100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ロマンチック・ドイツ」編 ハンブルク

2021年03月31日 07時53分10秒 | ドイツ

 ブレーメンからハンブルクに向かいました。ハンブルクは中世よりハンザ同盟の中心的役割を果たした都市の一つでもあり、エルベ川沿いの港湾商業都市として発展しました。そこでその港湾をクルーズしました(写真左上)。コンテナ貨物用の巨大な倉庫群がありそれが世界遺産になっています(写真左下)。ここはライトアップされた夜が素晴らしいようです。
 写真右は街角風景です。
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「ロマンチック・ドイツ」編 ブレーメン

2021年03月28日 07時53分02秒 | ドイツ

 ケルンからハンザ同盟の主要都市の一つであったブレーメンまで3時間の列車の旅でした。列車のトイレに行きました。びっくりしました。トイレは筒抜けで線路が見えました。そうです排泄物はそのまま線路です。1998年ですが、日本ではこのようなトイレはもうなくなっていました。ドイツで?
 列車内では客が大声で話していました。この前のフランス旅行の時わたくしの声が大きいと同行の方にしばしば注意をされたことを思い出しました。何となく気分が楽になりました。写真左上はブレーメン中央駅です。
 ブレーメンはグリム童話の一編「ブレーメンの音楽隊」の舞台になったことで有名です。写真右は音楽隊志願の動物たちの像です。下からロバ、イヌ、ネコ、ニワトリです。
 ブレーメンの名物通りのベトヒャー通りに光の天使が竜と戦っている金のレリーフがありました。(写真左下)
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「ロマンチック・ドイツ」編 ボン

2021年03月25日 07時51分51秒 | ドイツ

 ボンはドイツが東西に分裂していた時代に西ドイツの首都でした。しかし何といっても有名なのはボンがベートーヴェンの生地ということです。その生家(Geburtshaus)が博物館として紹介されています(写真右下)。写真上はここでもらった観光リーフレット日本語版の最初のページです。
 その後ボンのライン河沿いにぶらぶらしました(写真左下)
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「ロマンチック・ドイツ」編 ケルン、ブリュール

2021年03月22日 07時54分37秒 | ドイツ
 
ライン川クルーズの後、BC50年からの古都ケルンへ向かいました。ケルンの名前は古代ローマ帝国の植民地コローニアに由来します。写真上は当地の観光リーフレットの表紙です。中心に見えるのがケルン大聖堂です。尖塔の高さは157mです。歴史は古く1248年起工以来600年を得て1880年に完成されました。当時のわたくしのメモには「ミラノのほうが壮大な感じがする」とありました。河は勿論ライン河です。橋は鉄道橋ですが歩道がついているホーエンツォレルンです。写真左下はここに遊び(勉強)に来ていた子供たちです。
 次にケルン近郊のブリュールの世界遺産にも指定されているアウグストゥブルグ城を訪れました。(写真右下)1994年までは、ドイツの大統領が国賓をもてなすレセプション・ホールとして使われていました。
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「ロマンチック・ドイツ」編 ライン川クルーズ2 ローレライ

2021年03月19日 07時52分08秒 | ドイツ

 クルージングではたくさんの観光客と一緒でした。子供たちも船内を楽しんでいました。クルーズの目玉の一つがローレライです。画面下にLORELEYと表示されていますね。精霊の伝承を基にハインリッヒ・ハイネの詩が有名です。しかし一見したところ何の変哲もない岩山です。ということで「世界3大ガッカリ名所」の一つです。あと二つをご存じですか?2006年2月15日、17日紹介しています。(左欄のカレンダーで検索ください)
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「ロマンチック・ドイツ」編 ライン川クルーズ1

2021年03月16日 07時52分32秒 | ドイツ

 ライン川クルーズはリューデスハイムから始まりました。リューデスハイムはワインの産地としても有名です。この町名所は中世のたたずまいを残すツグミ横丁です。そこはワインケラーやレストランがひしめき合っていました。そこで同行者とワイン(モーゼルワイン?)をいただきました。(写真左上)しかし味はいまいちでした。2月23日に紹介したフランケンワインの”trocken”の方が数段上でした。
 写真左下と右は船からの風景です。右は17世紀から廃墟となっているエーレンフェルス城です。ライン川にはこのような古城がたくさんあります。その多くは船から交通税をとる今でいえば税関の役割を果たしていました。14世紀には64もの税関がありました。
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「臨時特別編」 韓国で出会った東日本大震災

2021年03月13日 07時53分12秒 | 韓国

 (2011年4月15日、18日のリメイク再録)
 東日本大震災の直後2011年5月1日〰10日韓国旅行をしました。最初の訪問地は済州島でした。空港での最初のお迎えは放射線検査の器具を持った係員でした。ビックリでした。写真を撮らしてもらうように頼みましたが拒否されました。
 済州島のホテルにある新聞を見るとハングル文字の新聞のなかに英字新聞が置かれていました。ハングル文字は全然わからないのでこの英字新聞をのぞいてみました。” The Korea Herald “ という韓国の英字新聞でした。そのトップ記事が「放射能雨に対する韓国人の用心深さ」(Koreans wary of  radioactive rain )という見出しの記事と写真でした。写真の説明は「通学中のソウルの生徒が放射能から身を守るために傘をさしマスクをしている」です。
 釜山のホテルで釜山プサン市が日本人観光客向けに出している月刊紙を見ました。説明は「募金活動やバザーなど、日本を支援するための運動が釜山のあちらこちら行はれている」と書かれていました。
写真はソウル南大門市場で見かけた張り紙です。

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「ロマンチック・ドイツ」編 ハイデルブルク3 学生牢

2021年03月10日 07時53分03秒 | ドイツ

 街を散歩していて出会いました。(写真右上)「柔道」は時々見かけますが「武道」は初めてでした。
 写真左、右下は同じ室内ですがなんだと思いますか。落書きで埋め尽くされていますね。実は1712年から1914年まで実際に使用されていた「学生牢」の一室です。大学は高度な自治権をもっていました。そこで大学当局は学生に対しての裁判権を持っていました。そのための牢でした。学生の中にはここに入るのがカッコいいと考える者もいてこのような落書きをしたようです。また、裁判、入牢に対して手数料、罰金が課されそれが大学当局のかなりの収入になったそうです。(「ドイツ歴史の旅」坂井栄八郎著p98)
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「ロマンチック・ドイツ」編 ハイデルベルク2

2021年03月07日 07時52分17秒 | ドイツ

写真右上はハイデルベルク城から見た市街地です。写真左は13世紀建設のハイデルベルク城の一角です。写真右中はディッカーと名付けられている防衛施設です。ここでの最大の見ものは写真右下のワイン大樽です。高さ8メートル、22万リッターの容積の1751年制作です。
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「ロマンチック・ドイツ」編 ハイデルブルク1

2021年03月04日 07時52分15秒 | ドイツ
 ドイツ入国はフランクフルトでしたがそこでの観光はなく、すぐにハイデルブルクへ向かいました。ヒトラー唯一のプラス遺産のアウトバーンをバスで通過しましたが、かなり老朽化しているようでバスがガタガタ揺れました。
というわけで、ハイデルブルクが最初の観光地でした。50万年前のハイデルベルク原人、ドイツ最古の大学、11世紀起源のハイデルベルク城で著名な観光都市です。 写真右上はネッカー河に架かる通称アルテブルッケ(正式名カール・テオドール橋)で後方に見えるのがハイデルベルク城です。
写真左はアルテブルッケの入り口です。
写真右下はこの橋のたもとにある「サル」ですが、その由来を聞いたような気がしますが忘れました。調べてもわかりませんでした。ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
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「ロマンチック・ドイツ」編 忘れられない人物写真3枚

2021年03月01日 07時49分32秒 | ドイツ

(写真左)(2006年1月2日再録修正)場所はドイツメルヘン街道にあるグリム童話「ブレーメンの音楽隊」で有名なブレーメンです。その市庁舎横の「ブレーメンの音楽隊」の像の前で撮った写真です。異国のヘンなジジイにも嫌がらず嬉々として一緒に写ってくれたこの少女に感謝です。今思い出しても涙が出るほど楽しい想い出の一枚です。わたくしのこのような笑顔は自分でも見たことがありません? この少女もお母さんになっているかな。

(写真右上)(2008年9月17日再録)観光地で有名なローテンブルクを自由時間にぶらぶらしていると立派なひげを生やし少し怖そうな老人に出会いこの日のために覚えてきたドイツ語「貴殿の写真を撮らしていただけませんか」(そのドイツ語は今は忘れました)を恐々としゃべりました。 すると顔に似合わず?気さくに応じてくれました。なぜかいまだに忘れることのできない人です。

(写真右下)(2006年1月4日再録) バンベルクのレグニッツ川で水遊びをしていたコドモたちがいたのでツザメンzusammen(ドイツ語で「みんな一緒に集まれ」と言っているつもり)というと通じたのかみんな集まってくれました。

 三枚の写真の共通点はNHKのドイツ語講座で学んだわたくしの稚拙なドイツ語での働きかけでした。
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