100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

89
歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「韓国」編 日本と韓国47  景福宮キョンポックン1 明成皇后殺害現場1

2011年06月24日 08時11分10秒 | 韓国

ツアー最後の日はソウル2日目で午後3時までの自由時間でした。オプションは北朝鮮が望める統一展望台でした。最初はこのオプションに申し込みました。しかし、予習をしているうちに日本の植民地時代(韓国では日帝時代)に関連する所が意図的に除外されていることに気づきました。そこでオプションをキャンセルして意図的に除外されていると思われる所を回ることにしました。パゴダ(タプコル)公園、景福宮、安重根義士記念館、西大門刑務所歴史館をリストアップしました。そのうちパゴダ公園については前日買い物の時間を利用して訪れたことを421日に紹介済みです。

 

 景福宮は朝鮮王朝をおこした李成桂(太宗)(在位1392年~1408年)が1394年に建てた王宮です。1592年の文禄の役(韓国では壬辰倭乱)で破壊、1865年再建されました。1895年国王の妃、明成皇后(閔妃)がこの宮殿で殺害されました。当時日本とロシアは朝鮮への影響をめぐって互いに対立していました。(結果は日露戦争)その時日本は明成皇后を親ロシアとみなし日本の駐韓公使三浦梧楼の指示を受けた人たちがこの宮殿の坤寧閣に乱入し虐殺しました。

 

 「日韓交流の歴史」は「より深くするために」で以下のように記述しています。

 「明成皇后殺害事件の重要性を学んでほしい。日本の朝鮮侵略は、日露戦争から本格化するが、その前に高宗国王の后を王宮内で殺害するという重大事件を起こしている。この事件は、日本の公使が関与していた点が重要で、さらに実行した人物が全員無罪となったという異常な事実も見逃せない」(p386

 三浦梧楼はその後枢密顧問官、宮中顧問官などの要職に就きます。

 

 その殺害現場に碑があるというのでこの宮殿の敷地内を探しました。ところがこの敷地は広大で方向音痴の私は迷子の状態になりました。キョロキョロしているとある建物の前で家族を案内していたお父さん(またはガイド?)のミョンソン(明成)という言葉が聞こえました。どうやらここがそのようです。坤寧閣という字が見えます。間違いありません。(写真の左上をご覧ください)

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「韓国」編 日本と韓国46 ... | トップ | 「韓国」編 日本と韓国48 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

韓国」カテゴリの最新記事