100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「フランス物語」 モンサンミシェル

2020年12月31日 07時52分25秒 | フランス

 フランス西海岸に浮かぶ小島に世界的に著名な修道院モンサンミシェルがあります。カトリックの巡礼地で世界遺産に登録されています。以前は干潮期に陸地続きになっていましたが満潮期には陸から切り離され逃げ遅れた巡礼者が溺死したことがありました。私が訪問した(1997年)時は完全に陸続きになっていました。しかし現在は潮の流れを止めることになり良くないということで陸続きの道路を取り除き橋が架かっています。写真左上は当時陸続きになっていた道路から見たモンサンミシェルです。
起源は708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたことに始まります。先日TVでレポーターがこのモンサンミシェルを見て「要塞だ!」と叫んでいましたが、百戦争時には要塞としての役割も果たしました。
写真右下は修道院の中庭と回廊です。回廊の柱は127本あります。
この地の名物料理は卵焼き(写真左下)ですが、その大きさにはちょっとびっくり!
それでは良い御年を
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「フランス物語」 サン・マロ2

2020年12月28日 07時53分29秒 | フランス

 写真にみられるように城壁に囲まれた要塞の街です。第2次世界大戦でアメリカの爆撃を受け、街の80%が壊滅。すべてを壊して新しく建て直すか、壊滅した状態を保存するか、元の街を再現するかの選択を迫られ、結局元の街を再現することを選びました。
歴史的にこの街が有名なのは英語でprivateer 私掠船と呼ばれフランス語でコルセールと呼ばれる国王公認の海賊の拠点でした。イギリスの私掠船は有名ですがフランスのコルセールにつてはここで初めて知りました。略奪したものの分け前は国王3分の1、船の提供者3分の1、海賊に3分の1でした。
 この地の海賊で最も有名なのがRobert Surcouf(1773~1827)です。写真左下は1903年建造の彼の像です。フランス革命のただなかでの活動で舞台は一般によく知られているカリブ海ではなくインド洋でした。「10年間のうちに3650隻を襲った。400人の兵隊や水夫がいた船を、わずか120人で襲って略奪をしたこともある。多大な富を手にした彼は、ナポレオンよりも裕福で彼に金を貸していたともいわれている」(観光リーフレット) このリーフレットには記載がないのですが、ウイキペディア(英語版)によれば当時すでに禁止されていた非合法の奴隷交易にも携わっていました。また“Five ships of the French Navy have been named in honour of the 19th century privateer Robert Surcouf”と書かれていました。なぜhonourなんでしょうね。
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「フランス物語」 サン・マロ1

2020年12月28日 07時50分28秒 | フランス

 イギリス海峡に面した高級リゾートとして名高い観光港町サン・マロを訪れました。写真は現地の日本語版観光案内のリーフレットの表紙です。
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「フランス物語」 オンフルール

2020年12月25日 07時52分09秒 | フランス

 印象派画家たちが愛したオンフルールが次の観光地でした。左上の写真とほぼ同じの構図(人物は除く)のモネの絵画がありますね。セーヌ河が英仏海峡に流れ込む河口にある港町です。イギリスのリバプールと同じ奴隷貿易港であったことも知っていてもよいと思います。
 写真右はフランス唯一の木造教会サントカトリーヌ教会です。左中はその内部です。「屋根が奇妙な形をしているのは、15世紀、百年戦争で英国軍に破壊された石造の教会を再建しようとしたものの資金不足だったため、腕に覚えの船大工たちが木で船底を作り、これをエイヤッとひっくりかえして屋根にしたから」(「JTBのフリータイムフランス」p216)
 写真左下は昼食レストランです。当時のわたくしのメモは「前菜に味噌汁に似たスープが出る。一同美味いという。後にわかったことであるがブイヤベースのスープと同じものであった。シードル(リンゴ酒)を飲む。美味い」
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「フランス物語」 ルーアン

2020年12月22日 07時53分08秒 | フランス

 パリからジャンヌダルが処刑された地として有名なルーアンに向かいました。ところがジャンヌダルクに関係する写真が一枚もありません。わたくしのメモには「なぜかジャンヌダルクの処刑場を写真にとっていなかった。隣にジャンヌダルクを記念するヴァイキングの舟形を模した教会が1978年に作られていたがそぐわない感じ」とあります。
というわけで、写真上はジャンヌダルクとは関係にない11世紀創建のルーアン大聖堂です。尖塔の高さはフランス一の135mだそうです。またこのルーアンの街は木造建築の民家でも著名です。(写真下)

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「フランス物語」 ヴェルサイユ宮殿

2020年12月19日 07時52分58秒 | フランス

 1997年10月7日〰21日フランス物語」というツアーに参加しました。
前回まで紹介してきたイギリスの現地ガイドのやさしさ丁寧さに比べてフランスの現地ガイドの傲慢無礼さは全く不愉快でした。まずは、ヴェルサイユ宮殿での日本語の現地ガイド。ガイドをしながら他国の観光客の悪口。また、別のところでの現地ガイド。添乗員に英語で説明した後、いかにも小馬鹿にした発音で”understand?”(わかったか?)を繰り返しました。23年経過した今もこの不愉快な「アンーダスタンド?」の声が耳から消えません。
別れ際に私に、次回はフランス語を勉強してフランスに来てくださいといったガイドもいました。
フランスでは犬の散歩のとき糞の始末をしないようです。あちらこちらに糞が放置されたままでたびたびフンづけました。というわけでわたくしの訪れた103ヶ国では一番:***。
さてフランスでの最初の観光はパリでしたがヴェルサイユ宮殿がツアーコースにはなかったので別行動でヴェルサイユ宮殿に行きました。ルイ14世(1638~1715)(写真上)の建てた宮殿でフランス絶対王政の象徴する建造物といわれています。なぜか内部の写真がありません。なぜかよく記憶にはないのですが、撮影禁止? 内部での案内は前述の他国の悪口を言うガイドでわたくしは頭に来ていました。そこで王妃の部屋の紹介があったときその後の説明がなかったので、王妃の出産にはたくさんの人が立ち会っていたこと、そしてその意味を説明しろとケチをつけたことがこのヴェルサイユ宮殿の一番の思い出です。

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「英国物語」ロンドン3 大英博物館とハイドパーク

2020年12月16日 07時50分13秒 | イギリス

 帰国前日のロンドンの午後は自由時間でした。わたくしは大英博物館に出かけました。世界最大の博物館でじっくり見て回れば少なくとも1週間は必要だとされています。
無知な私は入場料が無料だということは知りませんでした。考えてみればそれはある意味で当然のような気がします。というのは、この「大英博物館」は帝国としてのイギリスの象徴だからです。「地球の歩き方」(p80)では「大英帝国の略奪のたまもの」、ウイキペディアでは「イギリス人自身にも『泥棒博物館』や『強盗博物館』などとも揶揄される」と述べられています。したがって今でも各国、各地からの返還要求があります。パルテノン神殿の彫刻像や浮き張りの返還をギリシア政府が要求しているのもその一つです。
 前置きが長くなりましたが、入り口を入ってすぐに出会ったのがこのロゼッタストーン(写真左上)(注)でした。ちょっとびっくりしました。手で触ることができる感じで展示してあるので。無知な私は一瞬これはイミテーションではないかと思い「これ本物ですか?」と係の人に尋ねました、本物との返事でした。
 (注)ナポレオンのエジプト遠征で見つけた石碑で3段にわたって異なる文字で同一の内容が書かれています。下の1段がギリシア語で書かれていたので上の2段のエジプト文字がシャンポリオンによって解読され古代エジプトの理解が進みました。

 そののち、世界的な宝物の連続で無学な私にはほとんど理解不能のショックもあり体調不良になり2時間で退散しました。あとでの反省で「マグナカルタ」だけは見ておきたかった。
 最後の日の午前中も自由時間だったのでハイドパークでウロウロしました。(写真右中、下)
 今回で「英国物語」を終わります。次回からは「フランス物語」です。

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「英国物語」ロンドン2 観光名所

2020年12月13日 07時53分09秒 | イギリス

 写真上は「世界一美しく豪華な橋」といわれているテムズ河に架かる1894年完成のタワーブリッジです。
(写真下)左側からウエストミンスター寺院、国会議事堂、ビッグベンと呼ばれている時計台です。(各建物の説明は省略)河は勿論テムズ河です。
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「英国物語」ロンドン1 地下鉄と2階建バス

2020年12月10日 07時51分25秒 | イギリス

 ロンドンに戻ってきました。ロンドンの地下鉄は世界最古(1863年)というわけでちょっと夕食前に体験。写真中は車内での私ですが、両脇の女性の表情は?
 写真下は著名な「ルートマスター」と呼ばれる2階建バスです。この当時は普通の路線バスで活躍していましたが、現在は観光用だけのようです。
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「英国物語」ストーンヘンジ

2020年12月07日 07時50分58秒 | イギリス

世界文化遺産で巨石文化の代表的の建造物ストーンヘンジを訪れました。あまりにも有名なので紹介するまでもありませんが、念のため少し。
紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えている。そして、それを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。(ウィキペディア)
 毎日1000人が8時間フルに働き10余年を要した(世界歴史体系イギリス史1p16)ちなみに仁徳天皇陵は 1日8000人 15年8か月(大林組算定)(NHK知恵泉2020年11月?日)
遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない(ウィキペディア)
しかし、原聖はその著「ケルトの水脈(2007年)p82」で「月の満ち欠けや日食・月食を観察するための、天文台であったことはほぼ立証されている」としています
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「英国物語」バース

2020年12月04日 07時51分58秒 | イギリス

 温泉で有名なバースに向かいました。その日の夕食は「昔、バースの社交場で流れた音楽の生演奏を聴きながらちょっぴり優雅な夕食」(添乗員亀井さんのメモ)(写真左上)
 バース(風呂)という言葉の由来についてバースという地名からバースが風呂という意味になったといわれていますが、ウィキペディアによれば反対でもともとのアグロサクソン語の風呂という意味からこの地がバースと命名されたとのことです。
 風呂好きのローマ時代に始まりますがローマ撤退以後は荒廃し18世紀になって再発見されました。(注)しかし私の訪問時(1997年)は博物館という扱いで入浴はできませんでした。そこで足湯を楽しみました。(写真右)その後(2007年)現在は入浴できるようになったそうです。しかし私の経験ではヨーロッパでは温泉入浴はあまり一般的ではないように感じます。この時は温泉水を飲みました。その他ヨーロッパで温泉地を訪ねたことがありましたが、そこでも入浴ではなく温泉水を飲みました。
 写真左下は街角風景です。
 (注)中世、近世時代のヨーロッパ人はあまり風呂は好きではなかったようです。それについてはこのブログ2009年7月23日、2019年1月5日に紹介しています。スペイン女王イザベル(在位1474~1504)の言「キリスト教徒たる者は、むやみに水を浴びたり、風呂に入るものではありません。あれはモーロ人(イスラーム教徒)の風習ですから」(というわけで香水の登場)
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「英国物語」チェスター2

2020年12月01日 07時51分31秒 | イギリス

 城壁(3.2㎞)を散歩しました。(写真左) ディ河に架かる橋です。(写真右上)
 写真右下はまさに中世の面影を残す「お触れ役人」の登場です。中世では文字が読めない人が多いので市の決まりなどをこのようにして触れて歩きました。(日本の方が識字率は高かった?)
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