100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ギリシア」編 グローバル化4 エメラルド号

2007年04月29日 08時27分45秒 | ギリシア

 今回のギリシア旅行では私には似つかわしくない2万7千トンの豪華客船エメラルド号の4泊5日のエーゲ海クルーズがありました。気になったのはタイタニック号の遭難時に見られたような船室間の差別でした。しかしそれはなかったようですが、船員間の階級差?は厳然としてありました。上級船員は常勤で、それ以下は4ヶ月程度の短期雇用者です。彼らは世界各地からの出稼ぎ労働者たちです。

 乗船して船室まで私を案内してくれたのはマレーシア人でした。(写真は船室内) 

 夕食時に忙しく働いている一人に何処の国の人かを尋ねると、近くにいる人が彼はエジプト人で「ファラオー」(古代エジプトの王)で、俺はギリシア人で「アレクサンダー大王」だ、と楽しく話してくれました。いっぺんにこのクルーズが楽しくなりました。

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「ギリシア」編 グローバル化?3

2007年04月27日 08時53分07秒 | ギリシア

  創価学会のグローバル化?はかなりのようです。ついでにパナマで出会った創価学会員を紹介しておきます。ルイス・マシアスという現地ガイド(写真)で8ヶ月前におばさんに折伏されて学会員になったそうです。パナマには3000人の信者がいるそうです。相貌から見て純血ではないようですが、先祖は17世紀にスペインのカタルーニアからパナマにやってきたそうです。

 奈良の西谷さん 読んでいただいているでしょうか。機中で話題になった「カタコーム(カタコンベ)」とキリスト教徒迫害について2005年12月27日、29日、31日と2006年9月26日、27日に書いているので読んでいただければ幸いです。

 またウイキペディアを参考にしたものに2006年12月9日などがあります。その中でウイキペディアには関係がありませんが、そこで紹介した「海国図志」について最近出た岩波新書の「幕末・維新」に面白い話がありました。(段々オシャベリがいつものようにエスカレートしました。ごめんなさい

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「ギリシア」編 グローバル化・2

2007年04月27日 08時46分13秒 | ギリシア

  写真はこのブラジル人のサインです。SGI が創価学会を意味するそうです。

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「ギリシア」編 グローバル化?1

2007年04月27日 08時42分06秒 | ギリシア

  2006年5月7日~5月11日の「シリア・レバノン・ヨルダン」編で「多様な人たち」、2006年11月9日~12月5日では「中国シルクロード」編で「多民族国家中国」と題して駄文を書きましたが、今回のギリシアでも多民族、多人種の平和共存?を見てきました。

 2006年5月7日ではエミレーツ航空の乗員について紹介しましたが、今回も利用した飛行機はエミレーツでした。ブラジル人がいました。(写真)彼は仏教徒で創価学会員でした。

 誤解があってはいけないので念のため私の宗教観を述べておきます。無宗教でラディカルな無神論者です。しかし、宗教、宗教を信じている人に対して強い関心を持っています。

 Colo さんコメントありがとうございました。このコメントの中で伊藤さんの話が面白かったとあり、それに関連して林真理子と岸恵子の対談が紹介されております。興味のある方はコメントとあるところをクリックしてお読みいただければ幸いです。

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「イエメンとサダム・フセインについての伊藤さんからの寄稿」

2007年04月25日 09時15分14秒 | 伊藤氏寄稿文

 も一つは、以前紹介した「ユーラシア旅行社」の添乗員で私が中米でお世話になった伊藤三智夫さんからの寄稿と写真です。新聞社の特派員も書かない(書けない)貴重なイエメンの話です。

 なお、文中の人名については私の判断でAさんと変更しました。今後とも堪能な語学力、豊富な知識、あくなき好奇心でこのような話を寄稿していただけることになっているのでご期待ください。

 なお、2005年11月11日のアイルランド原爆追悼碑について当局への照会していただき、その返事を2007年2月26日に記載しています。またエルサルバドルでのデモ隊のビラの翻訳、アメリカ合州国のヒスパニック化についてもコメントをいただいています。(2007年2月4日、2007年2月10日) 伊藤さんありがとうございました。今後ともよろしく。

 「昨年末、イラクで起こったサダムフセイン前イラク大統領に対して執行された突然の死刑には驚かされたけど、イエメンでのサダムフセインの人気にはもっと驚かされた。

 中近東ではどこの国でも自国の大統領であったり、首相であったり、国王であったりの写真を町で見かけることがあるけどイエメンではサダムの写真をいたるところで目にした。 イエメンはアメリカとは友好関係にあるので政府はサダムに対して冷淡だけど一般庶民のサダムに対する同情はとても大きかった。

 乗用車のウィンドウ、お店の壁などにサダムのニコニコした顔のポスターが貼ってありサダムのポスターやプロマイドみたいなものを売る店まである。  

 今回同行してもらったAさん(50歳、7人の子持ちで一番上の娘さんは今年結婚孫が最近生まれた。リベラルなミドルクラス。)に質問してみた。 イエメンの庶民はAさんもふくめサダムには深く同情している。サダムはアラブ人で最も偉大な英雄の一人だそう。なぜならアメリカに異をとなえて、しかも戦ったから。他のアラブの政治家がアメリカに文句ひとついえないなかサダムだけがアメリカにノーを突きつけた。またパレスチナの難民を支援している。

 イエメン人に言わせると、サダムが評判悪いのは欧米のプロパガンダ(悪宣伝)のせい。 イエメン人の多くは、2001年9月11日のNYのテロもアメリカとイスラエルの自作自演と信じている人が多い。新聞でそんな記事を目にしたことがあったけどまさか自分の耳で聞くとは思っていなかった。

  こんなこと書くとイエメンは理解しがたく怖いようだけど、イエメン人はとても親切でフレンドリーな人ばかりだった。イエメンから帰ってきても彼の国に対する印象はものすごくいい。Aさんとチャイを飲みながら話したことが非常に印象に残っているのでここで思い出してみました。 」

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平生三郎公園についての東洋紡からの寄稿

2007年04月25日 08時59分40秒 | エルサルバドル

 23日に帰宅しましたが、その間にかねてから依頼をしていた2通の寄稿をいただきました。そこで本日はそれを掲載させていただきます。 

 最初は、2007年4月14日に紹介したエルサルバドルの平生三郎公園について東洋紡広報室の三谷直子さんからいただいた写真と文章です。そのまま転載します。三谷さんありがとうございました。  

 「昭和30年呉羽紡(後に東洋紡と合併)は、エルサルバドルへ進出し、ユサ社を設立しました。まだ、エルサルバドルには日本大使館もない時代です。  呉羽紡でエルサルバドル進出に心血を注ぎ、身命を賭したのが平生三郎(後の東洋紡副社長)です。平生は、昭和48年、東洋紡ブラジルへの出張の帰路エルサルバドルに向かう途中に急逝しました。  平生の功績を讃えるため東洋紡は、『ヒラオ・サブロー公園』の建設費用を寄付しました。  庭園の銅版には、『この日本庭園は、生前エルサルバドル国の文化と経済の発展のために大きな貢献をされた平生三郎氏の偉業を記念して、エルサルバドル国民が感謝の気持ちをこめて造園したものであり、同氏の崇高な精神と努力の象徴である』とあります。

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「ギリシア予告編」

2007年04月05日 08時54分06秒 | ギリシア

 この4月7日~22日までギリシアに行ってきます。春うららの東地中海のきれいな写真を紹介できればと思っています。帰宅は23日の予定なのでそれまでこのブログを休載します。再開は25日を予定しています。「中国シルクロード」も「中米」も半分くらい残っていますので今後、「ギリシア」とあわせて交互に紹介していきたいと思っています。 

 画像は旅程図です。

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「海外で出会った日本」編27 武道3

2007年04月03日 09時07分06秒 | チェコ・スロヴァキア・ハンガリー

 これはチェコのプラハで見かけたものです。私は囲碁が道楽なので外国で囲碁の看板を見つけて道場荒らし?をしたいと思っているのですがいまだにその機会に恵まれません。

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「海外で出会った日本」編26 武道2

2007年04月03日 08時59分07秒 | フランス

 これはフランスのニースで見かけたものです。嘉納治五郎の写真入はさすがに珍しいですね。

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「海外で出会った日本」編25 武道1

2007年04月03日 08時53分33秒 | ドイツ

 ヨーロッパではこのような看板を見るのはそれほどめずらいいことではありません。この写真はドイツハイデルベルクで見かけたものです。

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「海外で出会った日本」編24 ネパール3チトワン国立公園 熱川バナナワニ園

2007年04月01日 08時19分45秒 | ネパール

 「熱川バナナワニ園」の木田裕巳さんから以下のようなメールと写真が送られてきました。そのまま転載します。

 なお、このワニの呼び方ですが、英語名がガリアルで学名がガビアルのようです。また、このワニについての詳しい情報はこの「熱川バナナワニ園」ホームページをご覧ください。

 始まりは。

「先代の園長木村亘(きむらわたる)と戦友だった日本山岳会の丹部節雄(たんべさだお)さんという方(今年1月にお亡くなりになりました)がヒマラヤ登山等の際ネパールに幾度と基地を構えている間に知り合いになったネパール政府高官を紹介して頂いた。当園の顧問の要職に就いて頂いていた。ということのようです。」 

 その後。

 「昭和53年6月 インドガビアルの卵39個を導入し人工孵化に4頭成功。昭和54年10月 ネパールよりワニ飼育の実習研修生1名を1ヶ月受け入れる。昭和58年4月22日 ネパール政府よりインドガビアル8頭卵39個の寄贈を受け13頭孵化に成功。昭和60年5月25日 ネパール政府よりインドガビアルの卵34個、内29頭孵化、とヌマワニの卵20個、20頭孵化が寄贈される。昭和61年7月27日 ネパール国キング・マヘンドラ自然保護基金会長のギヤネンドラ殿下(ネパール国王の弟)夫婦一行が来園。以上がネパールとの交流の概略です」 

 木田さんありがとうございました。

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