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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「東・南アフリカ」編 トリヴィア1 マウマウ団

2007年11月04日 08時34分27秒 | ケニヤ

 ライオンもハイエナも象もイボイノシシもキリンもカバもその他たくさんの野生動物を見ましたが、それらの写真はこれまでご覧いただいたように全くまずいものばかりなので自分でも嫌気がさしてきたのでサファリツアーの紹介を中止します。そこでトリヴィア(つまらない些細なこと)ではあるが、私には興味があった事柄を数回にわたって紹介します。

 今回もあまり予習をしないでの旅行でしたが、ケニアについてはケニヤッタとマウマウ団については頭の片隅にはありました。まずナイロビの空港がケニヤッタ空港となっていたのでまず一安心? 次にマウマウ団について痕跡は?ないかと思っていたらアセンボリ国立公園の近くでトイレ休憩をしたお土産屋さんで見つけました。(写真)

 ケニヤッタとマウマウ団についてはウイキペディアに簡潔に紹介されているので全文を引用しておきます。

  (マウマウ団の乱は、イギリスの植民地だったケニアで起こった民族主義的独立運動ケニア最大民族であるキクユ族を中心とする人々が1952年から反乱を起こし、イギリスはこれをマウマウ (Mau Mau) (外に警官がいた場合、「ウマ!ウマ!」(外!外!の意)と叫んで警戒していた事に由来する)と呼んで掃討。ジョモ・ケニヤッタらケニア・アフリカ民族同盟 (KANU) の指導者は扇動者として裁判に付された。反乱は他の諸民族をも巻き込み、イギリスは大軍を投入して1956年に鎮圧したが、これを機にケニア独立運動が高まった)  

 なお、ケニヤッタ以上に独立運動に重要な役割を果たしたとされるデダン・キジマ(1957年絞首刑)について「新書アフリカ史 講談社新書p442~443」で以下のような興味あることが述べられています。 

 (キジマは毎日の出来事、あらゆる通信文や書類、すべての会議議事録を記録保存していたが******イギリス軍はこれを没収、植民地当局はこれを整理し「キジマ・ペイパー」と名づけた。この歴史的文書はケニア独立時にイギリスとケニアの両政府の密約のため2013年まで公開されないことになっている)

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