100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「南イタリア、シチリア、マルタ」編 タオルミーナ9

2014年08月30日 08時23分03秒 | イタリア

 この街の中心を通るメインストリートのウンベルト通り風景です。なんとなく気に入り撮影しました。

 「付録」 「想い出のつぶやき 旅のトレビア」1 この世は誰が造ったのか 

 私はラディカルな無神論者ですが、宗教(者)には強い関心があります。旅行では宗教や政治を話題にすることはタブーで特にキリスト教やイスラーム教圏では無神論であることの表明は絶対に避けるべきだと言われているようです。しかし私は自分が無神論者であるとよく言います。しかしそれで問題になったことは今までありませんでした。記憶がだいぶ薄れたのでどこの国だったかはよく覚えていませんが、キリスト教圏の国の街でぶらぶらしていた若者と出会い何かの拍子で自分は無神論者であると発言しました。その時若者は「それでは誰がこの世界を造ったのか?」と反論してきました。後から考えれば至極当然な普通の反論です。私は沈黙でした。しかし、この反論をいまだに鮮明に思い出します。それは多分日本では「誰が此の世界を造ったのか」と反論する人はあまりいないからではないかと思います。このような宗教観、世界観にはあまり日本人には縁がないように思いますが、みなさんどのように思われますか? 今では「それではその世界を造った神は誰が造ったのか」と反論する予定にしているのですが。

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「南イタリア、シチリア、マルタ」編 タオルミーナ8

2014年08月30日 08時19分24秒 | イタリア

 タオルミーナ市街地の写真を2枚紹介します。

 これはコルヴァヤ館と呼ばれている建物で10世紀アラブ人によって建築されその後改築された複合建築物です。

 

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「南イタリア、シチリア、マルタ」編 タオルミーナ7

2014年08月27日 08時16分26秒 | イタリア

 

 カステルモーラという町の中心より5kmほど行ったところからの素晴らしい展望です。宿泊したホテルは海岸沿いの中心に見える白くなったところの近辺だと思います。

 秀美さんコメントありがとうございました。

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「南イタリア、シチリア、マルタ」編 タオルミーナ6

2014年08月27日 08時13分34秒 | イタリア

 この海岸より少し行ったところに映画「グラン・ブルー」(私は知らない)のロケ地になった「イソラ・ベッラ」という小島がありました。

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「南イタリア、シチリア、マルタ」編 タオルミーナ5

2014年08月27日 08時10分30秒 | イタリア

 

 1996年に撮影したこの海岸の写真です。これでわかるように当時は漁村の風景でした。今はホテルのプライベートビーチになっています。

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「南イタリア、シチリア、マルタ」編 タオルミーナ4

2014年08月27日 08時07分53秒 | イタリア

 

 私たちが泊まったホテルはタオルミーナの市街地からは少し離れた海岸沿いにありました。早朝の景色です。

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「南イタリア、シチリア、マルタ」編 タオルミーナ3

2014年08月24日 08時17分57秒 | イタリア

 今回のギリシア劇場は何かイベントでもあるようでごたごたしているので前回1996年に訪れた時の写真を紹介しておきます。

 

 「付録」 「想い出のつぶやき エンディングノート」3

写真の左側の若者は私のたった一人の子供、今は亡き「ミツホ」です。2002年11月23日チェコのプラハで自殺しました。私は遺体を引き取りにプラハには行きませんでした。チェコの大使館に遺品も含めて遺体を現地で焼却してくださいと頼みました。他人から見ればなんとむごい冷酷な親と思われるでしょう。いまもその処置が正しかったかどうかは判断ができませんが、後悔はしていません。

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「南イタリア、シチリア、マルタ」編 タオルミーナ2

2014年08月24日 08時13分29秒 | イタリア

シチリア島で最初に訪れたのはタオルミーナでした。シチリア島のチェルファニー、パレルモ、シラクーサについてはすでに紹介しました。これらの地域と同じくこのタオルミーナも多種多様な民族、国家が行き還りしました。それを象徴しこの地の代表的観光スポットが「ギリシア劇場」です。シラクーサに次いでシチリアでは2番目に大きい古代劇場です。名前の通り紀元前3世紀にギリシャ人によってつくられましたが、紀元後2世紀にローマ人によって円形劇場として改築されました。添乗員の村上さんが大学時代に受けた講義を基にその改築の内容を説明してくれました。かなり専門的なうえに私の記憶力の貧困さでここにその内容を紹介できないのが残念です。

背後にかすかに見える雲に隠れている山がエトナ山です。

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「南イタリア、シチリア、マルタ」編 タオルミーナ1

2014年08月24日 08時09分48秒 | イタリア

 

 南イタリアを南下して、半島のつま先から船でシチリア島へ向かいました。写真は船から見たシチリア島です。

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「南イタリア、シチリア、マルタ」編 ロコロトンド2

2014年08月21日 08時09分52秒 | イタリア

 

 「チビ」たちが歓迎してくれました。

 

 「付録」 「想い出のつぶやき エンディングノート」2

  母親との想い出をもう一つ。晩年病院に入院していた母親を見舞っていた時、看護婦さんが注射をしてその痕をもむように私に指示しました。私は数分間指示どうりにもみました。その時、彼女は私に「このようなことをしてもらえるなんて夢にも思わなかった」この言葉は私と母親との今までの関係を象徴するものでした。

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「南イタリア、シチリア、マルタ」編 ロコロトンド1

2014年08月21日 08時06分25秒 | イタリア

 マテーラの近くの「イタリアで最も美しい町」と言われているロコロトンドを観光しました。ロコロトンドは“Locorotondo”と綴りますが、母音の”O”が5つも付くのでこれが世界記録というわけでギネスブックに登録されています。また、ロトンドは「丸い」、ロコは「場所」という意味です。したがって町は円形をしていますが残念ながら上空からの写真でしか見ることはできません。

  町はロンリープラネットの表現によれば「星雲のように白く輝いていました」(p716)

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「南イタリア、シチリア、マルタ」編 マテーラ6

2014年08月18日 08時19分44秒 | イタリア

 サッシに帰った人たちはおもに観光業に携わっていています。写真はサッシの内部で当時の家族写真です。

 「付録」 「想い出のつぶやき エンディングノート」1

  80歳になり余命いくばくも無くなってきました。そこで今までブログでも触れなかった海外でのちょっとした想い出や、80年間の想い出を時々つぶやきたいと思います。

  最初は母親の想い出から。私は一人子でしたが、母親に甘えた思い出はありません。私には冷たいヒステリックな母親でした。その母親の死直前の言葉には感動しました。「神や仏を信ずる人は幸せだ。しかし私は信じられない」この言葉は忘れることはできません。私は「信じられない」ではなく「信じない」ですが。

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「南イタリア、シチリア、マルタ」編 マテーラ5

2014年08月18日 08時16分11秒 | イタリア

 このサッシは1950年頃には南イタリアの貧困の象徴とされるような状況となり乳幼児の死亡率が50%に達するような悲惨な状態になりました。そこで政府は1950年代後半に新しく公営住宅を建設し1万5千人の住民をそこに強制的に移住させました。サッシは完全に廃墟になりましたが、その後に世界遺産の指定を受けることなどで観光客が訪れるようになり現在では4分の1程度のサッシに人が戻っています。

 車が通れるような道もないのですが。珍しく車が見えたので撮影しました。

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「南イタリア、シチリア、マルタ」編 マテーラ4

2014年08月18日 08時11分34秒 | イタリア

 

このマテーラ洞窟都市の模型です

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「南イタリア、シチリア、マルタ」編 マテーラ3

2014年08月15日 08時11分31秒 | イタリア

近づいてみるとこのようです。

 

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