いで前回の同行者と出かけました。ところが前日の入口は入れたのですが、中の肝心のシナゴーグは開いていなく管理人のような人物が(前日とは違う)カギを開けてくれません。押し問答をしていると忽然と現れたポン引きガイド(注)が間に立ってとりなしてくれたのですが駄目です。そうこうしいるうちに団体の観光客が入ってきました。彼らには入口をあけて入れました。そのどさくさにまぎれて一緒になだれ込みました。入口の道路には警察がいました。どうやら我々二人は怪しまれたようです。前々回紹介したようにモロッコは他のイスラーム圏に比してユダヤ教徒には寛容ですが、2003年にカサブランカでは爆弾テロ事件があり33名死亡100名の負傷者が出ています。

 写真はシナゴーグの内部です。

 (注)

 モロッコにはこのようなポン引きガイドが古くからいるようです。1939年に旅した山田吉彦の「モロッコ」(岩波新書)にはこのようなポン引きガイドとの交情が書かれていますし、最近では角田光代の「いつも旅のなか」(角川文庫)では以前紹介したトドラ渓谷(2008年11月17日)でのポン引きガイドが紹介されています。いずれも個性豊かなガイドです。

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「モロッコ」編 ユダヤ人5 マラケシュ3

2008年12月21日 08時09分31秒 | ユダヤ人

 次に案内されたのはユダヤ人の墓地でした。しかしここもシャバトで中に入れません。写真はその入口です。ヘブライ文字が書かれています。数字の1537はキリスト教暦(所謂西暦)の年号で建立時を表わしていると思われます。も一つの数字5227はユダヤ暦だと思います。

 この1537年という年号で以下のようなことが読み取れます。8世紀に始まり1942年に完了するイベリア半島(スペイン・ポルトガル)からのキリスト教徒によるイスラーム教徒駆逐の運動レコンキスタによりイスラーム教国で共存していたユダヤ人もイベリア半島から追放されました。これにより15世紀にモロッコに移住してきたユダヤ人は6~8万人といわれています。ということでこのレコンキスタによりこの地に移住してきたユダヤ人の墓であろうと思われます。なおスペインからの移住者については2007年7月4日でも取り上げています。 

 Meghさんありがとうございました。面白そうな雑誌ですね。

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「モロッコ」編 ユダヤ人4 マラケシュ2

2008年12月19日 08時56分37秒 | ユダヤ人

 さてシナゴーグユダヤ教の教会)に到着したのですが入口には閉まっていて入れません。ごたごたしていると人が出てきて今日は「シャバト」(土曜日でユダヤ教徒の安息日)で見学はできないとのことです。あなたはユダヤ人ですかと尋ねるとそうだとの返事です。そういえば「キッパ」を被っていました。(キッパについては2005年12月7日をご覧ください)あなたと入口の写真を、と頼みましたが、拒否でした。そこでそこを遠くから盗み撮りしたのがこの写真です。狭い路地の左側に少し見える人物が彼でそこがシナゴーグの入口です。この写真でも分かるとおりここのメラーは高い塀で囲まれていました。

 前述のようにここも王宮の近くにありlonely planet によれば「王室は多くの言語を話す宝石商、銀行家、商人であるユダヤ人社会の才能を正当に評価した」(p300)とされています。

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「モロッコ」編 ユダヤ人3 マラケシュ1

2008年12月19日 08時48分46秒 | ユダヤ人

 マラケシュでは自由時間があったのでメラーに出かけました。同行の1人が付き合ってくれたのでタクシーで出かけました。タクシーを降りるとき運転手がポン引きガイドを紹介してくれました。lonely planet にはシナゴーグに行くには現地ガイドが必要と書いてあったので好都合でした。現地ガイドが私に”Japanese Jew?”(日系ユダヤ人か?)と尋ねました。多分メラーやシナゴーグを訪ねる日本人は珍しいのでしょう。写真はそのポン引きガイドです。(モロッコでは多い)手を上げている人です。 

 meghさんコメントありがとうございました。クーリエジャボンという雑誌を私は知りません。どんな食事か教えてください。

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「モロッコ」編 ユダヤ人2 フェズ2

2008年12月17日 09時01分03秒 | ユダヤ人

 写真は同じフェズのメラーです。地図で見ると次回紹介のマラケシュと同じく王宮に隣接しています。これは同じイスラーム圏の中ではモロッコは歴史的に濃淡はありますが比較的ユダヤ人に寛容だとされていますがそれでも迫害があるので王室が近くで彼らを保護し交易の儲けに預かることから来ているようです。これはモロッコの王室の伝統のようで現在のモハメッド6世の側近にはユダヤ人顧問がいます。(lonely planetp36)これは現在のイスラーム国家では大変珍しいことです。(歴史的には珍しいことではありません)

 なおこに近くには博物館、シナゴーグ(ユダヤ教の教会)がありますがパック旅行の悲しさで訪れることはできませんでした。私が事前にお願いしていなければたぶん何の説明もなくここも通り過ぎていたでしょう。添乗員もメラーという言葉も知らなかったくらいですから。

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「モロッコ」編 ユダヤ人1 フェズ1

2008年12月17日 08時55分29秒 | ユダヤ人

「モロッコ」編を再開します。

 2008年11月19日でモロッコにユダヤ人(イスラエル人)の観光客が多いことを紹介しましたが、それには歴史的経緯があります。「中世から現代に至るイスラーム地域のなかでユダヤ教徒が最も重要な役割を果たしたのはモロッコで、アラブ・イスラエル紛争の始まる前の20世紀の半ばまで多数のユダヤ教徒が居住し、今日でもアラブ諸国で最大のユダヤ教徒人口(推定2万人)(注)を抱えている」(岩波講座世界歴史10 マグリブ中世社会のユダヤ教徒 私市正年論文p97)

 (注) 

 私市論文(1999年)によれば1948年28万5千人、1974年2万人ですが、2007年版の”lonely planet”によれば1万人~8千人とあります。この数字を現地ガイドに見せたところ現在はもっと少ないと話してくれました。その殆どはイスラエルへの移住でたぶん観光客の大多数は故郷?モロッコを懐かしんでのものと考えられます。  このように現在モロッコ(に限らず)のユダヤ人人口は激減しています。(注)

(注)

 たとえば、lonely planet(2000年版)ではウズベキスタンのブハラではユダヤ人居住者5000人とありましたが私が2005年に訪ねたときには600人と激減しており(ブログ2005年12月9日)、その後2007年6月のNHKの放映では150人なっていました。(ブログ2007年6月20日)

 今回の旅行ではフェズ、マラケシュ、エルジャディーラの3都市でユダヤ人ゆかりの地を訪れました。この写真はフェズの旧ユダヤ人区で現在は殆ど住んでいないようです。このようなユダヤ人区はモロッコではメラーと呼ばれています。日本語にもなっているゲットーと同じものです。メラーというのはアラビア語で塩を意味します。ユダヤ人がサハラからの交易品塩を取り扱っていたことに由来しているといわれています。フェズのメラーがモロッコでは最も古いとされています。

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