100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「出会いふれあい」編 ベラ人の少年

2024年08月27日 07時53分44秒 | 出会いふれあい

マリ共和国は1960年フランスから独立しました。そのとき奴隷制廃止が決まりました。世界最後の奴隷制廃止です。
 トンブクトゥの街中を観光している時、添乗員の本橋さんはここが昔奴隷だったベラ人の居住地だと案内してくれました。
ところが帰国してまもなく「環境と文明の世界史」(p155)という本を見てびっくりしました。「今でも奴隷制度が残っているのは北アフリカのトゥアレグ族ですよ。アムネスティ・インターナショナルが再三非難していますが、周辺の黒人種族を奴隷にして今もこき使っています」
  ウイキペディア(英語版)でも奴隷のいう名前は別として現実はそのまま奴隷が存続しているとしています。 
 トンブクトゥの自由時間でぶらぶらしている時1人の少年に出会いました。前述のトゥアレグ人の少年以上に片言の英語(というよりは殆ど通じない)でなんとなく会話をしていると物をねだる様子もなく家に来いというのでついていきました。何人かと尋ねても返事はありませんでした。家の中には何もなくなぜかヒチリンに火がありお湯が沸いていました。母親は病気らしく寝ていました。別れるときポツリと「ベラ人」だといいました。要求されませんでしたが、幾ばくかのお金を別れる時に渡しました。何人か?と聞いたこと、お金を渡したことが、良かったことかどうか、いまだに良く判りません。残念ながら彼の写真がありません。写真は彼の家です。

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「出会いふれあい」編 トゥアレグ人の少年

2024年08月23日 07時53分03秒 | 出会いふれあい

2002年マリ共和国のトンブクトゥの空港で飛行機待ちをしていた時1人の少年に出会いました。片言の英語で話をしました。勿論マリ共和国は多民族国家なので君は何人か?と尋ねました。彼の答えは「トゥアレグ人」との答えだったので、私「ラクダドライバーだな」。彼「イエス、そしてベラはロバドライバーだ(注1)」。私(ちょとからかい気味に)「日本人は?」。彼「ヤマハ(注2)ドライバーでアメリカ人は飛行機(airplaneという単語を知っていました)ドライバー」という答えが返ってきました。お見事!
 残念ながらこの少年の写真がありません。そこで冒頭の写真はトゥアレグ人の大人の男性の写真です。遊牧民族でサハラ砂漠を行きかいする交易商人です。
彼らは青いターバンと民族衣装を着用することから青衣の民として知られています。彼らはイスラーム教徒です。一般にイスラーム世界では女性が全身や顔を衣装で隠す習慣がありますが、トゥアレグでは逆に男性が全身そして顔を衣装で覆い、女性は皮膚を露出していることもあります。一夫一妻制でもあります。
  • ベラ人はトゥアレグ人に隷属する奴隷。次回紹介予定。
  • この地方のバイクは日本のヤマハのようです。誇らしげにヤマハの自動二輪を乗り回している青年に出会いました。
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「出会いふれあい」編 周小平さん

2024年08月19日 07時53分40秒 | 出会いふれあい

  2008年のパキスタン行きのタイ航空は関空→バンコック→イスラマバードでした。通路を隔てた隣に若者2人がバンコックから乗り込んできました。ふと見ると彼らは中国出版らしき「孔子」の本を読んでいました。新中国建国以来「孔子」は厳禁だったようですが、最近復活したという話を聞いていたので、私のいつもの悪い癖が出て「ニハオ」と呼びかけました。それから私のカタコト英語と電子辞書の漢字と、相手の私より上手い英語での珍問答が始まりました。最初に日本の戦争責任が話題になったようなのでapologize(謝罪9 を連発、次に靖国問題ではshame(恥)をいったところ相手は拍子抜けのようでした。(私は相手に迎合してそういったのではなく常日頃そう思っています)それから反転して私は今の中国は共産主義国ではなくアメリカと並んだ資本主義国家ではないか、welfare がないような共産主義とは。朱徳は好きだが、鄧小平は嫌いだ。というようなすれ違い問答をしているうちに次のような発言にびっくりしました。彼曰く「私の宗教はコミュニズム(共産主義)だ」
 彼は以前地震のあった四川省の出身です。鄧小平と同じ名前ですね。彼は中国の会社から電話工事のためにパキスタンに出かけるところでした。
 私が帰国してみると私のブログにコメントをくれていました。その後もたびたびコメントを入れてくれました。

小平 (周)
I can understand your blog amost 50%, simpless sentence tell us so much more information,哈哈
 wish you happy.
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「出会いふれあい」編 悲しい親日

2024年08月15日 07時54分39秒 | 出会いふれあい

 前回クロアチアで出会った(2003年)台湾の人の親日を紹介しましたが、2017年に台湾を訪問した時も親日的な人に出会いました。
  平渓線の瑞芳駅でのことです。構内で突然話しかけてきた人がいました(写真)。戸惑っていると「教育勅語」(注)を暗誦し始めました。びっくりしていると片隅に日本人案内所と書かれたところがありました。年を聞くと86歳(わたくしより3歳年上)ということでした。このような親日は悲しいですね。もっとも極右翼のような方たちなら大喜びだったでしょうね。怖いですね。
 1890年に明治天皇が「古来天皇が徳を持って統治してきたことを述べ、続いて国民が守るべき「徳目」を掲げ、もって皇室を扶翼すべし」という1890年に出された明治天皇の勅語。わたくしの小学校(当時国民学校)時代暗記すべしとされていました。しかし物覚えの悪い私は最後まで暗記できませんでした。当時皇国民であった私ですが、5年生の時に敗戦になり暗記しなくてもよくなりほっとしたことを今でも覚えています。そうです、8月15日は私には「教育勅語」を暗記しなくてもよくなった記念日なんです。

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「出会いふれあい」編 クロアチアで出会った台湾の人

2024年08月11日 07時55分17秒 | 出会いふれあい

2003年、クロアチアで台湾の人から流暢な日本語で声をかけられました。私は「日本は皆さんにあまり良いことをしなかったにもかかわらず、親切に声を掛けていただいてうれしいです」と言いました。すると一人は「台湾の現代化は日本のおかげです」、もう一人は「50年前は同胞でした」という答えが返ってきました。私は名状しがたい感情の高ぶりで涙を抑えることが出来ませんでした。私は今鹿児島に住んでいると話すと私の小学校の恩師は鹿児島の人でしたという話までされました。
なぜこのような発言がなされたのか、そのことについて少し考えてみました。
最初に考えられるのは台湾と朝鮮半島に対する日本の植民地政策の違いに起因するということです。しかしこれは私の乏しい知識に照らし合わせても間違いだと思いました。そこで気がついたのは台湾での本省人と外省人の感情的対立問題です。
1945年の日本の敗戦日を台湾、中国では光復日と言います。台湾の人たちは希望に満ちていました。しかし国府軍を中心とする本土からの移住者(外省人)の横暴に対して本省人(元から台湾にいた人たち)の反感はつのります。「島から逃げ出す一匹に犬(日本人)と入ってくる一匹の豚(本省人)」を描いたポスターが当時貼られていました。それが爆発したのが1947年の2・28事件です。当時本省人から外省人へ「シナチャンコロ」(戦時中日本人が中国人をののしる言葉)という罵声が浴びせられました。すなわち 日本植民支配への怒りが外省人への怒りで隠され、日本時代へのノスタルジーに変わったのではないかというのが私の解釈です。
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「出会いふれあい」編 アンタアホヤ

2024年08月08日 07時53分37秒 | 出会いふれあい

モロッコのエッサウィラの自由時間でのことです。鮮魚店で魚を買いその場で調理してもらうレストランの客引をからかい次のような会話をしました。私「俺の名前はアブドゥラでシャリーフだ。だからバラカを持っている」
 客引き「そうか、ここにもシャリーフがいるので紹介しよう」としてよばれてきたのが、写真の人物。右の人物が紹介してくれた客引きです。
 私「あなたは本当にシャリーフか、それではアンタアホヤ」と言って握手をしました。
 片仮名のところを説明しておきます。「アブドゥラ」はイスラーム圏では一般的な名前で意味は「神の奴隷」です。「シャリーフ」はイスラームの預言者ムハンマドの子孫を言います。「バラカ」はこのシャリーフが持つ「神の恩寵」と訳される万能の力です。「アンタアホヤ」は「あなたは私の兄弟だ」という意味のアラビア語です。この言葉はシリア、レバノン、ヨルダンで用いて成功しました?
 皆さんもどうですか?「アンタアホヤ」をアラビア語圏で乱発してみては
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「出会いふれあい」編 アルジェリアの少年

2024年08月05日 07時54分59秒 | 出会いふれあい

 アルジェリアの人はわれわれを見ると多くは「ニハオ」と挨拶をしてくれます。ところが時には「コンニチハ」といってくれる人もいました。なんとなく若い人が多かったような気がします。その一人が写真の主で首都アルジェ近郊のティパサ遺跡の勉強に来ていた中学生(?)でした。シャツの字「東京」を左から指差して「トウキョウ」と私が読むと彼は右から「キョウト」と発音しました。アラビア語は右から読むのですね。なんとなく楽しくなりました。ありがとう。
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「出会いふれあい」編 アルジェリア人のホスピタリティ2

2024年08月02日 07時54分03秒 | 出会いふれあい

 どうです、この写真! イスラーム圏では女性は原則として撮影禁止です。ましてやこのように完全装備(?)の女性が男性と、ましてや異教徒と一緒の写真なんて! 男性は私ですよ。女性は若かったような気がします。奇跡です。アルジェリアの首都アルジェの町です。田舎では絶対駄目です。この旅行での一番の写真です。彼女の異国人へのホスピタリティ?
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「出会いふれあい」編 アルジェリア人のホスピタリティ1

2024年07月30日 08時00分36秒 | 出会いふれあい

アルジェリアのティミムーンでのホテルはなかなか格好良いHotel Gouraraでした。Lonely planet にここの住民は“The residents are very friendly***”(p169)と記載がありまました。ホテルのロビーで休憩をしていた時、カウンターで現地人らしき人がワインらしきのものを飲んでいるようなので(イスラーム教徒はアルコール厳禁)いつものわたくしの悪い癖でチョコチョコと近くまで行って失礼にもかかわらずこれはワインですかと尋ねました。すると「これだよ」(わたくしの勝手な日本語訳)と言って見せてくれたのがこのワインでした。続いてこのフルボトルを「プレゼント」すると言い出しました。びっくりしましたが、ありがたくいただきました。そして同行の皆さんにも御裾分けをしていただきました。
おいしかったですね。
プレゼント主はこの奥にいる人だったようです。Lonely planetに“The residents are very friendly***”と書いた人もここで同じような経験をしたのではないかと妄想しました。53回の海外旅行で初めての経験でした。
 なぜか、自己紹介の欄の89歳が90歳に変更できません。 

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「出会いふれあい」編 オーストリア人の親切

2024年07月27日 07時52分48秒 | 出会いふれあい

 2001年のオーストリアのグラーツでの午後が自由時間でした。グラーツから列車で3つ目の駅シュツビングというところにあるオーストリア野外博物館に出かけることにしました。まず切符を買うのに一苦労。時間がよくわからないので通りかかりの日本人に助けを求めましたが掲示板を見ればわかるでしょう、とさっさと行ってしまいました。プラットホームにいた実直そうな家族に尋ねて自分の理解していた時刻とは違っていたことに気付き博物館の入場時間に間に合わないことが分かりました。しかし博物館の外観だけでもと長時間待って列車に乗り込みました。降りるのを間違わないようにとこの家族に頼むと降り口まで案内してくれました。降り口のドアーは自動でなく手動でした。降りた駅は無人駅でした。帰りの列車で切符を買おうとしましたが車掌が来ないのでそのまま改札口がないので無賃乗車でした。実はイタリアでもありました。アッピアを自由時間で出かけ帰りのバスを切符なしで降りたことがありました。
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「出会いふれあい」編 ネパールのポカラにて

2024年07月21日 07時50分50秒 | 出会いふれあい

ポカラ(ポカラは本当にのんびりできるところ「地球の歩き方p143」)のシャングリラ・ビレッジホテル(ナチョラル志向のしゃれたインテリア「地球の歩き方p151」)で昼食。ホテルの近くでゲームしている人に出会いました。(写真上)わたくしはなぜかこのような風景(万国共通?)に出会うと何となく郷愁(?)を覚えます。というわけで世界各地で見かけたゲームを撮影しいくつか紹介しています。もちろんその名前もルールも知りません。時にゲームの名前、ルールをご存じの方がいらっしゃってコメントをいただくこともあります。今回もこのネパールのゲームの名前をご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
 このホテルの土産物店で店の若者と仲良くなりました。後日この写真を送りました。この若者がわたくしの腕時計と自分の腕時計を交換してくれといい交換しました。わたくしの腕時計は1000円の安物で彼の方が高価のようでしたが。今でもちょっと良心が痛む感じです。
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「出会いふれあい」編 ネパール学校訪問

2024年07月18日 07時52分56秒 | 出会いふれあい

 前回紹介した若夫婦から別れたのちまた街中をぶらついていたら学校がありその校門に“ESHABLISHED2017” (創立2017年)とあり”??“(当時西暦2001年)なんとなく興味がわき非礼だとは思ったのですが、訪問しました。日本では不法侵入者として警察沙汰になるところでした。しかし大歓迎を受けました。どうもこの学校は外国からの援助で出来ているようで、外国人は歓迎という様子でした。校長先生まで出てきて色々説明を受けましたが、英語なので殆ど分かりませんでした。小学生たちは起立して歓迎?をしてくれました。職員室にまでお邪魔しました。
ESHABLISHED2017” の謎ですが、これはネパールの公式暦ヴィクラムの暦の年号で当時(西暦2001年)は2057年とのことでした。というわけで創立は40年前ということでした。以前この暦はインドとも共通だったそうです。起源を少し調べてみたのですがよくわかりませんでした。
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「出会いふれあい」編 ネパールの若夫婦の愛

2024年07月15日 07時54分13秒 | 出会いふれあい

  2001年ヒマラヤを見ようとネパールへ出かけました。ところがネパールへ行けば必ず何時でも、何処からでもヒマラヤが見えるというわけにはまいりませんでした。
 ツアーの予定では6箇所の地点と遊覧飛行(オプションで140ドル、以前墜落事故がありました)で見られるはずでした。結果は地上では3勝3敗、空からは天候回復を待つためかなり遅れての見学でした。 
さて1敗のドリケルでまる1日暇になり町?の中心街のお寺などを見学してまだ時間があるので、郊外?の方へ散歩に出かけました。そのときと出会ったのが写真の若夫婦でした。ご覧の通り、奥さん(ハニカミがなんともいえないかわいいですね 往年の日本女性?)が重い荷物を持ち、彼のほうは手ぶらです。ここからが私の悪い癖です。身振り手振りと片言の英語(彼らのほうが上手)で「女に重いものを持たして男が何も持たないのは良くない」説教をたれました。どうやら通じたようで、彼の方が胃が悪くて今、町の医者に診てもらいその後買い物をしての帰り道だとのことでした。そして彼は私に家まで来ないかと招待してくれました。いったんは快諾したのですが、かなりの距離のようなので途中で失礼しました。今になっては彼らの家まで行くべきだったと後悔しています。彼の健康が回復していることを願っています。
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「出会いふれあい」トルコのコンヤで

2024年07月12日 07時54分17秒 | 出会いふれあい

写真上はコンヤで早朝の散歩をしていた時に出会った子供たちです。朝食のパンを売っていた青年?にも出会いました(写真中)。メルハバ(今日は)というトルコ語の挨拶をしてその後無言の会話?をしました。そこへ弟らしき中学生が現れました(写真下)。彼は弟にお茶を持ってくるように指示したようでした。香草が入ったお茶を勧めてくれました。大変おいしくいただきました。彼らも商売だろうと思い代金を支払おうとしましたが受け取りませんでした。海外旅行中に出会った忘れられない人物の一人です。
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「出会いふれあい」編 フランス人の傲慢さ

2024年07月09日 07時51分51秒 | 出会いふれあい

  イギリスに反してフランスの現地ガイドの傲慢無礼さにはまったく不愉快でした。添乗員に英語で説明した後、いかにも小馬鹿した発音で“understand?”(分かったか) を繰り返しました。27年経過したいまもこの不愉快なアンダースタンドの声が耳から消えません。また ガイド中に他国人ツアーの悪口を盛んに言ったガイドもいました。
 別れ際に私に次回はフランス語を勉強してフランスへ来てくださいと言ったガイドもいました。フランス語帝国主義メ!
 フランスでは犬の散歩の時糞の始末をしないようです。あちらこちらに糞が放置したままで、たびたびフンづけをしました。というわけでこの犬の糞ともに食べ物を除いてフランス(イタリア料理の方が好き)に私は良い想い出はありません。美人にもあまり出会いませんでした。 
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