100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

89
歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「西アフリカ」編 ガーナ共和国 エルミナ3

2011年02月27日 08時10分08秒 | ガーナ

 金→奴隷とヨーロッパ列強の富の源泉であるエルミナは彼らの争奪戦の地でもありました。1482年ポルトガル→1637年オランダ→1872年イギリス→1957年独立。ヨーロッパ列強の消長をそのまま表しています。

 今は人口2万人の漁港になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「西アフリカ」編 ガーナ共和国 エルミナ2

2011年02月27日 08時06分34秒 | ガーナ

 その後、金は急速に枯渇し、この地はアメリカ大陸での砂糖、タバコなどのプランテーション栽培、金銀の鉱山の労働力として大量の奴隷輸出港になります。もちろんエルミナも重要な奴隷輸出港になりました。写真はこの砦に残されている「アメリカに送られる奴隷(slave )の船待ちの出口」です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「西アフリカ」編 ガーナ共和国 エルミナ1

2011年02月25日 08時20分49秒 | ガーナ

 私の子供時代はこのガーナや後日紹介予定のベナンに当たる地域すなわちギニア湾沿岸の地名は黄金海岸、象牙海岸、奴隷海岸などの名前でした。もちろんこれらの名前はヨーロッパ列強がこの土地から持ち出した商品にちなんで付けたものです。「海岸」というのもヨーロッパ列強が大陸内部にまで支配の手を伸ばしたのではなく海岸地域で砦を築きそこからアフリカ人国家と取引をしていたことを現わしています。

 この地に最初にやってきたヨーロッパ人はポルトガル人でした。そしてこの地に最初に築いた砦がエルミナです。1481年のことでした。(1482年説あり)エルミナというのはポルトガル語で「金鉱山」という意味です。それから分かるようにここから大量の金が輸出されました。一説にはここを中心とした地域から16世紀初頭には地球に存在する10分の1の金が輸出されとされています。なお、2007年6月28日にヨーロッパと西アフリカの金交易について少し紹介しているので参考にしてください。

 写真はサハラ以南で最古のヨーロッパ建築とされ世界遺産に登録されているエルミナ砦です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「西アフリカ編」編 ガーナ共和国 野口英世2

2011年02月23日 08時26分58秒 | ガーナ

 彼の胸像が研究所にありました。頭の白いのは私のカメラの腕前がまずいのか、はたまたカメラ屋さんのプリントが悪かったのか、実際そうであったのか、今になってはよくわかりません。(2002年撮影)

 子供の夢を壊すような本を数年前に読んだことを思い出しました。ベストセラーになった福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」です。

「数々の病原体の正体を突き止めたという野口の主張のほとんどは、今では間違ったものとして全く顧みられていない」(p21)

「渡辺淳一の野口評伝『遠き落日』には「結婚詐欺まがいの行為を繰り返し、許嫁や彼の支援者を裏切り続けたと活写している」(p22)

 これらの話は専門家の間では常識のようです。

 真実とは冷酷ですね。

 児童文学「野口英世伝」はいつまで生き残るかな。千円札の運命は?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「西アフリカ」編 ガーナ共和国 野口英世1

2011年02月23日 08時22分57秒 | ガーナ

 児童文学の偉人伝のトップはで何と言っても「野口英世伝」です。彼が黄熱病研究でアフリカにわたりその黄熱病に罹り亡くなったのはここガーナのアクラでした。(1928年)アクラ近郊に彼を記念した日本政府からの寄付で建てられた研究所がありました。(1979年)最近また研究充実のため日本政府の寄付の話があるようですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「西アフリカ」編 ガーナ共和国 アクラ

2011年02月21日 08時26分52秒 | ガーナ

マリの次の訪問国はガーナでした。マリの首都バマコからガーナの首都アクラへ午後飛行機の予定でしたが予定の時間に飛ばなくてホテルと空港の間を何回も往復した結局翌朝の出発となりました。ほとんで眠っていない状態でのガーナの第一印象は「暑い」でした。ということはマリが涼しかったということでもあります。マリでは朝夕は寒いと感じるほどでした。

 さてガーナといえば私の世代ではンクルマ(19091972)初代大統領です。

 サハラ以南のアフリカで1957年初めて現地人が中心となってヨーロッパ宗主国から独立を達成した国がガーナです。それが刺激になり1960年代はアフリカ独立のラッシュとなりました。その独立の父とされたのがンクルマでした。彼はまた「アフリカ合州国」を夢見た人でもありました。しかし、経済政策の失敗でクーデタが起き1966年失脚しました。

 写真はアクラにある彼を記念する公園です、中には入りませんでしたが彼を記念する小さい博物館もあるそうです。

 ついでにガーナの著名人を紹介します。7代国連事務総長(1997~2006)アナン(1938~)です。彼は2001年にノベル平和賞を受賞し、2006年の引退時にアメリカ合州国の覇権主義を批判しました。

 

 

 

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「西アフリカ」編 マリ共和国 現地ガイドのアブドゥラさん

2011年02月19日 08時23分10秒 | マリ共和国

 マリ共和国を通じてのガイドはアブドゥラさんでいた。名前でわかるようにイスラーム教徒です。ちなみにこの国の宗教はイスラーム教徒が85%、キリスト教徒が5%、伝統宗教が10%ぐらいです。彼は森本哲郎さんの著書「私のニジェール探検行」の時のガイドで森本さんの名刺を見せてくれました。彼は今マリは貧乏だが資源も豊富だし必ず豊かになると終始語ってくれました。

 その彼について後日添乗員の本橋さんが次のようなことを教えてくれました。本橋さんが彼に独立(1960年)以前の話を聞くと涙ぐんで語りかけたので途中で話をストップしたそうです。

 涙の理由はわかりませんが、今でもマリは世界10大最貧国の一つで生まれてくる赤ちゃんの24%が5歳までに死亡するそうです。(lonely planet Western Africa 5th edition

なぜか、かれの写真がありません。代わりに?首都バマコの空港を紹介しておきます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「西アフリカ」編 マリ共和国 モプティ→セグー→バマコ バマコの子供たち3

2011年02月17日 08時36分45秒 | マリ共和国

 可愛い赤ちゃんと母親。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「西アフリカ」編 マリ共和国 モプティ→セグー→バマコ バマコの子供たち2

2011年02月17日 08時34分08秒 | マリ共和国

 元気に働いていますね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「西アフリカ」編 マリ共和国 モプティ→セグー→バマコ バマコの子供たち1

2011年02月17日 08時30分44秒 | マリ共和国

 バマコで出会った子供たちの写真3枚。何を買うのかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「西アフリカ」編 マリ共和国 モプティ→セグー→バマコ バマコの市場3

2011年02月15日 08時38分58秒 | マリ共和国

 楽器屋のオヤジかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「西アフリカ」編 マリ共和国 モプティ→セグー→バマコ バマコの市場2

2011年02月15日 08時36分15秒 | マリ共和国

 時計屋さんです。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西アフリカ」編 マリ共和国 モプティ→セグー→バマコ バマコの市場1

2011年02月15日 08時33分27秒 | マリ共和国

 再びバマコに戻りました。市場です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「番外編」伊達直人現象に思う

2011年02月13日 08時21分06秒 | 時評

 

雑誌「週刊金曜日」211日号に私の投書が掲載されました。そこでこのブログにも転載します。

 

          伊達直人現象に思う

 

閉塞状況にある日本で最近の明るいニュースは伊達直人現象でしょう。日本でこのような行動が外国に比べてすくないのは「恥じらい」の精神が日本人には強いからであるとのテレビなどでの識者の指摘があります。

 私はそうではなく、このような善意の人がこの世にはいないと信じている多数の世間の人たちの常識が善意の人の行動を阻害しているような気がしています。

 私の乏しい経験を紹介します。ある時ある事情で米が余分になったので、何か福祉関係で役に立てばと思い地域の民生委員に相談しました。ところがその方はそのお米を買い取りましょうと言われました。少し唖然として無料での提供を言いました。ところが引き取り来られた時には高価な果物をお持ちになりました。少し悲しくなりました。

 知人の生活上のことで福祉事務所に連絡しました。その実態を話して説明をしたところ、そのことについての質問はほとんどなく、私と知人の関係について、「親戚か、近くに住んでいるのか」などの質問を執拗にされました。

 またある人の生活上の問題の相談に乗り解決したところお礼をもらうためにしたと噂が立ちました。

 伊達直人現象がこのような世間の常識の解消に役立つことを期待しています

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「西アフリカ」編 マリ共和国 モプティ→セグー→バマコ セグーの風景3

2011年02月11日 08時26分36秒 | マリ共和国

 子供がこんなゲームをしていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする